(小田原散策続き)
お城見物を終え、宿場町散策へ。
旧東海道ってここかしら?
ずいぶん道幅あるなぁ。
バス停の屋根が瓦だったりしてやはりここで間違いない。
パッと見、お城みたいな「外郎博物館 」などもあるけど、もう寄ってる時間ない。古い建物の老舗が残っているところが「街かど博物館」として公開されているとパンフレットにあったので、それをたどる散策にしようかな。
ういろう博物館
歩いていくと、いかにも古そうな薬局さんが出現。
「済生堂薬局小西本店(薬博物館) 」。
パンフレットには、関東大震災後に再建された店舗とある。
表のケロヨンかわいい。
入ってみます。
「おじゃましまーす」
と声をかけたが、返事がない。
奥の調剤室に突っ伏している(ように見える)人影。
お昼寝中?
じゃましないようにそっと店内の展示を見ていたら、お店の人が気が付いて出てきてくれました。作務衣を着たおじいさんです。
「こちらはずいぶん古いんですね~。ずっと薬屋さんなのですか?」
なんて質問したりしてみる。お店の人は話し慣れているらしく、いろんな展示品を見せながら、歴史を話してくれる。
なんでも寛永10年(1633年)創業なのだそう。
ひゃー!
このご主人で15代目。ずっと薬屋さんだったらしい。
そして、戦国武将小西行長につながる家系なのだそう。
「1600年の、ほら、あれ・・・」
「関ケ原ですか?」
「そうそう、その関ケ原でね・・」という風に会話が進む。
小西行長といえば、私の地元熊本にはなじみ深いヒトなので、
私もノリノリになって話を聞きました。
ご主人も行長を知ってるなら話が早い、とばかりにますます話が弾みました。
明治期に西洋薬学を学ぶようになったお話。
関東大震災で家は倒れたけど、蔵は無事だったこと。
火災はなかったこと。
関東大震災後に東海道の道幅が広げられたこと。
(それで、こんなに広い道なんだ!)
戦時中の空襲も免れたこと。
などなど。
関東大震災前の店の様子。消防出初式だそうです。
消防車の様子も興味深い写真ですね。
震災後、再建されたお店(今の建物)やはり消防出初式。
展示品にも説明が加えられていて、まさに博物館です。
印象的な「薬」という字は、能書家だった12代のご主人の手によるもの。
屋根の付いた看板は珍しい。
この書は、また違う方のよう。
「石埭居士書」と読めます。
調べてみたら、永坂石埭(せきたい)という明治期の書家の方のようです。
お医者さんでもあったらしいので、そのあたりのつながりもあるのかな?
関東大震災でも火災がなかったそうなので、こういうものが残ったそうです。
たくさんお話を聞いているうちに、お店に人が増えてきました。
買い物したい人もいるようですが、ご主人意に介さず、お話が続きます。
「せっかくだから珍しいものをお見せしましょう」
と、調剤室の棚から出して見せてくださったのが、この薬品瓶。
もう職人がいなくて作れなくなったそう。
今でも現役で、はかり売りに活躍しているんだそうです。
とても親切な方でした。
小田原は見るものがたくさんあるのでぜひ再訪したいと思っています。
次回また訪ねてもっとお話聞きたいと思います。