乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

屋台で広東煮 (中国 賀州にて)

2007-01-31 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 (写真は道路や畑の整備。賀州はこういった工事中の道も多い)

 

 

     屋台で広東煮 (中国 賀州にて)

     

 

 賀州の食堂風レストランで食事を終えた後、町をぶらぶらと散策。

 今晩でこの土地ともお別れかと思うと、なんだか寂しく感じた。

 

 賀州の料理は今にして考えればすこぶる美味かった。

『食は広東にあり』の言葉で期待していた観光客用のレストランは観光客用の味付け・・・

 賀州の場合はいきも帰りも、途中で立ち寄ったレストランも、夜にさまよったレストランや屋台もはずれが無かった。

 そういうとたまたま賀州の場合、基本中国人相手の食堂が多かった。

 そのため日本人には知らされないような食材が使用されていることも しばしばあった・・・・・・

 

 

 さて賀州の夜の街にも屋台は多い。

 路上に小さな移動食堂。

 明るい道には露天果物屋や露天おでん屋。

 

 コップに入れて飲ませてくれる、健康にあわせたお茶の店もあった。

 このお茶の店は、日本の駅やデパートなどで飲めるフルーツや野菜ジュース店のように、容器にまとめて入れてある。

 茶の容器が冷やされていたかまではわからなかった。

 

 自転車の腐り豆腐屋のお兄さんは腐り豆腐といっしょに、フルーツチョコを売っていた。

 バナナチョコは人気らしく、若い人々が6人ほど並んで、買っていた。

 

 色々な屋台が並んでいるのに、朝のように飲茶や饅頭、あげパンなどは見かけなかった。

 夜の町では、とうもろこしをほおばって歩く人も見かけない。

 

 

 屋台は薄暗い路上でも開かれていた。

 おでん屋さんのようだ。

 細い道路とメイン道路の過度にそって、店は開かれていた。

 電信柱の裸電球の明かりが、おでん屋のおじさんとおばさんの人柄の良さを浮かび上がらせている。

 リヤカーに積まれたおでん店の一式。

 大きなアルミにのような箱二つから、湯気が立っている。

 優しい香りがあたりをあたたかくしているようだ・・・

 

 アルミにのような箱の右には、細長い二、三人がけのテーブルと小さな椅子。

 テーブルの奥行きは短い。

 

 店には二人の客。美味そうにおでんとラーメン?を食べていた。

 私たちはにこにこ笑った夫婦と客に席をすすめられる。

 みんなの好意に甘えて、椅子に座る。

「ドゥォ シャォ チェェン?(いくらですか)」

 あやふやな発音で、一応値段を確かめてから、おでんを頼むことにした。

 

 

 座ったしりから立ち上がってアルミの中を覗き込む。

 箱の中は大根、たまご、昆布、厚揚げなどのなじみのの材料の他に、なんだかわからないものがいっぱい入っていた。

 肉のなんだかわからない部位の串刺しはが複数。

 見たこともないような練り製品、なんだかわからない海へびのような長いものも入っている。

 

 残念なことに、酒は無かった。

 

 適当に2串づつ頼む。

 すると大根は大根、肉は肉といった風に三つの皿(昔の小学校給食、スープ用のアルミ皿)に同じ種類のおでんばかりを入れる。

 おでんをよそったしりから二種類のたれをかける。

 多分ラー油のような感じのものと辛いたれ。

 辛いたれを店主は『もとかけようよ!』とゼスチャーで示す。

 私たちは『ほどほどでよいんだ。』と仕草で示す。

 私たちは種類の方なった各自の皿から、少しづつ分け合って食べた。

 

 美味い!

 

 ここのおでんは、日本の海の家のおでんのように醤油からくはない。

 おでんは昆布味中心、中華味ベースで、とても美味しい。

 ダシ味が深くて、濃厚。

 塩や醤油は気にならないほど、出しのうま味が口いっぱいに広がる。

 かけてくてた二種類の気の利いたたれが、きりりと味を引き締めている。

 からしもいいが、このピリ辛も癖になる。

 

 大根は柔らかく、甘い。

 皮は厚く剥かれている。 

 二、三センチの熱さの大根は面取りはされていない。

 味は素材が生かされた感じがする。

 

 厚揚げは驚いた。

 外は香ばしいが、中は日本の絹ごしよりもやわらかい。

 煮込んであるのに、中はやわらかく、絶品。

 私は京都の豆腐点でも、こんなにも外が香ばしく、こんなにも中がやわらかい厚揚げには、お目にかかったことが無い。

 

 肉は美味いものもあれば、匂いの苦手なものもあった。

 かなり強烈な肉の内臓部分だったが、あとの二人はおいしかったという。

 

 私はこの店で、決して忘れることのできない食べ物に出会った。

 こわごわ頼んだ、なんだかわからない海へびのような長い食べ物。

 よりにもよって、私の皿に入れてくてた。

 

 なんだかわからない海へびのような長い食べ物は二十五センチくらい。

 笑い顔の店主の箸でつままれて、はさみでチョキンチョキンとリズミカルに四センチ位に切られる。

 なんだか不安になる私・・・

 

 四センチの食べ物は大根の上に、皿いっぱいに盛り上がっている。

 四センチを一つつまんでみる。 

 ホニョッとした食感。

 スポンジを箸でつまんだ感覚・・・

 

 一口食べてみる。

 美味、絶品・・・

 四センチは湯葉だった。

 表面は硬いが、中は柔らか。

 かすかすした歯ざわりの悪い湯葉だが、美味い。

 その歯ざわりの悪さが、ダシと絡み合って、肉のようにも感じる。

『大豆は畑の肉』といった表現はこのときばかりは栄養面だけではなく、食感にも当てはまるということを実感した。

 この湯葉を食べた時、私は中国人は天才だと改めて感じた。

 

 翌日、ガイド嬢に おでんの中に入っている湯葉のような長い食べ物はなんというのかと効いてみると『腐竹』だと教えてくれた。

 おでんは日本では広東煮ともいうが、中国から伝わった味が日本風にアレンジされたのだと改めて感じた。

 

 私は中国のおでんの味も忘れられずに、日本に帰ってから再現してみた。

 結構似たような味のものはできたが、肉などは入れてないので、何となく味が違う。

 腐竹が無いので、どうもしっくりこない。

 通販で購入することも可能のようだが、次回中国の旅まで楽しみにとっておくことにした。

 

 

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食堂風レストランで停電二回(賀州)

2007-01-30 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

(写真は朝野菜を売る女性。

 中国では自転車やリヤカーで新鮮な野菜を売って 生計を立てている方も多い)

 

 

     賀州の食堂風レストラン 

 

 五日目の夜は賀州のホテル。

 このホテルの食事は本当に美味い。

 ただ、このホテルの周辺には、中国人向けの美味そうなレストランや食堂、屋台も多い。

 店の前のガラスケースの生の羊や豚、ローストされた各種の鳥や狗や小動物・・・・・・

 『火鍋料理』といった文字も目に付く。

 どの店も呼び込みが激しく、活気がある。

 中国人の客は大声で笑い話している。

 ヨーロッパのイタリアやスペインのように、直立不動でオペラのように歌う男性は見かけない。

 その日のホテルは『客家料理』だったが、私たちは中国人の仲間入りしたくなった。

 

