国立公文書館 アジア歴史資料センターの軍の文書に、祖父の書いていたことを裏付けるものを見つけたので、また書き起こしてみます。字が読めないところもあったりするのですが、おおむねこんな感じです。
原文は漢字とカタカナで書かれていますが、よみにくいのでカナはひらがなに改めてあります。また漢字も新字体にしてあります。句読点がほとんどないのは、書き手のためか、それとも当時の文書はこういうスタイルだったのか?
(第11軍軍医部)
第七 居留民の状況並に之が衛生指導
南潯地区に於ける居留民は約三二五〇名にして 時局の急変に至る迄は南昌、九江及石灰窟の三地区を中心として居住しありたり 一般に終戦当初精神的に大なる衝動を受け 行動の帰趨に迷い 自棄的状態に陥るもの、中国人の甘言に乗ぜられ儚き夢を描くもの 或は旧来の利己的又は放縦なる生活を脱し得ざるもの等ありしが 逐次平静に帰するに至れり
軍は集中管理保護の必要上 各地区毎に一定の地域を劃して 自発的に集結せしめありしが 九月下旬中国側の要求に依り 全員湖口及彭澤に集結すべきこととなれり 然れども同地区には全員を収容し得る適当なる家屋なかりしを以て 中国側に折衝の結果、十月に至り石灰窟地区の居留民は従来日鉄使用の家屋に引続き居住することを許可せられ 又湖口地区は中国側の都合により 家屋の使用困難となりしを以て 彭澤の集中居住地施設概成と共に九江より移動を開始し 十一月末集結を完了せり 該施設は倉庫を改造せるものなるを以て越冬には支障なきを保し難きと共に極度の狭縮舎営にして 防疫には○甚なる注意を必要とせり
当時に於ける集中状況左のごとし
石灰窟 約一五〇〇名
九江 約 四〇〇名
彭沢 約一三五〇名
石灰窟の居留民は 其の殆んど大部分が日鉄関係の職員及之を対象として商業を営みありしものなり 九江に残留せしは 病院、食料品加工業、燃料及電気関係等の工場経営者及其の従業員、同家族等にして 中国側の接収未済或は中国側の工場操業の援助の為残留を命ぜられたるものを主とし 患者及其の家族若干を含みあり 彭澤に集結せる居留民には普通商店、会社員、軍に関係ある嘱託、外務省官吏等あり 南昌に居住しありたる居留民をも含みあり
石灰窟地区は中国行政区画上湖北省政府の管轄に属し 食糧補給及管理の都合上不便勘からざりし為 累次に亘り中国側と折衝の結果 本年初頭より湖北省側に於て管理することに決定せしを以て 軍側の管轄を第六方面軍司令部に移管せり
管理は当初受降主官直接之を実施しありたるも 十月末より日本官僑民管理処設置せられ 居留民の管理をも担任することとなり 十二月には更に江西省政府に移管せられ 之が直接管理機関として 彭沢に江西省日僑集中管理処設置せられ 爾後其の管理下に置かれたり 居留民側に於ては 九江に日僑会、石灰窟及彭沢に夫ゝ日本人会を設け 軍司令部及九江総領事館監督の下に自治的に業務を実施し 中国側の管理に服したり
軍司令部は居留民の取締及中国側との連絡に任ぜしむる為 石灰窟に連絡所を設置し 又彭沢には現地兵団より派遣隊を派し 以て業務の円滑なる遂行を期したり 中国側の幹部特に日僑管理処の幹部は 開設頭初より渉外品贈与に関係し 概ね平穏に生活することを得、停戦直後 一般民衆の一部の不法行為ありたるの外、多方面に聞知するが如き極端なる迫害の少なかりしは幸いとする処なり
朝鮮人は其の大部分が 軍事委員会韓国光復軍独立支隊部なるものに進て加入し 或は加入を強要せられ 日本居留民より離脱せり
