宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「ナーラーヤナを読む」

2005年12月06日 | Weblog






(  `m´) 「…ナーラーヤナを読む事で
          罪障や災が除かれ
          自己の和魂と幸魂と荒魂を増し
          解脱に近づくとされます。」


(  `m´) 「…邦訳では
          ヒトーパデーシャ―処世の教えという本がネットで購入できますが、
          一部がこちらのブログで抜粋して紹介されています。」
         


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http://ameblo.jp/sarvastivadavaibhasika/entry-11252360667.html

 彼は身内よ、他人よと
 数えあぐるは浅はかの
 心の人のなす仕業
 行い気高き人にとり
 世界はあげて一家族(p.39)



 身体(からだ)はやがて滅びなん
 幸は不幸の拠るところ
 会えば必ず別離あり
 生ぜしものは皆無常(pp.79-80)



 この人の世の苦しみは
 いと多けれど中にても
 望みの叶えられざると
 望みの消えて失せざると
 これより強き苦しみは
 ほかにあることなかるべし(p.69)



 本来美なるものはなく
 本来醜なるものもなし
 人それぞれの好みもて
 美醜は極まるものなれば(pp.98-99)



 吾が能力の有る無しを
 正しく知るは易すからず
 これを正しく知る時は、
 艱難あうも気落ちせず(p.138)



 あらゆる成功妨ぐる
 第一因は逆上ぞ
 いとも冷き清水こそ
 山を貫くものと知れ(p.172)



 危機の遠くにある時は、
 これを恐れて避くべきも
 既に来ると認めなば、
 恐れ忘れて打ちのめせ(p.222)



 この人の世に存するは
 ただ苦のみにて楽は無し
 されば楽とは苦しめる
 人の苦悩の除去をこそ
 意味する語なりと知られたり(p.246)



 事は咄嗟に処置せざれ
 無分別こそ禍の
 こよなき拠点と知れよかし
 徳を求めて幸せは
 熟慮の人に自ら
 趣くものにてあるなれば(p.252)


 すぐれし教え身につけて
 疑い断つ能力(ちから)もつ
 博識人(ものしりびと)も貪欲に
 心のくらむその時は
 苦悩の底に沈むべし (p.26)
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