 

 一旦ホテルに戻り、ガイド嬢にその旨伝える。

 ガイド嬢は快く引き受けてくれた。

 

 

 私たちは急いで町に戻る。

 まずは雑貨屋へ・・・・・・

 雑貨屋に行くと、店の女性はそっぽを向いた。

 あわてて隣の店の御主人が入ってきて応対してくれる。

 

 私は絵と数字で中国の電卓を購入。

 私の落書きもたいしたものだ・・・と内心悦に浸る。

 

 この電卓は 『1』を押すと『イー』、『8』を押すと『パッ』、『AC』を押すと『ゥイリン』、『風鈴』を押すと『コケコッコー』といった音がなる。

 桂林の夜に夜食を食べた串焼き屋さんのレジで使われていた電卓で、どうしてもほしくなった代物。とにかく音がかわいい・・・・・・

 

 

 電卓を買った後、CD店へ・・・

 私は張国栄(レスリー・チャン)のCDと小学生用の『古詩詞』のDVDを購入。

 『古詩詞』の方は二枚組みで、詩にあわせて、可愛らしい絵(アニメ風)が流れる。

 家族もなにがしら自分のほしいものを選んで、買っていたようだ。

 

 

 さてさて食事。店選びの段なり、家族と意見が分かれる。

 ひとりは羊の火鍋料理店にしたいと言うが、この店は客が少ない。

 左隣の店はガラスケースに各種の鳥が吊り下げられている店で、広い店内は客でごった返している。

 私たちは 2対1 で客の多い店を選ぶことにした。

 

 

 この店はテーブルが30~40はあったと思う。

 特別室は設けていない庶民派の大型食堂といった趣が感じられる。

 間口も奥行きも広い。

 店の中は少しくらいが、客の声がとても明るい。

 私たちは中国人の席の間を抜けて、席に案内される。

 周りの中国人たちは私たちを見て、にこにこと笑う。

 

 

 特別に店主が出てきて、優しく対応してくれた。

 とりあえず一般的な頼み方を聞き、頼んでみる。

 肉、鳥、魚、野菜、スープなどの菜(ツァイ)を頼む。

 全てが1単位、魚だけは1匹文だと1.5単位になるから、そうしなさいと絵で説明してくれる。

 私たちは店主の人柄を信じて、適当に頼んだ。

 店主は飯(ファン?)は進めなかった。

 飲み物は紹興酒2種類とビール2本。

 

 知らない女性が店内でスリッパをすすめてくれたが、売り物なのか借り物なのかわからず、断る。

 気になって、周りを見渡すと、周りの客は靴のままだった。

 次に違う女性が小鉢をすすめに来た。

 どういうシステムなのかわからず、またもや断る・・・

 この小鉢をすすめてくれた女性は、気が付けばレストランの従業員だった。

 後で知ったのだが、中国の食堂のような庶民的レストランでは、こういった小鉢や飲茶をすすめに来ることも多いらしい。

 

 従業員の美しい女性はビールのせんを抜き、コップが空になるとその都度ビールをついでくれる。

 

 鳥が出てきた。

 鴨だ。

 ペキンダッグでもないのに、皮はパリパリ。

 みの部分はジューシーで、美味しくいただける。

 そのままでも美味しいし、辛くてすっぱいたれにつけても食べられる。

 何かにはさんで食べるのではなく、そのままいただくのが美味しい。

 この味も、今も心に残っておる一品カモ。

 

 魚料理は鯰(なまず)。

 油で揚げたものではなく、そのまま出し味で煮込んだものだ。

 けっこ大きく、鯰臭い。

 上にはパクツァイが載せてあって、この匂いはあたりに広がる。

 鯰とパクツァイの匂いが交じり合って、なんともいえない大陸の料理といった感じがする。

 

 ダシは薄味、ダシが効いている。

 いりも美しい透明の黄土色。玉葱の皮で染色したような色合いだった。

 

 一口食べてみる。

 美味しい。

 鯰はとても油がのっている。

 鯰の油と生臭さとは口いっぱいに広がるが、嫌な味ではなかった。

 鯰のニュルっといった食感は、今も食感として残っている。

 

 肉は小鍋に入っている。

 野菜といっしょに煮込んであり、ピリ辛で美味い。

 

 野菜はアブラナ科の日本では売られていないもの。

 20センチくらいの長さのまま、さっといためてあった。

 味はこの店も中華味で、だしが効いていてこくがある。

 茎は美味く茹で上がったスパゲティのよう・・・しっかりと火は通っているが、しゃきしゃき感が残っている。

 茎の味はブロッコリーの茎を歯ごたえよくした感じ。

 野菜自体にに渋みは無く、味は濃い。

 この名もわからぬ野菜は、私はかなり好きかも知れない。しかし日本では食べられないのかもしれないと思うと、なんだか寂しい・・・

 

 ここのスープは豆が複数類使ってあった。

 隠し味と香りも心地がよい。

 豆の甘さで、口の中が幸せになる感じがする。

 

 

 小皿が無いので、大変食べづらい。

 周りのテーブルを見ても、とり皿はこの店には置かれていなかった。

 ビールをついでくれている女性に、笑顔とジェスチャーでとり皿を頼む。

 店員はにこやかにうなずき、厨房に戻る。

 盛ってきたものは三つのご飯だった。

 

 ご飯は日本のご飯茶碗より少し大きめのものに、程よく盛られていた。

 白いご飯は日本よりは少し硬めに炊かれていたが、ホテルなどででてきたようなピラフ向きの長い形の米ではなく、日本の米の形にいかかった。

 味も普通のご飯。

 私たちはこの店の次は屋台でおでん!!と、決めていたので、ご飯は少ししか食べず、ご飯茶碗をとり皿がわりに使って 食事をいただいた。

 塩梅はすこぶるよかったが、中国の農家の方が作られたお米だと考えると、申し訳なさもひとしお・・・

 すまないことをしたと思う。

 

 

 この店の食事も、とても美味しかった。

 周りの客はあちらこちらで じゃんけんやゲームを立ち上がってまでしている。

 多分、勘定のための賭け事をしているのかもしれない・・・

 乾杯を何度も何度もしているテーブル・・・

 真隣のテーブルの女性たちはここの店でも、私たちが頼んだメニュー内容を見て、にこやかに笑っている。

 私たちも笑い、互いに乾杯の儀式を交し合う。

 

 

 食べている途中、停電。

 客たちは口々に

「ワオォオ~」

とつぶやきあうが、動じた様子は無い。

 道の外を見ると、他の店は灯りがついている。

 多分この店がオーバーヒートしただけなのだろう・・・

 停電はこの店を入ってから出るまでに、合計2回。

 楽しい経験をした。

 

 

