乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

サントリーミュージアム[天保山]  『印象派とモダンアート』

2010-07-31 | 美術・文様・展示物




        サントリーミュージアム[天保山]  『印象派とモダンアート』









 

 

 

   

   



   



『レンピッカ展』を楽しんだ一週間後の7月18日、娘と サントリーミュージアム[天保山]『印象派とモダンアート』を見る。

 美術・博物館巡りの好きなわが子たち。

 息子と行くことが多かったが、今月は娘と見ることが多い。

 一人、夫婦、こども、友人、趣味の団体、ツアー団体など 同行相手により美術の楽しみ方も少し違うが、それぞれいいものだ。

 家族と行くと、好きな絵を好きなだけ個人的に見て、感動の作品の前に集まって見るといった自由さ。

 夫、子ども二人の誰といってもその自由さは共通で、おまけに時間が許す限りゆっくりと見て良いので安心して館内を歩くことができるのはありがたい。



 ところで『印象派とモダンアート』は面白かった。

 サントリーミュージアム[天保山]所蔵の作品も多い。

 海の見える明るい光さんさんと入り込む部屋では、いつも常設されているジャコメッティに人物像も置かれていた。



 モネに始まり、やわらかな光を堪能。

 小・中学生の頃あれほど好きだったルノアールは、オレンジとコーラルレッドが今のわたしには暑苦しい。

 それでもやわらかな筆使いは魅力的で、人々のルノアール作品の前で立ち止まる姿が印象的だ。



 カミュー・ピサロの前で長時間を過ごす。心地よい風がリュート音楽のように心になじむ。

 このキャンパスの中は、自分の時間をまったりと過ごせる空間だ。


 
 19C~の身の回りを描いたアカデミック時代から一転、ルソーのように絵は下手でも個性の時代へと発展する。

 今回今までになくルソーをゆっくりと見てみる。

 なるほど、遠近感は半端で、思わぬ面白みを生み出している。

 それは奥行きを欠き、明解な色彩で描かれている。

 今回ルソーをしっかりと見た理由はこうだ。

 娘が作品「オステルリッツ駅から左側を見た風景」を見て、一人くすくすとわらいつづけている。

 理由を問うと、
「遠近感のない中央に帽子をかぶったジョニー・デップがいる」
というのだ。

 わたしは「オステルリッツ駅から左側を見た風景」を見てみた。そして、笑った。

 確かに!・・・

 その絵の中にはジョニー・デップがいた(爆)

 美術作品鑑賞にはあまり関係がないのですが、もしこれから『印象派とモダンアート』に行かれる方がいらっしゃいましたら、是非、この絵に少し時間をとってご自分の目で確かめていただければと思います。



 20C美術の中にはボナールやルオー。エルンストあり、ユトリロあり。シャガールやキリコやワイエスもといった華やかさ。

 ルオーはたった1点。青が美しい。

 ルドンは目を惹く。

 今回のシャガールはあまり感心はなかったが、人々は近衛の前でも集まっておられた。



 アンドリュー・ワイエスをもう少し見てみたかった。

 ワイエスを丹念に見る。

 フリーハンドだと思っていた直線と円。実は定規とコンパスを使われていたと知る。

 人工的直線と曲線の上にフリーハンドでいかにも自分が描いたといった線を書き加えるアンドリュー・ワイエスを思うと、この画家のお人柄を感じる。

 思い出す透き通るほどに白い肌の女性の絵の奥には、しっかりと赤い血が流れていたのだと、今回の展覧会を持って感じ、一層好きだと感じた。



 アトリエ「蜂の巣」や「アンティミスト派(親密派)」の説明が記されており、興味深い。


 
 暫く歩くと   OH!

