ツッコミだけで長すぎたので、感想はこっちに書きます。
この映画はフランス人の監督による全編フランスロケの日本映画です。
映画版が原作のイメージからかけ離れていると感じるのは、当然ながら監督たちの好みに改変されてるのでしょう。そして、それがフランス人の感覚を代表しているかはわかりませんが、改変されている部分に文化背景の違いなどのヒントがありそうです。フランス革命についてのとらえ方のようなものとかね。
オスカルのヘアスタイルも当然当時の一般貴族男性のものになっています。
ただおろしてるだけではどうしても「マンガ」なんでしょうね。
アンドレがオスカルの従僕として宮殿に出入り…というのも無くなってます。フランスの人から見たら「ありえない!」ってことかな?
ストーリーも変えられてはいますが、大きく変わったのはオスカル、アンドレのキャラクターです。アニメ版も結構変わってはいますが、まだ私にとっては許容範囲。でもこの映画版ではほぼ別人です。これは、日本だとかフランスとかの違いでなく作家の違いによるものでしょうね。
まずアンドレは、少年時代から身分制度に疑問と不満を持っている設定です。ジャルジェ家に恩義なども感じていません。オスカルのこと好きだから嫌々いるくらいの感じです。そして自由平等の理想の実現のために、活動してるみたいです。自分の好きなオスカルにもその思想側に来て欲しいと啓蒙し続けます。恋愛より同志になって欲しいと思ってるような感じです。
対してオスカルは、旧体制の(といってもその時点では現体制)に何の疑問も持たずに、親の意思に忠実に使命を果たそうとしている健気な女性です。そんなに強くないし、男として育てられたのが痛々しいほど可愛い女性です。アンドレの事は子供の時から兄弟のように思ってはいますが、身分制度に疑問を持ってないので、アンドレの言うことが理解できません。ジェローデルとの結婚話に対しても心の中では嫌だと思っているようですが、親の決めたことに逆らうことはできないとあきらめています。
で一番大きな改変と私が思うのは、この映画は恋愛映画ではないということですね。
衛兵隊に転属したあとの厩舎のシーンはこの映画のテーマが凝縮されてると思います。
以下必死で聞き取ったセリフ。ざっくり意訳ですけど。
「剣を失くした兵士がいた。悲しくなった」
「家族を飢えさせないためにやったのかもな」
「……最近全然家で見かけないな。私が帰るとすぐに出ていくし。もう一緒に食事したり、語り合ったりできないのか?……私は寂しいんだ。」
※原語 I miss you です。
「あなたがいなくて寂しい」「あなたが恋しい」
必ずしも恋愛の意味では無くですね。
「だからお前はどうする?俺たち2人、ここで同じ空気を吸って、ふたりとも一人ぼっちで、お互いを恋しく思ってるなら?」
「でも私は…」
「なんだ?貴族だからか?俺よりも上等だと?」
「上等というわけじゃない。ただ違う種類なんだ。法で定められた身分がある。」
「違う種類?身分?どうしてお前は平等ってことが考えられない?」
「平等なんて響きはいいけど、そんなことありえない。」
「平等こそものごとのあるべき姿だ。アメリカには平等がある。だれでも愛したい人を愛する権利を持ってる。」
「そのためにとても多くの人命が失われた。」
「未来のフランスの平等のためなら俺も命は惜しくない。戦うよ。」
「お前は何も持たないじゃないか。そんなことをしたら死んでしまう」
「俺はなんでも持ってる。そのために死んだとしても本望だ。自分の人生が意味あるものになる。」
「お前がいなくなったら私はどうすればいい?」
「お前のすべきことをやればいいじゃないか。(ここからいくらか優しい口調で)いつかお前も自分の夢を見つけるよ。」
アンドレが思想的にオスカルの先を行ってて、オスカルを革命側に引き込みたい。そのために啓蒙してる。そこには恋とかもあるのかもしれないけど、それより仲間ほしい方が強いような。完全に映画のオリジナルです。そして結構いい視点なんですよね。
もうひとつ。縁談を壊してきたと告げるオスカルにアンドレは、「おめでとう、これで一歩進んだな」と、先生みたいな反応をするのですね。これじゃあ恋愛要素がうんと薄められちゃいますね。
二人が結ばれた時も、「運命の恋の成就」というよりは、古い価値観から抜け出して、自分で考え行動する大人になったねおめでとう!これから新しいあなたの人生が始まるよ。という感じなのです。オスカルの成長物語かも。あ、だからアンドレがあっけなく死んでも扱いがドラマチックじゃないのか???オスカルの新たな旅立ちのための舞台設定の一つだったのかアンドレの存在は・・?