 食事を長く楽しみすぎた成果、見渡すと客はずいぶん減っていた。

 私たちは勘定を済まし、店を出た。

 10人近くの店員たちはにこやかに、店を送り出してくれた。

 中国語だけではなく、英語で何度も、何人もの中国人店員に別れを惜しまれた。

 料理も美味かったが、店員の人情が妙にありがたかった。

 

 

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お茶専門店 (桂林と賀州)

2007-01-30 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 

 桂林は外国人旅行客用、賀州は中国人用のお茶専門店です。

 

 

      お茶専門店 (桂林と賀州)

 

 五日目、桂林の芦笛岩や象鼻山、七星公園を回った後、お茶専門店へ行く。

 お茶専門店では十人がけのテーブルがあり、色々なカウンターの中ではお茶を入れてくれる。

 店員は流暢は日本語。

 但し茶の入れ方は、早すぎてまずい、或いは長すぎて渋が出ていた。

 

 

 店員はジャスミン茶やプーアール茶、鉄観音茶の他、羅漢糖茶や人参茶を入れてくれた。

 鉄観音茶は美味しかったが、ジャスミン茶はあまり味と匂いがぱっとしない。

 値段を聞いてみると、子どもが買ってきたものの半値の代物。

 質問すると、上役の店員がやってきた。

 

 

「香りがきついのは匂いをつけている。」

とか、

「この茶は最高級の品だ。」

と言い張るが、葉の巻き具合は見栄えがしない。

 

 

 羅漢糖茶にいたっては、甘ったるく、香りもよくない。

『羅漢糖』って『ラカント』として、日本ではダイエット用の甘味料として売られている。

 店員は、

「ダイエットにもよい。」

と言うが、いくらなんでも甘味料を余分に取ることはないだろう・・・と内心反論する。

 

 

 最後に入れてくれた人参茶。これは論外。

 実は高麗人参茶と印字されているが、店員は

「体によい。健康茶だ。」

とだけ告げる。

 

 

 一口飲んでみる・・・

「臭い!まずい!」

 今まで飲ませてもらったジャスミン茶やプーアール茶、鉄観音茶の味が、羅漢糖茶や人参茶の香りのまずさで台無しになる。

 

 

 日本人は高麗人参茶と言うだけで、高級だと感心してはいるが、私は、

『何で中国で・・・』

と言った思いが頭をよぎり、店員に対しての不信が深まる一方。

 第一健康によいといっても、高麗人参茶は高血圧の人間には返って逆効果・・・

 多分ご年配の方々の中には、そういった症状の方もいらっしゃるのではないだろうか・・・

 無責任な商法には少しあきれてしまう。

 

 

 一通りの茶の説明の後は茶菓子のセールストーク。

 芋の粉や緑豆の粉を固めたような菓子はイ○ンのひよこまめのクッキーに似た味で美味しい。

 他にもドライフルーツや、ナッツ類を飴状に練りこんだ菓子はやはりイ○ンの菓子とよく似ている。

 ギャズのようなものは中国では見かけなかったが、よく似た菓子があるものだと感心する。

 

 

 これらの菓子はきっちりときれいに包装され、きれいな飾り箱につめられて、一箱八百円くらいだと言う。

「五個買えば一個おまけします。」

のことばも空しく、店員の熱意にほだされて、ほとんどの方が菓子だけ一箱購入。

 但しお茶は買わない方が多かったようだ。

 

 

 私はこの店では茶を買わずに、この後向かう賀州の町で買うんだ!とかたく決心した。

 

 

 桂林から賀州に行く途中、写真のような看板を見た。

『呴(座?)祖国号召 投身国防事(並?)』と書かれていた。

 

 

 賀州のホテルには早くつく。

 このホテルは二日目にも泊まったが、食事はいたって美味い。

 時間が早いので、私たちは山に向かって歩き始めた。

 交差点は大きく、車やバイクが猛スピードで走っている。

 私たちは中国人の道路横断に合わせて、いっしょに渡った。

 

 

 ホテル付近は色々な店がある。

 お茶専門店を初め、CD店、レストラン、食堂、屋台、露天の果物屋・・・・・・

 ケーキ屋や菓子屋、酒屋、薬屋。

 大型スーパーやコンビにも多く、なんでもそろっている。

 

 

 レストラン、食堂、屋台、にいたっては美味そうな匂いがあたり一面に広がる。

 店の前には冷蔵ガラスケース?に吊り下げられた 羊や豚、鳥や狗のある店も多い。

 狗にいたっては、ミニチュア・ピンシャーを少し大きくしたような形がこんがりと焼かれ、そのまま吊るされていた。

『哀れなるワンちゃん・・・・・・』

 異文化においては食文化も違うとはいえ、形がそのまま吊るされていると、驚きを隠しえない。

 

 

 ローストされた鳥ばかりを吊るした店もある。

 色々な鳥がいっぱいで、名前は判別できない。

 この店は狗よりは安心してみていられる。

 

 

 食堂の入り口には『火鍋料理』と書かれた店も多い。

『賀州の火鍋料理とは何ぞや?』

と少々気にかかる。

 

 

 いずれにしても、多くのどの店も呼び込みが激しい。

 またどの店も中国人の客ばかりがあふれかえっていた。

 その日のホテルは『客家料理』だったが、私たちは中国人に混じって、家族だけでのんびりすることにした。

 

 

 さて、茶の話に戻るとしよう。

 私たちはお茶専門店に向かった。

 

 

 二軒近くに並んだ茶の店。

 私たちは赤ちゃんを背負ったお母さんのいる店を選んだ。

 この店ではジャスミン茶と鉄観音と白茶を選ぶ。

 鉄観音は少し高価だったが、ジャスミン茶においては子どもが買ってきたような高価な香りのよいものではなかった。

 但し昼に観光客全員で行ったお茶専門店よりはかなりいい香りがしている。

 ジャスミン茶も種類が色々で、香りも楽しい。

 

 

 店には日本茶専門店のように並べられた茶と、とっておきの茶があるらしく、鉄観音にいたってはアイスクリームを入れる冷凍庫型の冷蔵庫?から出してこられた。

 葉の巻き方は完璧で、色も美しい。

 但しこれを日本物価に変えると、百グラム三万円位の代物となるな・・・なんて考えると、私って馬鹿だなと思った。

 ふふっ・・・普段使いの玉露は、もっと!ずっと!安いわ・・・・・・

 

 

 お茶専門店の壁には丸く包まれた茶が置かれていた。

 この堂々とした直径18センチくらいの丸を見たとき、お茶専門店に入っていると言った満足感がわいてきた。

 

 

 

 と言うことで・・・・・・

 昼のお茶専門店のように、壁に棚。棚にはお菓子が積まれているようでは、私にとっては調子が悪うございました・・・・・・

 

            すこーん すこーん こめだんご

 

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二朝連続米粉麺 

2007-01-29 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

(写真は二日目の米粉麺です)

 

           米粉麺 

 

 

