キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

5年ぶりの台湾旅行 使ったお金篇

2025年01月30日 | ☆旅行─台湾


年末年始台湾3泊5日

行程振り返り
1日目:スカイライナーで成田空港へ。昼のタイガーエアで、現地3時半桃園空港着。陳昇の無料画廊イベント⇒車で宜蘭へ、宜蘭夜市で夕食、宜蘭泊。
2日目:宜蘭⇒羅東林業公園⇒太平山〜鳩の沢温泉⇒カバラン⇒西門町金獅楼で夕食⇒台北泊(YMCA)
3日目:友人とカフェで昼食⇒鶏家荘で夕食⇒年越しコンサート
4日目:北京ダック⇒お茶。買い物。博物館。マッサージ⇒帰国(夜行便)
5日目:朝羽田空港着


【日本円】
合計 93,690円

■内訳
タイガーエア 77048円
2泊目ホテルYMCA 6928円(NT1470)
台湾データ通信用SIMカード4日分 1190円
スカイライナー 1300円
朝食おにぎり 437円 
コーヒー 432円
マッサージチェア 300円
免税店の化粧品(Shuuemuraのアイシャドウ)5605円
機内持ち込み用水とおやつ 450円

【台湾ドル】 レート 1台湾ドル=0.2円
合計 NT17,083=85,415円
※実際は昔レートが良かった頃(1台湾ドル=0.28円)の現金を持っていったので、60000円くらいの換算です。

■内訳
◆宿泊や観光
コンサートチケット 3500
3泊目ホテル 福華国際文教会館 3220
マッサージ60分 990
博物館入場 80

◆滞在中食べたものなど
金獅楼(4人分)2398
鶏家荘(1人分) 552
ケーキ 280(本体480)
コンビニ焼芋とお茶 60
コンビニおやつと飲み物(コンサート持ち込み用) 155
パン(楽田) 48
牛肉麺 200
空港のカフェ コーヒー 120
水 75

◆交通費など
タクシー 115
タクシー 80
バスやMTR複数 約150
空港MRT 150
コインロッカー 40

◆お土産や買い物
CD 450
カバランウィスキー 720mL 3000
お試し50mL3本 820
お茶おみやげ150g✗2 600



おまけ(自分で払っていないけど参考として)
大平山エリア入山料 150/人 100/車
温泉 250/人
煮卵6個 100
煮卵竹籠レンタル 20


まとめ
年末年始台北旅行3泊5日 約18万円

今回は、1泊目のホテル代をはじめ、食事代などの大部分を友人が奢ってくれたので、滞在費があまりかかっていません。
自分で払ったホテル代もYMCAは破格の安値でした。
大晦日の台北のホテルはどんどん値上がりしていて、やっと見つけたところもBooking.comで最安値でNT3220=16000円。

飛行機代は、LCC(格安航空会社)のお陰で、以前と同じくらいで行けました。
でもJALとかチャイナエアラインなどのフルサービスの航空会社のには、この時期なかなか乗れませんね。

「台湾も物価がどんどん上がっている」と聞きます。
食事代も上がっていると感じましたが、(以前は牛肉麺は120元くらいでしたが、今回食べたのは200元)それでも屋台はまだ安いし。交通費もまぁまぁ。
高くなったのはやはりホテル代ですね。

コンサートチケットも5年前までは2800元でしたが、今回は3500元(それでもほかの歌手に比べたら安い)


5年ぶりの海外旅行だったので、予算は十分取っていったけど、物欲は減っていました。それでもカバランのウィスキーは3000元=15000円のを買いました。
いまウィスキーはどこも高い。日本のウィスキーも高くて買えませんね(普段は1000円程度のスコッチを買っています)
カバランは台湾を代表する世界レベルのクオリティーの蒸留所。
5年ぶりだったので、奮発しちゃいました。

2018年のGWに3泊で行ったときの記録
滞在費ホテル込みで3万円程度…
安かったね。


5年ぶりの台湾旅行④

2025年01月23日 | ☆旅行─台湾
4日目 1月1日 台北(帰国日)

朝ご飯のついているホテル。
昨夜遅くて寝たのは今朝の3時半頃、朝はゆっくりしたいけど、このホテルの朝食がどんな感じなのかは見ておきたい気も。
朝ご飯は10時まで。
コーヒーだけでもいいから、ちょっと行ってきましょうか。

朝ご飯会場、広い。
朝食券などはなく部屋番号を告げるだけで入場できます。席は自分で見つけるスタイル。

食事の種類も多くて美味しそうでした。
(ヨーグルト食べたかったけど、それだけはなかった)
このあと北京ダックの会食が決まっているので、果物程度の朝ご飯にします。





泊まっている人も多いのか、満席状態。
私の席も一人客との相席になりました。

この人、若い男性だったんだけど、来ている服が面白い。
長袖のTシャツの前面に日本語の標語みたいなものが書かれていて、背中側には日の丸と青天白日旗(中華民国国旗)、日本の高校の部活名。

???

なんだろう、気になる。
話しかけてみました。

日本語できる人かな?とはじめは日本語で。
「素敵なTシャツですね」

???の顔。

あ、日本語は通じないひとだ。
中国語に切り替える。

片言の中国語で集めた情報によると どうもその T シャツは自分で作ったもの のようでした 日本語が書いてあるのは日本の歌手のファンで その歌手のために作ったもののよう。
わかるよその推しの気持ち!

朝ご飯はうんと軽くしておいて、
チェックアウトまで 部屋でのんびりします。





お昼ご飯は毎年恒例の 北京ダック。
コンサート 仲間のこもさんの誕生日でもあるので 毎年こもさんが 招集して彼のおごり。
なので 私は有志でケーキを買っていきます。

ケーキがダブったら困るので誰がケーキを買っていくか 打ち合わせ。
私が買うことになりました。

MRT で 中山駅に着いて Google マップで周辺のケーキ屋さんを検索。
三越デパートの地下に行けば何かありそう。

駅の改札を出たところで 蛋蛋にばったり会いました。
一緒にケーキを買いに行きます。
待ち合わせ時間にも遅れそうだったので見つけた一軒目でサクッと 購入。
そうしたら周りにもっとたくさん いろんな種類のケーキ屋さんがあったのでした。
もっとちゃんと見てから買えば良かったかな。

北京ダックは中山駅近くの老舗「天厨菜館」。


今回の参加者はコモさん、ベンちゃん 蛋蛋、鳥姐、私の5人です。

北京ダックは 「三吃」(サンチー いわゆる 北京ダックに炒め物とスープがついたタイプ) あといくつか食べたいものを頼みます。




持ち込んだケーキは冷蔵庫に預かっておいてくれたりします。
今回 買ってきたケーキは、冷凍されてて解凍して食べなきゃいけなかったのに、さらに冷蔵庫保管してもらっちゃったから アイスケーキのようになっていました 失敗。






ベンちゃんはこれから松山空港へ向かってそのまま帰国です。

北京ダックを食べた後は、コモさんとも別れ、蛋蛋、鳥姐といっしょにちょっと街をうろうろ。
家族に頼まれていた台湾茶を買ったり、孫文が昔住んだという日本家屋 梅屋敷を見に行ったり。






私は今夜 深夜の便 なので 空港 MRT の駅のコインロッカーに荷物を預けます。

それから西門町に移動し古いスターバックスでお茶しました。





そこで 2人と別れて 単独行動を開始。この旅中、単独行動の時間はとっても短かい。

雨が降ってきました。
博物館にでも行こうかな。
ここからすぐのところに 台湾国立博物館があります。
日本統治時代に建てられた ルネサンス 式の建物です。

行ってみると まだ開館時間なのに今日は人が多すぎるので入場制限をしていて入れないと言われました。

なんと 残念。

すでに博物館に行く気持ちになっていたので、(よくありますよね 何かを食べたいと思ってその口になってしまうと 目当ての店に振られてもやっぱりそれが食べたいっていう気持ち)別の博物館に向かいます。
雨なので タクシーに乗りました。

南海公園の台北歴史博物館。









これはずいぶん昔に初めて台湾に来ていた頃に行ったことがあります。

唐三彩などが展示されていた記憶。

行ってみると 改装中 なのか、展示は少ない 印象でした。
時間は結構あるのでゆっくり 見ました。

内容は台湾の戦後の戦前線後の美術館による 水墨画とか 洋画、
中国大陸の周王朝以降の色々な宝物(故宮博物院が有名ですけどね)

個人的にはこの博物館自体の歴史の展示などが面白かった。

中華民国政府が台湾に移ってきてからの苦難の歴史というものが美術品の側面から語られていて 非常に興味深いものでした。

閉館時間 近くまでいて 博物館を後にしました。

フライトは 深夜 なので 9時ぐらいに空港に向かえば 良さそうです。
近くのお店で 牛肉麺を食べました これが 夕食です。






この後はどこかでマッサージでも受けてそれから空港に向かいましょう。

荷物を預けた 北門駅の近くに、前に何度か行った マッサージ屋さんがあります。荷物をピックアップした後行ってみます。ちょっと待たされましたが1時間の足つぼマッサージ コースを受けました。




