3月15日(金)の19:30からNHK岐阜で放送された「近藤正臣のまるっと郡上」岐阜県郡上市八幡町に移り住んだ俳優の近藤正臣さんが出演する郡上を紹介する番組です。たまたま副題に興味があったので見てみました。紹介する場所は創立100年を迎える郡上高校です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b6/8a7684dd7e7458d475020ea0c7580bf8.jpg)
その郡上高校の100年を貫く郡上スピリットを探すために剣道部を訪ねます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2b/3c38032be1a0ad89018f98b48ff414e8.jpg)
その道場に掲げられている幕に書いてある文字が「凌霜(りょうそう)」です。意味は霜を凌(しの)いで咲く菊の花をあらわす不撓不屈の精神だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f1/d80d4ee458ce0f24bdfb3354fb2622ff.jpg)
じつはこの「凌霜(りょうそう)」の名が付いた郡上藩凌霜隊という対外的には脱藩浪士47名が戊辰戦争のとき会津を助けに行っています。隊員のひとり矢野原与七の手記「心苦雑記」は歴史上貴重な記録になっています。たとえば
『だらしのない家来たちがいたらしい。200石・300石、なかには500石くらいの家臣が200余人も山中に逃げたというのである。「禄盗人というべし」』
会津藩士はみな高潔とされていますが、高禄でも軟弱な藩士がいたということです。会津の記録には人数までは書いてないそうです。
また駐屯していた那須塩原温泉から撤退するとき会津藩からの指示は新政府に利用されないよう全村焼き払えでした。世話になった宿を焼き払うのは忍びないと抗議したが聞き入れられなかったので、手加減をして指示に従ったそうです。そういう無慈悲な命令を出しておれば民の心が離れ、会津が徹底的に叩かれたのも致し方ないように思いますね。
会津魂や白虎隊の悲劇の陰で郡上藩凌霜隊の苦闘があったことを岐阜県民は知っておくべきでしょう。
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じつはこの「凌霜(りょうそう)」の名が付いた郡上藩凌霜隊という対外的には脱藩浪士47名が戊辰戦争のとき会津を助けに行っています。隊員のひとり矢野原与七の手記「心苦雑記」は歴史上貴重な記録になっています。たとえば
『だらしのない家来たちがいたらしい。200石・300石、なかには500石くらいの家臣が200余人も山中に逃げたというのである。「禄盗人というべし」』
会津藩士はみな高潔とされていますが、高禄でも軟弱な藩士がいたということです。会津の記録には人数までは書いてないそうです。
また駐屯していた那須塩原温泉から撤退するとき会津藩からの指示は新政府に利用されないよう全村焼き払えでした。世話になった宿を焼き払うのは忍びないと抗議したが聞き入れられなかったので、手加減をして指示に従ったそうです。そういう無慈悲な命令を出しておれば民の心が離れ、会津が徹底的に叩かれたのも致し方ないように思いますね。
会津魂や白虎隊の悲劇の陰で郡上藩凌霜隊の苦闘があったことを岐阜県民は知っておくべきでしょう。
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承知していましたので・・・
NHKから表彰も受けられよかったです。
二位をキープしておられますね。
近藤正臣さんは京都出身ということもあって、朝ドラ「カーネーション」「ごちそうさん」や「あさが来た」など数多くの作品に出演されてます。とにかくNHKへの貢献度が大ということで放送文化賞を受けられたのでしょう。
郡上藩凌霜隊については当ブログへの書き込みも多いジャンさんのブログで教えてもらいました。岐阜県民がもっと知っておかねばならない歴史事実だと思います。
蕎麦宿へくるまで行く際は、塩原、横川を通るので、隊が辿った足跡を走っています。
「どっちに転んでもイイように二股かけた」
と聞いてました。
でも郡上側は、
「こっち(本藩)と あっち(江戸の留守居)
での意見の相違で、やむなく作られた」
というのを かなり後になって知りました。
(どっちがホントなのか、今も不明?)
結成の経緯はどうであれ、その後の
凌霜隊の末路は憐れです・・・
(数年前、岐阜新聞で何ヶ月間も特集記事
揚げてました。取っとけばよかった・・)
吉田松陰などのように厄介者にされ、ホント体制側の身勝手さには腹が立ちます。岐阜新聞の特集記事は気がつきませんでした。ひょっとすると支局版の可能性もあります。
『八重の桜』のころ、ジャン(船山史家)さんのところで取り上げていただいたので知った次第です。会津が美談や悲話にしている裏で「心苦雑記」に書かれたような事実があったことを知るべきでしょうね。