 ホテルの近くを歩くと、やたら『米粉麺』といった看板が目につくので、桂林では二朝連続 米粉麺を食べちゃいました。

 

 夜に見つけておいた私たちは、朝早めにホテルの食事を堪能した後、ホテルの周辺を散歩した。

 自転車やバイクが忙しそうに走る中、リヤカーや自転車で新鮮な野菜を売る人の姿が目に付く。

 人々は時間が早いにもかかわらず、袋にいっぱいの野菜を買っている。

 

 米粉麺と言っても、日本のビーフンとはまた違う。

 いためたものではなく、日本のうどんのような感じの食べ物で味は中国風。

 麺が小麦粉ではなく米粉の為、少し食感は違う。

 

 

 どの米粉麺店をのぞいても、数人の客が美味そうに箸を持っている。

 

 

 入り口には女性店員。

 米粉麺のメニューが7、8種類手書きで張られているが、どういったものカ想像もつかない。

 私たちが入った店は、入り口でメニューをつげ、食事が済んでから、代金を払うシステム。

 但し入り口のおでんや煮卵などを頼むときはその都度代金を払う。

 

 

 

    桂林朝の一日目

 

 まず一日目。

 メニューの内容がわからない。

 店内にも人がいたが、ちょうどワゴン車で小学生男子児童の父親が、米粉麺を買い、車に待機している子どもに持っていくところだった。

 中味は見えない。

 店内の客は皿で食べているが、子どもの容器はお持ち帰り用。

 白い蓋付きのタッパーと格闘している子どもの顔は、満足感でいっぱいだった。

 

 父親と子どもは常連らしく、店の人がなにやらにこやかに話しに行っていた。

 中国では朝食は外食が一般的だということを聞いていたが、米粉麺や屋台の点心やコンビにのとうもろこしをほおばっている人は多い。

 

 私たちは失礼ながら子どもを指差し、

「あれ、あれがほしい。」

と言うと、何とか通じたらしい。

 女性店員はにこやかに笑って対応してくれた。

 

 タッパー二入れてもらった米粉麺がきた。

 汁は少なめで濃厚。

 塩辛いのではなく、ダシが効いている。

 麺はにゅう麺とうどんの中間くらいの太さ。

 腰があって、美味い。

 味は少し濃い目で、豆板醤が効いている。

 上には色々な薬味が載せてあり、混ぜて味わうといたって美味。

 小さめのピーナッツの香ばしさがありがたい。

 

 美味かった・・・

 米粉麺はやみつきになる味だ。

 

 

 私たちは前日の朝の味が忘れられずに、翌日も朝、桂林の町をさまよった。

 もちろんこの日もホテルの朝食をしっかりとおえた後で・・・・・・

 

 

 

     桂林朝の二日目

 

 二日目は前日とは違う店にした。

 その店もはやっていた。

 中国人でいっぱいの店は、満席で場所が無い。

 親切な入り口の女性は、椅子を三つ、用意してくれた。

「シェ シェ・・・」

私のたどたどしい片言に、笑顔を返してくれる。

 

 テーブルは長く、奥行きは無い。

 安価な京都の学生食堂のように、壁に向かって面を食う。

 壁はシンプルで、日本の安食堂のように、鏡なぞは無い。

 

 

 私たちはこの日もメニューがわからずに、隣席のの客のメニューを指差す。

 店員も客も笑って対応してくれる。

 

 この日の米粉麺は汁が多かった。

 どんぶりに麺と丸いまな板の上で切ってくれた豚やピーナツなどをのせ、たれを掛けたラーメン椀を渡される。

 この麺の上に自分で香味野菜7,8種類を自分で選び、載せ、最後に湯のようなものを注ぐ。

 

 この日の麺はきしめんのような太さ。

 やはりこしがあって、美味い。

 

 パクツァイは香りが良く、この米粉麺によく合う。

 ピーナツは前日と同様、香ばしい。

『これは帰国後も使えるな・・・』

と、内心ほくそ笑む。

 

 入り口の鍋に煮たまごがあったのでとりあえず三個購入。

 これは旨い!!美味しすぎる!!

 日本のように半熟とかではなく、中まで出しの効いた醤油が染み渡る。

 この美味しさは、口では言い表せない。

 その味は 目をつぶって食べれば、珍味の域に達する。

 たまごだが、味のある老人が人生を語る・・・そんな風に、心に染み渡る味なのだ。

 この味は忘れてはならないと重い、追加で3個購入。

 追加分は持ち帰り、度の途中、バスの中でいただいた。

 この煮たまごも米粉麺と同様、桂林のお名残惜しい味の一つであった・・・

 

 

 

 

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三国志の風景(写真紀行)

2007-01-29 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は『三国志の風景(写真紀行)』P.10の小松健一氏の写真の部分です。)

 

記録だけ  2007年  ⑳

 

    カラー版  写真紀行

     『三国志の風景』

 

 著者  小松 健一(1953)

        写真家

 

 [解説]  民衆世界の三国志

    井波 律子

 

 岩波新書(新赤版)407

 1995年9月20日 題1刷発行

 222ページ 950円+税

 

 

 <1月28日日曜日2冊目>

 

 写真が多く、気楽な本で、エッセイも楽しめた。

 もてなし料理のサソリのおどり食いの話は、筆者には申し訳ないのだが、笑いが止まらない。

 から揚げならばともかく、箸で猛毒の尻部分をとってくらいでは、生きた心地がしなかっただろう。

 各国や地方の食文化は、興味深いものも多い・・・

 

 

 ちょうどテストの中間休みで家にいる子どもが、西安の写真を見て、思い出話を語ってくれる。

 一人旅で西安などを歩いてきた子どもは、鐘楼の素晴らしさや屋台の美味さを語ってくれた。

 西安も もう一度ゆっくりといきたい場所だという。

 

 西安に限らず、写真を見ていると、本当に足を運びたくなるところが多い。

 近々雲南省にはいきたいとは思っているが、見ているといきたい所だらけで目移りがする。

 

 

 河北省涿州の文革で全て灰になったという『三義廟』も気にかかる。

 廟の復興地には感心は無いが、田畑の中に転がっていた石。結構大きな廟の石に彫り付けられた文様と 文字のある一部分が無造作に転がされている写真が載せられている。今でもそのような状態が続いているのならば、行ってみたい気がする。

 文様はユーラシア大陸全般に共通するデザインが認められる。

 石の彫り物には両側に菩提樹(?)のような木。

 両側の二本の木に絡んだ蛇は天空で蛇同士が絡み合い、へ部の中心部方はイランの遺跡で見た(写真)ような種子を強調した花が垂れ下がっている。

 おそらくこの蛇は再生や長寿、輪廻を表し、種子及び花は子孫を含めた繁栄などを意味するのではないだろうか・・・

 種子及び花の下には『??』と文字が彫られている。

 

 

 

       井波律子(いなみりつこ)教授について

 