空港までの MRT は 時間ギリギリで乗っちゃったせいか 席がなくて結局空港まで立っていくことに。
どのみち 飛行機ではずっと座りっぱなしなので まあいいか。


早め早めに動こうとしたせいか、
MRT でも立ってましたが空港に着いても航空会社のカウンターでチェックイン 始まるまで、ずっと並んで待ちました。
飛行機に乗る際も 待合室に立って並んだり。











そんなに並ばなくてもゆっくり座っていても良かったんですけどね。

帰りは2時間半ぐらいで着いてしまうので 特に寝る時間もない感じです。
夜中なので空港の売店でお水だけ買って乗り込みました。
機内食 も頼んでいません。

羽田に着いたのは日本時間で 朝4時頃。この時間は まだ電車やバスも動いていないので空港で1時間ぐらい時間をつぶさなくてはいけません。

前にも経験がありますが 羽田の国際線ターミナルは 到着ロビー も出発ロビー も レストラン フロアも全て ベンチなどでゴロゴロ 寝ている旅行者で溢れています。






私も出発ロビーのレストラン フロアまで行き 空いていた ベンチとテーブルを確保してちょっと パソコンでネットなどをして時間を潰しました。


横浜駅の始発が動く頃に電車に乗って帰宅しました 家に着いたのは朝6時ぐらいでした。






















5年ぶりの台湾旅行③

2025年01月09日 | ☆旅行─台湾
3日目 12月31日 台北

台湾に来たら必ず食べたいものの一つが「台湾式おにぎり」。
コンビニでも売っていますが、やはり専門店(屋台)の紫米の熱々握りたてがたべたい!

同様におにぎり好きのべんちゃんが朝「おにぎり買いに行きますけど、一緒に買ってきましょうか?」ってメッセージくれました。
(その時私はまだベッドでごろごろしてた。べんちゃんの部屋は私の真上らしい。)
お言葉に甘えてお願いします。

買ってきてくれたおにぎり。
大きい!
朝ごはんの定番の豆漿(トウジャン~豆乳)もあります。




中には卵焼き、高菜漬け、でんぶ、揚げパン(油条)などいろいろ具が入っています。

一緒に私の部屋で朝ごはん。
熱々でおいしい~!


今夜はメインイベントの年越しコンサート。
台北市東部がカウントダウンイベントでにぎわいます。
晩御飯は西側で食べていった方がいいよね。
ネットで予約できるレストランをサクッと予約。

今日はホテルを移ります。
べんちゃんと別れ、11時前にチェックアウトします。

気温23度!



て、ここからようやく一人行動です。
台北駅をうろうろ。
5年間使わなかった交通系カード(悠遊カード)はチャージできるかな?
やってみたら、問題なかった。
ホッ。

ここは気温19度。

台北駅のホールは大きなクリスマスツリーが!
台湾は、旧正月を祝うので春節まではクリスマスの飾りつけのままです。
日本ではクリスマスのあとすぐにお正月の飾りつけに変わるので、初めて台湾へきたころは慣れなかったな~。


では次のホテルへ向かいます。
次の宿は、新生南路にある福華国際文教会館。
地下鉄で忠孝新生駅へ行き、そこからタクシーに乗りました。
街角にはこういうお供え物が。(大晦日だから?)


ここがホテルです。
まだチェックインはできないので荷物だけ預けます。



近くに大安森林公園という大きな公園があるので、そこを散歩したあと、バスで昼ご飯の待ち合わせ場所へ向かいます。


公園にサギがいました。
鳥に詳しい人に聞いたところ、アマサギではないか?とのことでした。




今回はバスによく乗りました。
今はグーグルマップが使えるので、以前よりもバスが便利に使えるようになりました。台北はバスの路線も多いし、本数も多いし、使いこなすと便利です。



お昼ご飯は、20年来の友人Jennyと、カフェ飯です。
昨日、ジェニーから「明日時間あったらお昼食べよう」と誘われたのでした。
このカフェは彼女の家の近所に新しくできたところで、日本風の定食なども出しているらしい。彼女のお母さんは週に3回は来てるほどお気に入りなんだとか!

「菇(グ)モーニング」というブランチセットを頼みました。
菇=きのこ
「グッドモーニング」とかけてありますね。
きのこのソテー、野菜サラダ、ポテトサラダ、ヨーグルト、紅茶
のヘルシーご飯です。


プリンも食べました。
ここはジェニーがごちそうしてくれました。
「昭和な味のプリンでしょ」とのこと。
台湾人にも「昭和」は通じます。



ごはんを食べながら、延々おしゃべり。
中国語と英語だけで、よくまぁこんなにしゃべれる!
というくらいしゃべりました。

彼女は私と年齢も近いので、自分の健康問題とか、転職の話、親の介護の話など話題はこんな風になりますね~。
午前中ジムで運動してきたというジェニー。
健康のために運動と減量に励んでいるのだそう。
そのため健康的なご飯を出すこの店を指定してきたのですね。

このカフェです。
KANG iN Café



ジェニーと別れ、バスでホテルに戻ります。

バス乗り場でジェニーが運転手さんに「龍安小学校へ行きますか?」 と聞いてくれました。(龍安小学校は私のホテルの最寄りバス停名)
そうしたら運転手さん(割と若いお兄さん)が、すごくびっくりしたような顔して「あっ!」というのです。
そして十分に間を取ってからおもむろに「行きますよ」と答えていました。
面白すぎる。

私がバスに乗ったあと、ジェニーが乗らないので、運転手さんは「何だ乗らないのか?乗りなさいよ〜」というようなことを盛んに言っていました。
ますます面白すごいます。

台湾で、タクシーの運転手さんは面白い人に何度も会いましたけど、バスの運転手さんでは初めての経験でした。


ホテルの近くに昔からの茶藝館「紫藤盧」(ずーたんるー)があります。
日本時代の和風建物を利用したお店で、20数年前に何度か行ったことがありました。今回ホテルのそばなので、ぜひ行ってみたいと思っていたのですが、このとおり、老朽化のため40年間の営業を終了したばかりでした。
残念。改修して再開とかあるのでしょうか?









ホテルにチェックインします。





今度の部屋はシャワーのみ。

部屋の広さは申し分なし。

窓から、台湾大学の体育館が見えました。
ここもコンサートにきたことあります。
目の前の道は新生南路です。



そろそろ、夕食会場へ向かいます。
これまで何度来たかわからないくらいお気に入りのお店「鶏家荘」です。
老舗で、日本人客も多いので以前は日本語も通じていました。
オンライン予約に対応していたのは意外でしたが、助かりました。




鶏巻っていう名前なのに、中の肉は豚肉!
お店の人が教えてくれました。美味しいから何でもいいんですけどね。


三味鶏〜必ず頼む定番


さつまいもの葉っぱ。柔らかいとこだけで、とっても美味しい。
日本ではこの食べ方しませんよね。


白いニガウリのスープ。


そして必ずサービスで提供されるプリン。
これが美味しいんです。
今日プリン2回目^^

店構え。
テイクアウトの人もすごく多かったです。




ここから、MRTでコンサート会場に向かいます。
台北101。


コンサート会場の台北国際会議中心。
ここは20数年前と変わりません。




コンサート開演前。開演前の雰囲気とってもスキです。












今回、台湾の友人がチケットをまとめて取ってくれたのですが、ひさしぶりだからか、4列目というとってもいい席を回してくれました。

これは会場の真ん中あたりから舞台を撮影。「北京一夜」with PiA


文香さんとカウントダウン。



夜8時半過ぎから夜中の1時半まで5時間程度のコンサートでした。
帰りはMRTで大安森林公園駅まで行きそこから歩き。
人が少ないけど、台北の夜道はそこまで恐くはありません。


ホテルに着いたら2時半でした。


さっとシャワー浴びて寝ます。
あ、あけましておめでとうございます!






