以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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私は結婚6年目、義実家とは近距離別居、娘が一人います。
良ウトメで、コトメ(夫妹・既婚・近距離別居)もいい人なんだけど、
娘に卵アレルギーが発覚してからトメがおかしくなった。
とにかく食べれば治ると言って、娘に卵を使ったお菓子を食べさせようとする。
みんなでトメに言い聞かせるけどまったく聞いてくれず「食べれば治っちゃうのよ」
「お菓子が食べられないなんて可哀想」と言い、涼しい顔して「おやつよ~」と市販のプリンを出して来たり。
それを除けばいいお婆ちゃんだし、娘もお婆ちゃん大好きだけど、会わせないことになった。
娘が「ばあばのお家に行きたい」と泣くのが辛かったし、
トメも「孫ちゃんに会いたい」と言っていたようだけど、
アレルギーに関しては聞く耳を持たないままだったので、ウトがガードしてくれていた。
娘はウトも大好きなので、ウトにはこっそりうちに来てもらったりしていた。
トメも何とかしてうちに来ようとしていたみたいだけど、
コトメも目を光らせてくれていて、家凸されることもなかった。
娘が幼稚園に上がったある日、保育士さんから私に電話がかかって来た。
嫁子に急用ができたと言って、トメが娘を迎えに来ていると。
トメのことは保育士さんにも話してあったので連絡をくれたんだけど、
私が急いで駆けつけたときには娘もトメもいなかった。
保育士さんが私に電話をしている間、
トメは娘をガードしてくれてた他の保育士さんを突き飛ばし、娘を連れ去ったとの事。
すぐに夫とウト、コトメに連絡し、保育士さんたちと探し回ったけど見つからず。
警察にと話している最中に、かかりつけの病院から連絡がきた。
孫がプリンを食べてしまったと言って、トメが娘を連れて行ったらしい。
看護師さんたちが気付いた時にはトメがいなくなっていたので、私に連絡したと。
病院へ行くと、真っ赤な目の娘がニコッと笑って「ママ」と言ってくれたけど、
びっくりするほど声がかれていて、唇やまぶたが腫れていた。
食べてしまったんじゃない、トメが自分で食べさせたくせに、と思うと悔しくて、怒りで全身が震えた。
娘の前では何とか我慢したけど、先生に事情を話している間に耐えきれなくなり、泣いてしまった。
看護師さんや先生に慰められ「しっかりしなきゃ」と思った。
すぐにコトメが来てくれて、泣きながら謝ってくれた。
ウトも仕事を切り上げて来てくれたし、園長さんも駆けつけて、保育士さんとともに謝罪。
私の周りはこんなにいい人ばかりなのに、なぜ娘がこんな目に合うんだろうと、やり切れない気持ちになった。
肝心のトメは連絡が取れないままで、どこにいるのかも分からなかった。
娘は念のため入院することになり、私は着替えなどを用意するために一度帰宅。
ウトも、もしかしたらトメが義実家に戻っているかもと帰宅した。
私が戻るまではコトメが娘についていてくれた。
家で準備をしていると、ウトから「トメが帰宅した」と電話。
私は我を忘れて義実家に乗り込んだ。ウトメが喧嘩をしている声が外へ丸聞こえだったけど、構わず突入。
ぎょっとしているトメに往復ビンタし
「あんたは孫を殺す気か!あんたにとっては孫の命より、
孫がプリンを食べることの方が大事なのか!」というようなことを叫んだ気がするけど、よく覚えていない。
大声で叫んだから、ご近所にも筒抜けだったと思う。
トメは大泣きし、何だかんだと言っていたけどすべてさえぎって、
孫殺しだの人でなしだの物騒なことをずっと繰り返した。
いつの間にか来ていた夫が私を止めるまで、ずっと叫んでいたと思う。
その後、私も娘もトメには会っていない。
しばらくはそこに住んでいたけど、あまりにも近距離で不安なので、夫が転勤願いを出してくれた。
行先はトメには教えず、年賀状などのやり取りもしていないし、たまにウトに娘の写真を
送ったりする程度になった。
少し前にコトメにも子供が生まれて、一度遊びに来てくれたけど、
トメはすっかり意気消沈して、あまり外に出なくなったらしい。
たぶん近所にひそひそされているんだと思うし、それ自体は気の毒に思わなくもないけど、やっぱり許せない。
トメは手先が器用で、娘の服や可愛い小物もたくさん作ってくれたし、私にも優しかった。
私は親が毒なので、トメを本当のお母さんのように思っていたから、すごくショックで今ももやもやしている。
人に手を上げてしまったのも初めてで、思い出すと胸がちくちくして苦しい。
娘の元気な顔を見ると、少しほっとする。
いつか娘が大きくなったら、またみんなで仲良くできればいいのにと、ぼんやり思っている。
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私は引き取り同居した姑から、実家から引き継いだお宝を捨てられた。
ゴミの日にむき出しでゴミ収集場所に放り出してあったのに、本当に偶然気がついて回収できた。
が、トメは姥捨て山の評判が高い老人精神病院に捨てられた。
お宝って言っても、実家の祖父母が戦後の筍生活で売り食いした残りの品なんで、
大して換金性のない物がほとんど。でも、私にとっては続いてきた血族の証みたいな思い入れのある品物だった。
自宅を建てる時に事情を知ってる夫が、
小屋裏を空調入れたミニギャラリーぽく設えてくれて、
季節ごとに飾り付けて楽しんでたのが気に食わなかったと言われた。
「たかが古道具をこれ見よがしにいじくって、こんな物があるからいつまでもウチの嫁だと自覚できない」
「こきたないゴミばっかりで不潔」って良いことした自分エライみたいにさ。
謝るどころかドヤ顔した奴を絶対に許せないし、姑をかばうなら夫ごと何もかも捨てる気だったけど、
先に夫が「わざわざ梯子段を這い登って他人の荷物荒らしするか?ババア気が狂った」
って病院に押しこんでくれた。