 井波律子さんの書かれた解説の『民衆世界の三国志』は大変興味深く、面白かった。

 三国志やそれに関係のある芝居の話が載せられていて、気にかかる。

 この解説にでてくる『三国志演技』(岩波新書 1994年)などはぜひとも読みたいと思った。

 それにしても何故この『三国志の風景』に井波律子さんの説明が全く無いのか不思議に思うのは、私だけでしょうか・・・

 ということで、調べてみることに・・・

 

井波律子教授のHP↓(東方学会会員)

http://www.nichibun.ac.jp/research/staff1/inami_ritsuko2.html

(私が気に入っただけで、けして宣伝ではありません。)

 

著 書
2005 ・『三国志名言集』岩波書店
・『奇人と異才の中国史』岩波書店
2004 ・『故事成句でたどる楽しい中国史』岩波書店
2002.10 ~
2003. 4
・『三国志演義』(全7巻・個人全訳) 筑摩書房(ちくま文庫)
2003 ・『酒池肉林』 講談社(学術文庫)
2002 ・『中国文学の愉しき世界』 岩波書店
2001 ・『中国の隠者』 文藝春秋(文春新書)
2000 ・『中国文章家列伝』 岩波書店(岩波新書)                
・『中国幻想ものがたり』 大修館書店
1998  ・『中国的大快楽主義』 作品社 
・『百花繚乱--女たちの中国史』 日本放送出版協会   
1997 ・『裏切り者の中国史』 講談社(選書メチエ)               
・『中国文学--読書の快楽』 角川書店   
1996 ・『三国志曼荼羅』 筑摩書房 
・『破壊の女神--中国史の女たち』 新書館
1995 ・『三国志を行く--諸葛孔明篇』 新潮社 
1994 ・『中国のアウトサイダー』 筑摩書房 
・『三国志演義』 岩波書店(岩波新書)
1992 ・『中国のグロテスク・リアリズム』 平凡社(1999 中公文庫)
1989 ・『読切り三国志』 筑摩書房(1992 ちくま文庫) 

 上記に読みたい本が何冊かあった。

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現在中国の経済

2007-01-29 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は広州。お昼に行った市場の中の八百屋。)

 

記録だけ  2007年  ⑲

 

     現在中国の経済

 

 著者  小島 麗逸(こじま れいいつ=1934)

      一橋大 経済学部卒 

        専攻 中国経済論

 

 岩波新書(新赤版)533

 1997年12月二十二日 題1刷発行

 222ページ 640円+税

 

 

 <1月28日日曜日一冊目>

 一応最後まで読みましたが、わかったのだかわからないのだか・・・

 以前は少数民族名に犭(けものへん)が付けられていたのを、1951年にようやくイ(にんべん)に変えたことや、纏足(てんそく)の女性蔑視問題について、具体的に書かれていた部分には興味を持てた。

 1997年に出版された本で、少し古いのですが、『主食飼料の1人当たり量』や『大躍進期の人口の異常現象』などの25種類の図(グラフ比較など)が面白く、長時間見飽きない。

 中国の経済が一般人にもわかりやすく紐解かれる感じがしました。

 

 ということで・・・・・・

 同日、二冊目はすぐに読める気楽な本『三国志の風景』(岩波新書)にしました。

 

 

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象鼻山公園&七星公園&道路横断事情

2007-01-28 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 

     象鼻山公園& 七星公園& 道路横断事情  

 

 

 芦笛岩で鍾乳洞をみた後、象鼻山公園に行く。

 太陽が海に輝き、美しい。

 象鼻山は逆光で身を潜め、黒衣(黒子)のようだ。

 

 見れば鵜飼の舟が二、三艘浮かんでいる。

 冬の静かな時の流れの中で、優しい光はここの全ての生活を包み、見守っているようにも感じる。

 波紋のない水面。

 私はこの日、この時の風景の時の流れの全てが好きだった。

 

 

 象鼻山公園を堪能した後、七星公園へと向かう。

 七星公園は駐車場らしき場所が無いのに、中は広かった。

 七星公園の中には桂林動物園。

 私たちは足早にこの桂林動物園だけを歩いてみて回る。

 ミスター桂林ガイドはせかせかと、

「ここがパンダで有名。写真を撮ってください。ここは孫悟空のモデル、写真を撮ってください。」と

とあわてて早歩きしていた。

 

 

 パンダはパンダ以上でもパンダ以下でもない、なじみのパンダだった。

 パンダよりも黒鳥や家鴨、鴨などのいっぱい泳いでいる池の方が楽しいんだけど・・・とか、中国でパンダはそのまんま。冗談みたいで、いいや~~なぁんて、ひとりぶつぶつといいながら、とりあえずはみんなの後について歩く。

 その他、乗ることができる駱駝や虎・・・ 

 虎に乗れるなんて、想像もできなかった。

 ミスター桂林ガイドが、

「虎に乗りたい方は、どうぞチャレンジしてくださ~~い。」

とへばりつくような表情で、笑っていた。

 驚きは大きいが、今回はパス。

 

 

 あっという間に七星公園の桂林動物園だけを見終え、私たちはバスに戻ることに・・・

 道路を渡った向こう側にバスは留まっていたが、道路は車やバイクの通行が激しい。

 ミスター桂林ガイドは、

「道にバスを待たせているので、早く乗ってください。」

とここでもせかせる。

 バイクが猛スピードで走る中、ミスター桂林ガイドの言葉を聞いたひとりの老紳士は左右を確認せずにバスに向かった。

 キィイィ~~~

 老紳士は危うくバイクと接触するところだった。

 ミスター桂林ガイドは老紳士をしかりつけた。

 

 

 バイクの多さとスピードにおいて、日本とは交通事情が違うことを考えると、老紳士が少し気の毒に感じたのは私だけだろうか・・・

 現にここ以外でも賀州でバイクとトラックが接触、広州でもバイクと車の危うさを目の当たりにした。

 幸いにもいずれも大事に至らなかったのが、救いである。

 

 

 中国では信号の横断の仕方にもコツがあるということを、初日の佛山で痛感した。

 青だからといって進んではいけない。

 バイクや車は結構なスピードで突っ込んでくる。

 場合によるが、赤でも中国人について横断するのが、一番安全策かもしれない。

 

 

 交差点ではクラクションが鳴り響き、バイクや自転車が十、二十台と信号(安全待ち)になることがしばしばある。

 各自が安全を確認して、町を歩く必要がある・・・

 

 

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中国激流 13億のゆくえ

2007-01-28 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 記録だけ  2007年  ⑱          

 

 

       中国激流 13億のゆくえ

 

 

 著者  興梠 一郎(こおろぎ いちろう=1959生)

          専攻 現代中国論 (九州大 経済学部卒)

 

 2005年7月20日  第1版発行  

 岩波新書(新赤版)959

 242ページ  780円+税  

 

 

 今日の二冊目は『中国激流 13億のゆくえ』

 失業問題やロシア化問題、銀行融資問題他、多くの部分が他の岩波新書とかぶっていたが、わかりやすく確認の意味で楽しめた。

 『官が民を食いつぶす』権力の問題や『成長のひずみ』に書かれている『日本から中国を見るときの二つのポイント』など、わかっていても活字にされるとまた面白さが増す。

 この本も、納得のいく一冊でした。

 