 クレー、ピカソ、ブラック、ミロ。

 素晴らしいじゃないですか。

 こうなると楽しくって仕方がない。



 正直なもので我が娘、ルーチョ・ファンターナーのキャンバスを切り込んだような作品数点を前に、どう見るんだと質問してくる。

『自分で感じたままでいいでしょう。』
と内心思ったが、ここはひとまずまじめに二次元から三次元への挑戦などを簡単に話すが、納得は多分していない。彼女が聞きたかったのは、この作品は好きが否かといったもっと突っ込んだことだったろうと感じつつ、一通り説明した訳。

 それでもルーチョ・ファンターナーの中には『空間概念』(88)があり、同色でぬられたくられたキャンバスの中央が大きくえぐられ、見ている側の姿が角度によってうつるといったものがあった。それを娘に告げると素直に試している。だが、やはり彼女は首をかしげていた。

『空間概念』のシリーズはこの展覧会では1960年頃からの創作作品だった。今現在この作品を見ても斬新は感じられないが、その当時はどうだったのだろうか?わたしにはわからない。



 最後まで切れ少し悶々とした気分に陥った二人は、もう一度感情を逆流。

 ピサロや他好きな作品の光を心に吸収して、この開場を後にした。




 現在開催され散るサントリーミュージアム[天保山]『印象派とモダンアート』

 作品数はそんなに多くはありませんが、わたしはお勧め致します。
 

 
 







                   2010年7月18日 見る

                   サントリーミュージアム[天保山](大阪市港区海岸通1-5-10)









展覧会の見どころ
19世紀後半から20世紀後半までの一般にモダンアートと呼ばれる期間の美術から、「印象派」「20世紀の具象絵画」「20世紀の実験的美術」という3つの領域に焦点をあて、その豊かな表現を紹介する展覧会。
6点のロンドン連作を含む8点のモネ、画業の展開過程を示す10点のピサロ、モランディやフォンターナの作品を集めたコーナー、ルオー、ローランサンら、さまざまな作家による花束の競演など、サントリーコレクションを中心に、国公私立美術館、個人から借用した25点を含む約100点によりモダンアートの魅力に迫ります。







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兵庫県立美術館 特別展   『美しき挑発 レンピッカ展』

2010-07-31 | 美術・文様・展示物




  兵庫県立美術館 特別展   『美しき挑発 レンピッカ展』






                  

  

 

       

                





 7月11日、娘と『美しき挑発 レンピッカ展』に行く。

『美しき挑発 レンピッカ展』は正直なところ興味はなかったが、神戸での買い物と食事も兼ねて、一応おさえておくことにした。

 

 開場につくと結構ファッショナブルな奇抜な服装の若者もいる。

 流石、レンピッカ。

 こういった絵は女性好みかと思っていたが、案外男性が多いことに驚く。



 絵を見、解説を読み、彼女に絵は彼女の私生活と密接なつながりがあることを知る。

 歌舞伎など男性が演じられる方が好みのわたしにとって、はっきり言って気持ちが悪い世界だ。

 しかし、こういった世界も認められるべきだろうし、芸術として公にすることは意味があるのだと思う。


 
 面白いのは レンピッカの被写体のとらえ方。

 小出楢重などの腰の捻りと静物画の捉え方が類似しているのは有名だが、レンピッカとて同様。

 彼女の愛人女性に対する見方と植物「カラー」の花や幹の描き方は同じ視線であった。

 それは同性愛者以外の人間から見て、特異で奇妙で不気味な同性愛者の視線だったのかもしれない。

 わたしと娘は若干の異様さを感じながらも展覧会を見続けた。



 レンピッカの作品で印象に残ったのは上に記録した「カラー」の絵。

 他にはキュビスムの影響を受けたもの、愛人女性の絵、他の絵に蔵寝て淡々と記されたように感じる愛娘2、3枚の絵。

 当時珍しい女性運転者として抜擢された車運転の自画像やスキーの絵。

 マレーネ・ディトリッヒさながらのファッショナブルで美しい彼女は贅を尽くした豪華なファッションでカメラにおさまり、自画像を描く。

『ヴォーグ』紙の表紙を飾り、ポスターを描く。

 パリに居ながらにして背景にはニューヨークを描く彼女の目指すものはわたしの好みとは大きくかけ離れ、初めから最後までうらやましさを感じることはなく見終えたことを付け加えたい。



                            2010年7月11日(日)











 レンピッカ -本能に生きた伝説の画家 ポーランド出身の女性画家タマラ・ド・レンピッカ(1898-1980)は、1920年代のパリで活動を始め、モード雑誌から抜け出したかのようなモダンな肖像画で人気を集めた。今展では、日本初公開の作品約30点を含む約90点の作品と資料でレンピッカの魅力に迫る