いやいやいやいや。
その他にも、パリの貧困に気が付かなかったオスカルをアンドレが咎めたり。と、この視点はたくさん描かれてます。ラストまでこのテーマを緊張感をもって継続してくれれば、これはこれで良い映画になったと思う。ベルばらじゃなくなっちゃうけど。
このテーマのおかげで、この映画のアンドレはすごくかっこいいんですよね。何度もオスカルをどこからともなく助けに来るシーンあるし。原作にある、身分差に苦しむみじめな感じは全くありません。アンドレは常に自信満々です。演じてる俳優さんもなかなか素敵です。対してオスカルはとにかくかわいいので、日本のファンの大部分には「イメージと違う」と受け入れてもらえなかったでしょうね。わかる・・・。
かといって、この映画は別のテーマで撮った「ベルばら映画」だ!と、胸張っていえないのがつらいとこ。原作のエピソードを無理して挿んでくるため散漫な印象はぬぐえないし、とにかくラストがしょぼすぎるので盛り上がらなくて余韻もないのです。映画としていまひとつもふたつも残念なのですね。
どうせのことなら、同じ予算でもっと別の脚本でしっかりベルばらの世界観を撮ってほしかったなぁ~とか夢想しますね。ロザリーやジャンヌは出さなくていいから、オスカルとアンドレの内面の葛藤中心に描くとか。この映画版のように、アンドレが新しい時代の思想を身につけていて、それでオスカルを啓蒙していくっていう流れでもいいけど。「恋愛物語」としてのベルばらを見たいのですよ。ファンたちは。
改変希望ポイント
●オスカルの人となりを端的に表現するのに、初盤にアントワネット馬暴走事件を入れたい。
これで、オスカルの勇敢さ、アントワネットへの忠誠心、アンドレの感激、フェルゼンの男気(ここでオスカルがフェルゼンに惚れる!)、アントワネットの善良性などがいっぺんに描ききれるし。画面としてもドラマチック!いいスタントマンをよろしくです。
●ロザリー&ベルナールはオスカルたちと接点の無いパリ下町の市民として描く。
「アタシを一晩買ってください」のシーンは入れて、それでパリ市民の困窮をオスカルが知るというのはあり。
●オスカルドレスシーンは、やっぱり失恋シーンへとつなげたい。
ジャルジェと名のって楽しそうにぺちゃくちゃするというのでもいいけど、とにかく舞踏会を抜け出して噴水脇でさめざめと泣いてるオスカルを心配して近づいてきたアンドレが、たまらず愛の告白するって流れの方が盛り上がる。
●ジェローデルの求婚エピソードは時間の関係で省略してもいいかな。お父さんからの結婚命令みたいな感じでセリフだけでもいいような気がする。家長の威厳でもって、オスカルを絶体絶命に追い込んで、アンドレと二人の心の動きを感じる情緒的なシーンを挿むっていうのではどうでしょう。
●ジャルジェ家の舞踏会のシーンもなくていいかな。もしオスカルが男に見える配役だったら女性と踊るシーンが絵になるだろうけど・・・。
●肝心のオスカルの告白シーンをどうするか。
父との決別、貴族という身分との決別っていう流れは大筋でいいのだけど。軍人もやめるのかな?やっぱりオスカルって人は骨の髄まで軍人って描き方をしてほしい。軍服を着たまま、群衆に合流する。オスカルを殺さない脚本にするなら、アンドレも殺さずに群衆に合流して、さあこれからバスティーユへ!というとこで終わらせてほしいなぁ…。あとはもうみんな知ってるので。
誰かまた作らないだろうか?
