キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

海の公園でバーベキューやってみた

2023年06月28日 | アウトドア活動
キャンプに行って以来、アウトドア関係に一気に興味がわいています。

とにかく外で焚火したい。
火燃やして料理とかやってみたい。


アウトドア用品店巡りをしてみたり、キャンプ用品のショッピングサイトや記事を読みまくったり。(まだ何も買ってないけど)

妄想ばかりを膨らませて頭でっかちになるのもほどほどにしないと!
と、練習として、公園でバーベキューやってみることにしました。
人が準備してくれるバーベキューに参加したことはあるけど、自分ではやったことない。初体験!

調べると、横浜市の公園でバーベキューできるところが何か所かあるみたい。手ぶらで行ってもできるよう。
電車でのアクセスのいい、八景島の近くの「海の公園」に予約を入れました。

定員12人の区画使用料は、土日で3時間2800円。
バーベキューコンロセットが2000円。計4800円。
12人なら1人400円と格安ですが、夫婦二人なのでめちゃ高額。

でも、練習なので。
まずはやってみるのが大事よ。

食材やビールなどを一通り準備して、自宅から電車を乗り継いでいきます。
海の公園は潮干狩りもできるビーチがある広い公園です。家族連れでにぎわっていました。






その一角にバーベキュー場があります。
据付のテーブルセットが40か所あり、それぞれがしっかり離れていて開放感あります。そのほか大人数に対応した炊事棟や水洗い場など、設備は整っています。

日陰になりそうなテーブルを選んで予約しておきました。
天気予報を見て、前々日くらいに予約したのでほとんど満席に近い状態だったけど。
売店にあるバーベキュー受付で、料金を払ってコンロセットを借ります。木炭は3キロついてきます。ここはゴミ袋もくれて、ごみは捨てて帰ってOKみたい。やるなぁ横浜市。

消火用のバケツも用意してくれていました。至れり尽くせり。


12番テーブル。
日向と日陰半分半分でした。



炭なので火起こしも楽。
海岸なので風もあり、うちわであおぐほどでもなかった。
3時間なんて短いのでは?と思っていたけど、2人だから1時間半ほどでおなかもいっぱいになりました。




高い肉も買ってみた。
もちろん大変に美味しかったけど、これからは安いものでやろうと思った。
炭で焼いたらなんでも美味しくなりそう。
茄子とか最高に美味しかったし。


炭火でやいたサツマイモが超級の美味。
これは焼くだけ焼いて自宅に持ち帰って夕飯にしたんですけど、次やるとしたら、大量に焼き芋生産したいと思いました。






対岸に八景島を望む。景色の良いところです。








ペリーの歩いた横浜を歩く

2023年06月17日 | ヨコハマ散歩
毎週土曜日 神奈川大学の 市民講座に通っていますが、その時は 必ず 図書館によるようにしています。本来は授業の関連の本を読んだりするのが良いのでしょうが、まあそこは気楽に。その時どきの読みたいものを手に取るようにしてます。

先日は ペリーの日本遠征に随行した通訳の日記を読んでみました。




読んでみると170年前の文章とは思えない読みやすさ。この筆者の感性がかなり現代的なのだなと思います。今読んでもあまり気になるところがない。差別的な表現とかもなくて。


1958年から始まるこの ペリー 随行記には、沖縄、小笠原、下田、横浜などの土地が出てくるのですが、やはり横浜関連の記述が気になります。色々な折衝の末に日米和親条約をに至る横浜滞在記録を中心に読んでみました。


和親条約調印後にペリーが横浜村の庄屋を訪ねた記録があります。 その家は今も横浜元町に残っていて子孫が住んでいるようです。

その辺りの記述を探してみます。

4月6日 木曜日
 今日は、ペリー提督と一行が散歩に上陸した。榴弾砲と砲車2両それにお茶 10箱がこの地の役人への最後の贈り物として 陸揚げされた。火砲が最高の引き出物とみなされているのは疑うべくもない。第1問は 「弾薬は?」であり 「実弾射撃を見せてほしい」とせがまれた。日本人たちはこの砲に似せて 直ちに大砲の鋳造にかかり、大砲さえ作ってしまえば、彼ら自身で外国の侵略に抵抗することができると考えているのではなかろうか。応接所でお茶を振る舞われた後、一行は前に設けた電信舎の方へ向けて出発し 小さなお宮 もしくはお寺に入った。彫像3体と位牌数個が並べてある。本尊は木の根を彫って作ったもの のように見受けられた。碑銘は全て漢字で書かれていたが惜しむらくはその説明を聞く時間のゆとりがなかった。


