8月24日土曜日、恩師小澤先生の 94歳のお祝いの会が箱根湯本で開かれ、夫婦で行ってきました。
先生はしばらく前に体調を崩されて入院中とのことでしたが、無事開催され、全国から大勢の人たちが お祝いに駆けつけました。
私も大学の同期と誘い合いましたが、 一緒にヨーロッパに行った 皆さんや色々お世話になった方々に再会できたことがとても嬉しく、あちこち挨拶に忙しくとても楽しい会となりました。
会場は 箱根湯本駅に近い湯本富士屋ホテルの大宴会場。
34個並んだテーブルには、それぞれ グリム童話のお話のタイトルがつけられていました。われらのテーブルは「おおかみと七ひきの小やぎ」。
大学時代の友人たちといっしょです。
先生 は 医療スタッフに助けられながら車椅子で入場され、皆からの祝辞などを嬉しそうに聞いていらっしゃいました。
また 誕生日ケーキも用意されていて、 お孫さんたちからの祝福の言葉や 花束贈呈などもありました。
88歳の米寿のお祝いの時は先生の講演会が催されましたが、 今回も先生からのお話の時間があり、後進へのメッセージを力強い言葉で話されていました。
ご家族によれば 、ご体調は 一進一退のようですが 、この会を非常に楽しみにされて リハビリなども頑張って来られたとのことでした。
まだまだこれから やりたいお仕事の話なども、意欲的にされていました。
そのあとは先生の活動の関係者や、(私とは違い)立派な研究者となられている教え子の皆さんからの祝辞が続きました。ドイツの研究者仲間のウター 先生からのお祝いビデオメッセージなども届いていました。
米寿のお祝いの時は、私たち筑波の教え子たちにも声がかかり、同期の友人が祝辞を述べました。今回はそういう オファーがなかったので、ないものだと気楽に構えていたら、 会場入りした後 お世話係の方から 「祝辞の時間ありますよ。お願いしますね」と簡単に言われてしまいました。
えー 聞いてないし!
でも、こういう会で話をさせてもらえるのはとてもありがたいこと。
私なりに精一杯努めました。ぶっつけだったので、話はまとまらずボロボロでしたけど、まぁ気持ちが大事ですよね。 こういうものは 。
1人当たりの時間は2分ぐらいということでしたが、適当に話したら 5分も喋っていました。こんな機会はもうないと思いますが、何があってもいいように練習しておきたいと思いました。
参加者は全国から 300名ほどが集まったということです。
昔ばなし大学も今年で32周年、 そのお祝いも兼ねての会なので、昔ばなし大学の皆さんが中心で、数年前に「中欧の旅」をご一緒した皆さんも何人ももいらっしゃっていましたし、7年前の25周年大会でお目にかかった秋田の方々、小澤昔ばなし研究所の皆様との旧交を温めました。
私のテーブルはつくばの仲間たち、その他先生が筑波にいらっしゃる前の日本女子大学時代の教え子の皆さんのテーブル もありました。
会の終盤には先生の息子さん(!)のギター弾き語り などもあり、 なかなかのサプライズ。先生も最前列でとても嬉しそうにご覧になっていました。
会の時間は12時から4時までの4時間もとってあり、参加者とゆっくり話をすることができました。長丁場 なので 先生は途中で一旦が退席なさり、控え室で休まれていたようです。
最後は先生の弟さんの幹雄さんの指揮で賛美歌の「山辺に向かいて」 を歌いました。この歌は昔話 大学の会合では必ず歌われれるものです。
先生の体調を考慮して、先生に個人的に声をかけるのは遠慮しました。
(コロナやその他の感染などを避けたいということでマスクも推奨されていましたし)
先生の体調を考慮して、先生に個人的に声をかけるのは遠慮しました。
(コロナやその他の感染などを避けたいということでマスクも推奨されていましたし)
いつも通り、愛と情熱のあふれる会で幸せな気持ちになりました。
会の終了後は、同じホテルに1泊の予約をしていたので、チェックインして、しばし筑波の友人と部屋でおしゃべり。
日帰りの人はだれもいなくて、みな箱根に宿を取っているとのこと。
湯本の駅前商店街で軽く飲もうかと繰り出しました。
日帰りの人はだれもいなくて、みな箱根に宿を取っているとのこと。
湯本の駅前商店街で軽く飲もうかと繰り出しました。
箱根湯本も外国人観光客がいっぱいで、お店にも英語メニューが標準装備。日本の観光業界の進化はすごいですね。
昭和感漂う居酒屋で二次会。
学生に戻ったような気分でした。
箱根もまだまだ暑く、結局今回の箱根行きは、先生の祝賀会と友人たちとの居酒屋と、翌朝の温泉街散歩だけでおわりました。
もう少し気候の良いときにまた遊びに来たいなと思いました。
もう少し気候の良いときにまた遊びに来たいなと思いました。
ほんとに今年の夏はあつすぎます。
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