5年ぶりの台湾旅行②

2025年01月05日 | ☆旅行─台湾
2日目(12月30日)。宜蘭

ホテルの朝ご飯


充実の朝ご飯




チェックアウトするときに「宜蘭餅」というお菓子もをもらいました。
なんだかいいサービスですね。




宜蘭から隣町「羅東」の「林業文化園区」へ向かいました。
この地域は、太平山という日本統治時代からの林業の盛んな山の下だそうです。往時、貯木場と積み出し鉄道駅のあった場所が林業の歴史を学ぶ施設に生まれ変わっています。






大きな貯木池の跡。
カルガモがたくさん。




カワセミもいました。




木材運搬のための機関車




その後鉄道には客車も連結されるようになり沿線住民の足に。






竹林駅舎。



この太平山は阿里山などとともに、台湾の三大林産地の1つ。
山奥から木を切り出して平地まで運ぶためにいろいろな工夫があるのが展示でわかり勉強になりました。




羅東から太平山方面の温泉に向かいます。
途中、天送埤というところでお昼ごはん食べました。
「味珍香卜肉店」 
この「卜」というのは漢字で、発音は「プー」と言うそうです。



この天ぷらみたいなものがこの店の看板商品「卜肉」。80年の老舗で、はじめは屋台から始ま里、今では4階建てのビルになっている地元の成功したお店。
豚肉の天ぷらは筋がなくてとっても柔らか。山で林業に携わる人達に人気でここまで人気店になったのだとか。


「碧玉筍」ってたけのこかと思ったら、葱みたいなものでした。



ネギに見えますが・・・





途中で「清水地熱」へ寄りました。
車が駐車場に満杯で、大勢の人が大荷物で集まっていました。温泉の熱湯で食材を茹でて食べるピクニックのようです。
たのしそう。

土日に限りバス便もあり。

みんな温泉の熱湯で食材を茹でています。



地熱発電所。





清水地熱を出て、また蘭陽渓沿いにさかのぼり、太平山の麓の「鳩之澤温泉」へ向かいます。


蘭陽渓は川床に石岩がゴロゴロしている幅の広い川ですが、今は乾季のなのか水はチョロチョロ流れているだけです。





山道は工事が多い。
30分くらい待って、更に3時間待つかもという情報があり、迂回路をとることに。





「鳩之澤温泉」。ここに来るのは2回目です。
アルカリ性のお湯で美肌系。
裸で入る温泉は露天が一つ。
身体を洗うスペースも有り。
ロッカーのコインは戻って来るタイプ。
湯船につかっていたら、上の方の木の枝に猿がいるのが見えました。




卵を買って、茹でて食べます。
下にあった清水地熱よりも人が少ないですが、それは遠さもあり、ここは太平山公園の中になるため入園料も必要だからでしょうか。


この池で茹でます。源泉から直接引いた温泉なのでしょう。熱湯です。


12分茹でたら、水で冷まします。


ちょうどよいおやつです。塩もついてます。




入山料 150元/人 100元/車
温泉 250元/人
温泉卵用の竹籠 20元、デポジット200元
卵6個 100元だったか??


温泉の後はまた宜蘭に戻り、高速で台北へむかいます。
途中、台湾が誇るシングルモルトウィスキーKAVALANの工場売店に寄りました。閉店時間10分前に滑り込みました。

台湾はどこへ行ってもまだまだクリスマスの飾りつけです。
早い時間に行けば、工場見学などもできるのですが、前に行ったことあるし、今回は時間がないので。



このあとは、一路台北を目指して高速を飛ばしていきます。
普段台北で車に乗ることはないので、市内の高速道路網が興味深かった。
西門町の出口に駐車場直結のところがありました。
「洛陽停車場」これは便利。

西門町の古い飲茶の店へ。
金獅楼。レトロです。香港映画の世界。
今日台北についた仲間のCOMOさんに連絡したら近くにいるとのことで、合流。
4人で食事しました。




看板もレトロ。
入っているビル自体が古い(獅子林)



本日の宿はYMCA。
3人とも同じ宿です。
ホテル近くまで送ってもらい、タンタンと別れました。2日間お世話になりました〜。


台北のYMCAは台北駅に近くて便利な場所にあり、更に宿代もとても良心的。
バスタブもあります。
でも私は予約に出遅れて、今日1日分しか取れなかったので、明日は別の宿に移動です。(他の二人はこのまま連泊)

おやすみなさいませ。



5年ぶりの海外旅行〜台湾3泊5日の旅①

2025年01月04日 | ☆旅行─台湾
コロナ禍で休んでいた、海外旅行をついに再開しました。
それまで20年間毎年毎年台湾で年越しをしていましたが、2020年の正月に帰国したとき、武漢で新型コロナの流行が始まっていたのでしたね。
以来、日本で正月を過ごすうちに、「日本の正月ものんびりできていいなぁ」なんて思っていたんです。正月休みに家にいるって、ほんと楽ちん。

でも、今年は「そろそろ行ってみよう」と、出かけてきました。

5年ぶり。
浦島太郎状態かもしれませんね。

【旅程】
2024年12月29日〜2025年1月2日(未明)帰国
タイガーエア台湾
現地泊3泊。
1️⃣伯斯飯店(宜蘭)
2️⃣台北青年国際旅館YMCA(台北)
3️⃣福華國際文教會館(台北)
メインイベントは陳昇の年越しコンサート(大晦日)。
あとは、台湾の友人たちと会ったり、元旦の北京ダック会など。


【初日】12月29日
横浜の自宅を朝7時に出て、日暮里からスカイライナーで成田空港へ。




タイガーエアは第2ターミナルからでます。
5年ぶりに免税店で、ShuUemuraのアイシャドウを購入。

11:25 IT201便 台北桃園空港へ向かいます。
機内食を予約しておきました。無難にカレーを注文。ポップコーンとジュース付き。



現地時間14:45到着(第1ターミナル)
入国審査の列はとても長い。オンラインで入国書類を提出しておきましたので、パスポートを見せて指紋押捺と顔写真撮影でOK。(日本の出入国は無人ゲートでパスポートの読み取りと写真撮影のみ)

友人のタンタンが迎えに来てくれて、車で一路台北を目指します。
台湾ドルとの交換レートは約5倍(つまり1万円⇒2000台湾ドル)。
以前は3.5倍位だったので、円安に泣かされますね。



まず、向かうのは台北富錦街の画廊で行われている陳昇のミニコンサート。
「前門芸術空間」
2日前にアナウンスされた無料のイベントで、狭い会場だから入れるか心配していましたが、1時間ほど遅れていっても入る余地がありました。
ワインや珈琲のサービスも有り。










日本から一足先に到着していたべんちゃんや、数年ぶりに会うMasaoとも再開を喜びました。香港の友人楽も来ていました。休憩時間にはボビーにも挨拶。ボビーの奥さんにも。


終演後は一路東海岸の宜蘭へ行くことにしていました。
急遽べんちゃんもさそいました。彼女はすでに台北の宿にチェックインしていたのですが、1泊分の荷物をもって同行してくれることに。


台北から宜蘭までは高速で1時間程度。
夜8時頃に宜蘭駅近くのボスホテルに到着。チェックインのあと、ホテルの前に広がる「東門観光夜市」へ。
今夜のご飯は屋台飯です。

葱油餅(ツォンヨウビン)



牡蠣入りオムレツ(オアツェン)



ルーウェイ



海鮮羹






緑豆豆花




お腹いっぱいになりました。
おやすみなさい〜。








10月を振り返る

2024年11月05日 | ☆個人的日記
怒涛の10月が終わり 11月もそこそこ忙しいです。


メモ的に記録しておきます。

10月の初旬は台湾から友人が5年ぶりに訪ねてきました。あれこれ話しながら街を歩いたり 鉄道オタク 居酒屋に行ったり。






10月の12日13日は横浜 ジャズプロムナードのボランティア スタッフとして2日間街角ライブのお世話をしました。
真夏かと思うほどの晴天で 気温も高く 野外での仕事はなかなかハードでしたが2日間 終わった後 ボランティアの人たちと一緒に打ち上げに行ったりしてとても楽しい時間を過ごしました。









それから 10月は神奈川大学の公開講座を毎週1回 受講していました。
歴史哲学思想概論のような授業で、これまた 全然知らない話ばかりだったので面白かったです。
ヘーゲル、 ランケ、ニーチェ…。
何をした人が全然知りませんでしたが。内容はかなり難しくてついていくのが大変でした。


10月の中旬に職場の同僚が急死しました。
連休明けに出勤してこないので ご家族に連絡を取って、様子を見に行ってもらったところ 自宅で亡くなっているのが発見されました。ご家族の意向で お葬式身内だけでやるということで、そういう意味では何の忙しさ もなかったのですが、仕事面では大忙し。自分の仕事量が今までの1.5倍ぐらいになっています。後任の人が多い仕事 覚えてくれるまで、しばらくこの状態が続きそうです。
色々思うことありますが、それはまた改めて。

10月下旬の休みに横浜 ジャズのボランティアで知り合った人が参加しているイベントがあるというので金沢区の野島に行ってきました。
沼には 伊藤博文の別荘もあります。


俳優の西田敏行さんが亡くなったということで Netflix で釣りバカ日誌が全部公開されていました。
今まで見たことがなかったのですが 見てみると 西田さん扮する 浜ちゃんの自宅が野島でした。
「あ、歩いてきた道だ!このお寿司屋さん 今もあるね!」など、夫と盛り上がりました。


11月の頭には大学時代の同級生と5年ぶりに集まる同期会を開催しました。これも幹事をやっていたのでちょっとバタバタ。
80人の同級生のうち20数名が集まってくれました。どんなに時間が空いても、会えばパッと 学生時代の感覚に戻るのが同窓会の楽しいところですね。

なんか 忙しいことが続いたので、11月の3連休の最終日は一人でデイキャンプに行ってかけて焼き芋を焼いてきました。
ひたすら 火を眺めて焼き芋を焼いてリフレッシュできました。