☆応接所
(条約締結の地に急ごしらえで 応接場などが建築されていたようです)

日米和親条約締結の地 · 〒231-0021 神奈川県横浜市中区

★★★★☆ · 史跡

日米和親条約締結の地 · 〒231-0021 神奈川県横浜市中区



☆小さなお宮
横浜村砂嘴の先端にあった弁天様。
その後 東大ができたりして現在は関内駅近くの 厳島神社に移設されました

洲干弁天社 本殿跡地 · 〒231-0011 神奈川県横浜市中区太田町6丁目73

★★☆☆☆ · 史跡

洲干弁天社 本殿跡地 · 〒231-0011 神奈川県横浜市中区太田町6丁目73



 ここから土手沿いに 水田を突き切り、横浜の西にある丘を登った。やがて 樹木の多い 綺麗な 峡谷へ 下って、小さな寺でしばしの憩いを取った。そこは 魅惑的な場所で 椿 桃 梅 がちょうど 咲きほころんで華やかさを添えていた。さらに快適な陽気が嫌が上にも みんなの気持ちをうき 立たせた。土地の住民が外国人を見物しようと 集まってきたが、護衛の役人は彼らを近くへ寄せ付けなかった。この辺鄙な土地に茶の木が栽培されている。 最初の植え付けの列を見てそれと気づいたのである。

☆土手沿いの水田
この辺りは太田屋新田と言って 沼地や田んぼが広がる場所だったようです、

☆横浜の西にある丘
今の山手のことです。
西ではなく東の誤りではなかろうかとのこと。


☆峡谷の小さな寺(東漸寺)
今は移転し、跡地は日本初のビール工場になり、さらに小学校になりました。北方小学校

横浜市立北方小学校 · 〒231-0863 神奈川県横浜市中区諏訪町29

★★★☆☆ · 小学校

横浜市立北方小学校 · 〒231-0863 神奈川県横浜市中区諏訪町29





 提督はここから村へ引き返し 私の勧めに応じて 回り道をして 村長の屋敷を訪ねた。 庭先には珍しい 松が植えられていた 。 その幹の高さは4フィート 上部は直径が20フィートもあろうか 雨傘のように 枝葉が広がっていた。 これまでにするには 30年間 丹精して育ててきたのであり、 松は今 伸びやかに成長して 花をいっぱいにつけていた。 先週の土曜日にこの谷の上手にある村の近くで流れに沿う ローム質の土手に生えた松を見ているが、 大きさは この松 ほどではなかった。ここ の主人はこの他に数本の松の木を接木したもみの木も持っていて、明らかにこれが自慢の様子であった。 村長の奥さんと娘さんが1人は孫を連れて現れ この席に加わった。栄之助やその同僚たちが 皆村長 やその家族を全く無視した行動をとり、 畳に座ってくつろぎ 彼らの中へ 混じってタバコを吸ったり 談笑したりするの見たが、これは教訓的だった。 日本の下級生活者は鉄の手でその抬頭を抑えられているのではなかろうか。 彼らが権利を主張できる状況にないことは誰の目にも明らかすぎることである。 おそらくこの男は我々の来航以来、 役人数人の宿を仰せつかっていたことであろう。 そして多分 我々や 役人たちを供応するに要した 出費も多くは この村の負担とされるに違いない。 我々は手土産1つ贈らずにその家を後にし、艦へ揃って引き返したのである。


旧石川代官所長屋門 · 〒231-0861 神奈川県横浜市中区元町2丁目108

旧石川代官所長屋門 · 〒231-0861 神奈川県横浜市中区元町2丁目108

★★★☆☆ · 史跡

旧石川代官所長屋門 · 〒231-0861 神奈川県横浜市中区元町2丁目108









翌日、ペリーの足跡を訪ねる散歩してみました。

過去には実際にそのルートを巡る 街歩きの会なども 実施されていたようで、 インターネットにその時の記録もあったので実際 ペリーが歩いた道なども 分かりました。


まずペリー艦隊の乗組員で横浜に埋葬された、いわゆる外国人の墓第1号を見に行きました。
実際には埋葬の3ヶ月後に 下田に移されたということで 今は残っていないのですがその場所はそのまま 外国人用の墓地となり 埋葬される人々も どんどん増え、今では「横浜山手外国人墓地」として観光名所にもなっています。


