( 写真はイランのシーラーズにある、カルダシール宮殿の庭。
<加工無し・自然色>2007.9
寺○○聲会に敬意を込めて・・・。)
寺○○聲 会 40周年祝賀会
能『猩々』『羽衣 和合之舞』
番囃子、素謡『安宅』『望月』『葵上』 他
2008年 4月19日、能楽会館にて寺○○聲会を楽しませていただく。
寺○○聲会 40周年祝賀会というのは、能楽会館会の40周年と 主宰の「寺○○芳先生」の古希 を記念した大会とのこと。
謡や舞などを習っておられる方々の発表の場でもあり、一般人の私には場違いに感じた。
なぜなら、桜上用饅頭や粽などのおみやげまでいただいてしまったからだ。
能や番囃子、素謡等を聴かせていただいた上にこれでは、とてもではないが申し訳ない。
しかしながらこういった能関係の発表会などといった場は、なかなか一般人の私には味わえるものではない。
『一度たりとも寝むって無いぞ!』という言い訳を衣に、ここはひとまず心臓に毛をはやし、しっかりと朝の九時半の『田村』から夕刻六時の『葵上』までを聴かせていただいた。
能の『猩々 』のシテは 小学三年生の寺○○海君という(大手塾の一番上のクラスでよく見かけるような 利口そうで愛くるしい)御子息によって演じられていた。
この寺○○海君、君と呼ぶには忍びない。
三年生とはいえ しっかりとした声と演じ方。すり足、舞なども見事で、能楽鑑賞初心者の私にもその立派さがわかり、年よりも大きく、存在感さえ感じた。
舞囃子『吉野天人』のシテをつとめられた小学一年生の寺○○海さんとて同様。
当然のことながら、演じられた後は、会場から大きな拍手が巻き起こった。
能楽師の御子息は、真から能楽のリズムや気品を受け継いでおられるといったことを痛感。
彼らは一人前の能楽師(の卵)で、
『がんばって。』
或いは、
『成長を楽しみにしています。』
なんていう言葉は浅はかでおこがましいと感じるので、ここではあえて省かせていただく。
だが・・・彼らの大人になったときの能を観てみたいと強く感じたのは事実。
こういったことを肌で感じた今日、素晴らしい体験ができたと喜んでいる。
それに、なんといっても こどもは・・・かわいい。
今回 『羽衣』和合之舞というものを初めて体験。
和合之舞になると、能装束や面などを付けずに舞われるらしい。
従って自分で『羽衣』をイメージして楽しんでいた。
こういった経験も結構楽しく、イメージはどんどんとふくれあがる。
能楽鑑賞の初心者の私は鑑賞に於いても自由が取り柄で、イメージはおそらく必要以上に増し、天まで上る勢い。
おそらく油絵を描いてる時と同じくらいにドーパミンがどっぱどっぱとあふれ出ているのではないだろうか・・・。
興味深かったのはなんといっても『安宅』。
この曲は、歌舞伎好きの私にはたまらない。
そういうと幸四郎丈の『勧進帳』も じきに九百回か・・・。
今日の『安宅』は、十余人の謡いだけで構成。
○ ● ○ ○ ○
● ○ ○
△ ● ◎ ■
(正面)
◎ 弁慶
■ 富樫
△ 義経
● 山伏
といった感じだった(が、能楽初心者のため間違っているかも知れない)。
謡曲の中では、十一人の山伏と謡われていた。
歌舞伎では弁慶を含めて、山伏は全部で五人。
ここでも歌舞伎の簡略化が認められる。
そう思うと、興味は益々ふくれあがる。
一度謡曲集で調べて、遊んでみよう。
『安宅』は楽しかった。
私なりに結構聞き取れ、そこに歌舞伎の仕草や形、衣装、役者などを自由気ままに重ねて楽しむ。
能楽師の方々の声に表情を感じ、楽しむことができた。
歌舞伎では役者や同役者の年齢を変えて 何十回と観ている勧進帳だが、私は能では未だ一度たちとも体験したことがない。
それだけに今回の『安宅』の素謡(?)は、楽しめた。
途中の富樫と弁慶の問答の部分は、能楽はかなり緩やかで、能楽と歌舞伎の違いがはっきりと認められた。
最後の部分は能楽の謡の方が、ずいぶんと長い。
是非一度、今度は能楽で『安宅』を観聴きしてみたい。
最後になりましたが、このような楽しい時間を過ごさせていただきました関係者の皆様に感謝申しあげます。
ありがとうございました。
今回おこたちも演じられておりますため、文中ではあえて能楽関係の方や会の名詞は伏せさせていただきました。
かえって失礼であればお許し下さいませ。
お詫び申しあげます。
私は能楽鑑賞の初心者です。
何かお気づきの点や間違いなどございましたら、お教え下さいましたら嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い申しあげます。