CGもあるから群衆シーンも描けるよ!なくてもいいけど。
この映画はフランス人の監督による全編フランスロケの日本映画です。
映画版が原作のイメージからかけ離れていると感じるのは、当然ながら監督たちの好みに改変されてるのでしょう。そして、それがフランス人の感覚を代表しているかはわかりませんが、改変されている部分に文化背景の違いなどのヒントがありそうです。フランス革命についてのとらえ方のようなものとかね。
オスカルのヘアスタイルも当然当時の一般貴族男性のものになっています。
ただおろしてるだけではどうしても「マンガ」なんでしょうね。
アンドレがオスカルの従僕として宮殿に出入り…というのも無くなってます。フランスの人から見たら「ありえない!」ってことかな?
ストーリーも変えられてはいますが、大きく変わったのはオスカル、アンドレのキャラクターです。アニメ版も結構変わってはいますが、まだ私にとっては許容範囲。でもこの映画版ではほぼ別人です。これは、日本だとかフランスとかの違いでなく作家の違いによるものでしょうね。
まずアンドレは、少年時代から身分制度に疑問と不満を持っている設定です。ジャルジェ家に恩義なども感じていません。オスカルのこと好きだから嫌々いるくらいの感じです。そして自由平等の理想の実現のために、活動してるみたいです。自分の好きなオスカルにもその思想側に来て欲しいと啓蒙し続けます。恋愛より同志になって欲しいと思ってるような感じです。
対してオスカルは、旧体制の(といってもその時点では現体制)に何の疑問も持たずに、親の意思に忠実に使命を果たそうとしている健気な女性です。そんなに強くないし、男として育てられたのが痛々しいほど可愛い女性です。アンドレの事は子供の時から兄弟のように思ってはいますが、身分制度に疑問を持ってないので、アンドレの言うことが理解できません。ジェローデルとの結婚話に対しても心の中では嫌だと思っているようですが、親の決めたことに逆らうことはできないとあきらめています。
で一番大きな改変と私が思うのは、この映画は恋愛映画ではないということですね。
衛兵隊に転属したあとの厩舎のシーンはこの映画のテーマが凝縮されてると思います。
以下必死で聞き取ったセリフ。ざっくり意訳ですけど。
「剣を失くした兵士がいた。悲しくなった」
「家族を飢えさせないためにやったのかもな」
「……最近全然家で見かけないな。私が帰るとすぐに出ていくし。もう一緒に食事したり、語り合ったりできないのか?……私は寂しいんだ。」
※原語 I miss you です。
「あなたがいなくて寂しい」「あなたが恋しい」
必ずしも恋愛の意味では無くですね。
「だからお前はどうする?俺たち2人、ここで同じ空気を吸って、ふたりとも一人ぼっちで、お互いを恋しく思ってるなら?」
「でも私は…」
「なんだ?貴族だからか?俺よりも上等だと?」
「上等というわけじゃない。ただ違う種類なんだ。法で定められた身分がある。」
「違う種類?身分?どうしてお前は平等ってことが考えられない?」
「平等なんて響きはいいけど、そんなことありえない。」
「平等こそものごとのあるべき姿だ。アメリカには平等がある。だれでも愛したい人を愛する権利を持ってる。」
「そのためにとても多くの人命が失われた。」
「未来のフランスの平等のためなら俺も命は惜しくない。戦うよ。」
「お前は何も持たないじゃないか。そんなことをしたら死んでしまう」
「俺はなんでも持ってる。そのために死んだとしても本望だ。自分の人生が意味あるものになる。」
「お前がいなくなったら私はどうすればいい?」
「お前のすべきことをやればいいじゃないか。(ここからいくらか優しい口調で)いつかお前も自分の夢を見つけるよ。」
アンドレが思想的にオスカルの先を行ってて、オスカルを革命側に引き込みたい。そのために啓蒙してる。そこには恋とかもあるのかもしれないけど、それより仲間ほしい方が強いような。完全に映画のオリジナルです。そして結構いい視点なんですよね。
もうひとつ。縁談を壊してきたと告げるオスカルにアンドレは、「おめでとう、これで一歩進んだな」と、先生みたいな反応をするのですね。これじゃあ恋愛要素がうんと薄められちゃいますね。
二人が結ばれた時も、「運命の恋の成就」というよりは、古い価値観から抜け出して、自分で考え行動する大人になったねおめでとう!これから新しいあなたの人生が始まるよ。という感じなのです。オスカルの成長物語かも。あ、だからアンドレがあっけなく死んでも扱いがドラマチックじゃないのか???オスカルの新たな旅立ちのための舞台設定の一つだったのかアンドレの存在は・・?
