宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「己の如く人を愛した人」

2007年08月10日 | Weblog
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有名なパウロ永井隆博士は被爆の時の様子を「そこへ不意に
落ちてきたのが原子爆弾であった。
ピカッと光ったのをラジウム室で私は見た。
その瞬間、私の現在が吹き飛ばされたばかりでなく、過去も吹き
飛ばされ、未来も壊されてしまった。
見ている目の前でわが愛する学生もろとも一団の炎となった。」
と記述されました。

博士はまた『原爆は長崎でおしまい!長崎がピリオド!
平和は長崎から!』という有名な言葉を遺されており、この時期
に特に思い出されますが、かなり以前に日本のいわゆるバラエ
ティー番組において、原爆のきのこ雲の映像を笑いを誘う
表現の場面で使用し、出演者も笑っているという場面を偶然
目にしてあきれた事がありました。
そうした人々にとって「原爆と被爆」は冗談なのかと
思いました。

いつか長崎を旅行してみたいと思っていますが、長崎市
には「永井隆記念館」があり、そちらにも訪れてみたいと
感じます。

長崎に住んだあるアメリカ人の神父は、「この土地の人々は
アメリカ人を恨んでいない。
アメリカ人であっても住む事は問題ない。」と言い、またわたくし
の知人の被爆体験者を家族に持つ方も同じような事を言っていました。
わたくしにとっては驚きでありました。

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「長崎の鐘」

http://jp.youtube.com/watch?v=BqPby3MXVfI

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