宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

二つの湖

2005年12月30日 | Weblog
「死海は周囲から水は流れ込むものの出口がなく蒸発する
だけなので、長年月の間に少しずつ塩分の濃度が高まり、魚や
生物は一切棲めない文字通り死海になっているのに対して、
ほんの少し北にあるガリラヤ湖は、同じように周囲から水は
流れ込むものの何箇所か出口があるため、水はいつも循環
していて、清浄で魚や水草が生息しています。」

これは某メールマガジンで紹介されていました言葉ですが、
受け入れるばかりでなく、出すこと、与えることの必要を
教えている一つの表現であるそうです。
送り出す事なく受ける事のみではいずれ不毛となってしまうと
いう意味なのでしょう。息を吐き続けるだけでは生命を維持
出来ませんが、息を吸い込み続けるだけでも同様に維持する事は
不可能です…。

この言葉はわたくしにアシジの聖フランシスコの「我々は与える
から受け、赦すから赦され」の祈りを思い起こさせました。
また丁度"ホリデーシーズン"で物流の多い時期ですが、こうした
事を想起しますのも良い事かもしれない、と思いました。

そして何よりわたくし自身が"死海"になってはいないか、
省みる良い機会を提供されました様に感じます。
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