いやいやいやいや。
その他にも、パリの貧困に気が付かなかったオスカルをアンドレが咎めたり。と、この視点はたくさん描かれてます。ラストまでこのテーマを緊張感をもって継続してくれれば、これはこれで良い映画になったと思う。ベルばらじゃなくなっちゃうけど。
このテーマのおかげで、この映画のアンドレはすごくかっこいいんですよね。何度もオスカルをどこからともなく助けに来るシーンあるし。原作にある、身分差に苦しむみじめな感じは全くありません。アンドレは常に自信満々です。演じてる俳優さんもなかなか素敵です。対してオスカルはとにかくかわいいので、日本のファンの大部分には「イメージと違う」と受け入れてもらえなかったでしょうね。わかる・・・。
かといって、この映画は別のテーマで撮った「ベルばら映画」だ!と、胸張っていえないのがつらいとこ。原作のエピソードを無理して挿んでくるため散漫な印象はぬぐえないし、とにかくラストがしょぼすぎるので盛り上がらなくて余韻もないのです。映画としていまひとつもふたつも残念なのですね。
どうせのことなら、同じ予算でもっと別の脚本でしっかりベルばらの世界観を撮ってほしかったなぁ~とか夢想しますね。ロザリーやジャンヌは出さなくていいから、オスカルとアンドレの内面の葛藤中心に描くとか。この映画版のように、アンドレが新しい時代の思想を身につけていて、それでオスカルを啓蒙していくっていう流れでもいいけど。「恋愛物語」としてのベルばらを見たいのですよ。ファンたちは。
改変希望ポイント
●オスカルの人となりを端的に表現するのに、初盤にアントワネット馬暴走事件を入れたい。
これで、オスカルの勇敢さ、アントワネットへの忠誠心、アンドレの感激、フェルゼンの男気(ここでオスカルがフェルゼンに惚れる!)、アントワネットの善良性などがいっぺんに描ききれるし。画面としてもドラマチック!いいスタントマンをよろしくです。
●ロザリー&ベルナールはオスカルたちと接点の無いパリ下町の市民として描く。
「アタシを一晩買ってください」のシーンは入れて、それでパリ市民の困窮をオスカルが知るというのはあり。
●オスカルドレスシーンは、やっぱり失恋シーンへとつなげたい。
ジャルジェと名のって楽しそうにぺちゃくちゃするというのでもいいけど、とにかく舞踏会を抜け出して噴水脇でさめざめと泣いてるオスカルを心配して近づいてきたアンドレが、たまらず愛の告白するって流れの方が盛り上がる。
●ジェローデルの求婚エピソードは時間の関係で省略してもいいかな。お父さんからの結婚命令みたいな感じでセリフだけでもいいような気がする。家長の威厳でもって、オスカルを絶体絶命に追い込んで、アンドレと二人の心の動きを感じる情緒的なシーンを挿むっていうのではどうでしょう。
●ジャルジェ家の舞踏会のシーンもなくていいかな。もしオスカルが男に見える配役だったら女性と踊るシーンが絵になるだろうけど・・・。
●肝心のオスカルの告白シーンをどうするか。
父との決別、貴族という身分との決別っていう流れは大筋でいいのだけど。軍人もやめるのかな?やっぱりオスカルって人は骨の髄まで軍人って描き方をしてほしい。軍服を着たまま、群衆に合流する。オスカルを殺さない脚本にするなら、アンドレも殺さずに群衆に合流して、さあこれからバスティーユへ!というとこで終わらせてほしいなぁ…。あとはもうみんな知ってるので。
誰かまた作らないだろうか?