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シリーズ 世界の食生活①  中国 (子供用 ) 

2007-01-27 | 読書全般(古典など以外の一般書)

記録だけ  2007年  ⑰    

 

     シリーズ  

          世界の食生活①  中国

 

 

 著者  エイミー・シェイ

      スチュアート・トンプソン

 訳者  横山 美智子(1945生)   

 

 1991年4月20日 初版発行  

 1997年9月10日 第5版発行

 発行所 (株)ユー・エイド

 44ページ (24000円+税  / 全12巻セット)

 

 

 幼稚園入園前から小学校低学年真でも子どもたちまで、わかり易く作られた良書。

 写真が多く、浅く広い食生活の知識は、子どもたちも楽しめる。

 この本は子どもたちは絵本感覚で楽しめる上に、世界の習慣や食文化、果ては自分の食感までしっかりと考えられる子どもに育つのではないだろうか・・・

 

 大人にとっても思わぬ発見があり、今までの思い込みをくつがえされる一面もある。

 あっという間に読めるが、面白かった。

 

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芦笛岩 (桂林・中国五日目)

2007-01-27 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 

        芦笛岩 (ろてきがん=桂林・中国五日目)

 

 

 

 中国五日目、桂林で一番有名な鍾乳洞のみられる芦笛岩に行く。

 芦笛岩の入り口は、少し歩いた小高さだ。

 ガイド嬢がチケットを買っている間、私たちは外の景色を眺めていた。

 

 

 下を見ると野菜や荷物を運ぶリヤカー。

 おっと、牛を引いた人はここでもみる事ができた。

 こぎれいな橋がある。

 橋の上には美しい中国人。

 彼女も旅行者のようだ。

 

 

 私たちはまとまって中に入る。

 ミスター桂林ガイドが先頭。私たち観光客をはさんで、後にガイド嬢が歩く。

 

 

 入り口すぐのところで、係員はミスター桂林ガイドだけに 懐中電灯を渡す。

 どうも調子がよろしくないようだ。

 二つ目も光が弱い。

 三つ目にしてようやくまともな懐中電灯にあたったようす。

 ミスター桂林ガイドは洞窟の中に進む。

 

 

 中は思っていた以上に暖かい。

 たいへん熱くて、少し歩くと汗ばむ始末。

 結構なだらかな足元だが、とことどころ急な坂。

 足元の整備はしっかりと整えられている。

 

 

 鍾乳洞は美しい。

 秋吉台などの鍾乳洞に比べて、石灰部分に湿度が低い感じがする。

 つららのような鍾乳洞は乾燥しているものが多かった。

 ここの鍾乳洞の進度はかなり遅いのだろうな・・・といった察しがつく。

 

 

 形の面白いものに名前がついていた。これは中国も日本も同様。

 ミスター桂林ガイドが名付けを説明する度に、観光客から感嘆が漏れる。

 

 

 芦笛岩のカラフル過ぎるようなライトアップは、中国の鍾乳洞を観光しているといった気持ちが高まり、面白みがある。

 但し、私の好みでないことは付け加えておきたい。

 

 

 逆にライトアップされていない鍾乳洞群の中に、水晶質の透明で美しい部分を見つけることができた。

 控えめで、石に変えられた美しい娘といった感覚にとらわれる美しさだ。

 水晶姫の悲劇か・・・・・・ばかげた妄想にとらわれる。

 

 

 他にも、ここの鍾乳洞は一般鍾乳洞色のなかに、きらきらと光り輝く部分も多い。

 細かな水晶が混じってできた鍾乳洞はライトは似合わない。

 

 

 歩き続けると、透明な池のような水。

 この池も例外なく、華々しくライトアップされていた。

 池の中には鏡のように景色が映る。

 素晴らしい景観で、胸のすく思いだ。

 もし家族だけで行っていたならば、小半日はここ芦笛岩で過ごしたに違いない。

 そんな思いまで感じさせる 芦笛岩だった。

 

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肉の内臓の串焼き(桂林にて)

2007-01-27 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 

       肉の内臓の串焼き

 

 

『桂林雑技バレエ団』を観た後、私たちはホテルに送られた。

 もう少し、遊びたい・・・

 私たちはその日も桂林の夜を楽しむことにした。

 

 

 まずはコンビに。

 今夜の酒や翌日の水やジュース。

 各地のお菓子も、毎夜コンビニや近くの中国人相手の店で購入。

 四日目ともなると、各地の土産の菓子は着実に旅行かばんを占領し始めていた。

 

 

 クリスマスの夜は長い。

 そしてここ桂林の夜もにぎやかで、店のあちらこちらから 賑やかな声が聞こえてくる。

 

 

 小腹が空いたので、私たちは店を探し始めた。

 前日は桂林の高級店だったので、こんばんは庶民的なところを体験したい・・・

 誰が言い出すわけでもなく、中国らしい庶民食堂を探し、一軒の店にたどり着いた。

 

 

 店の入り口には、メニューが手書き。

 店の前には炭火焼の串焼き材料が並べてあった。

 

 

 私たちは覗き込むと、愛想良く対応してくれる。

 値段は大体のものが、一串一元だという。

 

 

 ナスやとうもろこしやにら・・・海老や牡蠣(これは殻付き)や柿餅の串焼き材料のほかに、私たちの知らない部位の肉が並べられている。

 私たちは試しに 海老二串、にら、豆腐、砂刷りのほかなんだかわからない肉の内蔵など、合計でとりあえず十串だけ頼んでみることにした

 

 

 少ない頼み方にもかかわらず、店主と従業員は気前良く、店に入れと勧めてくれる。

 なんだか申し訳ない。

 私たちはビールを二本頼む。

 串が焼きあがるまで、私たちは店内でビールを楽しむことにした。

 

 

 その店は中国人以外はおおよそ入らないだろうといった、興味をそそる店だった。

 店は清潔に掃除されているが、伝統は少し暗く感じる。

 広い店内の中には簡素なテーブルが並べられている。

 店の隅には特別室のような隔離された狭い一室が要されている。

 すりガラスだが、中の様子はうかがえる・・・

 

 

 中では背広姿の中国人七、八人が騒いでいる。

 年のころは四、五十歳の男性グループ。

 何人かが帰ったかと思うと、またタクシーで戻ってくる。

 帰った人数より、戻る人数の方が多い。

 

 

 私たちの隣のテーブルには、女性三人が座っている。

 なんだかおかゆのようなものを食べている。

 中国では簡単な夜食を食べる習慣があるという。

 彼女たちはのこやかに私たちを見ていた。

 

 

 串が焼けてきた。

 

 

 海老が美味い。

 にらも美味い。

 なんだかわからない部位の肉も美味かった。

 豆腐は少し塩が効きすぎのようだ。

 ビールが進む。

 私は家族の視線に後押しされて、二十数本の串焼きを追加しにいく。

 柿餅や牡蠣、その他いろいろ・・・

 