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映画53; 『ポセイドン』 2006年 ウォルフガング・ペーターゼン監督

2010-07-31 | 美術・文様・展示物

(写真上下はイラン ギーラーン州の バンダレ・アンザリー。カスピ海河口 )








  記録だけ


    映画53;   『ポセイドン』 The Poseidon





 満足度 ★★★★★ ☆☆☆☆☆


 2006年 アメリカ 98分
 監督 ウォルフガング・ペーターゼン


 キャスト
    ジョシュ・ルーカス(ディラン)

    カート・ラッセル(ラムジー)

    エミー・ロッサム(ジェニファー)





 ヘッドフォンをつけ、割合に大音量にしてテレビで『ポセイドン』を見る。

 このパニック映画、一刻一刻、足をばたつかせ焦りを感じながら見ていた。

 自分の実に置き換えると、結構怖い。

 ただ、途中出演者の表情の間の悪い部分もあったかな^^

 途中 芥川の『蜘蛛の糸』か、現代美術かと思われる映像あり。



 見ている最中は興奮したが、テレビを消してお茶を飲んだとたん、映画の存在をぱたりと忘れるほどに潔いつくり。
(笑)

 まるで掛け捨て保険のようだ。



 保険といえばこの船の沈没により、どれくらいの被害額があるのだろうか。

 富裕層乗船者への保険支払い・保証などを加えると相当額だな
         (と思いつつ、わたしは今日も庭になるミニトマトの些細な満足感に浸る。)



 それにしても、一度目の開きで水を船内に入れなければ、もう少し時間が稼げたのだろうか。

 生存者は増えたのか、それとも全員が海の藻くずとなったのか。

 そんなこそくな妄想。映画にとってはどうでも良いことが気になるこの映画でした。
 









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【国々を巡り終へたり夏芝居】 wao!『幸四郎勧進帳』が全国制覇^^V おめでとうございます☆ 

2010-07-30 | 舞台・音楽 雑感メモ


  

  

        


 2010年7月30日 朝刊

 東京新聞の社会面によると、『幸四郎勧進帳』が全国制覇とのこと。



 歌舞伎役者の松本幸四郎さん(67)が演じる狂言「勧進帳」の弁慶

 二十九日、茨城県の土浦市民会館で行われた公演で 全都道府県を巡る全国制覇を達成したとのこと。

 じゃ、本家のAB様披露宴には欠席だったのかな?

 いずれにしても、おめでとうございます。


 一人の歌舞伎役者が一つの役で全国制覇を成し遂げたのは初めてだそうで。流石、幸四郎丈。

 やることがでかい!


 幸四郎さんは得意の俳句




         国々を巡り終へたり夏芝居
         
     



と詠み、快挙達成の喜びを表現されたともこと。



 同会館は毎韻で、カテコがあったらしい。

『勧進帳』で、カテコとは、こりゃ!すごいわ。



 幸四郎さんは、
「猛暑の中、足を運んでいただき厚くお礼申し上げます」とあいさつされたんだ。

 報道陣には、
「われわれはお客さまに感動と勇気を与える商売。今後も役者としての姿勢や信条を曲げずに前へ進んでいきたい」
と語られたらしい。

 はい!しっかりと受け止めております。

 もしわたしの十代半ば、南座の前を通らなければ・・・

 もしその時南座の看板に幸四郎丈のお顔が描かれてなかったら・・・

 わたしは一度も歌舞伎を観ることはなかったでしょう。

 いけず しはったら、

       ビビビビ ビィ

            どすぇ。

 

 誰がなんと言おうと、彼の手と指はすごい。好きなものは好きなんだ。



 幸四郎丈に『勧進帳』は、わたくし一体何度くらい見たのでしょうか?

 一九五八年に十六歳で初めて演じて以来、昨日二十九日まで 全国で千四十六回演じてきた。

 千四十六回はすごいなぁ。

 後は襲名を待つばかり。

 染五郎丈も金太郎ちゃんも頑張ってね^^

        

 
    ↑  カスピ海で見た青い容器の 『投げ六法』。



  











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雑 ひとりごと

2010-07-30 | 乱鳥徒然 Rancho's room.



