2日に町田市民フォーラムでおこなわれた、映画「ジョン・ラーベ──南京のシンドラー」の上映会を観に行きました。
第二次世界大戦中の南京で何があったのか──ドイツのシーメンス南京支社長だったジョン・ラーベと国際委員会の活動について史実をもとに描かれている作品です。
ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と演説したように、日本とドイツを比較するならば明らかに違うのは過去との向き合い方です。過去に目を閉ざさず、過去に向き合うことで未来はつくりだすことができます。
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「南京大虐殺」をめぐる当事者の記述が一つの資料として残っています。不破哲三著『「科学の目」で日本の戦争を考える』(83~84ページ)から紹介します。
なかでも、経過とともに捕虜殺害の実態が生々しく分かるのは、第十三師団・山田支隊長の一二月一四日~一九日の『日記』です。
一四日 捕虜の仕末[始末]に困り、あたかも発見せし上元門外の学校に収容せし所、一四,七七七名を得たり。かく多くては殺すも生かすも困ったものなり。
一五日 捕虜の仕末その他にて本間騎兵隊少尉を南京に派遣し連絡す。皆殺せとのことなり。各隊食糧なく困却す。
一六日 相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末その他にて打ち合わせをなさしむ。捕虜の監視、まことに田山[ママ]大隊大役なり。
一八日 捕虜の仕末にて隊は精一杯なり。江岸にてこれを視察す。
一九日 捕虜仕末のため出発延期、午前総出にて努力せしむ(『南京の日本軍──南京大虐殺の真相』40~41ページ 藤原彰 1997年 大月書店)
「軍人勅諭」では、「ただただ一途に己が本分の忠節を守り、義[天皇への忠義のこと]は山嶽よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」「下級のものは上官の命を承ること、実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ」と叩き込み、「戦陣訓」では「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」ということがくり返し教育されました。
「ドイツ戦陣訓『兵十誡』」と比較しても、日本軍の規律が異常であったのかわかります。
一、不必要な野蛮な行為を避け騎士道を守って斗うこと。
二、必ず制服を着用して斗うこと。
三、降伏した敵兵の命はこれを奪わぬこと。
四、捕虜を人道的に待遇すること。
五、ダムダム弾の使用を避けること。
六、赤十字を尊重すること。
七、非戦斗員を迫害せず、掠奪をしないこと。
八、中立非戦斗諸国を尊重すること。
九、捕虜となった場合は自分の姓名はノベルが、軍の組織秘密は厳守すること。
十、敵が右の原則を破ったときには報告すること。
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