今日いち-2024年9月26日

2024年09月26日 | アウトドア活動
茗荷谷の駅前に驚くほど、昭和な民家 そのままの ベトナム食堂があった。中に入ると ますます 民家 そのままだった。牛肉のフォーを食べた。美味しかった。

小澤先生 94歳 お祝いの会 in 箱根

2024年09月14日 | └─恩師
8月24日土曜日、恩師小澤先生の 94歳のお祝いの会が箱根湯本で開かれ、夫婦で行ってきました。
先生はしばらく前に体調を崩されて入院中とのことでしたが、無事開催され、全国から大勢の人たちが お祝いに駆けつけました。







私も大学の同期と誘い合いましたが、 一緒にヨーロッパに行った 皆さんや色々お世話になった方々に再会できたことがとても嬉しく、あちこち挨拶に忙しくとても楽しい会となりました。


会場は 箱根湯本駅に近い湯本富士屋ホテルの大宴会場。




34個並んだテーブルには、それぞれ グリム童話のお話のタイトルがつけられていました。われらのテーブルは「おおかみと七ひきの小やぎ」。
大学時代の友人たちといっしょです。

先生 は 医療スタッフに助けられながら車椅子で入場され、皆からの祝辞などを嬉しそうに聞いていらっしゃいました。
また 誕生日ケーキも用意されていて、 お孫さんたちからの祝福の言葉や 花束贈呈などもありました。

88歳の米寿のお祝いの時は先生の講演会が催されましたが、 今回も先生からのお話の時間があり、後進へのメッセージを力強い言葉で話されていました。





ご家族によれば 、ご体調は 一進一退のようですが 、この会を非常に楽しみにされて リハビリなども頑張って来られたとのことでした。
まだまだこれから やりたいお仕事の話なども、意欲的にされていました。

そのあとは先生の活動の関係者や、(私とは違い)立派な研究者となられている教え子の皆さんからの祝辞が続きました。ドイツの研究者仲間のウター 先生からのお祝いビデオメッセージなども届いていました。

米寿のお祝いの時は、私たち筑波の教え子たちにも声がかかり、同期の友人が祝辞を述べました。今回はそういう オファーがなかったので、ないものだと気楽に構えていたら、 会場入りした後 お世話係の方から 「祝辞の時間ありますよ。お願いしますね」と簡単に言われてしまいました。

えー 聞いてないし!

でも、こういう会で話をさせてもらえるのはとてもありがたいこと。
私なりに精一杯努めました。ぶっつけだったので、話はまとまらずボロボロでしたけど、まぁ気持ちが大事ですよね。 こういうものは 。

1人当たりの時間は2分ぐらいということでしたが、適当に話したら 5分も喋っていました。こんな機会はもうないと思いますが、何があってもいいように練習しておきたいと思いました。





参加者は全国から 300名ほどが集まったということです。
昔ばなし大学も今年で32周年、 そのお祝いも兼ねての会なので、昔ばなし大学の皆さんが中心で、数年前に「中欧の旅」をご一緒した皆さんも何人ももいらっしゃっていましたし、7年前の25周年大会でお目にかかった秋田の方々、小澤昔ばなし研究所の皆様との旧交を温めました。

私のテーブルはつくばの仲間たち、その他先生が筑波にいらっしゃる前の日本女子大学時代の教え子の皆さんのテーブル もありました。

会の終盤には先生の息子さん(!)のギター弾き語り などもあり、 なかなかのサプライズ。先生も最前列でとても嬉しそうにご覧になっていました。

会の時間は12時から4時までの4時間もとってあり、参加者とゆっくり話をすることができました。長丁場 なので 先生は途中で一旦が退席なさり、控え室で休まれていたようです。

最後は先生の弟さんの幹雄さんの指揮で賛美歌の「山辺に向かいて」 を歌いました。この歌は昔話 大学の会合では必ず歌われれるものです。

先生の体調を考慮して、先生に個人的に声をかけるのは遠慮しました。
(コロナやその他の感染などを避けたいということでマスクも推奨されていましたし)

いつも通り、愛と情熱のあふれる会で幸せな気持ちになりました。



会の終了後は、同じホテルに1泊の予約をしていたので、チェックインして、しばし筑波の友人と部屋でおしゃべり。
日帰りの人はだれもいなくて、みな箱根に宿を取っているとのこと。
湯本の駅前商店街で軽く飲もうかと繰り出しました。

箱根湯本も外国人観光客がいっぱいで、お店にも英語メニューが標準装備。日本の観光業界の進化はすごいですね。



昭和感漂う居酒屋で二次会。
学生に戻ったような気分でした。

箱根もまだまだ暑く、結局今回の箱根行きは、先生の祝賀会と友人たちとの居酒屋と、翌朝の温泉街散歩だけでおわりました。
もう少し気候の良いときにまた遊びに来たいなと思いました。


ほんとに今年の夏はあつすぎます。























夏休みの一泊ひとりたび つくば学園都市へ

2024年08月14日 | ☆旅行─国内旅行
今年の夏休みは土日祭日を入れて6 連休。
とっても暑いので何もする気にならず、特に計画も立ててなかったのですが、
「つくばに行ってこようかな、のんびり 1泊で」と思いつきました。

今年は同級生がお店を出したこともあり、大学時代の友人に会う機会が増えました。(先日のブルーベリー狩りも大学の友人つながり)それで 大学時代を過ごしたつくばに行ってみようかなと思ったわけなんです。

卒業後も何度か行ったことはありますが 、今回は1人旅で自分のペースで訪れたいと思います。


宿の予約サイトで日航ホテルが結構安かったので 予約。このホテル、私がつくばにいた頃は「つくば 第一ホテル」でした。その後 オークラグループになり、今は日航。ホテルってどんどん運営会社が変わりますよね。

当日は午前中に新橋で人に会い、午後イチ、秋葉原からつくばエクスプレスに乗りました。

つくばエクスプレスの沿線は新しい開発がどんどん進んでおり、ファミリー層に人気のマンションがたくさん 建っています。休日ということもあり 車内にはベビーカーや 子供連れがたくさん。ここだけ少子化が関係ないような世界でした。私が子供の頃は日本中がこんな感じだったんでしょうけどね。

2時前につくば駅に到着。



ホテルのチェックインは2時からなのでちょうど良かったです。
今回は先払いプランで、1泊シングル 素泊まりで7500円ぐらいでした。




茨城県にあるつくばは、東京 横浜 に比べれば 気温も1度ぐらいは低いようですが、こう 天気がいいと容赦なく 暑い!

部屋で少し休憩して 今日の行動を考えます。お昼を食べていないのでまずは食事ですね。Google マップでレストラン情報をチェック。
どうせ行くなら学生時代からあるお店に行こうと思います。バスに乗って30分くらいで着けそうです。

つくばセンターにはバスターミナルがあります。
バスターミナルのそばに観光案内所がありました。
ここでバスの情報が手に入ります。


「筑波大学循環」という路線に乗って北上します。
一番北側にある農林技術センターで下車。


大学構内の道路の樹木がとても大きくなっています。鬱蒼としていると言っていいほどですね おかげで日陰が多くて助かりました。


バス停から北に10分ほど歩くと目指す和食屋さんに到着。「割烹 一の矢」という店です。午後3時過ぎという中途半端な時間だったので営業しているか電話して確認しておきました。


昼ご飯も食べてなかったのでお腹がペコペコ、カツオの刺身にカレイの煮付け それに アジの開きとカニ汁 という 豪華な定食を食べました。 これで2000円弱。


せっかく ここまで来たので 平安時代に創建されたという 一ノ矢八坂神社によってみました。学生時代に来た記憶はあまりないんですけどね。立派なお社でした。


お腹もいっぱいになりましたので、ここからはゆっくり徒歩で大学構内を通ってホテルへ戻りたいと思います。
筑波大学は南北4キロあると言われています。


まずは 私が2年間住んでいた一の矢学生宿舎へ。


学外の皆様へ という 注意書きを見つけました。禁止されてる行為はあるものの、散歩は問題ないようですね。よかった。


筑波大学は 開学 51年。
当初からあった学生宿舎は相当老朽化しています。私の時代はほぼ100%近い新入生が宿舎に入ってましたが、そのごだんだん、宿舎はオンボロだというので、入居する学生は多くなく、 もっぱら留学生などに利用されているという話を聞きました。
何年か前に、宿舎に住む学生さんの YouTube 発信を見たことあるんですが、部屋が相当 ボロボロだったのに衝撃を受けました。国立大学もお金がないんですよね…。

【補足】
いまは学生宿舎の改修もすすみ、用途に合わせて色々な使い方をされているようです。


私の入居していた建物は見た目は昔のままでした。 エアコンは各部屋に入っているようで、部外者が侵入できないようセキュリティー強化されていました(私の頃は誰でも自由に出きりできました)
調べてみたら今この棟は、短期留学生向けの宿舎として使われているようです。


ここの308号室に1年間住んでいました。

こちらは 2人部屋。
面積が1人部屋の3倍あってベランダ付。
ペイントされてますね。中はちゃんと綺麗になっているんでしょうか?すべて空き室に見えますが、どういう用途に使われているのでしょうね。


次にこのエリアの共用棟へ。
歩いて行ける距離にお店が何もなかった私の学生時代、この共用棟が生活を支えてくれていました。銭湯、 食堂、 売店、 床屋、喫茶室、 電話、郵便受けなどなどが揃っていました。今はどうなってるでしょうか?