 あ、イタ!慌て者だな

 柱にかわいいおでこをぶつけたよ

 どんだけ走ってたんだ、わたし

 中世のお屋敷みたいな家ならともかく 

 平民宅で走るのは禁物ってことだな



 二三日経っても額が痛いしおまけに痒い

 髪(紙)がばさついたときのような不快感

 あぁ、やだやだ

 片付けても片付けても尚、本の山

 おっと!おっとは、何してる?



 あちこちに本を置くからわたしのおでこ

 こんなにかわいそうな痛さ歯痒さ

 下を向き、前シテなみの摺り足で歩こう

 ゆくりゆっくり、ゆっくりと

 今日はそんな時間を過ごそうかな



 こんなこと書いてるって、なんだか寝不足なわたし・・・





 
 

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125; 『すぐわかる 20世紀の美術』 千足伸行 著 東京美術 すぐわかるシリーズ 2008年

2010-07-29 | 読書全般(古典など以外の一般書)



2010年度 125冊目  



記録のみ






           『すぐわかる 20世紀の美術』 フォーヴィスムからコンセプチュアル・アートまで

  



 千足伸行 著

 東京美術

 すぐわかるシリーズ

 2008年7月 

 159ページ 2310円


 



『すぐわかる 20世紀の美術』 フォーヴィスムからコンセプチュアル・アートまでを読む。

 とてもわかりやすい。楽しみながら読む。

  

 途中、ブランクーシ裁判について記されていた。

 1926年、ブランクーシの彫刻「空間の鳥」が搬送中のガラスが破損により、ニューヨークの税関で機械部品と判断される。

 裁判沙汰になったという訳だ。

 本書には事件に携わる裁判の会話がのせられている。

 この会話が、実話というより安部公房の作品に感じられるから面白い。

 会話内容を記録しておこう。

 

      裁判官;「あなたはこれをなんと呼びますか?」

      マルセーヌ・デュシャン;
          「これを作った彫刻家と同じように“鳥”と呼びます。」

      裁判官;「なぜこれを鳥と呼ぶのですか?それは鳥のように見えますか?」

      マルセーヌ・デュシャン;
          「鳥のように見えませんが、鳥のようには感じられます。
           作者はこれを鳥と呼んでいます。」

      裁判官;「彼が鳥というだけで、あなたはそれが鳥に見えるのですか?」

      マルセーヌ・デュシャン;
          「はい、そうです。」

      裁判官;「もし往来でこれを見かけたら、あなたは鳥とは呼ばないでしょう?
           もしこれを森で見かけても、これを撃ったりはしないでしょう?」

      マルセーヌ・デュシャン;
          「はい、呼びません。」

 


 裁判沙汰になった鳥(或は税関の言う金属)は次の作品。

   
  「空間の鳥」ブランクーシ


 

 本書にはわたしの好きなオスカー・ココシュカの名が二度ばかりでてきたが、少し触れられただけで作品は載せられてなかったのが寂しい。

 

 この本を読み、学生時代に楽しんだポンピドゥセンターを思い出した。

 丁度30年前に見たポンピドゥー・センターでの斬新な現代美術の数々は、何らかの形でわたしの心の中に潜み続けている。



                      








内容

■「キュビスムやダダイスムってどういう意味?」「これを作品と呼べるのか?」。20世紀美術の展覧会でこんな疑問を持ったことはありませんか? ひと口に「20世紀美術」と言っても、その中身は多種多様です。しかも「誰もが“美しい”と感じるとは限らない強烈な個性や革新性」などをそなえた現代美術は、それ以前の美術と同じようにただ眺めているだけでは、真の魅力はなかなか伝わりません。そこで本書は、わかりにくく一筋縄ではゆかない20世紀美術の様々な運動や動向について簡潔に整理し、作品を鑑賞する際の手軽なガイドとして役立つ内容となっています。流れを見渡し、美術用語の意味を理解することで、「わかりにくさ」を「面白さ」に変えます。
■全体の構成は、1890年代頃から1960年代頃までの展開を、二つの世界大戦を機に3章に区切っています。巻頭の見開きページには全体を一望できるチャート図を掲載しています。


