峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

織田家の末裔

2020年05月25日 | 歴史
山崎の合戦後、明智家は滅亡。
細川家に血脈は残したものの、明智の名前を残せなかったのに対し、
織田家は子だくさんだったことも幸いし、何家かが現在まで存続しているそうです。

(家系図はお館様から拝借)


嫡男・信忠系は孫の秀信が関ヶ原の戦い後に高野山預かりとなって病死。
三男信孝は賤ケ岳の戦いの後、知多の内海で自害させられます。

次男信雄(のぶかつ)の四男・信良(のぶよし)ははじめ上野小幡藩となりました。これが昨日ジャンさんがコメントされた織田家の里になります。、明和事件に伴い出羽高畠藩に転封され、さらに陣屋の移転に伴って出羽天童藩主(現当主、織田信恒)となり廃藩置県を迎えます。
信雄の五男・高長(たかなが)は当初、大和宇陀松山藩主であったものの、御家騒動に伴う転封によって丹波柏原藩主(現当主、織田信孝)となり廃藩置県を迎えます。

信長の父・信秀も子だくさんで家康との人質交換に登場した信弘(のぶひろ)とか同じ土田御前(どたごぜん)の息子の信行(のぶゆき)とか登場済です。

土曜日の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」に出てきた織田家の子孫は織田長益(ながます、剃髪して有楽と称した)の子孫です。

また信長の妹お市の方からは秀吉の側室淀殿や徳川秀忠の正室・江も生まれています、その江の娘・完子が九条家に輿入れしてたずっと後の子孫が大正天皇皇后・節子で、昭和天皇の母となったそうです。やはり戦国のビッグネームですね。


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コメント (2)
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