宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「諸々の罪業が除かれる」

2018年07月18日 | Weblog




両手を内縛し 左右の中指を真っ直ぐに立てて
中指同士の先を1回叩いて 眞言を1遍誦す。

「オン・バジュラ・パニ・ビサツフタヤ
サルヴァ・パラ・マンダネイ・ハンロモ・フリーシャヤ
サルヴァ・パヤ・ギャテイ・ビヤク
サルヴァ・サッタシャク
サルヴァ・タタギャタ・バジュラ・サンマヤ・ウン・タラタ。」


そのようにして 諸々の罪業が除かれる。

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魂をコンドルにのせて

2018年07月18日 | Weblog






♪魂をコンドルにのせて
https://www.youtube.com/watch?v=jJ3u_X_74dI

♪魂を抱いてくれ
https://www.youtube.com/watch?v=_g3nez7oQuA

♪サンダーストーム
https://www.youtube.com/watch?v=eRbqNlDJOJg

♪魂の願い
https://www.youtube.com/watch?v=u84ejqb1PpY

♪爆勝宣言
https://www.youtube.com/watch?v=PaQx2R9fqVc

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「不思議な体験」

2018年07月18日 | Weblog



こちらは 運勢を好転せしめる呪です。

「日日夜夜(にちにちやや)
念念行善(ねんねんぎょうぜん)
身口意心(しんくいしん)
尽皆好転(じんかいこうてん)
如此運気(にょしうんき)
定然好転(じょうねんこうてん)。」



以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。

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母の母(祖母)が大事にしていた桂の大木が庭にあったのですが、
増築する為にその木を切る事になってしまいました。
最後まで祖母は桂の木を切る事に反対していました。
あの木は家の守り神だから切ってはいけないと。
しかし明治男の祖父の独断により、根元から切り倒されてしまったそうです。

それから一ヶ月も経たない間に突然、祖母が狭心症の発作で病院に運ぶ暇なく死亡。
その葬式の夜、母が周り廊下の桂の木あった場所が見える所に、
死んだはずの祖母が佇んでいるのを目撃。

祖母は切られた桂の木があった場所をずっと指差し、
「桂・・・植えろ」と、母が肯くまで繰り返し呟いていたとか。
さっそく祖母の制止を押し切り、母が桂の苗木を植えました。

それから数年後、第二次大戦の本土攻撃により、
軍需工場近くだったせいか、数多くの焼夷弾が落とされ焼け野原となってしまったのですが、
非常食料だと桂の木の根元や他の場所に埋めておいた生米は、
何故か桂の木の下にあるものだけは何故か炭にもならず残っていたとか。
そのお陰で終戦前後、家族が食いつなぐことができたのだと聞かされました。

桂の大木を切った事が祖母の急死を招いたのか。桂の大木に精霊(家の守り神)が宿っていたのか。
誰にもわかりませんが、まだ生存している叔父などは、
今は大きく成長した桂の木に畏敬の念をもって大切にしているようです。

不思議なのわかりませんが、最初に切られた桂の切り株と後から植えた桂の木は今、
根元でひとつに溶け合って成長を続けているようです。
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「八識と阿摩羅識の浄化を得る」

2018年07月18日 | Weblog




密教の一部では
阿頼耶識までの八識に 
阿摩羅識 (自己の仏性:一霊)を加えて九識とする概念があり

不動明王の加持を受けて 祈願する事で
自己の九識の浄化が得られるとされます。



「南無(なむ)
常住金剛(じょうじゅうこんごう)。」



(手印)

両手を内縛し
左右の人差し指を立てて 指先同士をつけ
左右の親指は 右を上にして交差させて誦す。


「ナマー・サマンタ・ヴァジュラナン・ハン。」




「黄財神の加持を受ける」


(黄財神)


北に向かって座し
自己の脾臓と胃から金光が発出して全身を満たしてゆき、
やがて金光が 耳や鼻から散出して宇宙を満たして
巨大な金雲を結成すると観じる。

金雲は 黄色の仏身の黄財神となり
左手に瑠璃色の杯を持っており、
杯の中には無尽の甘露があり

黄財神の全身より 金光が放たれており、
この時 甘露と慧光を授けて下さるように念ずる。

杯より甘露が自己に降り注がれ、
更に自己が 黄財神の金光に照らされて
五臓が燃えるように熱し
自己が金色の光に包まれるように観じてから
9回津液を飲み込み 9回拝して終える。




「金剛手菩薩の加持により 福寿や滅罪などを得る」



誦す事で 福寿や滅罪 神通や悉地などが得られるとされる。

「南無(なむ)
金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)。」(何遍も誦す)

「ナモ・ラトナ・トラヤーヤ
ナマス・チャンダ・ヴァジュラ・パーナエ・マハー・ヤクサ
セナーパタエ・タドヤター・ムニ・ムニ・ムニレ・マティ・マティ
スマティ・マハー・マティ・ハハハ・マバイ
ナースティテ・パーパ・ヴァジュラパーニ・アハム・ドルダ・スヴァーハー。」

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