目次

はじめに
20世紀美術の流れ(一目でわかる運動や動向 チャート)
プロローグ 20世紀美術の源流
 後期印象派
 象徴主義
 アール・ヌーヴォー
 素朴派
第1章 第一次世界大戦までの美術(1890年代~1918年)
 フォーヴィスム
  [key person]アンリ・マチス
  [topics]展覧会とサロン
 キュビスム
  [key person]パブロ・ピカソ
  [key person]フェルナン・レジェ
 オルフィスム
 セクション・ドール
  [topics]プリミティヴィスム
 エコール・ド・パリ
  [key person]マルク・シャガール
 ドイツ表現主義
  [key person]ワリシー・カンディンスキー
  [key person]エミール・ノルデ
  [topics]個性派のコレクターたち(1)
 未来主義
  [key person]ウンベルト・ボッチョーニ
 デ・ステイル
  [key person]ピート・モンドリアン
 シュープレマティスム
 ロシア構成主義
 ダダイスム
  [key person]マルセル・デュシャン
  [topics]絵の中の文字と記号
 アメリカン・リアリズム
  [topics]アーモリー・ショー
  [topics]モンパルナスの青春時代
第2章 両世界大戦間の美術(1920~30年代)
 ヨーロッパ構成主義
 ピュリスム
 バウハウス
  [key person]パウル・クレー
 新即物主義
  [key person]ジョージ・グロス
  [topics]ブランクーシ裁判
 形而上絵画
  [key person]ジョルジョ・デ・キリコ
 シュールレアリスム
  [key person]サルバドール・ダリ
  [key person]ホアン・ミロ
  [key person]ルネ・マグリット
  [topics]デペイズマンと偶然の美学
 アール・デコ
 メキシコ壁画運動
 アメリカン・シーン
  [key person]エドワード・ホッパー
  [topics]退廃芸術
 現代彫刻
  [topics]個性派のコレクターたち(2)
  [topics]アメリカの不況と美術
第3章 第二次世界大戦後の美術(1945年頃より)
 抽象表現主義
  [key person]ジャクソン・ポロック
  [topics]画商と現代美術
 ポップアート
  [topics]児童画と現代絵画
 コンセプチュアル・アート
エピローグ 回顧と展望
20世紀の美術の流れ(年表)
アーティスト一覧
索引











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神事としての『三番叟』  (8景)    

2010-07-29 | 民俗考・伝承・講演




        神事としての『三番叟』






















 今年も小笠原匡さんの素晴らしい『三番叟』を楽しませていただいた。

 歌舞伎にはいろいろな『三番叟』があり、それぞれ特色がある。

 元々は歌舞伎の諸三番叟や小芝居舞踊の三番叟が好きで、以前、三番叟については調べたことがある。

 五穀豊穣を祈願した神事として三番叟は元は子どもが舞ったという。

 地方によっては三人の男児と決まっており、年の幼い子から順に 年も体も大きな男児へと変わって舞う姿は、稲や作物の生長とも通じると民俗学の本に記されていた。

 鈴を持ち大地を踏みしめる姿は地鎮祭とも関連するという。

 これは小芝居舞踊の「鈴の段」が特徴的。

 地鎮の仕草は後に相撲へと発展すると、わたしの尊敬する故宮田登先生はこのように書かれていた。



 子どもの舞う三人の三番叟は、未だ残念なことに見たことがない。

 いずれにせよ共通しているのは衣装とめでたさである。

 劇場云々の杮落しにはタイプは違っても三番叟が舞われることが多い。

 そこで今年の9月3日に杮落しと相成る大阪上本町の新歌舞伎座を調べてみたが、生憎演目公表がない。

 説明には


         柿葺落(こけらおとし)を観ると寿命が延びる!?

         なんばで愛され半世紀、新歌舞伎座、五十余年ぶりのこの機会にぜひ!!