 

 この世のビールが進んだことは言うまでもない。

 

 

 後でわかったことだが、なんだかわからない部位の肉はどうも羊の血管らしいことが判明。

 中国では豚や羊の血液さえも羊羹状にして、火鍋料理に使うという。

 一つは何とかわかったが、後の肉の部位はわからなかった。

 日本では食べたことのない内臓部分であったことは確かのようだが、思いの他、味が良かったことに驚きを隠しえない。

 

 

 学生時代は開口健のことばを信じて沖縄のうりずん・とうふようや 和田金のすき焼き(といってもツアーに一人参加)に行ったことがある。

 彼を信用していたが、内臓部分はスペインの持つ煮込みくらいしか、手を出したことが無かった。(こぎれいな肝料理などはここでは省かせていただきます。)

 見た目は悪いが、こんなにも美味だったのか・・・

 今になって、開口健の気持ちが少しわかるような気がする。

 

 

 串焼きは基本は塩味だが、牡蠣においては豆板醤で味付けされていた。

『しめしめ、これは家庭でもいただきだな・・・』

私はほくそ笑む。

 

 

 気が付くと隣席の三人の若い女性が、私たちが頼んだ串焼きをみている。

「ハオチー(美味しい)」

隣のテーブルも

「ハオチ」

私が

「ハオチー、ハォチイ、ハウチイ・・・」

と楽しんでいると、子どもに叱られた。

「お母さん、発音間違いだよ。」

 めげない私。

 初めて肉の部位の串焼きの美味さに感無量、その夜は呪文のように

「ハオチー、ハォチイ、ハウチイ・・・」

と、唱えていた。

 おおよそクリスマスとは思えない、ずっこけた夜でした。

 

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桂林 夜の市場

2007-01-26 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

(写真は桂林。市場のあるとおりを曲がりくねった通りの出口に張られていた、求人広告です。)   

 

   

          桂林 夜の市場  

 

 

 バスの中で、ミスター桂林ガイドが、

 「雑技団に行きたい方はいませんか?」

 とたずねて下さった。  

なんていい人・・・

 「私たち三人も、行きます。」

と即答。  

 ミスター桂林はバレエ的な要素の濃い雑技団で、お勧めだと笑っていた。  

 

 

 劇場行きは夕食後。  

 行かない人たちをホテルに送り、観る人はバスの中に残る。

 

 

 劇場は結構近かった。

 開場まで少し時間があるということで、ミスター桂林は夜の市場に連れて行ってくれた。  

 

 

 公設市場はしまっていた。

 周りの店や道も思いのほか暗く、ほとんどの店が閉まっている。

 満州点心の店(売り専門)や果物屋、肉屋、菓子屋などが点在して、灯をともしていた。

 

 

  店も前の中国らしさの感じられるパンダの乗り物(デパートの屋上などにある子供用の乗り物)があったので、フラッシュ無しで写真を撮ろうとしたが、店主が睨みつけて店の外に飛び出してきた。

  何でも写真に収めようとする私もいけなかったのだが、怖かった・・・・・・

 これがきっかけとなり、以降夜は、カメラを持たずに出歩くことにした。  

 

 

 道は暗く、ほのかな匂いも漂い、豪快なゴミ箱のような通りもあった。  

 道には、ごみやビニールや練炭の灰が、潔く投げ捨ててあった。  

 初めてこの光景を見たならば、きっと閉口していたと思うくらいの量のごみの道だった。

 いかにせん、この光景は賀州でも見かけたことがある。

 中国では練炭の灰などは店の前に投げ捨てて、朝に掃除をするといったところも多いようだ。

  ただ、賀州の店の前は練炭の灰だけが投げ捨てられていたので、違和感は無かった。

 

 

 ミスター桂林ガイドは頭の良い方だった。

 バスの内外を問わず、彼が度々言っていたことばがある。

 「中国の本当の姿をみて下さい。」

 この市場も上のことばを付け加えて、つれてくださった。

 本当に貴重な経験をさせて頂いた。  

 ただ、この光景も中国人ガイドが案内できる範囲の中国であるといったことが、何冊かの岩波新書を読んで感じ始めている。

 中国は深い。

 私たちが想像を絶するくらい素晴らしく、またいろいろな顔も持つ国なんだな・・・・・・  

 

 

 練炭の 灰投げ捨てる 深き闇 

 

 

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桂林博物館

2007-01-26 | 美術・文様・展示物

 

             桂林博物館

 

 

 

 穿岩古榕で少数民族のバンブー・ダンスを楽しんだ後、月亭山を望む。

 写真は『月亭山』を車内から撮ったもの。

 

 

 思いの他時間が余ったらしく、桂林博物館に行く。

 この桂林博物館は、西山公園の中に位地する。

 この桂林博物館は全国五十を越える少数民族のうち、十七種の民族について紹介している博物館だという。

 しかしながら私たちが通されたのは一階の二、三部屋だけ。

 質問すると、みた部屋の広さは、桂林博物館全体の十分の三くらいの広さだと説明された。

 

 

 桂林博物館員の男性は流暢な日本語で、詳しく説明してくれる。

 

 

 まず入ってすぐ左には黒檀の飾りだな。

 中には十二個の壺が構えている。

 中国人は翡翠(ひすい)がお好きとあって、この壺を丹念に説明。

 他にも玉や青磁や青銅の壺が我も我もと 競い合っていた。

 壺や取っ手に輪を施した玉の壺など、いろいろあったが、そんなに気品や古さを感じない。

 鳥の臭みの残る筑前煮といった塩梅だ。

 

 

 私は説明もそこそこに、右側の棚を見て回る。

 右には古い時代のイランの青銅で作られた動物のような形の水入れが合った。

 形は面白い。

 

 

 漆塗りに貝をはめ込んだような飾り物。

 大きな派手な金持ちの好きそうな品々が所狭しと並べられていた。

 私はその秩序の無さは、夜のアム○テルダムを思い出していた。

 置き場のない空虚な感覚・・・・・・

 私はみんなを残し、奥へ奥へと進む。

 

 

 大きな空間の突き当りの壁に、『春夏秋冬』の掛け軸が二組あった。

 みていると今度は日本語の上手い女性が説明。

 ありがたいサービスだが、ゆっくりみたいといった気をはぐらかされる。

 よくみると日と君の方の『秋』と『冬』の掛け軸が反対になっていた。

 私は掛け間違いをそっと胸にしまって、その場を離れた。

 

 

 掛け軸の対角線上のところに、緑の玉で作られた大きな船が置かれていた。

 先にいいわけしておきたいのだが、私はこの手の飾り物は好みではない。

 好みは別として、船は細かい細工で、見ごたえがある。

 一日目に泊まった佛山のホテルには、もう少し大きなものが置かれていたが、鎖部分はアルミ。

 ホテルで見たときは固定或いは盗難防止のためと思い込んでいたが、桂林博物館の船は鎖部分も玉で掘られていた。

 私は不思議に思い、女性博物館員に問うてみた。

 彼女の説明では鎖部分はいかりをおろしてつなぐ部分であり、一般的には玉で作られているという。

『そうか、何かのトラブルで、鎖を失ったのか・・・』

 ひとり、妙に納得した瞬間であった。

 

