一番小さい頃の記憶。
わたしの場合は、2歳の記憶です。
弟が生まれる頃に、父の実家へ預けられていて、そこの風景が思い出されるのです。
だとすると、それは2歳8ヶ月か9ヶ月の頃の事になります。
父の実家に行ったのがそのときだけって事もないでしょうから、
他の記憶が混じってるのかもしれません。
その後の3歳の記憶などは、テンコもりです。
はじめて幼稚園に行った日の事とか。(三年保育でした)
さて、それはさておき、この写真、私が1歳5ヶ月の頃のものだそうです。
近所にあった公園で、後ろに見えるのはダムです。
生まれてから小学3年のときまで10年ほど住みました。
とても愛着があり、そこで起こったいろいろな事を覚えておきたいと思っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E7%80%AC%E3%83%80%E3%83%A0
田舎にあったので、いろいろ不自由で、今住めといわれたら絶対無理なんですが。
歩いていけるところに店が無い。(その頃家に車無かった)
買い物どうしていたのかな?
私の記憶では、軽トラックに食料品をつんで売りに来る「マーケット」(と呼んでいた)が来てました。軽トラの荷台に上手に棚が作ってあって、肉や魚、野菜、納豆や豆腐なんかも売ってた覚えが・・。
駅の売店に売ってる雑誌「小学1年生」とかを父がバイク(単車と呼んでた)で取りに行ってくれていました。
この雑誌もしかして注文していたのかもしれませんね。
(駅のキオスクに「小学一年生」とか売ってるのは変ですね)
テレビが写らない。
NHKは写ってましたが、そのほかの民放の写りが悪く、砂嵐の中、マグマ大使とかをみていたような(これは後年、どこかの山にアンテナが立って解消されました)
電話が無い
これも今は解消されているでしょう。
(あのころ過渡期だったんですよね)
住民が少なくて、友達がいない。
近所に子供が少なかった。
でも全然いないと言う事ではないので、まぁ何とかなりました。
これに対していいところは、
自然が一杯。
おかげで、蛇もいっぱいで、これには閉口しますが。
(いまあそこに住めない一番の理由はこれかも)
よく山で遊んでいました。
春の蕨とりは親と一緒に。そのほかの季節は、子供だけで。
わらびとりはとても楽しいものでした。
何しろ、取ったら食べられるんですもんね。
ただの遊びとは訳が違います。
春は、裏山、もっと奥の山、川向こうの山・・と場所を変えて蕨とりをしました。
でも蛇が出ると、その日の蕨とりは終了です。
「ぎゃーっ!」と一目散に駆け下りて、もうその日はその場所には近寄れません。
子供の頃は蛇が出るまでは、平気で蕨探しができましたが、
いまは、「へびがでるかも」と思うだけで、山に入れない気がします。
それにしても何であんなに蛇がいたんでしょうかね?
あと、これは、季節を覚えていないのですが、父となにかの用事でなのか、単に遊びだったのか、いつもは行かない遠くの山まで上った事がありました。
父が「猪が出る」と脅かすので、怖がりながら山道を歩いて・・・
途中でスモモみたいな木の実がなっていて、
ん?
スモモのなる季節は夏ですね。
ということは、この山登りは夏の出来事か。
で、とにかくそのスモモを見つけた父は
「三太郎だ。持って帰ろう」と、もぎ始め、家に持って帰った・・・はず。
わたしはそこで「三太郎」と言う果物を知ったのでした。
そのすももが三太郎と言う品種だったかは、定かではありません。
「サンタローザ」とも言うようですね。
大石プラムやソルダムとならび好きな果物です。
沢山食べるとおなか、壊しそうですが。
今は東京と言う大都会の暮らしがすっかり気に入っているのですが、
子供の頃にあの体験が出来た事は、とてもよかったと思っています。
http://blog.goo.ne.jp/travel_diary/e/906eed119513dda0a2a2f07770217d35