                         (新歌舞伎座公式HPより)

とあるからには『三番叟』も舞われるのではないかと、わたしは想像する。

 新歌舞伎座にいく機会はほとんどないわたし。

 ネット宣伝だけで想像して楽しみたい。
 


 上で 『三番叟』の共通項として衣装があると書いた。

 烏帽子に黒衣装が好みだが、衣装の色は黒とは限らないらしい。

 部分的に赤が使われることが多いが、これは日の出の象徴かとも思われる。

 烏帽子に日の出の描かれたものや、鶴が日の出に向かって飛び立つものもある。

 鶴文様は共通で、描き方は写真のように全体の場合や首抜き衣装の場合あり。

 鶴亀松といっためでたさで、その他吉祥植物が描かれることも多い。

 船能でも説明されていたように神事として演じられる『三番叟』が終わるまでは船客も酒を口にすることはできない。

 去年、今年と天神祭で『三番叟』を楽しませていただき、、以前にも増して、『三番叟』は面白いな、素晴らしいな、好きだなと感じたのでした。

 

 

 最後になりましたが、今回何も調べることなく思い出したまま記録しております。

 間違いやお気づきの点などがございましたら、お教え下さいましたらうれしいです☆

 よろしくお願いいたします。          乱鳥












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『石橋』  半能    (7景)

2010-07-29 | 能楽・狂言



       『石橋』  半能




















 

『石橋』  半能を楽しむ。

 半能だったので、寂昭法師が中国に修行に行った展開はなく、速攻、後シテ。

 白頭と赤頭の獅子舞は飛び跳ねたり空を見上げたり、歌舞伎の見得のような仕草。

 型が決まり、迫力の連続。

 大船なら良いが、一献のあてに 情緒ある小舟で一つ『石橋』などを舞ってやろうと思う阿呆は、いくら素人とていないはず。

      【小舟揺れ波に浮かぶる獅子頭】  乱        であろう。



 白頭は父で動きが優雅。赤は子どもで、動きがはげしく早い。

 その動きの違いも見ていると面白い。
 
『石橋』は興奮する。歌舞伎もいいが能楽もいい。

 こんなに好きなものが多いわたしって・・・。






                         2010年7月24日

                         大阪天神祭 船能にて

 
       












 

 





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124; 『芭蕉文集 』から「嵯峨日記」 『芭蕉句集 』から「発句集」‘夏’ 一部  岩波書店 

2010-07-28 | 古典全般(奈良〜江戸時代)

(写真は奈良 龍田大社の風鎮祭。別名 半夏生(ハンゲショウ/ハゲショ)祭とも呼ばれる

 土着の五穀豊穣を願う祭で、お神酒を楽しまれている村人。)







 2010年度 124册目




        『芭蕉句集 』から「発句集」‘夏’ 一部     45
        『芭蕉文集 』から「嵯峨日記」         46
                





 日本古典文学大系 45
 日本古典文学大系 46

 岩波書店



 


 来週あたりから本格的な休みに突入。三度三度の食事つくりの季節か・・・。

 今日は夕刻前まではわたし一人だったので、これ幸いと『芭蕉文集 』を開ける。

 芭蕉

 うんうん、

 とある尊敬している方に触発され、突然開いてみることに・・・。



 おもむろにページをめくるが親しみやすそう目次は「おくのほそみち」だけといった情けないわたし。

 ごそごそもじもじ見ていると「嵯峨日記」

 ああこれかこれかと気にはなっていた「嵯峨日記」を開ける。

 京都生まれのわたしには 懐かしい地名、懐かしい光景がむに浮かぶ流れの中で、難しい言葉がカリンのような堅い実となってページに定着。重たいぞ!カリン。(って、単にわたしには難しいだけ)



 上注釈と格闘しながら、わかった風でもなく一応最後まで読む。

 一通りのうわすべり。

 やはりノートを取りながら、といつも思いつつ、一向に向上しないわたし。



 古典講座は盆過ぎまではなく、それまでソフトにとりあえずページを開くが、芭蕉を開いたのは初めてで何処から手をつければいいのかわからない。

「竹斎」や「仁勢物語」の方がわかりやすいかなと自らの力不足を理由に、『芭蕉句集 』のページをあちこち。今日一日を芭蕉と過ごす。

 季節にあったくを見つけ、ゆっくり(乱)読む。昼閉じる「あさがお」か・・・。

 主婦のお遊びは「種」はできても「実」はならぬは「昼のあさがお」に同じとあきらめ遊ぶ。






        

       夏! 古き本、茶と化したセロファンのべたつきは うっとうしいことよのぅ・・・(爆)

