雨曇子日記

エイティライフの数々です

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 Z 静岡・下田~愛知・師崎港

2020-06-03 20:06:27 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

太川・蛭子さんとマドンナによる路線バス乗り継ぎの旅が 25 弾で終わり、田中・羽田さん&マドンナの若いコンビびに引き継がれ、その第一回目の再放送が 6 月 2 日 BSテレ東であった。(ロケは、2017.3.6 ~ 9  放送は、 3 . 25 )

下田は、伊豆半島の先端にあって知名度は高いが、知多半島の師崎港は、知る人ぞ知るの地だ。

この旅は、静岡県から西隣の愛知県まで。昔の国名で言えば、伊豆~駿河~遠江~三河~尾張となる。

 

             第一日

マドンナに IMARU さんを迎え、下田駅前を堂ヶ島に向け元気に出発(8 : 50 )エメラルドの海の天窓洞を舟で観光、三島~沼津を経て富士市に 17 : : 20 に着いた。うまくバスを乗り継ぎ順調なすべり出し。

 

             第二日

富士駅 6 : 50 発のバスで 7 : 30 由比駅上に来たが、その先が行けない。とりあえず駅前の茶屋で名物の桜エビのついた朝食をとる。営業前だったが、女将さんの厚意に甘えた。(美味しそう)そして、元気を得て 6 km の歩きに挑んだ.。若いメンバーだから、軽々と歩く。新浦安橋~清水駅~と順調に乗り継ぎ、静岡駅前に 12 : 10 到着した。

静岡からは、相良~大東~報地~横須賀車庫前と来て浜松駅には 20 : 40 に着いた。

駿河の中心静岡市に対し遠江は浜松市。浜松市は面積 1.559 ㎢ 人口 79.7 万人、政令指定都市・国際会議観光都市、駅前に堂々と聳え立つのがオークラアクトシティホテル浜松。「あれしかないですね」と田中さんを先頭に一行はどんどんホテルに入っていき、「おい、おい、おい、おい、すごー」などと言いつつ部屋をとった。”勿体ないんじゃないこの部屋”誰かが言っていた。キートン山田さんとナレーターを務める太川さんは思わず「俺たちにはなかった」の一言を入れた。

 

この日、藤枝から大東に来て報地というバス停に向け歩いていた途中の道端にあった和食処「七海」(ななみ)での昼食がおいしそうだった。気になったのでネットで調べてみると、「掛川の食べる」に紹介されている名店。「さくらそば」が目を惹いた。

 

             第三日

浜松駅発 8 :22 の唯一西に向かうバスで湖西市役所( 9 : 24 )に行く。湖西市は、よくぞ浜松市に飲み込まれず残ったというような市。

ここから、11 : 21 発二川東町(豊橋市)行きのコミュニティバス(コーちゃんバス)があったが、2 時間の待ちは勿体ないからと歩きだす。

しかし、もくろんだバスに上手く乗り継げず 8 .2 km 歩くことになり、先の見えぬ不安と疲労で無口になったが、二川駅の手前でバスを拾い、”これぞミラクル”などと喜び合い、後は順調に乗り継いで豊橋駅前にたどりついたが、すでに 12 : 46 になっていた。

豊橋駅の案内所でこれから先のルートについて丁寧な案内を受け、丼の底にとろろご飯がかくれている豊橋名物カレーうどんで英気を養い、午後の行程に臨んだが、雨の中を歩く場面もあり、この日だけでも 11.5km 歩いたので、ヘロヘロになって東岡崎にたどりついた。日はとっぷり暮れ 18 : 43 になっていた。

 

             第四日

この旅は総計 34 km も歩いたが、この最終日は 17 km と最も歩くことになる。

出発は案内所のオープンを待ち 9 : 55 安城駅行となり、安城には 10 : 35 に着いた。安城市はコミュニティバス網がよく整い、バスも車体に A・B・1・2など大きくコース名を表示し、そのコースさえ理解していれば、遠くから見ても 行先がはっきりわかるようになっていた。また各停留所の表示に、地図と時刻表があった。ただ本数は少なく一時間、二時間と間隔は空いていた。

田中・羽田・IMALU三人の旅人は、その待ち時間を惜しんだ。岡崎の案内所が教えてくれた安城~東刈谷駅北口というコースを捨て、安城から碧南市を目指した。あんくるバスと碧南市のクルクルバスをうまく乗り継げばそれは可能と彼らは地図を見て判断したのだった。

だが、結果的には失敗だった。タッチの差で乗り継ぎに失敗し、歩きが増えた。碧南市大浜小学校から衣浦トンネルを通り知多半田駅への 6 km はこの日 2 度目の歩きだった。「走るのに使う筋肉がメチャクチャ痛い」と羽田さんが、「足の指が痛い」とIMARUさんが言った。

それでもトンネルにさしかかると、「これが、海底トンネルですか、わくわくするな」「ワーッすごいね」「海の底ってことですか、おもしろいですね」などと言いながら元気に歩き、隧道の終わりには田中さんが「サヨナラ―碧南!」と叫んだ。

 

半田駅に着いたものの、南下するバスはなく、いったん常滑に出て上野間に進み、そこから河和までの 6 km を歩けば、河和駅からのコミュニティバスの便はあるとの情報を得た。だが、上野間に着いた時点で 18 : 49 。河和駅まで歩いても最終バスは終わっているかも知れないし、夜道を歩くのは危険だし、ここで断念しても許される局面だったが、一行は歩きだした。

 

結果は、名古屋に通う人のためにバスはあり、21 : 04 見事師崎港に到着できたのだった。

一同がこの旅の成功を喜びあったのは言うまでもない。