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「維摩詰所説経」の経文の わずか16文字でも
読経したり 写経したり
聴いたり 他者に教える事で
善利と 無量の功徳と
阿耨多羅三藐三菩提が得られるとされます。
以下 「維摩詰所説経」の一部です。
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「爾時(じじ)
長者維摩詰自念(ちょうじゃゆいまきつじねん)
寝疾于床(しんしつうしょう)
世尊大慈寧不垂愍(せそんだいじねいふすいみん)
仏知其意(ぶっちきい)
即告舎利弗(そっこくしゃりほつ)
汝行詣維摩詰問疾(じょぎょうけいゆいまきつもんしつ)
舎利弗白仏言(しゃりほつびゃくぶつごん)
世尊(せそん)
我不堪任詣彼問疾(がふたんにんけいひもんしつ)
所以者何(しょにしゃが)
億念我昔曾于林中宴坐樹下(おくねんがしゃくそううりんちゅうえんざじゅか)
時維摩詰来謂我言(じゆいまきつらいいがごん)
唯舎利弗(ゆいしゃりほつ)
不必是坐為宴坐也(ふひつぜざいえんざや)
夫宴坐者(ふえんざじゃ)
不于三界現身意(ふうさんがいげんしんい)
是為宴坐(ぜいえんざ)
不起滅定而現諸威儀(ふきめつじょうじげんしょいぎ)
是為宴坐(ぜいえんざ)
不舎道法而現凡夫事(ふしゃどうほうじげんぼんぷじ)
是為宴坐(ぜいえんざ)
心不住内亦不在外(しんふじゅうないえきふざいがい)
是為宴坐(ぜいえんざ)
于諸見不動而修行三十七品(うしょけんふどうじしゅぎょうさんじゅうしちぼん)
是為宴坐(ぜいえんざ)
不断煩悩而入涅槃(ふだんぼんのうじじゅうねはん)
是為宴坐(ぜいえんざ)
若能如是坐者(じゃくのうにょぜざじゃ)
仏所印可(ぶっしょいんか)
時我世尊(じがせそん)
聞説是語黙然(もんせつぜごもくねん)
而止不能加報(じしふのうかほう)
故我不任詣彼問疾(こがふにんけいひもんしつ)
仏告(ぶっこく)
大目けん連(だいもくけんれん)
汝行詣維摩詰問疾(じょぎょうけいいまきつもんしつ)
目連白仏言(もくれんびゃくぶつごん)
世尊(せそん)
我不堪任詣彼問疾(がふたんにんけいひもんしつ)
所以者何(しょにしゃか)
憶念我昔入毘耶離大城(おくねんがしゃくにゅうびやりだいじょう)
于里巷中為諸居士説法(うりこうちゅういしょこいせっぽう)
時維摩詰来謂我言説(じゆいまきつらいいがごんせつ)
唯大目連(ゆいだいもくれん)
為白衣居士説法(いびゃくえこじせっぽう)
不当如仁者所説(ふとうにょじんじゃしょせつ)
夫説法者当如法説(ふせつほうじゃとうにょほうせつ)
法無衆生離衆垢故(ほうむしゅじょうりしゅうくこ)
法無有我離我垢故(ほうむうがりがくこ)
法無寿命離生死故(ほうむじゅみょうりしょうしこ)
法無有人前后際断故(ほうむうじんぜんこうさいだんこ)
法常寂然滅諸相故(ほうじょうじゃくねんめつしょそうこ)
法離于相無所縁故(ほううそうむしょえんこ)
法無名字言語断故(ほうみょうじごんごだんこ)
法無有説離覚観故(ほうむうせつりがくかんこ)
法無形相如虚空故(ほうむぎょうそうにょこくうこ)
法無戯論畢竟空故(ほうむぎろんひっきょうくうこ)
法無我所離我所故(ほうがしょりがしょこ)
法無分別離諸識故(ほうむふんべつりしょしきこ)
法無有比無相待故(ほうむうひむそうじこ)
法不属因不在縁故(ほうふぞくいんふざいえんこ)
法同法性入諸法故(ほうどうほうしょうにゅうしょほうこ)
法随于如無所随故(ほう(ほうずいうにょむしょずいこ)
法住実際諸返不動故(ほうじゅうじっさいしょへんふどうこ)
法無動揺不依六塵故(ほうむどうようふえろくじんこ)
法無去来常不住故(ほうむきょらいじょうふじゅうこ)
法順空随無相応無作(ほうじゅんくうずいむそうおうむさく)
法離好丑(ほうりこうちゅう)
法無増損(ほうむぞうそん)
法無生滅(ほうむしょうめつ)
法無所帰(ほうむしょき)
法過眼耳鼻舌身心(ほうかげんにびぜつしんしん)
法無高下(ほうむこうげ)
法常住不動(ほうじょうじゅうふどう)
法離一切観行(ほうりいっさいかんぎょう)。」