       本が古く汗でべたつくセロファンと自分の阿呆さが忌々しい。

       









 
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『羽衣』      (7景)

2010-07-28 | 能楽・狂言




              『羽衣』









     











 大阪の天神祭で船能を聴いたよ。

 めでたい『三番叟』に続いて『羽衣』が舞われた。

 

『羽衣』を初めて楽しんだのは中学生の頃。

 学校から授業の一貫として、京都観世会館に二度連れていただいたことがある。

『羽衣』はその時が初めてだったな。

 能楽自体、次に見たのは平安神宮の薪能。

 ミニバイクで大学から直行。学生の頃、何度か見たっけ。

 

 初めの頃は『羽衣』よりももっとアップテンポのものが好きだったな。

 例えば『小鍛冶』とかね。

 最近『羽衣』のような優雅な曲を見聞きしいても感情移入して心がじんじんとこちらに響いてくるんだけど、わたしも大人になったのかな?

 少しは なかみも、ね^^

         よかったよかった これでおしまい
         







                        2010年7月24日    大阪にて











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暑中お見舞い申し上げます。

2010-07-28 | 乱鳥徒然 Rancho's room.




     暑中お見舞い申し上げます。
 


   みなさま、いつもご訪問下さいましてありがとうございます。

   暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛下さいませ。

   拙い記録ブログではございますが、これからもよろしく願い申し上げます。

   

                      
(写真は『羽衣』)











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123; 『法隆寺を歩く』 上原和著 岩波新書  新赤版 2009年

2010-07-28 | 読書全般(古典など以外の一般書)





2010年度 123冊目  

記録のみ






           『法隆寺を歩く』

  



 上原 和 著

 著者紹介
上原 和(うえはら・かず)1924年台湾台中市生まれ。1948年九州大学法文学部哲学科美学美術史専攻卒業。現在、成城大学名誉教授。専攻は美学・美術史。
著書─『玉虫厨子の研究』(日本学術振興会、のち巌南堂書店)、『斑鳩の白い道のうえに─聖徳太子論』(朝日新聞社、のち講談社学術文庫)、『トロイア幻想』(PHP研究所、のち講談社学術文庫)、『玉虫厨子─飛鳥・白鳳美術様式史論』(吉川弘文館)、『聖徳太子』(三彩社、のち講談社学術文庫)、『大和古寺幻想 飛鳥・白鳳篇』(講談社)、『世界史上の聖徳太子』(日本放送出版協会)ほか多数。


 岩波書店

 岩波新書  新赤版 1222

 2009年12月18日 

 226ページ 本体 798円






『法隆寺を歩く』を読む。

 興味ある部分は二度読みしたが、わかる部分は面白かった。

 固有名詞が多い。

 何度か行った法隆寺を思い浮かべて読み進める。

 法隆寺は中国の影響を受けているが、本書には事細かに記されていた。


 

 上は敦煌と法隆寺の飛翔天についての挿入図。

 飛翔天文様の軒平瓦は見てみたいものだ(144)



 今回も記録のみにて失礼申し上げます。


 



 岩波書店株式会社 説明より ▼




 魅せられつづけて五十年余の著者と、古寺をめぐる旅

 「世界最古の木造建築」を擁する古刹として、その名を知らぬ人のない世界遺産、奈良・斑鳩の法隆寺。しかし通り一遍に境内を歩くだけでは判らない、深い意味と魅力がこの寺院には秘められています。たとえば境内に、「若草伽藍跡」の名で呼ばれている一画があることをご存じでしょうか。残念ながら一般公開はされていませんが、現法隆寺の前身たる「鵤寺(いかるがのてら)」が建てられていたこの地は、法隆寺の由来や、聖徳太子の子孫である上宮王家一族の壮絶な最期を物語る「聖地」なのです。あるいは、有名な「玉虫厨子」を解体してみると、台座の一画には可憐な朱蓮のつぼみの落書が隠されています。いったい誰が、どんな想いで残した絵なのでしょうか。─そうしたことを知ってから訪れると、重ねられてきた歴史とともに、その奥深い魅力がいっそうの迫力をもって感じられます。