給養は当初兵站総幹部に於て日本軍人同様の取扱を為す旨中国側より通報あり 軍より米塩の外副食物をも立替え補給しありたる処 十月分副食代金受領に先立ち 居留民の補給担任は管轄行政機関に移管せられたる旨通報ありたるを以て 九江総領事より軍を経由し 中国側に申請し 概ね十月以降手持品の給養保持期限を画して補給を受くる如く指令せられたり 十二月末彭澤に江西省日僑集中管理処開設せらるに及び 之が担任を同処に於て実施せらるることとなりたり 然れども爾後に於ても補給は○く円滑を欠き停頓すること勘かなりし為 日を追うて窮迫に陥り 携行しありし家財衣類を処分して食料を購入する等の状況に立ち至りたるを以て 共同炊事を奨励し 燃料其の他の節約に努めせしむると共に 軍に於ては極力之が援助に務め 多面中国に折衝し補給の促進を図りし結果 居留民第一次帰還として 彭澤居留民七五〇名を五月十日出発せしむるに際しては 主食約二十日分 副食代金約十五日分以上の携行を可能ならしめ得たり
石灰窟の居留民はその大部分が元日鉄職員にして 終戦前より相当の蓄積をなしありたる為 食糧に関しては何等中国側の援助を受けざりき
居留民の受けたりし主食及副食代金受領標準は左の如し
米 大人一日一人当 二十五両(781.25瓦)
小人(満六歳以下) 十一両(343.17瓦)
塩 一日一人当 五銭(15.63瓦)
副食代金 一ヶ月一人 二四〇〇両
居留民に対する衛生指導は居留民の医師を指導しつつ居留民内に於て自治的に実施せしむる如くなすと共に現地軍に於て居留民の医師に対する協力援助を協力に実施し九江に於ては揚子江方面海軍特別根拠地隊九江方面警備隊軍医長海軍軍医少佐羽田春兎よりも密なる連携を得たり 軍は終戦後に於て其の保有衛生材料の一部を居留民に支給し長期に亘る集中営生活間の防疫診療に遺憾無からしむる如く図りたるも軍事隊の保有量僅少なる為 其の支給量亦微々たるに過ぎざりき
同仁会南昌診療防疫班は九月十四日中国第五十八軍により同仁会南昌博愛園癩研究所と共に接収せられ班長代理医学士吉村正一以下職員は南昌居留民と同行 九江に引揚げ爾後居留民の彭沢集中に伴ひ全員之と行を共にし集中営に於ける衛生指導並に診療に努力せり
同仁会九江診療防疫班は其の使用建物が中華キリスト教衛理公会保管の故を以て第九戦区陸第九十九軍司令部を通じ米国人に接収せられ管理人の要請により班長医学博士高田之以下五名引続き同会の旧同仁会医院の施設を利用し経営する美国九江生命活水但福徳連合医院に於て医療に従事し其の他の職員医学博士鶴野六良以下六名は中国側の希望により頭初九江県立医院に次で江西省立九江医院に職員として奉職し夫々生活の不如意を克服しつつ中国医療関係者の教育、九江地区の診療防疫に貢献せり
石灰窟地区には日鉄病院長医学博士高木起作以下三十三名の医療関係者あり 何れも居留民集中営内にて衛生指導並に診療に努力せり
南潯地区同仁会診療防疫班は何れも熊本医科大に於て編成の上派遣せられたるものなり
居留民の衛生状態に就ては九月より十月に亘り漢口地区より侵入せるデング熱九江に於て猖獗を極め其の罹患率約八〇%の高率に及び余病の併発により死亡せるもの四名を生じたりしが時候の寒冷に向ふと共に終息するに至れり 同仁会九江診療防疫班への来診患者の主なるものは「マラリア」及「アメーバ赤痢」なり 彭沢に於ては環境の不良なると共に倉庫を改造せる宿舎への圧縮舎営なりしを以て現地兵団をして特に防疫上の見地より衛生思想の普及に努め指導の適正を期せしめありしが四月に入りA型パラチフスの散発を見るに至り防疫処置に遺漏無からしむると共に患者はこ之を独立混成第八十四旅団解説の患者療養所に収容するの外 帰還輸送に支障を来さざらしめんが為 全員の菌検索を実施し所要の患者及看護人を在九江兵站病院に収容する等 万般の措置を講じたる結果 帰還輸送の本格化せる五月中旬には全く終息せしめ得るに至れり
石灰窟地区には特記すべき疾病の発生無かりき
以上