共用棟の前には リヤカーが何台も。
私たちもこれを使って引っ越しなどをしました。 今でも健在ですね。


共用棟のロビーは広々してました。一番奥にあった喫茶コーナーは廃業して久しいようです。(床がベリベリ剥がれていて立ち入ることもできない感じだった)

朝食から夕食まで出してくれていた食堂。
今は食堂ではなく、フリースペースとして使われてるようでした。
学生さんたち、ご飯はどうしてるんでしょうね。自炊かな?


売店は山崎 ショップが入ってるようですね 
この他に電気屋さんと 床屋さんもありました。




銭湯は コインシャワーに変わっていました。留学生が多くなって 共同浴場 形式はニーズが少ないのかもしれませんね。そして今は各棟にコインシャワーの設置があるみたいです。


共用棟の事務室。
ここの雰囲気は変わっていませんが 私たちの頃は ここに各棟ごとの郵便受けが置いてあり、また実家からの伝言などの張り紙もあったりで、毎日ここに立ち寄る必要がありました。今は 各宿舎の入り口に郵便受けが設けられ、電話も各部屋に引けるようです(もういらないでしょうけどね)。



思い入れが強すぎてずいぶん長居してしまいました。
これから 学内を南北に貫く歩行者専用道路(自転車も通りますが)ペデストリアンデッキ(通称 ペデ)を通って大学 中心へ 向かいます。

一の矢学生宿舎を出るとすぐに池があります。
筑波大学というか 学園都市全体に言えることですが、土地を造成した時にたくさんの人工池が作られました。
ここは兵太郎池。写生に来たことがあります。水面が見えないほど 水草で覆われてました。宿舎から 校舎エリアまでは徒歩約10分くらいなのですが、入学したばかりの頃は暗くなると歩いて帰るのが怖くて嫌でした。今ならむしろ自然いっぱいなのが嬉しくて、気持ちよく歩くところですけどね。


ペテはこういう車道の上を 陸橋で越えていきます。

学内のバス道路(ループ)を超えると もう校舎が立ち並ぶ エリアになります。



この案内表示のデザインは変わってないですね。



第2 第3エリアへ到着。
ちょうどこの日から大学 全体が盆休みで、図書館や事務の人たちも休みになっていたようで本当に人の少ない校内でした。

藤棚 が立派!


草ボーボー で近づくことすら ためらわれる ベンチ。

ここも水面に水草がいっぱい。


ガマの穂がたくさんありました。これは自然に生えてきたんでしょうか? それとも景観を作るために植えたのかしら??


今回は一人なので、すこしマニアック(笑)な場所にも行ってみました。
ここは 休みの日や夜間などでも出入りできる校舎の裏口です。いつもここに 原チャリを停めてました。駐輪する時に操作を間違えて壁に激突させてしまったこともありましたっけ。

昼間なので 表も開いていたんですが、懐かしくてこの裏口から入ってみることにしました。


壁の色は綺麗に塗り直されていましたが 昔のままですね。


学生課の場所。
よく図書館の本を延滞して張り紙されたりしました。

建物の入り口がほとんど 自動ドアになっていました。


学食の裏にウッドデッキ スペースができてました。おしゃれですね。


学校全体がお休みモードでしたが、図書館広場前の噴水は動いていました。


図書館前の石の広場。
そろそろ 夕焼け。


ループ 道路に出て、1学エリアへ向かいます。
つくば時代後半は、自転車を手放し、バイクに乗っていたのでこの道路のほうが馴染みがあります。
大学本部棟。
ほとんどの学生は足を踏み入れることのない場所ですが、サークル連合の委員をやってる頃に大学側との懇談会とかで来たことがありました。


文化系サークル会館。
普通の校舎じゃないせいか、老朽化が激しすぎます。

学生さんの姿はなかったのですが、開いていたので ちょっと入ってみました。
文サ連執務室。自分のサークル活動もそっちのけでここに詰めていることが多かったですね。


写真があんまりないんですけど 1学エリアの松見池前です。
池がうつってなかった…


この後 天久保3丁目を少しうろうろして、昔 アルバイトしていた 丸善ビルの跡やアティック 401のあったビルの跡などを探しましたが、古いビルはなくなっており、もう記憶もおぼろげでした。

友達がアルバイトしていたランプという喫茶店は昔のままありましたが もう 営業時間が終わっていました。

大学会館エリアへ。
昭和なテイストが色濃く残る 案内板。


大学会館のエリアは旅行会社や書店、画材屋さん、郵便局などいろいろな生活サービスがあり、不便な大学の中にあって少しワクワクする場所でした。


保険管理センターは今でも学生の健康支えてるようですね。


体育芸術(タイゲイ)エリアへ。
大学の中で一番最初に建てられた校舎だったとはずです ここ。築50年を超えてるということですね。


写真ではまだ明るいですがだんだん薄暗くなってきました。
誰か 練習している人がいるかな と思って グランドに行ってみましたが、テニスコートも誰もいませんでした。
このグランドでは 陸上運動を2年間とり、テニスの授業も1年間(と言いたいところですが 朝1限目で1学期で履修放棄!)一般学生も使える施設です。


遠くのサッカー場だかには ライトがついていて練習している声が聞こえました。

タイゲイエリアを抜けるとまた学生宿舎があります。
ペデを歩いていると自転車に乗った 学生さんたちが時々通ります(歩いてることはほとんどいない)ほとんどが外国人のようでした。

学生宿舎の手前にスーパーとカフェがあります。
これは最近できたもの のようです。
オアシスですね!
スーパーはお休みでしたが カフェは営業していました。


平砂学生宿舎。
所々 明かりのついてる窓もありましたが、ほとんど学生さんがいませんでした。

平砂共用棟。
もう暗いので 中には入りませんでした。
(私のいたエリアではないですしね)


平砂エリアにはグローバルビレッジと言って留学生と日本人学生が共同生活をする新しい宿舎群が立ち並んでいます。ここだけ建物もピカピカで別世界のようです。どんな学生生活を送ってるんでしょうね?


ここから学外へ出ます。3〜4年生の頃に住んでいた、天久保2丁目の辺りを散歩します。

妻木バッティングセンター。 1回だけ行ったことあるような気が。


このエリアのアパート たちも どんどん 新しく建て替わっていて、そのころのお店もほとんど残っていないのですが、友達の住んでいた このアパートだけは変わらずありました。細田 グリーンコーポ。

私の住んでいたアパートはついに取り壊されて新しい建物が建築中でした。なんだか寂しいけどおそらく 築50年ぐらいだったので仕方ないですね。
塀だけは昔のままでした。

ここまでで大学のエリアはおしまい。
すっかり暗くなっているのですが、もう 汗だくになってるし バスには乗らずに歩いて ホテルまで帰りたいと思います。

メディカルセンターのところからまた ペデに戻ります。
松見公園の栓抜き棟は健在です。

つくばエキスポセンターの前の池、 噴水が綺麗でした。


やっとつくば駅に到着!
ビールが飲みたい。
どこか テラス席 みたいなところでビールが飲めるお店ないかしら??


1回ホテルに戻ってシャワーを浴びて 着替えてから出直そうか?

色々考えましたが、結局駅前のコンビニで夜食とビールを買い込んで、 ベンチで飲んでしまいました。
美味しかった!


午後4時半から歩き始め、4時間 近く経過していました。歩数を見ると 23000歩 ぐらいでした。
暑さもあったので くたびれました。
この夜は風も涼しく、夜風に吹かれながらのビールは最高でした。

この後 部屋に戻り シャワーを浴びてもう1本 ビールを飲んでから寝ました。



2日目。
6時起床。
ホテルのチェックアウトは11時なので、それまでにもうひと散歩して、シャワーを浴びてからチェックアウトしたいと思ってます。

6時半に出発。
今度はホテルのあるセンタービルから南にペデを歩いて洞峰公園まで行きたいと思います。Google マップによれば 片道30分くらいらしい。

センタービルの中庭。
大学1年の時にクラスのみんなで映画を作ったんですがそのロケ地です。
見た感じはあまり変わっていません。



筑波大学出身のアーティスト 明和電機 さんのオタマトーンの巨大なオブジェがありました。


このペデ(歩行者専用道路)を歩いて行きます。街路樹があるので日陰を選んで歩け そうです。

つくばセンターより南側のエリアは学生の頃はほとんど 足を踏み入れたことがなかったので新しい町のような気分で歩くことができます。

ジョギングをする人や散歩する人、通勤なのか 自転車で爆走していく人などたくさん出会いました。そしてこのペデは歩行者用の通路と自転車用の通路が分けられていて比較的安心して歩くことができます。

二の宮公園の時計台これには 見覚えがある。


洞峰公園前にあるウエストハウスという洋食屋さんです。
ここは私の学生時代からあって、カリフォルニア風のおしゃれなお店という記憶です。Google を見ると今も人気店のようです。

洞峰公園にも池があります この池も人工的に作られたものです。

ここまで30分。
公園で少し休んで同じ道を引き返します。

コーヒーが飲みたい。
考えたら 昨日の朝も コーヒーを飲まなかったので、カフェインが切れています(笑)さすがにこの時間に空いてる カフェ はまだ なさそうです。
コンビニでもいいのだけど、来る途中で全く コンビニは見かけませんでしたね。

つくば国際会議場の前に建設 功労者の記念碑がありました。
見てみると鳶の人とかの名前から書いてありました。こういう記念碑は珍しいいのでは?



