キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

「水俣病裁判~人間の尊厳をかけて」1996年

2020年02月25日 | ☆読書
新しい天皇誕生日の振り替え休日。
コロナウィルスの懸念もあるので、人込みを避けててまた三渓園へ。
(年間パスポートを買ったので2日連続できても良いノダ)

もう3月下旬の暖かさで、風の強かった前日よりも人出が多いようだ。
池のカモを見ながらベンチで読書。
昨日三渓園に来た帰りに寄った図書館で借りてきた、水俣病関連の本(開架してる本としてはこれ1冊だった)。相当固い本かと思ったのだけど、読んでみると意外と読みやすい。




 
あとがきまで読んで納得した。
この本は長きにわたった水俣病裁判が「国との和解」という一定の決着を見たあとに書かれた「まとめ」の本で、「高校生にも読んでほしい」との意図からなるべく平易に書かれたのだそう。

よかった。
手にした本が読みやすくて。

今私はこの本を読み終えて、「水俣病問題」を分かった気になっています。

その状態で今のコロナ問題を振り返ってみると、いろいろ鮮明に分かります。
なぜ、検査を進めないのか?
なぜ、初期の段階で水際対策を徹底しなかったのか。
今、コトここに及んでも「国民の皆さんにおねがい」というゆる~い対策しかないのか。


よく考えてみれば、薬害エイズ、福島原発事故、沖縄米軍基地問題、
すべて同じ構造の問題だとわかります。





それとは別に個人的な感想も。

・昭和40年代に不知火海に海水浴に行ってた。親は危険を感じてなかったんだろうか?その頃の熊本の人たちの感覚は?
小学生低学年くらいのころに水俣病のことを知って、食べてる魚が心配になり「魚をたべて大丈夫?」と親に聞いたような記憶がある…
・昭和50年代、水俣病裁判が行われだしたころ、よくニュースでやっていた。でも私の関心は全然そこになかった。「いつまでもやってるんだな、裁判って長いな」と思ったくらい。
・昭和60年代~平成、熊本を離れたけど、裁判は国を相手どる全国規模のものになっていた。でもわたしは関心がなかった。

昨日本を読んでいて、「ちゃんと関心持って理解していたら自分だって環境庁を囲む人間の鎖や座り込みの支援だってできたのに」と思った。
今頃なにやってんだよ自分は。
これが、もう一つのイタイ感想。




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