キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

ニヶ領用水 久地円筒分水

2018年11月20日 |  └─大山街道
先日行ってきた「大山街道溝口宿」から寄り道した。
ニヶ領用水久地円筒分水訪問レポです。

ニヶ領用水というのは、戦国~江戸時代に作られた多摩川右岸の灌漑用水です。
左岸は「六郷用水」ですが、ともに同じ時代(慶長2年)に同じ小泉次大夫によって建設が始まったそうです。
だから次大夫堀なんて言うこともありますね。




溝口の宿場もこの用水が横切っています。



今はきれいに護岸され、整備されている区間があります。


国道246号(大山街道の新道)はトンネルで横切っています。
人間は歩道橋で。


久地には、円筒分水という面白いものがあるのです。
近代産業遺産というべきものですね。
でも今も現役です。

この用水の水を上流側も下流側も各農地へ平等に分配するための施設。
昭和16年に作られたんだそうです。


これができる前は、分量樋というもので分けていたそうです。




サイフォンの原理らしいけど、全然わかんない。
物理か???一度ちゃんと原理を学びたいものです。


上流がわに取水口がある。

川崎市のホームページから
江戸時代、二ヶ領用水は多摩川から上河原堰及び宿河原堰の2箇所で取水されたのち、高津区久地で合流し、久地分量樋へ導かれ、そこで四つの堀(久地堀、六ヶ村堀、川崎堀、根方堀)に分水されていました。
久地分量樋は、樋(水門)によって、決められた水を分ける施設でしたが、正確な分水ができず、水量をめぐる水争いが絶えませんでした。
そこで、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られました。二ヶ領用水から取り入れられた水は、平瀬川の下を潜り、再び噴き上がってきた水を円筒の円周比により四つ堀に分水し、各堀へ正確に用水を供給しています。
この円筒分水の技術は、当時としては大変に優れた自然分水方式だったことから、各地で同様のものが築造されました。
「久地円筒分水」は、その歴史的な重要性や、全国に広がる初期の円筒分水の事例であることから、平成10(1998)年に国の登録有形文化財に登録されています。


http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000073.html




大山街道ふるさと館

2018年11月07日 |  └─大山街道

出かける前にグーグルマップで調べて、東急田園都市線の高津駅近くに「大山街道ふるさと館」があるのを確認して、ここを最初の目的地として自転車を走らせました。大山街道についていろいろ知ることができることでしょう。





行ってみてわかったのですが、ここはその昔、高津町役場があったところでした。入館無料で公民館的な使われ方もしてるみたい。大山街道とニヶ領用水についての展示があります。その他、地元ゆかりの人々についての展示も。岡本かの子、岡本太郎、岡本一平、国木田独歩、濱田庄司。

大山街道については初心者なので、展示はちょっと難しいものもあったけど、入門のパンフなどもありました。


東海道が幕末は通りにくくなっていたなんて話は初めて知りました。
こういう資料館の展示はいいですね~。



昔の町並みの記録。
今の街のようすをよく知っていると二倍楽しめるのですが、なにしろ初めて行ったので、その点は残念。






休憩スペースには地元関連の本やパンフが充実。


大山詣りすごろく手ぬぐいを購入。800円。


実際に赤坂から大山まで歩くための地図入りのガイドブック。1100円。

街歩きをしていて感じるのは、こういう施設や情報が充実してる所が多いこと。日本各地に、無料のパンフがあり、資料館があり、ボランティアガイドがいるって感じる。いろいろ問題は多いのだろうけど、それでもやはり日本社会の文化の充実は進歩しているんだと思う。郷土史に関心持つ人も多いし。

いいことだと思います。


こういう、街歩きが好きなのは、あれですね。
今私が立っているこの場所に、何十年前、何百年前、何千年前には、こんな建物があって、こんな風景が広がっていて、あんな人たちがあんな生活をしていたかも。と想像するのが楽しくてしょうがないのですね。

大河ドラマ「黄金の日々」の五右衛門釜

2018年11月06日 |  └─大山街道
大山街道を自転車で走っていたら、こんなものを発見。




懐かしい!
「黄金の日々」は子どものころだけど、しっかり記憶のある大河ドラマ。
当時の市川染五郎さん(今の松本白鸚さん)の呂宋助左衛門。
緒形拳の秀吉。
近藤正臣の石田三成。
丹波哲郎の今井宗久。

そして根津甚八の石川五右衛門。
キリシタンの夏目雅子もキレイだったなぁ…。



で、五右衛門の釜ゆでのシーンで使われたのがこの釜だそうですよ。
いつからおいてあるんだろう???
有名なものらしいですね。



この釜があるのは「飯島商店」さん。
駐車場の入口に置いてあるので、いつでも見ることができます。



街歩きしてるといろいろなものに出会えて楽しい。

「大山道」道標~三軒茶屋

2017年11月30日 |  └─大山街道
涼しくなったら「大山詣り」してみようかな~なんて言っていたのに、もう12月になりますよ。半七親分の方へ寄り道したりして一向に進みませんが、一応、ここには行ったんですよ。10月の話ですが。