結局 コンビニはないまま、センター地区まで引き返してきました。
今度はペデを西の方へ歩いて行きます。
陸橋の上から、いかにも 「昭和の頃の最先端」の建物が見えました。私がつくばにいた頃はたくさんあったなー。

近づいてみることにします。
「桜村共同溝管理センター」と書いてあります。つくば市になる前 ここは 桜村だったんですよね。一応 桜村のところは セメントで塗ってありますけど…




最近まで市の施設として使われていたようですが 今は空き家で廃墟になっていました。こういう建物は予算が取れたら 取り壊されちゃうんでしょうね。

中を覗いたらなんだかすごく斬新な設計の建物でした。中央の三角のところ共同溝の様子が見えたりしたんでしょうか?


この四角く尖った 窓も斬新です。
お金かかったでしょうね。

こういうコンクリートとタイルと鉄柱に色を塗ったものの組み合わせが 昔のつくばにはたくさんありました。
妙に懐かしくなって しげしげと 見ちゃいました。





うろうろしていたら8時過ぎました。
センター地区のカフェも開く時間です。歩き回ったので また汗だくになりました テラス席のあるカフェはあるでしょうか。

つくば駅前のトナリエという商業施設のスターバックスにテラス席がありました。
2日ぶりのコーヒーを飲みます。
朝でそれほど暑くないとは言っても テラス席で飲んでいるのは私だけでした。
つくば駅への通路になっているのか、目の前を通る人がちらほら。

一人のご年配の女性が私を見るなり びっくりしたような顔をして話しかけてきました。
「まあ!奥様、なんて色が白いの?日焼けしないんですか??」

奥様って私のこと? 色が白い?!
え?!
めっちゃ 日焼けしてますけど(笑)

とっても 山の手風の話し方でした。つくばにはこういう上品な方が昔からいらっしゃいますよね。



ホテルのあるつくばセンタービルの低層階にはアイアイモールという商業施設がのがありましたが、周りに強力な商業施設ができたせいで集客できなくなり、10年くらい前に来た時にもうすでに空きテナントだらけでした。
今はどうなってるんだろうと思っていたんですが、見事に再開発されていました。

つくば市の市民センターが入居し、市民に解放された図書スペースや キッズスペース、自習スペースなどが配置されていました。
さらにスタートアップ企業に向けたであろうオフィススペースがあり、そこに隣接してコワーキングスペース、ホテルに繋がるカフェスペースなど、今の時代にあった建物の利用がされていて素晴らしいと思いました。




ホテルに戻り シャワーを浴びてのんびりしてからチェックアウトしました。




筑波大学 お酒も作ってるんですね。
今度買ってみよう。

滞在時間 24時間の 筑波一人旅となりました。
やったこと といえば1回 レストランで食事したのと、筑波研究学園都市を南北に貫く 「つくば公園通り」という歩行者専用道路を 7〜8km歩いたくらい。
(大学内はあちこち歩き回りました)

思い出探訪 という意味でも楽しかったし、
つくば という発展する街に触れたことも楽しかったです。
学生の頃は住んで豊かな生活が送れる街とはとても思えなかったですが、 今のつくば なら 十分生活を楽しめる街になっていると感じました。
またここに住んでみたいな などと思いました。


使ったお金 メモ
ホテル1泊7500円
つくばエクスプレス 往復2410円
バス 310円
1日目 食事 2000円
1日目 ビールとおつまみ 1200円
2日目 カフェ 1000円
散歩中の水など 300円

以上 合計14720円でした。







ブルーベリーの収穫体験 旧交を温める

2024年07月11日 | アウトドア活動
大学時代、サークルに入っていました。
その頃は絵を描くのが好きだったので美術部 みたいなのに入ってました。
自分のペースで好きな絵を描くのですが、人物画を練習したい人のために、毎週1回 部費でモデルさんを頼んでました。その他、年2回夏と冬に絵を描く合宿、学園祭など年に2回の展覧会を開いたり という活動でした。

大学にはたくさんのサークルがあり、体育会、芸術系サークル連合 文化系サンクール連合と3つのサークル組織がありました。私の絵を描くサークルは芸術系 かと思いきや 文化系サークル連合 に属していました。
各サークルから1人ずつ委員が出て、サークル連合を運営するのですが、どこに行ってもそういう役回りになる私は 委員として派遣され、さらにサークル連合の執行委員にもなってしまいました。

主な仕事は、各サークルへの補助金分配、新入生歓迎行事や学園祭、三系合同企画(アイドルコンサート)の準備 実行 など。結構忙しくて、自分のサークルに顔出すよりも この執行委員として活動する時間が長くなりました。この委員として集まったメンバーが楽しかったということもあり、任期1年なのに、2年やってしまいました。

 私はこの活動の他に学部の企画委員もやっていて、こちらはこちらで 学園祭企画や新入生歓迎など忙しかったんですが、 今にして思えば 学業そっちのけで学生生活をフルに謳歌していたんですね(笑)

(タイトルのブルーベリーの話がなかなか始まりませんね)

その頃の執行委員仲間のうち私を入れて4人とは卒業後も仲良くしています。

そのメンバーの一人に長く海外で農業指導員などをしていた人がいます。20代の頃に 海外青年協力隊に応募したことをきっかけに、その後農業指導の専門家になったそうです。
ただこの仕事は契約雇用が不安定で、派遣される国もいろいろ、期間もいろいろで家庭生活なども大変だったようです。人生後半の生活を見据えて自ら農業を始め、ブルーベリーに取り組んでいるとのことで、「うちの畑に遊びに来ない?」と誘われたので 行ってきました。

日程の関係で都合のあった3人で集まりました。
土曜日の朝 茨城県の古河駅に集合。
ブルーベリーの彼が迎えに来てくれてました。

古河駅には初めて降り立ち そこから畑へ向かう 40分ほどの道のりは興味をひかれるものがいっぱい。
まっすぐな道路がたくさん走っている場所もあれば 古い集落 そのままの くねくねした道もあったり。初めて行く土地は わくわくしますね!
工場の誘致が進んでいる場所だということで日野自動車とかプラスチック工場、セメダインの工場、ギンビスの工場などたくさん。山崎パンの工場は相当 古いようで、敷地の周りの桜が立派な老木でした。

その工場が誘致後に整備された立派な道路のすぐ脇に友人の畑はありました。
友人の家は代々この辺りで農業をやっていた地主さんの分家にあたり、祖父母の代から勤め人で、土地は全て貸していたそうです。最近、その土地が返されたこともあり自分で始めたのだそうです。
本家では農地を転用して、工場向けの倉庫業をやっているとか。




畑に到着。
全面に鳥よけのネットがはってあります。
帽子、日焼け止め、それにまだ午前中だけど虫除けスプレーなどもつけて、いざ 畑に入ります。

この畑だけで 15種類の品種のブルーベリーが植えてあります。この樹高になるまで 8年ぐらいかかっているそうです。

7月に入って急に気温が上がったため、収穫が追いつかないとのこと。
彼一人でやっているので大変そうです。
地面を見るとたくさん 実が落ちていました。あーもったいない。


このぶどうのようななり方のをみて「すごーい!」と思ったんですが、ブルーベリー農家としてはあんまり良くないらしい。



ブルーベリーのなり方は、こっちの少しまばらになっている方が望ましいそうです 実がぎゅーって詰まらない方がいいんですね。


熟れている実はちょっと手のひらを添えてあげるだけでポロポロっと取れます。それを何粒もいっぺんに口に入れてもぐもぐして食べると美味しいよ!
とすすめてくれました。

生のブルーベリーをこんな風に食べるのは初めてです!
さわやかで甘くて美味しい。
よく冷凍で売ってる外国産のは粒も小さいのが多いですが、彼の作ってるブルーベリーは 粒が大きいものがたくさん。


収穫 風景。



15品種ある中で、今が収穫時期である4 品種 取らせてもらいました。

チャンドラー
リバティ
ピンクレモネード
あともう一個 名前忘れてしまいました…

1時間ぐらいいろんな話をしながら収穫し、その後は彼の実家(作業場)へ向かい冷房のあるところで選果です。

無農薬で作っているので 所々クモの巣がついたりしています。運ぶ途中で潰れちゃったものとか、もう干からびちゃってたものとかをより分けていきます。

見てくださいこの山盛りのブルーベリー!