生麦事件犠牲者の墓 · 〒231-0862 神奈川県横浜市中区山手町

★★★★★ · 墓地

生麦事件犠牲者の墓 · 〒231-0862 神奈川県横浜市中区山手町





次に フェリーが和親条約調印後、気晴らしのために散歩に出た時に立ち寄った横浜 村の名主の家へ行ってみます。(上に引用した文中の「村長」)




石川さんというお宅で、今でも子孫が住んでいらっしゃるようです。
ペリー側に代官と勘違いされたのか「代官屋敷」という名前でよばれ、その家の前の道は 代官坂として親しまれています。

それから 日米和親条約 調印の地へ。
今は公園になっていて 開校 資料館があります。



資料館に入ってペリー来航の色々な資料を見ました さらに閲覧室 学校図書館みたいなところに行って横浜開港 以来の地図とかを閲覧してきました。

資料館の中庭には ペリー上陸の時の絵にも書かれているタマックスの木が今でも終わっています 関東大震災の火災で燃えてしまったのですが、その根元から生えてきた芽が育ったものが今のものだとそうです。


この絵の右側の大木がペリー 時代の玉楠 です。





油壺 キャンプ パークでキャンプ 体験

2023年06月15日 | アウトドア活動
さて キャンプの前日、横浜入りしたジョニさん夫妻を仕事帰りに訪ねます。
集合時間や 持っていくものなどを確認しました。

ジョニさん達が香港から持ってきた 調理器具。
わー 本格的!


翌日午前11時に ジョニさんたちのホテルに集合。ジョニさんはもう食料の買い出し も済ませていました。
近所でお昼ご飯を食べて、周辺を散歩。

みなとみらいを望む プロムナードで記念撮影。


当初は電車とバスを乗り継いでキャンプ場へ行くつもりでしたが、ジョニさんが荷物が重いからと車をチャーターしていました(!!!)
3年も旅行できなくてお金たまっているから」とのこと。

大型の車で らくらく移動です。
ありがたい!
ジョニさんが仕事関係で知り合った中国人ガイドさんの関係らしいです。(運転手さんは日本語の方が達者な中国出身の人でした。残留孤児家族だと言ってました



1時間くらいで到着。
受付で追加のレンタル品などを借ります。


ここは油壺マリンパークだったところ。
いつのまにか 遊園地は閉園してキャンプ場になっていたのですね。

ここは以前はペンギンの池かアシカの池 だったのかな??
今は中に入れるようになっていてバーベキュー広場とされていました。
きっと 団体さんとかが来たりしたらここでバーベキューをやるんでしょうね。


ポニーがいました。


広々とした炊事場もありました。


こちらが 本日のキャンプサイト。
一面の芝生で居心地が良かったです。
ここは海が一番近い場所ですが、内側の受付に近い方には車で乗り入れられる砂利敷の場所もありました。



ジョニさんたちにテントの設営はお願いして、私は焚き火係になりました。


焚き火は 石畳になっている場所で行います。


夕食の準備をする ジョニさん。


元々ジョニさんは「煙たいから焚き火は不要」って言っていたけど私が焚き火強行したんです。
なので受付でこっそり着火剤を買ったんですが、ジョニさんも持ってきてました。焼き網まで!!
そして 焼き鳥!!
(何から何まで準備がいいことです)



相模湾に沈む夕日が綺麗でした。


暗くなったらロープを貼って ランタンを吊り下げます。


ジョニさんが何品も何品も作ってくれました。
前に香港のジョニさんの家に遊びに行った時も手料理を振舞ってくれましたが、
こういうのが楽しいんだろうな。

私も家にある野菜を少し持って行きましたが、その他は全てジョニさんたちが用意してくれました。
日本酒も2瓶ありました。

食事しながらのんびり おしゃべり。
「最近山口百恵の歌にハマっている」と言うジョニさん、スマホで次から次へと曲を流します。どれもこれも ソラで歌える!
他にお客もいなくて完全に貸切状態だったので、消灯の10時くらいまで気兼ねなく楽しく過ごしました。



テントで寝ていると パタパタパタパタ 風でテントが音を立てるので、大雨が降ってるんじゃないかと心配になって夜中に外に出てみたりしましたが、全くの快晴で綺麗な星を見ることができました。

翌朝は7時起床。
顔洗ってくると ジョニさんが朝のコーヒーを入れてくれてました。
コーヒーを飲みながら朝ご飯ができるのを待ちます(何という 楽ちん!)