三軒茶屋駅前にある「大山道」の道標です。



この「三軒茶屋」と言う地名自体が、「大山道」と関係ありありでしょうね。
世田谷区教育委員会による、案内板が立っていました。



大山道道標

銘文
(正面)左相州道 大山道
(左側面)右富士 世田谷 登戸 道
(背面)天下太平国土安穏
    寛延二己巳年建立
    文化九壬申年(再)建
    石工 江戸木材町八丁目石田屋【花押】
    昭和三十一年丙申三月吉日石工石峯
    五穀成就万民家楽
(右側面)此方 二子道

年代 
寛延 二年(一七四九)、文化 九年(一八一二)再建

伝来 
大山道は、矢倉沢往還 の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政 期ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分かれ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
大山は、古い民俗信仰である石尊信仰 と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化文政期以降は江戸 町民などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピックの道路拡張などにより点々と移されたが、昭和五八年五月に三軒茶屋町会結成五十周年記念事業の一つとして、元の位置近くに復された。

備考
1.この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
1.相州道・二子通は、ほぼ現在の玉川通りである。
1.富士・世田谷道・登戸道は、ほぼ現在の世田谷通りである。

昭和五十九年三月
世田谷区教育委員会



話は変わりますが、最近、落語の「百川」を聞き返しました。
この前日本橋に行ったときに、どうも「百川」の跡を歩いていたらしいです。
もう一度行って、今度はちゃんと「ひゃくべえ」さんと同じように「はせがわちょうのさんこうじんみち」の「か」の付く高名なヒトを探してみたいと思います。
わたしの東京江戸散歩も支離滅裂になってきましたが、乞うご期待。

大山街道荏田宿の「まねき看板」

2017年08月21日 |  └─大山街道


日曜日、少し涼しそうだったので、ふらりと出かけることにした。
最近コメントをくださる青青さんとのやり取りに登場する「大山街道」へ行ってみようかな?
街道をたどって歩くには準備不足なので、途中の宿場町「荏田」に行って宿場町の名残を見るのはどうだろう?
ネットで調べてみると、宿場町の建物などは残っていないらしいが、常夜灯が民家の庭先に残されているようだ。
去年、地元の人たちの手により案内看板が立てられたらしい。それから、当時の宿屋に残された「まねき看板」というものが、横浜市の歴史博物館に展示されているとか。機会があればそれも見たいな。
電車を乗り継いで、荏田宿の最寄り「江田駅」へ向かう。


目的地が近づくにつれ、だんだんと蒸し暑くなってきた。
「う、やっぱり、今日は涼しい博物館に行こうかな?」
結局、初心は貫けず、横浜市営地下鉄センター北駅前にある、横浜市歴史博物館へ。
地図を見てたら、隣に遺跡があるのをみつけた!
すこし離れたところには「茅ヶ崎城」という城跡もあるらしい。
この辺り、全く来たことなかったけど、結構興味深いところのよう。
(遺跡見物は、前回のエントリに書きました)

荏田宿について
荏田宿は、大山街道の「矢倉沢往還」とよばれる道の宿場。大山参詣の道、大山道はルートがたくさんあったらしいけど、その一つ。江戸から7里の距離にあり、朝、日本橋を発って夕方に到着する最初の宿場とのこと。大山詣りでにぎわって、幕末の頃には30数軒の宿や店が軒を連ねていたとか。残念ながら、明治27年に火事で焼けてしまって、古いものは残っていないらしい。
宿場町のあるのは、今の東急「江田駅」から、東に徒歩10分くらい歩いたところ。厚木街道(大山街道)の「荏田町」交差点のあたり。


横浜市歴史博物館に展示されているのは、「まねき看板」と言われるもの。

大山詣りは宗教色のあるもので、江戸の庶民たちは「講」をつくってグループで参詣していた。そして定期的にお詣りを繰り返していく。もちろん、落語に出てくるようにレジャーという意味合いも強い。そうするうち泊まる宿屋の方にも「おなじみ」ができて、どこそこの講の人たちはどの宿屋に泊るというのが決まってきて、それで泊まるときにこの板を掲げておいたもののよう。

横浜市青葉区の文化財として紹介されたページより引用
「荏田宿の旅籠柏屋の古い蔵の二階に一括保存されていたまねき看板で、大山講関係が30枚、富士講・愛染講などが12枚の計42枚。これらは江戸在住の講員たちがあつらえ、当家に宿泊する度に入り口の壁などに掲げたもので、旅行の目的や講中の表示を兼ねたものである。大山講が大部分を占め、その製作年月から夏山詣りに際して新調されたことが分かる。現在横浜市歴史博物館に常設展示されている。」








板自体は「講」で作って宿屋に持ち込むようだが、宿屋で保管して宿泊のある時に掲げたものなのだろう。
やっぱりほかの人にも見せるものだし、デザインがなんだか粋でかっこいい。

一番上の写真の下に見える御神輿みたいなものは、大山の神様に奉納する「お神酒」を入れた箱。
お神酒を奉納したら、帰りには山の水を入れて持ち帰ったのだそう。
それが参詣に行けなかった講の人たちへのお土産になったんだって。
宿にこの箱が残されているということは、水はもっと軽いものに入れて江戸まで運んだのかな?

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