ぺちゃくちゃ おしゃべりしながら、作業するのもなかなか楽しいです。

もう一人の友人はある大手のIT企業勤め。すでに役職定年を迎え 現在 ほぼ リモートワークで月に1回ぐらいしか会社に行ってないと言ってました。
大手たし優秀な人だから順風満帆なサラリーマン人生かと思ったら、強烈なパワハラを受けて激痩せしたこともあったそうです。やっぱり組織は色々ありますね。 


農業指導員の友人の話も知らないことばかりで刺激的でした。。
ブラジルの奥地での車のトラブルとかブータンの話とか知らないことばかり。

このブルーのトレーは梅を干すためのもののようですが 友人はブルーベリーの選果に使っているようです。
このトレーに3個分も取ってましたよ。
強欲(笑)!!

友人には「2 L ぐらいの容器を持ってきてね」と言われていたのですが、取ったものは それをはるかに超える分量。
結局 持ってきた容器だけでは足りず、ジップロックの袋などをもらって詰めて帰りました。8 Lぐらい あったんじゃないかな?

調子に乗って 取りすぎました。
売り物なのに良かったんだろうか??


その後スーパー銭湯で汗を流し、それから 近隣をちょっと観光して、駅前の居酒屋で軽く食事をして別れました せめてものお礼として 友人の分はご馳走しましたが 全然足りなかったんじゃ?

袋に詰めたものが潰れるんじゃないかとドキドキしてましたが、帰宅後確認すると、案外大丈夫でした。
さーっと水洗いして小分けにして冷凍保存。あとで ジャムにしてもいいし ジュースにしてもいいけど 案外そのまま食べてしまいそうです。


同級生3人で過ごした1日、とても楽しかった。喋りすぎてなんだか喉が枯れてましたよ。

メモ:横浜⇔古河 JR休日お出かけパスが安くて便利
普通なら片道1694円×2=3388円のところ、
2720円(668円オトク)で、しかもエリア内乗り降り自由。
得した分で、帰りはグリーン車(1000円)に乗ってしまいました。

スーパー銭湯:八千代グリーンビレッジ憩遊館
茨城県結城郡八千代町松本592
露天風呂もある天然温泉。 700円(JAF会員証で100円引き)

逆井城跡:戦国北条氏の支城。
中世の櫓等が復元されている
茨城県坂東市逆井1261


橘川先生の講演会「地域を考える、町田から考える」へ行ってきました

2024年06月18日 | ☆学ぶ!


神奈川大学のエクステンション講座(公開講座)で、連続受講している橘川先生の講演会があるというので町田まで行ってみました。

神奈川大学の公開講座、春の5回シリーズは先週で終わったのですが、ちょうど6回目のような位置づけ。

主催は神奈川大学の同窓会町田支部(?)のようです。
だれでも無料で参加OKとの話だったので、お言葉に甘えて。

会場は@「町田ぽっぽ」という半分公共の場所のような施設、中庭に面してスタバがあっていい雰囲気です。
町田駅にはおそらく初めて下りたったのですが、ものすごくひとが多くて「都会!」というのが第一の感想。
講演の中でも、町田は古くから「交通の要衝」という話がでましたが、まさにそんな感じです。
















知らなかったのですが、この講演会は同窓会の会合の第2部のような位置づけだったようで、参加者の大半はその関係の皆さんの様でした。
・・・私なんかが来てしまって、なんかすみません。

橘川先生にも始まる前にご挨拶しました。
先生もさすがに私の顔を覚えてくださったらしく
「今日の話はね、先週までやってた話にだいぶかぶるところがあるんだよ。だから、もう聞いた話だなって思うと思うよ」
なんて、わざわざ前振りをしてくださったり。


講演の中で、渋沢敬三宅にあった「日本常民文化研究所」が、神奈川大学に移ったいきさつなどについても聞くことができました。
宮本常一の本でも読んだことのある「九学会連合合同調査」のことなども。

法学部の教授で政治思想が専門の橘川先生が、なぜ常民研の仕事をするようになったのか、のお話も改めてちゃんと伺えて有意義でした。
(わたしも、なんでなんでなろうと不思議に思っていたのです)

にしても、古文書を読むの先生の専門とも関係があったのかな?
こんど機会があったらそんな話も聞いてみたい。



そもそも神大のエクステンション講座で橘川先生の講座を受講するようになったのは、日本の政治思想「ナショナリズム」について興味があったから。
全く触れたことのない分野の話で、チンプンカンプンながらも面白いなと思いつつ受講していたのですが、だんだん回を重ねるごとに民俗学よりになってきて、あれれ?
小澤俊夫先生の「昔ばなし大学」も文学方面だと思っていたら、やっぱり民俗学だったし。

大学生の時に宮田登先生の授業も履修放棄してしまうほど、難しいと思ったのだけど、ここに戻ってきてしまってる感あります。

一周回ってやはりここに来るのか?
などと思うと可笑しい。

JR 大都市近郊区間内いわゆる「 大回り」の旅

2024年05月26日 | アウトドア活動
JR の 首都圏のかなりの範囲を 最低運賃 150円だけを払って ぐるっと回れる いわゆる大回りの旅をやってきました!

大回りとは?
下の地図の範囲のa 駅から b 駅まで行く場合、どんなルートで行っても、最低料金で行けるという特例です。
もちろん 改札を出てはいけませんし、同じ駅を2回通ってはいけないなどのルールがあります。また切符は当日限り有効です(日付をまたいでも終電までは乗れます)




スタートは JR 根岸線 石川町駅です。
Suica や PASMO でも乗れるようですが 旅情を高めるため 150円の切符を買いました。
石川町からですとお隣の駅、関内や桜木町まで行ける切符です。


7:51購入
旅のスタートです。

まず 根岸線の終点 大船へ向かいます。
8時3分 石川町駅発。
日曜日の朝 下り線はガラガラです。

大船 到着8時28分。


朝ごはんを食べていなかったので 大船駅構内のベックスコーヒーで食べます。


朝ご飯 2人で1090円です。


大船からは 東海道線下り、9時発熱海行きに乗ります。
東海道線はそれなりに人がいましたが 何とか 席を確保して 茅ヶ崎へ向かいます。


この 大回りの旅を思いつく きっかけとなったのが、YouTubeの鉄道ファンの人の動画。乗り鉄とか言われるファンの人たちは 「この列車は何系」とかよく話していて、ちんぷんかんぷんですが(笑) それっぽい写真を撮ってみました。

東海道線で乗った車両は「モハ E 230」、
モーター付き ということで、は普通客車ということのようです。
は JR東日本 (イーストのE)
後の数字は 型番や 製造番号のようです。

茅ヶ崎 到着9時15分。


次は 相模線に乗って 終点 橋本まで行きます。
相模線は単線でした。
初めて 乗りました。

相模線はそれほど 本数がないので 茅ヶ崎で少し待ちます。
ホームに財布が落ちていたので 改札の係員の人まで届けたりもしました。

9時27分 茅ヶ崎発橋本行き。


10時半 橋本 到着。
相模線は単線 なので、途中 何度も上下線の待ち合わせをしました。
ずっと空いていましたが、 橋本が近づくにつれ 人がどんどん 乗ってきて この混雑になりました。

橋本からは横浜線に乗って 八王子へ向かいます。



10時40分

八王子駅で八高線に乗り換えます。
八高線は八王子と高崎を結んでいる線ですが 途中 川越線も並走しているようです。

自分でボタンを押して ドアを開けるタイプの車両です。
高麗川で八高線は北へ向かいますが、 この車両は川越線に入って川越へ。


12時24分 川越 到着。
乗ってきた車両はモハでした。



ちょっとお腹が空いてきたので 川越駅をぐるりと 見学。
川越の これ何でしたっけ?
火の見櫓?時計台?
ラーメン屋と蕎麦屋もあったのですが もうちょっと我慢して 大宮でご飯を食べようと思います。

川越駅の乗車位置を知らせる サインは 川越名産のさつまいもの 絵柄が!

