久しぶりの席主の思い出
今回は近藤誠也八段の思い出と私
近藤八段と初めの接点を思い返しすと、将棋センターの経営がうまく行ってない時、今もですが
苦しい時に開催した夏休み子ども教室、津田沼で将棋センタを開店、私が席主8年目あたりだったと思います。
将棋センターを津田沼の駅前から津田沼交差点に移転、店名を津田沼カルチャー&将棋センターに変えて語学教室と一緒に営業をスタートしました。
将棋センターはあまり良い状況ではなく、師範の所司先生から夏休みに子ども教室でもやりますかとの助言で始めた最初の夏休み子ども教室参加者でした。
開催は20回1万円だったか、参加するしないに関係なしに一律1万円で募集し将棋大会を行うのを目標に儲け度外視の企画でした。
沢山の子どもが集まり経営的には夏休みは利益が出たのを覚えています。
この夏休み子ども教室に参加の子どもにはプロ棋士になった子、奨励会有段で諦めた子も多数含まれます。
将棋が縁とはいえ才能のある子たちが集まっていたんだなと懐かしく思い返す事があります。
夏休み子ども将棋教室後は将棋センターと教室を繋げて開講、今のスタイルとなっています。
近藤先生は他の教室に通いながら津田沼の生徒と将棋大会で戦い切磋琢磨、当時では熊谷兄弟が該当するのかな。
奨励会入会後は所司先生の弟子となり切磋琢磨、四段昇段記念大会とパーティーを銀座アスターで開催、講師をしてもらう形でつながりが続いています。
教室の講師はコロナがありシフトには組み込まれていませんが津田沼四大大会の指導対局は毎年来ていただいています。
私が将棋を通じ出会った子どもたち、今なお自分の成長に繋がり教わる立場は変わらずです。
たまにセンターに大人になった姿を見せる子ども達、私よりはるかに立派、まだまだ勉強が必要、体力負けはしないと思っていましたが・・。
今も昔も子どもは希望に満ちています。
子ども達の今後の成長を見るのは楽しいですね。
近藤八段の四段昇段から八段昇段記念パーティーに携れたことは嬉しく、昔の思い出をデーターを掘り起こしました。
夏休み開始当初の日記はなかったですが、昔の日記を読み返し懐かしく思いました。
当時はミクシィを使用して日記を書いていました。
ミクシィのパスワードが解らず更新が出来ない状況ですが、2012年の日記は私の奮闘、若さを感じる日記でした。
日記はコチラをクリック
少し年を取ったのかな(-.-)
今後とも所司一門の棋士の先生方の応援、所司一門将棋センタをよろしくお願いいたします。