今日は横浜市磯子区から金沢区にかけてのエリアを歩いてみたいと思います。
電車を新杉田駅で降り、
東漸寺へ。
臨済宗のお寺で、この釈迦堂は1301年に建てられたそうです。
釈迦堂。
そこからてくてく歩いて次に向かったのが杉田八幡。元禄5年とが背中に彫ってある(らしい)ちょっと変わった狛犬がいます。この杉田八幡宮は源義家が1063年に建てたと言われています。
神社の隣には保育園があって、賑やかな子どもたちの声がきこえていましたが、親にしがみついて泣き喚いている子どももいました。4月らしい風景ですね。
そこからすぐのところに日蓮宗妙法寺があります。ここは間宮林蔵の一族の菩提寺だったそうです。
門の前にあるビャクシンの大木が存在感を放っていました。樹齢600年。
根っこもすごいですね。
この辺は、明治の頃までは杉田梅林として有名な梅の名所だったそうです。今はこのお寺の境内にわずかに残る程度で、もう梅園はないらしいですが、一部に地名として残っていたり、梅の植樹などの活動があるそうです。
国道16号を渡り青砥坂という長い坂を登って富岡総合公園の高台に登ります。
今は春霞で全然見えませんが。
この場所は昔は海岸線でした。
それが昭和の高度経済成長時代に埋め立てが始まりどんどんどんどん海外線が沖の方へ伸びていきました。その辺がわかるパネルがありましたので、1枚一枚ご覧ください。
赤い丸が現在地です。
大正10年。
今いる位置が海に面した崖の上だったことがわかります。
昭和48年。
埋め立てが進み、現在の鳥浜地区(南部市場やベイサイドマリーナがあるところ)はほとんど完成しています。
昭和59年。
並木の工業団地もすっかり造成が終わりました。無人交通システムのシーサイドラインや金沢シーサイドタウンも完成しています。
台地の上は広々とした草地になっています。
公園内はけっこうな高低差があるようで、せっかく登ってきたのにまた下ります。
公園内にある木には名札がかけてあり、こんな風に説明がついているものもあります。見て歩くだけでも楽しい。
園内ウォーキングツアーの案内もありました。
楽しそうですね。
富岡総合公園は、元々旧日本軍海軍飛行艇部隊のあった場所だそうで、戦後はアメリカ軍に接収され、軍関係の施設として使われていたそうです。
1971年に接収解除となり、1975年に公園に整備され市民に開放されたとパンフレットで読みました。
旧日本軍の隊門がまだ残っています。
表札には富岡総合公園って書いてあるのかと思いきや、「元横浜海軍航空隊隊門」とありました。
ここには昭和11年に「浜空神社」が作られ、さらに接収解除された後に、元隊員たちにより神社が再建されたそうです。
そして、ずっと元隊員等により守られ、慰霊祭なども行われてきたそうですが、
元隊員の高齢化に伴い維持管理が難しくなり、神社は横須賀にある雷神社に合祀され、ここは慰霊碑が残るのみとなりました。
高低差のある公園なので湧き水もあります。湧き水の池ではザリガニ釣りもできるようです。
横浜市 金沢区の花は牡丹だそうです。
ボランティアの方だと思うのですが、牡丹園で作業してました。お話を聞くと今年はボタンがあまり綺麗に咲かなかったとのこと。
いやいや十分綺麗ですよー。
ここからまた園内を歩きます。
登ったり下ったり運動になると思うことにします。
木漏れ日が美しい。
この公園には珍しいアーチェリー場があります。
また
見晴台というのがあったので登ってみます。ここは一番高いところが標高50 M だそうです。見晴台からの眺め。
ここでのんびりしていたら近くの保育園の子供達が10人くらいやってきました。
先生に「今日はここで遊びます。柵の向こうには出ないようにしてください」と注意を受けて、わー!きゃー!と、散らばっていきました。楽しそう。こんなところで遊べるのは楽しいでしょうね。
