宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「フレイヤの儀式」

2011年01月04日 | Weblog

 

 

これはルーン魔術の中の、フレイヤの祝福を受ける儀式ですが、
非常に強力であるため、あまり頻繁には行わない方がよいとされています。

必要になるものは、まず朗読するための「エッダ(新潮社刊)」で、
それに祭壇に角杯と、常緑樹の小枝と献酒するための酒と、空の容器です。
献酒するのは蜜酒が一般的ですが、他の飲み物にしてもよいそうです。

角杯は日本では用意する事が難しいかと思いますので、
手に入らない場合は何か別の容器での代用になります。

 


(祭壇の配置のサンプル)


(1)最初に「トールのハンマーの儀式」を行って、祈りを捧げる。
http://blog.goo.ne.jp/umekou_2004/e/4253ef88cfc44fc1bc77f7b1a8e69fe9

★「崇敬に代わりて、
 バナハイムのフォークバングの諸間より主に流れ来たる力によりて
 満たしたまえ。
 人界より分かちて、この賢きわざを聖ならしめたまえ。」


(2)「エッダ」の「ヒュンドラの歌」を朗読する。


(3)「★フォークバングより、そしてセッスルムニルの汝の座より、
   今、ここにありし我に、汝の降臨を招かん。
   金に渇けし者、力強きセイスの光り輝く母なるヘイドの姿形のうちに、
   汝の聖なる力を現すガルルベイグとしての汝の姿のうちに
   闊歩して前に進みたまえ。」

(4)ここで献じるための飲み物を角杯(または別の容器)に注ぎ入れる。
   注いだらその杯を右手で持ち上げて献酒の祈りを捧げる。

  ★「おおセイスの師にして、語られる真実の手芸者よ、
   この飲み物を汝のものなし、汝の力と主なるものによりて
   この蜜酒(または用意した飲み物)を充たし、汝の忘怖と祭噪とたまえ。


(5)ここでこれまで紹介したルーン・ハンドサインを使用し、
   杯の上で「F R A U J O N」と7つのハンドサインを行う。

 

 


   そして杯の中の半分を三口で飲みほす。

(6)用意しておいた別の器に、残っていた飲み物を注ぎだし、それを常緑樹の小枝で
   9回かき回して散らしながら呪文を唱える。
   ★「我と世に全輝なる婦人の祝福があらんことを。」

(7)この儀式を屋外で行った場合は、北側の地に容器から注ぎ、
   屋内で行なった場合は、容器を西側に置く。
   ★「天のきさき、高きところの婦人よ、汝への我が捧げものなり。
    これを満足のうちに受け取りたまえ。」


(8) の姿勢をとって
   ★「今、婦人への誉れの我がわざは施されたり。
    彼女をして西方への帰路へと向かわしめ
    愛のうちに無量なる明高のフォークバングの、
    いくども座したまう間に帰還せしめん。」
   
  
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Q.在日韓国人1世の出身地を教えて下さい。
A.99.4%が南部(現在の韓国)出身です。更に17%が済州島出身です。

Q.どうして99.4%が南部(韓国)出身なの?
A.日本に近い南部の人が日本に稼ぎに来ました。

Q.どうして17%が済州島出身なの?
A.戦後、李承晩大統領による済州島民の虐殺から逃げて、
日本に密入国 したからです。(関連:済州島四・三事件-Wikipedia)

「済州島四・三事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6


Q.在日は強制連行されたの?
A.200万人もいた在日人口のうち、大戦末期に他の日本人と同様に工場などに
 徴用されたのは終戦直前のたった6ヶ月間の20万人といわれてます。
 これが彼らのいう強制連行ですが、その殆どは終戦後に帰国。
 残ったのはたった245人です。(朝日新聞 1959年7月13日)六ヶ月日本にいただけだから
 当然帰りました。
 つまり今日本にいて偉そうにしてるのは・・・

Q.在日は帰りたくても帰れなかったの?
A.戦前の在日人口200万人のうち140万人が終戦直後に帰国しました。つまり帰れました。

Q.どうして60万人は日本に残ったの?
A.朝鮮で白丁(ペクチョン)と呼ばれた奴隷階層が多く、帰ると差別されるからです。
また戦後のドサクサで得た財産を放棄するのが惜しかったからです。

Q.えっ?じゃあどうして在日が被害者ヅラしているの?
A.日本人に罪悪感を抱かせるしか自身の存在を正当化できないからです。
  

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