川越からりんかい線直通新木場行きに乗って大宮へ向かいます。


この車両も ガラガラ。
大宮駅には20分くらいで到着。
大宮駅はとても大きな乗換駅で新幹線も通ってますから 駅ナカのお店が充実しています。
いろんなお店があったんですが 人もその分 多くて大賑わい。
今日は和食のお店に入りました。


美味しそうです!
贅沢しました!
かなり満足したので大宮から一気に 東京上野ラインで横浜に帰ります。
13時53分発 熱海行き。

14時52分 横浜に到着しました。
運良く1両目のボックスシートに座れました。



横浜から関内まで移動して改札を出ました。出発から7時間以上経ってました。自動改札機ではピンポンと鳴って通ることができなかったので、係の人に「大回りしてきました」と言って出ました。

夫は本を読み進めることができたみたいで喜んでました。
私は車窓の景色を見たりいろんな車両に乗ったりが楽しかったです。

これは前の日にちょっとプランを立てたものです。
この通りには行かなかったけど。

なかなか楽しい遊びでした。 また次は別のルートで回ってみたいと思います。
房総一周とかもやってみたい。



トイレを作って訴えられた三郎兵衛さんの話の続き

2024年05月25日 | ☆学ぶ!
3回目の授業がありました。
今日も 三郎兵衛さんの話の続きからです。
三郎兵衛さんは村でいろいろ 揉め事を起こす問題がある人だったそうですが、
のちのち時代が下ると「三郎兵衛」家ということになって名望家チックになっていくようです。

さて また時 国行けから見つかった 古文書で三郎兵衛さんの家の商売がわかります。


これは 曽々木の 三郎兵衛さんが、同じ能登半島の宇出津の人から
4人乗りの船を買った時の証文です。


さらに下の古文書は三郎兵衛さんがその4人乗りの船を今の山形県酒田沖にある 飛島 という島に冬の間 係留 しておくために 通行手形を求める 願い書 です。



下のは 古文書の資料はついてなかったのですが 翻刻された資料です。
三郎兵衛さんが能登半島から4人乗りの船で松前から若狭のあたりまで色々なものを運んでいたということが この 古文書から分かっているそうです。

この頃の三郎兵衛さんは 「組頭」 ということになっているようです。
トイレを作った人とは別人物かもしれません 代々 三郎兵衛を名乗っているのでしょう。


今日は 能登半島の時国家の話から、
佐渡の船登源兵衛家古文書、
さらに瀬戸内海の 二神島〜二神氏の古文書の話にまで及び、
古文書調査と考古学的な発掘調査を照らし合わせる話など、非常に興味深いものでした。




道にトイレを作って訴えられた男の話

2024年05月25日 | ☆学ぶ!
能登時国家にて発見された 古文書を使った授業を継続中です。

古文書を読む 授業ではないのですが、資料には 古文書がバシバシ と出てきます。




これは道にトイレを作って訴えられた男の話です。
江戸時代はなかなか 愉快ですね。

【参考】


この授業はこの愉快な話がメインではなくて、「水呑百姓だ 頭振りだ 貧農だ」と思われた人たちがどれだけ 豊かな経済活動をしていたか という証拠の古文書という文脈で登場しています。

この道にトイレをはみ出して作って訴えられた三郎兵衛という男は、
身分こそ農地を持たない 「頭振」ですが、お金はたくさん持っていたらしいです。



奥能登時国家の古文書「えんじろう文書」の話を聞く 神奈川大学公開講座

2024年05月16日 | ☆学ぶ!
先日からまた 神奈川大学の公開講座を受講し始めました。
これまでも受講していた 橘川先生による「日本を知る」という講座です。

先日 第1回目だったのですが、 資料として配られたのが 奥能登の時国家(ときくにけ)の襖の下張りから発見されたという古文書でした。
第1回目ということもあり、能登の震災のことから先生の話が広がっていきました。
橘川先生は もともと政治学者だと思っていたのですが、 神奈川大学に置かれている常民文化研究所の仕事もされていて、所長までなさったということです。 その常民文化研究所の 研究調査の中に奥能登の時国家の古文書を調べるというものがあり、網野善彦さんと一緒にずっと調査をされていたのだそうです。

網野善彦といえば、以前に「日本の歴史を読みなおす」 という本を読んで、大変感銘を受けていたわたくしです。

そもそも 網野善彦さんを知ったのは 「宮本常一の忘れられた日本人を読む」という本を読んだのがきっかけでした。
歴史に対する見方が非常に面白くて。

この「日本の歴史を読み直す」 という本については、このブログに書いたことがあったかもしれません。日本の社会のあり方について、これまで私たちが常識として思っていたようなことが、実はそうではないんだ!と、根底から覆されるようなことが書いてあります。

その1つがこの奥能登の時国家の古文書の調査から分かったことです。

つまり、 「百姓」は「農民」のことではないという発見です。

  百姓≠農民

私たちは「百姓」って聞いたとき、江戸時代の年貢に苦しめられているような、村の中にいる農民の姿を思い浮かべます。(少なくとも私はそうでした)
それは、これまで、教科書や歴史の常識としてそのような理解でずっと考えられてきたからなんですけれど、それが この奥能登の時国家の古文書の中から見つかった資料によって、百姓≠農民の突破口が開かれたというお話です。

最近はテレビの歴史番組などでも、そういう話を聞くこともあり、網野善彦さんの研究の成果が現れてきてるのだなぁと感じています。

百姓≠農民 
が、完全に浸透しているわけでもないでしょうけど、大多数の人はそんなことに興味もないでしょうしね。


今回の橘川先生の講義で一番びっくりしたのが、この証拠になった古文書のひとつ(「円次郎文書」 と言うんですけど)を発見して 網野さんに見せたのが 橘川先生ご本人だったということです。

へーーーーー!!

私は講義を聴きながら、秘かに大興奮していました。


えんじろうもんじょ
「日本の歴史を読みなおす」にも載っています




 





概要を良くまとめてくださってる記事がありましたので引用します。

出典:日本史をかきかえた網野善彦の原点「時国家」(輪島市町野町)
藤井満 note 2024年4月15日
https://note.com/fujiiman/n/n3801c7465674

 1952年、言語学・民俗学・考古学など九学会連合による能登半島総合調査が実施され、民俗学者の宮本常一らが時国家の古文書を借りていったが、宮本が属する常民文化研究所が窮乏化し、その文書を返却できなくなった。「能登に古文書がないのは、常民文化研究所と上杉謙信のせい」とまで言われるようになっていた。
 常民文化研究所は1982年に神奈川大に招致され、それから13年間、網野善彦は文書を返却するために全国をまわった。その過程で網野は1984年に時国家にやってきた。
 時国家では襖をはりかえるとき、以前の襖紙を保存していた。網野はそれに注目する。
 蔵などに保存されている公的な文書史料は、「百姓=農民」という考え方にもとづき、年貢の額などが記録されているが、農民以外、とくにあちこちをわたり歩く人びとの史料はほとんどない。
 公的な文書史料によると、1735年には輪島の町の総家数の71%は頭振(あたまふり)や水呑だった。頭振とは、金沢藩領の無高の農民を意味し「水呑百姓」と同様、一種の蔑称だった。
 ところが、上時国家などにのこされた襖紙文書には、大庄屋である時国家が、貧乏人であるはずの「頭振」から借金をしていたことがわかった。
 輪島は当時、漆器やソーメンの産地としてにぎわっていた。そんな町の7割が頭振・水呑なのは、輪島塗やソーメン、廻船業など非農業的な生業が隆盛をほこり、田畑を所有する必要がなかったからのだということがわかってきた。輪島の年貢の税率が88%という記録があるが、「われわれは別の方面でもうけるから、それでいいですよ」ということだった。
 そして時国家は昔ながらの封建的大庄屋ではなく、北前船(廻船業)や炭焼き、塩田、鉱山、金融業などをいとなむ総合商社のような存在だった。上時国家は北前船を4隻所有し、その船がサハリンまで行っていたことも襖下張文書であきらかになった。
 こうした発見から網野さんは、「百姓」とは農民だけではないことを確認し、コメの石高で豊かさをしめす江戸時代以来の固定観念を否定し、中世社会が、たんなる「稲作社会」ではない多様性をもっていたことをあきらかにしていった。



講義自体は、そのことを先生が自慢するのが主眼ではなくて、
以下に我々が歴史を見る際に、先入観にとらわれているか。
その先入観を打ち砕くには、地道な資料の研究しかないのだ、というお話でした。

でも講義の時間は、時国家のある奥能登の被害が甚大だということとか、古文書研究の思い出話などで占められていたので、次回に持ち越しです。
次回も期待!

資料には、百田尚樹氏の「日本国記」なども用意されていました。
ちらっと読んだだけでも「うへ~っ」と思う文章。

先生のお話は、歴史は「物語」で語ってはならず、 資料に当たらなければならない 証拠を固めていかなければならないという話 でした。
自分に都合よく、物語にするのが上手い人の口車にのせられていくのはとても危険ですね。

◆先生の昔の記事
古文書は嘘をつくことがある それでも事実に迫ることはできる
神奈川大学名誉教授 橘川 俊忠
現代の理論 DIGITAL 2018秋号



2024年能登地震
時国家の母屋がこの地震で倒壊してしまったそうです。
橘川先生によると、段ボールに数百箱の古文書が保管されていたそうです。

◆関連記事
奥能登の歴史「捨てないで」 膨大な古文書、震災で消失危機 「上時国家」8500点下敷き
中日新聞 2024年4月14日



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