 

 私はみんなが気になり、戻ってみた。

 十数分以上の時間がたっているのに、日本人はまだ入り口の飾り棚のところで説明を聞いていた。

 中には説明に疲れて、椅子に腰をおろしている方たちも多い。

 あまりにも桂林博物館員の男性が熱心なので、私も話を聞いてみることにした。

 

 彼は尚 翡翠の素晴らしさ、飾りだなの素晴らしさを強調していた。

 そして確信に触れる。

 

「桂林博物館所蔵のものとして長く保存してきた素晴らしいものです。送付時に税関も通れるように、証明書もおつけします。飾り棚と壺全部で150万円です。」

 要するに販売目的であった。

 説明はさらに続く。

「相当高価なものです。しかし鑑定を出すことはできません。桂林博物館所蔵の品だという鑑定書はおつけします。」 

 私の桂林博物館に対するイメージはこの時を境に、一気に萎えてしまった。

 

 

 少数民族の重要な展示室は、全く観ていない。

 ただ博物館といった公共の場で、中国風の販売を目の当たりにして、いい経験をさせていただいたと感謝の念で一杯である。

 

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穿岩古榕で 少数民族のバンブー・ダンス

2007-01-25 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 

    穿岩古榕で少数民族のバンブー・ダンス

 

 

 

 桂林の漓江気下りを終え、スリリングな体験(スリに囲まれる)を経験したのち、私たちは陽朔のみやげ物通りを通って、バスに乗り込む。

 

 

 お次は、穿岩古榕。

 ここは、ガジュマルでも有名らしい。

 中央には池もあり、景観はきわめて美しい。

 穿岩古榕は、背景に先ほどまで船方見ていたような突き出た山々が、まるで小人の背比べのように並んでいる。

 

 

 少し歩いていくと、聞き覚えの無いリズム。

 なにやら木や藁で作ったような簡素な建物が見えた。

 私たちは足早に館に近づく。

 館の入り口の左には 『古榕壮寨』、右には 『三組?球地古携』(?)と記されている。

 

 

 中にはどこかの少数民族の方たちが歌い、踊り、集う。

 おそらく ヤオ族かチワン族の方たちなのだろうが、確信は無い。

 

 

 女性たちはきわめて美しく、原色の長いドレスを着ていた。

 長い髪は束ねているが、かぶりものは無い。

 この女性たちの衣装は、船を下りたときにいた写真モデルとよく似た服。

 

 

 私たちは中に入り込んで、彼女たちの笑顔に見とれていたが、周りを見ると中国人ばかりだった。

 私たちは中国人観光客と少数民族のことばのやり取りに、笑顔をもって 返していた。

 彼らは彼女たちと、終始笑い転げていた。

 

 

 歌や踊りは、バンブー・ダンスに変わる。

 彼女たちは彼らのうちの何人かを、輪の中へとさそう。

 中国人男性たちは嬉しそうにバンブー・ダンスを楽しんでいた。

 

 

 次に彼女たちは、またも中国人男性たちを何人か誘った。

 中国人観光客が笑う。

 少数民族の彼女たちも大笑い。

 中国人女性観光客は手をたたいて笑う・・・

 

 

 5,6人の男女が結んだ縄のような中に入る。

 5,6人の男女も中国人観客もバカほど笑っている。

 私たちもつられて笑う。

 

 

 5,6人の男女も中国人観客もなにやら大声で歌いだした。

 縄の中の男女はなにやら尻と尻で押し合いをしながら、大笑いしている。

 日本の押し競饅頭の大人版のような感じがする。

 縄の中の男性の連れ合いらしき人が、近くにとって大笑いしながら、彼の写真を撮っていた。

 おそらく・・・・・・

 なにやら隠微な笑いがあたりに渦巻いていた。

 

 

 少数民族のHP ↓

http://www.china.org.cn/ri-shaoshu/index.htm

 

 

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陽朔でスリに囲まれる (写真の方たちは、記録とは無関係の一般の方たちです)

2007-01-25 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

(写真は中国の陽朔。

素手で鴨をぶら下げる女性の姿が、カッコイイ・・・この女性は下記とは無関係です。

スリの女性たちに囲まれたのは、この道。この写真のすぐ後です。)

 

 

 

    陽朔でスリに囲まれる

 

 

 桂林漓江下りの船を下りると、陽朔。

「ここは物売りと見せかけたスリが多いので、気をつけるように。」

と、あらかじめ桂林のガイドから聞かされる。

 日本人の私たちは、

「そんなことはないだろう・・・」

たかをくくっていた。

 しかし気を取り直して、『念には念を』の精神で、とりあえず用心してバックはたすきがけ、カメラは首からかけて歩くことにした。

 

 スリらしき 物売りの女性は、思いのほか 多い。

 念には念をで、格好の悪い思いまでして用心していたのに・・・

 物売りに辺りを囲まれる。

 品物は恐ろしく安価で言い寄ってくる。

 私は大きな声で

「不要!!」(日本語とも中国語とも憑かない奇声或いは悲鳴)

と怒鳴る。

 

 彼女たちはいくら断っても言い寄ってくる。

 私はバックもポケットもガードしたので、彼女たちは怒りのことば?を投げ捨てて、離れていく。

 助かった・・・

 

 

 ふと前を見ると、家族Aは女性たちに囲まれている。

 主犯格の女性は左で家族は右。

 せかせかと歩いている。

 彼女は左手に写真集。

 安い値段で言い寄っているようだ。

 

 家族Aはにこやかに笑いながら、左手を天高くぴらぴらさせていた。

「要らない、要らない・・・」

『ぴらぴら』は優しい『要らない』とともに、和やかな雰囲気に・・・なんていっている場合ではない。

 主犯格の女性の右手は、家族Aの上着の左ポケットに突っ込もうとしていた。

 

 ダッシュ!

 私は、これ以上出せないといった大声で、

「ダメ!!!」

と怒鳴った。

 

 彼女たちは営業妨害の私に、明らかに敵意のまなざしで怒鳴り返した。

「ダメ!!!」

 

「ダメ!!!」

は渦となって、彼女たちの仲間で連呼した。

 

「ダメ!!!」「ダメ!!!」「ダメ!!!」

 

 怖かった・・・・・・

 日本ではなかなかできない経験をした。

 ふと見ると、家族Aの上着の左ポケットは、財布やら小銭やらチケットの切れ端やハンカチで膨れ上がっていた。

 

 ご本人だけが、私や彼女たちが何故怒っていたかを知らない様子。

 

『君が一番悪いのだよ・・・』

私は、内心家族Aを叱った。

 

 家族Aのぴらぴらは行き場を失い、彼女たちが去った後も、少し寂しそうな表情を見せていた・・・

 

 

 

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