1952年横浜中華街を舞台に起こった「学校事件」をご存じの方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか?
国共内戦から中華人民共和国の誕生、そして「大陸反攻」「台湾開放」のスローガンのもと、毛沢東(中国共産党)と蒋介石(中国国民党)との対立・・・・。世界史の出来事としてよく知っているこの対立が、そっくりそのまま横浜中華街の華僑の中にも飛び火して、暗い影を落とすことになったのです。
2年前に横浜に住み始めたのを機に、横浜の歴史をいろいろ勉強しました。
その中で知ったのがこの「学校事件」です。
学校事件を簡単に解説すると・・・・
もともと日本の開国、横浜の開港に伴って横浜中華街が形成されて数十年が経過したころ、子弟の教育のために(日本亡命中の)孫文の提案により、今の関帝廟や横浜中華学院のあるところに「大同学校」という華僑のための学校ができました。震災や戦災に見舞われても、断続的に学校は続いていました(名前はかわっていきますが)。
ところが、1952年、中華民国(蒋介石側、台湾)政府からこの華僑の学校の教育方針に介入があり、夏休みの間にそれまでいた教師を解雇し、新しい教師を送り込むということがいきなり行われました。どうも、教師の中に共産党のシンパがいると思われたのが原因のようです。
解雇される教師はもちろん、いきなりそれまで教えてくれていた先生が追放されると知った生徒や父兄は抵抗しました。が、当時日本は中華民国政府とつながりもあり、日本の警察も介入し事態が決着しました。
解雇される教師はもちろん、いきなりそれまで教えてくれていた先生が追放されると知った生徒や父兄は抵抗しました。が、当時日本は中華民国政府とつながりもあり、日本の警察も介入し事態が決着しました。
その結果、800人いた生徒のうちの600人強が解雇された先生たちの側につき、100人強が日本の学校に移り、元の学校には100人足らずの生徒が残ることになったそうです。
中華民国政府側は元の場所で「横浜中華学院」に。出て行った人たちは、しばらくは寺子屋式に民家に分散して授業を行い、翌年山手に新しい学校「横浜山手中華学校」を設立し中華人民共和国よりになります(というか一時はどっぷり革命教育を行っていた模様)、中華街には2つの学校がある状態になりました(今も続いています)
中華街によく行くようになってから、その学校の関係者(どちらも)とも知り合いになりましたし、いまはそんな対立は感じませんけど、きっと以前はいろいろあったんだろうなと思っていました。
この「華のスミカ」は「学校事件」の当事者たちに話を聞きながら、横浜中華街に関係する家族史をたどっていくドキュメンタリー映画です。
監督は華僑4世。中国語は話せず、自分のルーツが中国だったと知ったのも15歳だったという人です。監督自身の家族の話ではあるのですが、テーマも鮮明でぶれず、家族史を扱いながらも東アジアの近現代史を俯瞰できる鮮やかな作品になっています。かなり映画作りがうまい人だと感じました。
おすすめです。
今は、横浜と新宿だけで公開されていますが、きっとそのうち全国を回ると思うので、機会があったらご覧ください。
え映画を見た足で図書館へ行きました。
この本は20年以上まに出版されている横浜華僑へのインタビュー集です。
なんと、「学校事件」当時の新旧両校長が登場します。
両側から話を聞くのはとても大事ですね。
そのほか、知っているお店がたくさん登場、20年前なので今はもう代が変わっているわけですが、あのお店の家族にはこんな歴史があるのか!!と引き込まれてしまいます。