CGもあるから群衆シーンも描けるよ!なくてもいいけど。
原作→宝塚→映画→アニメ という順で制作されているんですよね。アニメが一番ゆっくり色々なもののファンの反応までじっくり見きわけたうえでの制作と言えるのかもしれませんね。
私は宝塚は全く見てないのでどうなのかわかりませんが、実写版は、原作からはかなりかけ離れててファンから悪評だったので、すこし原作側へ戻したのがアニメでしょうか。決闘なんて原作にないのに両方入れてきてますし。影響ありますよね。確かに。
「オスカルが一人で生きていく道を描いた映画」というのは突拍子もない思いつきにすぎません。ただですね、あの救いの無いラストをどう解釈するかと考えた時に、アンドレとオスカルの恋物語ではないと思った方がわかりやすいな~と思いました。
それでも、そのテーマのラインでも成功してるとはいいがたいですが。
私はほぼリアタイで漫画、宝塚、映画と行き、映画は初公開時に映画館で見てます。
もともとフランス映画が好きだったので、フランスの映画人だったらこういう映画化しかない、というのがよくわかりました。ラストは名作「天井桟敷の人々」に似ていると思います。
貴族で世の中の真実を知らないオスカルを、下層階級で真実を知るアンドレが目覚めさせる、というのは、ヨーロッパの文学や映画ではわりと普通のテーマです。日本の原作の方が、欧米的感覚からすると、かなり異質なので、欧米的感覚に合わせた、というのは、初公開当時に理解できました。
ジャック・ドゥミはオスカルにドミニク・サンダを望んだそうで、彼女だったらオスカルにぴったりだったのに、日本側は撮影後も主演女優にはキャンペーンに参加してもらわなければならず、サンダのようなスターだとそれは無理なので、とりあえず無名の女優で金髪で馬に乗れる人ってことで、マッコールが選ばれたみたいです。
ドゥミとしても傑作とは言い難い作品ですが、それでも専門家が見るとドゥミらしさが現れた作品のようで、原作にとらわれない人の見方が面白いです。
コメントありがとうございます!
振り返ると、もう10年近く前の投稿ですね。
こんな昔のものに反応してくださってとっても嬉しいです。
junさんのコメント興味深く拝読いたしました。
この映画についてあまり考察を聞いたことがないんです。
オスカルにドミニク・サンダを考えていたのですね。(ドミニク・サンダの出ている映画は見たことがないのですが、芳賀書店から出ていた写真集の表紙には覚えがあります)
この実写版ベルばらは、ヨーロッパと日本の文化の違いを知ることができる貴重な映画だったと思います。いま日本の漫画が世界的に注目されているようですが、ベルばらを呼んだヨーロッパ人の感想も知りたいですね。
マンガ業界も移り変わりが激しいと思いますが、私が少女のころにむさぼり読んでいた漫画たちは文庫版や豪華本荷姿を買えてるものが多い中(もはや売られていないものも多いですが)、先日本屋さんへ行ったら、ベルばらはあの頃のままの「マーガレットコミックス」版が並んでいて感動しました。
junさんは今度の、アニメはご覧になりましたか?
私は昨日たまたま別の映画を見に行ってきて、この映画の予告も見ました。
売店で売ってたグッズも素敵でしたよ。