朝食は香港風の ハムエッグトースト。



料理中のジョニさんを動画で撮影しているところ。



海の向こうにうっすら富士山が見えました。このキャンプ場は自然の中にあるわけじゃないけど、この景色は素晴らしかった。



朝10時チェックアウト。
撤収します。
レンタルしたものや 荷物をフロントで借りた 台車に乗せて運んでいるところ。


テントは たたまなくてもいいということだったので、そのまま残して帰ります。


玄関前にはもうお迎えの車が来ていました。料金は怖くて聞けませんでした(笑)
私はこの2日間休みを取りましたが 夫は昨日は仕事が終わってからやってきて、今日もこれから仕事です。
帰り道にあるので 車で寄ってもらいました。

とても良い体験でした。
ジョニさん ありがとう。
帰ってきてからまた行きたくなり周辺のキャンプ場 情報を色々調べ始めました。

まだ自分でテントを張る自信がないから まずは 日帰りキャンプとかバーベキュー なんかやるのがいいかな。
何と言っても焚き火が楽しかったので。

香港人とキャンプに行ってきた

2023年06月01日 | アウトドア活動
アフターコロナ。
円安も相まって今年から海外の友人たちが続々と来日している。
それでも以前のように「会おう」「食事しよう」と誘われるのはまだ多くないけど。

そんな中、真っ先に声をかけてくれたのが香港の友人ジョニさん。
コロナ前は仕事でしょっちゅう来日してて、年に一度は会っていた。
まだ街じゅうがマスクをしていた3月に、3年ぶりに会って食事した。
国境が開いたとたん、やもたてもたまらずご夫妻でやってきたのだそう。
曰く「香港人もずっと狭い香港に閉じ込められてどこにも行けなかったから、旅行が解禁になったら飛行機のチケットの争奪戦なんだ。」(そして値段も釣り上がっているとか)

コロナの間、彼らは香港の山でせっせとキャンプをして楽しんでいたらしい。3月の来日時もモンベル(日本のアウトドア用品ブランド)でたくさん買い物したとか。

前置きが長くなったけど、そのジョニさんから「次の日本旅行はキャンプ体験したいと思ってるんだけど、いっしょに行く?」と誘われたので、今回行ってきたというお話です。


キャンプ?!
私は全くの素人、
でもジョニさんたちと行くならきっと楽しかろう。
「行きますよ!」と返事をして、キャンプ場の予約はこちらの担当になった。


キャンプ達人の知り合いに予約サイトを教えてもらい、ジョニさんにも教える。
「こんなにたくさんあるけどどのあたりがいい?」
「そちらの家から近いところにしよう」という返事。





そっか、彼らは今回は日本でキャンプするのが目的だから他のことはそんなにこだわらないんだな。

いくらか気も軽くなり、交通の便の良い三浦半島のキャンプ場を予約。昔の油壺マリンパーク(水族館などのあるテーマパーク)の跡地にできたところで、自然は少ないけど初心者向きと思われる。

今どきのキャンプ場は、いろんなレンタル品もあり、何なら手ぶらで来てもいいようになってる。
ジョニさんもはじめは「道具は全部香港から持っていく」といってたけど、流石に重い!となり、大物はレンタル品を利用することにした。


以下、レンタルしたもの。
参加者はジョニさん夫婦とうちの夫婦4人。

3人用テント✕2
タープ✕1
テーブル✕1
椅子✕4
焚き火スタンド✕1
カセットコンロ✕1
ランタン✕1
寝袋✕2(我が家用)
コッド✕2(ジョニさん家用)
エアーマット✕2(我が家用)

場所は2区画借りて広々。

これだけ借りると
料金はしめて33,000円になりました。

場所代だけなら1区画6500円。
慣れてる人なら自分の道具を車に積んでいけば場所代だけですね。


薪やガスボンベなどは別途購入。
食材も予約できたけど、それはすべてジョニさんにお任せ(きっとそれが楽しみなのだろうから)。

まだ、予約のやり取りしていた頃、今どきのキャンプがどんなものがイメージが全くないことに加え、さらにジョニさんたちの装備や、どんな期待をしてるのか不明だったため、何を準備したらいいのかわからず、ワタワタしてきた。

寝袋は買おうかな?とか思って、モンベルに行って色々見たり、でも安くないなー。慌てて買って失敗したくないしなー。
じゃぁレンタルする?キャンプ用品のレンタルサイト見てみたり…

結局キャンプ場に電話して相談したら色々解決。
寝袋も貸してもらえるとわかる。
やっぱり一人であれこれ考えててもわからないものですね。

さて、次回は実際のキャンプの様子をお伝えします。

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