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今年一月,我突然地拜訪了貴校屏東女中的時候,您忙著工作,上課,還收到您的款待,真的非常謝謝您。語言不太通的旅行者的造訪,想必令各位感到驚訝,能夠如願地看到祖母畢業的學校的樣子,由衷地感謝大家。
當時,在有視聽教室那棟校舍的一樓,看到了展示著古老相片。其實我在那些相片裡找到了祖母的身影。在台灣的學校裡看到了祖母年輕的相片,感到有點不可思議,也有很深的感概。
我的祖母85年前,在台灣出生,成長。
小時候在台東縣生活,屏東的學校時候是住宿生的樣子。
之後,20歲結婚,離開台灣,此後再沒有再回到臺灣。
屏東女學校時代的同學,好像有到過臺灣旅行拜訪母校(同學會好像也有在台灣舉辦的樣子),但祖母年事已高,到臺灣旅行有點困難。
我雖然從小就知道祖母是在台灣長大的,但是不太有機會聽祖母仔細地談到關於臺灣的事情。然而,這幾年來,有緣開始變得對台灣有興趣,去旅行,交了朋友,到臺灣也有十幾次了。祖母也變得開始一點一點地提到關於臺灣的事情。
有一次,回九州省親的時候,祖母給我看了老照片。
那是祖母在女學校時代的學校旅行跟畢業照。學校旅行好像是去了阿里山跟臺北植物園。穿著水手服制服的身影,很愉快的照片。畢業照是在那棟西洋建築的校舍前拍的。聽祖母說,那間校舍現在還保留著的樣子。
去拍些懷念的校舍的照片給祖母看,會讓她很高興的考慮下,因此,在計劃今年一月去臺灣旅行的時候,決定要去拜訪祖母的母校。
實際到訪了之後,很遺憾地,那間校舍已經看不到了。但是收到您的照片,然後邊看著我拍的學校現在的模樣,就可以問祖母七十年前的事情了。
因為祖母是第一屆的學生,入學的時候學校的建築物好像還沒有完工。那棟西洋建築的校舍也還沒完成。因此入學的第一年常常沒有上課,幫忙搬運石頭來協助建造校舍。此外,祖母雖然是住宿生,因為宿舍的建築物也還沒完成,聽說還是附近的民家借他們當作宿舍來使用。
聽到這樣的話,好像非常辛苦,但是祖母好像樂在其中的感覺。擁有傳統的學校會以眾多的學生為傲,但是自己親手幫忙建造的新學校,不是更令人感到驕傲嗎。
最後,將我訪問時一起拍下的照片一同附上,很遺憾,不知道哪位跟我說過的老師和學生的名字,麻煩幫我轉交給她們。另外,也受到校門口的守衛先生的照顧,請幫我轉達謝意。
附上的書是代表我得感謝之意。雖然有點不知道該送什麽好,我想學生們對日本的事物有興趣,所以決定送這個。請老師先過目,沒問題的話,加到圖書館的藏書裡,學生們可以看到的話,會覺得很高興。
第一期生の卒業写真か?
学生宿舎の中庭で。
今年の1月、突然貴校を訪問させていただいた際に、皆様お仕事や授業でお忙しい中、大変お世話になりありがとうございました。言葉も満足に通じない旅行者の訪問に、さぞかし皆様驚かれたことと思います。見たいと思っていた祖母の母校を拝見できて皆様に深く感謝しています。
伺った際に視聴覚教室のある建物の一階で、古い写真が展示されているのを拝見しました。その中の何枚かの中に祖母の姿がありました。台湾の学校で自分の祖母の若い頃の写真を見つけるのは少し不思議でしたが、非常に感慨深いものでした。
私の祖母は85年前に台湾で生まれ育ちました。子供のころは台東県で生活しており、屏東の学校のころは寄宿舎に入っていたようです。その後20歳で結婚し、台湾を離れ、それからは一度も台湾に戻っていません。屏東女学校時代の同級生は台湾旅行の際に母校訪問をしているようです(同窓会も台湾で開かれているとか)。祖母は高齢でもあり台湾へ旅行するのは難しそうです。
私は子供のころから祖母が台湾で育ったことを知ってはいましたが、あまり詳しい話を聞く機会はありませんでした。しかし、ここ数年で台湾に興味を持ち始め、旅行に行ったり、友達が出来たりするうち、渡台も十数回を数えるほどになりました。祖母も少しずつ台湾の話をしてくれるようになりました。
ある時、九州に帰省した際に祖母が古い写真を見せてくれました。それは祖母の女学校時代の修学旅行と卒業写真でした。修学旅行では阿里山や台北植物園に行ったようです。セーラー服を着てとても楽しそうな写真でした。卒業写真はあの西洋建築の前で撮ったものでした。(そちらの校舎に展示してあったのと同じ写真です。祖母は第一期生でした)祖母の話ではその校舎はまだ残ってるようでした。
その懐かしい母校の写真を撮って見せたらきっと喜んでくれるのではないかと思い、今年の1月の台湾旅行の際に貴校をぜひ訪問しようと決めました。実際に行ってみると、大変残念なことにその校舎はもうなくなっていました。しかし、お送りいただいた写真と私の撮影した現在の学校の様子と見ながら、祖母に70年前の様子を聞くことが出来ました。
祖母は第一期生だったため、入学したときにはまだ校舎が完成していなかったようです。あの西洋建築の校舎もまだ完成していませんでした。そのため入学した一年目はたびたび授業が休講になり、建築資材を運んだり校舎の建築を手伝ったそうです。また、祖母は寄宿生だったのですが、寄宿舎もまだ完成していなかったため、付近の民家を借りて寮にしていたんだそうです。
こういう話はなんだかとても苦労したようにに聞こえますが、祖母にとっては楽しい思い出のようです。伝統のある学校の生徒になるのもいいですが、自分の手で作った新しい学校で勉強するというのは更に誇らしいものだったのではないでしょうか?
最後になりますが、私が伺った際に一緒にとった写真を同封します。ご案内いただいた先生や生徒さんのお名前が分からないので、申し訳ありませんがお渡し願いますでしょうか?また、校門の守衛の方には大変お世話をかけました、くれぐれもよろしくお伝えください。
同封の本は私の感謝の気持ちです。何をお送りすればよいか分からなかったのですが、生徒の皆さんが日本に興味を持ってくださればと思い、これを送ることにしました。まず先生方にご覧いただき、問題なければ、図書館の蔵書に加えていただき、生徒さんたちに見てもらえれば大変嬉しいです。
2002年当時に書いた旅行記