「文殊師利普超三昧経」の経文を 一部でも
読経したり 聞いたりする事で
戒律を守ったり 忍辱などの多くの精進を行うよりも
更に大いなる功徳や福徳が得られるとされます。
以下 「文殊師利普超三昧経」の一部です。
+++++++++++++
「於是弁積菩薩(おぜべんじゃくぼさつ)
白軟首曰(びゃくたんしゅわつ)
且当倶往覲于如来(しゃとうぐおうごんうにょらい)
面問大聖(めんもんたいせい)
菩薩大士当興何行(ぼさつだいしとうきょうかぎょう)
軟首尋於其処化作如来(なんしゅじんおきしょかさくにょらい)
其体形像如能仁仏(きたいぎょうぞうにょのうじんぶつ)
軟首童眞謂弁積曰(なんしゅどうしんいべんじゃくわつ)
族姓子(ぞくせいし)
如来在斯(にょらいざいし)
何不啓問菩薩大士(かふけいもんぼさつだいし)
所設之行(しょせつしぎょう)
於是弁積問化如来(おぜべんじゃくもんかにょらい)
唯然世尊(ゆいぜんせそん)
菩薩大士当設何行(ぼさつだいしとうせつかぎょう)
時仏告曰(じぶつこくわつ)
如我所設菩薩(にょがしょせつぼさつ)
亦当修如是行(えきとうしゅうにょぜぎょう)
又問(ゆうもん)
云何世尊所造立行(うんかせそんしょぞうりつぎょう)
其仏答曰(きぶつとうわつ)
亦不行施(えきふぎょうせ)
不行禁戒(ふぎょうきんかい)
不行忍辱(ふぎょうにんにく)
不行精進(ふぎょうしょうじん)
不行一心(ふぎょういっしん)
不行智慧(ふぎょうちえ)
不行欲界(ふぎょうよくかい)
不行色界(ふぎょうしきかい)
不行無色界(ふぎょうむしきかい)
不造身行(ふぞうしんぎょう)
不造言行(ふぞうごんぎょう)
心無念行(しんむねんぎょう)
一切無行亦無因縁(いっさいむぎょうえきむいんねん)
是菩薩行(ぜぼさつぎょう)
於族姓子心趣云何(おぞくせいししんしゅうんか)
其化現者豈有行乎(きかげんじゃかいうぎょうこ)
答曰(とうわつ)
天中天(てんちゅうてん)
化者無行(かじゃむぎょう)
報曰(ほうわつ)
如是(にょぜ)
族姓子(ぞくせいし)
菩薩大士当造斯行(ぼさつだいしとうぞうしぎょう)
弁積菩薩白軟首曰(べんじゃくぼさつびゃくなんしゅわつ)
豈所見仏将無化乎(かいしょけんぶつしょうむかこ)
軟首答曰(なんしゅとうわつ)
仁者(じんじゃ)
不聞一切諸法化自然乎(ふもんいっさいしょほうかしぜんこ)
幻変之相而不退転(げんぺんしそうじふたいてん)
報曰(ほうわつ)
如是(にょぜ)
諸法実化自然幻変而不退転(しょほうじつかしぜんげんぺんじふたいてん)
答曰(とうわつ)
今族姓子(こんぞくせいし)
何故発現今現如来将無化乎(かこほつげんこんげんにょらいしょうむかこ)
一切諸仏(いっさいしょぶつ)
及一切法豈不化耶(きゅういっさいほうかいふかや)
又問(ゆうもん)
誰為化者(すいいかじゃ)
答曰(とうわつ)
自然業浄而化之耳(しぜんごうじょうじかしに)
又族姓子(ゆうぞくせいし)
菩薩不当住於我人寿命(ぼさつふとうじゅうおがにんじゅみょう)
仏之聖道及凡夫者而計有住(ぶっしせいどうきゅうぼんぷじゃじけいうじゅう)。」