宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「さえられぬ光」

2006年05月22日 | Weblog


安政6年に出生された山崎弁栄上人に関しては
http://mathweb.sc.niigata-u.ac.jp/
~yosihara/seija/seijaindex.html

こちらのサイトで御写真入りで特に非常に詳しく紹介されて
おります。そちらのサイト中で抜粋されて掲載されております
伝記の一部ですが…
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飯米がない。村人からあるいは甘藷、或いは麦を戴いて飢えを凌ぎ
三日くらいは食べるもの無き時もあった。御困りでしたろうと
尋ねる人があれば、
上人:「時々断食してみると身も心も軽くなり、良い気持ちです。」

季節の衣服がない。襦袢にくんをあてている。見かねた人が
ひとえものを供えると
上人「お陰で信者の家にお経を読みに行かれます。」

冬も火鉢はもちろん布団もない。朝早く訪ねた人が上人のおつもりに
藁切れが着いているのが可笑しく訳を聞けば
上人:「この頃は寒さが強いから藁を着て寝ます。」

良い下駄を供養するものがあれば辞退して
上人:「坊主によいものはいりませぬ。」

ある日訪ねた信徒が上人が土鍋で白い汁を煮ているのを不審に思い、
何ですかと尋ねると
上人:「これは白米のとぎ汁です。米の方は来客に出してしまったので
今日はそのとぎ汁を飲んでいます。」

田舎道で小さな農家の前で子供が何かむづかって泣いて
いるのを見て、路用の金で遠くから菓子を買ってきてやり、
橋銭に困った事もあられた。
道に這う蟻を気を付けて避けて通られる。子供がこれにいたづらを
している所を見ると円みのある優しい声で
上人:「蟻蟻さんの子や兄弟が泣きますよ。」

全く頭が下がるのは辨榮聖者に一点の私心もないことである。
これが人かとさえ思う。 それに比べれば我々の身体を構成
する細胞は私利私欲という強い引力で互いに結びついているの
でないかとさえ思われるほどです。
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単純に「清貧」の環境に身を置く事のみが良いとは一概には言えぬ様に
思いますが、反対に不要な物を多く抱え、反対に物質に所有され、
心が占領されてしまっている状態が現在は度々ある様に思います。
わたくし自身は浄土宗の檀家でも信徒でもありませんが、彼の無私の
生涯からは学ぶべき点が多々あります様に思います。
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