ここは軍隊の基地になっていたせいか、
高台も所々平らに土地がならされてあり城跡みたいな地形です。自然保護林が残されていて、タイワンリスが鳴いてました。こんなに可愛いのに害獣扱いなんですよね。人間は勝手です。
富岡市総合公園は大体見て回りました。
次はシーサイドラインに乗って、埋立地の工業団地へ向かいます。
南部市場駅。
幸浦駅で降りて「くるみっこ」というお菓子で有名な鎌倉紅谷の工場へ。
ここの直売店ではくるみっこの切り落としのお徳用が売られてるらしい。行ってみたら、もうそれはとうに売り切れていました。人気なんですね。
横浜元町の霧笛楼の工場もありました。
そろそろお昼ごはんを食べようと思って Google マップで検索してみると歩いて15分ぐらいのところにある海辺のカフェが良さそうです。
殺風景な工業団地を歩いて、やってきたのは清掃工場。
清掃工場の隣には焼却炉の熱を利用した温水プールが付いていることが多いですが、ここにも金沢区の区民プールがあります。
カフェは区民プールの2階にあってなかなかおしゃれな作り。
大きなテラス席からは海を見ることができます。(隣は清掃工場ですけどね)
ボリュームたっぷりのサーモンサラダを食べました。
「写真で見る横浜130年」という私好みの本が置いてあったので最初から最後まで読んでしまいました。
いいとこでしたが、車がないとなかなか来るのは不便です。
次に来るのは何年後かでしょうね。近くには大型スーパーコストコや中華まん江戸清の工場なんかもありました。
工業団地から並木団地(金沢シーサイドタウン)
の方へ向かいます。1980年代に作られたニュータウンです。
40年前は小さかったであろう街路樹もいい感じに成長し、落ち着いた町並みになっています。車道と歩行者用道路がきれいに分けられた区画で住みやすそうです。
つくばでおなじみ pedestrian DECK も長く続いています。
富岡総合公園の案内板で見た通り、ここも全てかつては海の中でしが、一箇所海が残されているところがありました。
「船だまり」という場所です。もともと海岸にあった富岡八幡宮の神事祇園舟を乗り出すために住民のたっての願いでかつての海岸線が残されたそうです。
予備知識なく行ってみて、ここはもともと海だったんじゃないかと思った風景。
波打ち際。
船を乗り出す傾斜が作られています。
水鳥がいました。
見たことない鴨でしたがヒドリガモというようです。この鴨は水に潜らず、波打ち際で餌をとっていました。
埋め立て前のこの辺りの様子。
以前は海水浴客で賑わったそうで、近くには「海水浴場発祥の地」とかっていう石碑も残っているそうです(見つけられなかった)でも日本の海水浴場発祥って大磯海岸じゃないのかな?
では、ここから富岡八幡宮へ行ってみましょう。ここは東京にある富岡八幡宮の本社のようなところで源頼朝公によって創建されたそうです。
お社の形の焼却炉。
御札と顔お焚き上げするんでしょうか。
この近くは海岸の保養地別荘地だったらしいですね。いろんな記念碑が並んでいました。
孫文先生上陸の地。
日本に亡命した孫文がここに上陸したのだそうです。
あ、記念碑の文字岸信介だって。(なんでだよ!)
こちらは直木賞の直木三十五の碑。
ここから丘に上がったところに住まいがあったそう。病気療養のためにここに家を建てたそうですが10日も住まないうちに具合が悪くなりそのままなくなってしまったそうです。
松方正義(って何した人でしたっけ?)の別荘あと。
この傾斜、海岸線の名残でしょうね。
ここまで歩いたら流石に疲れてきて、さらに雨もぱらぱらし始めたので帰途に付きました。歩数25000を超えていました。
歴史散歩楽しい!!
(破線の区間は電車に乗ったところ)