 著者は三十代のあるときに法隆寺に魅せられて以来、五十年余をその研究に捧げてきた美学・美術史家です。同時に文字通り世界じゅうの遺跡や美術館をめぐり、自身の眼で古代の絵画や彫刻等を見てきた方です。その著者の案内のもとに、知られざる聖域をも含めて境内を見て歩く本書を、次回法隆寺に行かれる前に、ぜひご一読ください。



■目次


 はしがき―法隆寺に魅せられて
 

序 章
在りし日の法隆寺の南大門跡に立って─厩戸皇子の生涯を偲ぶ
 
1 遥かなる明日香古京
2 厩戸皇子鵤宮を興てる―水陸交通の要衝
3 厩戸皇子鵤宮に居す―在家仏教徒としての日々
4 三経義疏の撰述

第一章
消された聖徳太子創建の鵤寺
 
1 若草伽藍跡に立つ―密閉された虚構の空間
2 山背大兄王等上宮王家一族の自決―忘れ去られた北岡の陵墓





3 若草伽藍跡の発掘調査―佐伯定胤管主の英断
4 蘇る在りし日の鵤寺―泥流跡から発見された柵列柱と猛火を浴びた壁画片

第二章
華麗なる玉虫厨子
 
1 推古女帝の御物として
2 玉虫厨子には何が描かれているか
3 聖徳太子の捨身行を偲ぶ―「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」
4 敦煌及び西域に「捨身飼虎図」をもとめて

第三章
西院伽藍を巡る
 
1 聖徳太子追善の庶民の寺―天武朝における法隆寺金堂の建立
2 虚空に坐す聖徳太子のお姿―法輪寺から移坐された止利仏師作釈迦三尊像
3 玉虫厨子に倣った金堂―美を競う白鳳の初唐様式
4 五重塔の維摩居士像と橘夫人厨子―藤原不比等と橘三千代との恋

第四章
東院伽藍に佇む
 
1 夢殿の前に立ちて想う―在りし日の鵤宮跡の発掘
2 夢殿の秘仏の扉は開かれて―フェノロサの遺著を読む
3 救世観音菩薩像に詣でる―摩尼宝珠の魅力
4 百済観音への慕情―水瓶をもつ指の嫋かさ

 おわりに―中門の前に立って
 出拠文献一覧
 図版引用元一覧
 あとがき




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河童いずこか 軒先吊るし あの子かわいや も一度腹に おさまり出よと 地蔵に願う

2010-07-27 | ことのは















    日照る大川 毛むくじゃら

    草刈り終えて けらけけけ

    橋下駄夏は 足長で

    集うガキンチョ 村渡し

    とりやとりどり 見得をきり

    真夏の雲や 川流れ

    河童いずこか 軒先吊るし

    あの子かわいや も一度腹に

    おさまり出よと 地蔵に願う






                     某民俗学者の書物を読んで つくりあそぶ




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「裸のマハ」「着衣のマハ」 愉快だね!ゴーヤ。     庭にて

2010-07-27 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


    

                愉快だね!ゴーヤ。







 ゴーヤがひとつもできないと思っていたら、庭の片隅にこんなに熟れてなっていたよ。

 毒々しいまでに、赤いな。



 目を凝らすと、他にも丁度いい具合の大きさのゴーヤができていた。

 今晩の一品にいい塩梅だな。



 二つのゴーヤを並べてみよう。

「裸のマハ」「着衣のマハ」みたいだな?

 うん?ゴーヤでなくって、ゴヤですって?

 失礼おば、致しましたm(_ _)m



 裸のマハは手に持つと、下の方が崩れたぞぃ。

 彼女は真っ赤な宝石を生んじゃったっよ。



 神秘的だな。不思議だな。
 
 真っ赤なお色は、自然界の賜物なんだね。

   

 庭にいくつかのゴーヤの赤ちゃんが育っているよ。

 葉はすずやかで夏の暑さを揺るいでくれる。

 実は食卓で、健康を育む。

 愉快だね!ゴーヤ。






                        2010年7月27日    庭にて







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122; 『観世流謡曲百番集』から 「石橋」「羽衣」 観世左近著 昭和52年 檜書店

2010-07-27 | 観世流(続)百番集、日本古典文学大系(謡曲)、能楽関係本

(写真は今年見た ねむの木)



 記録だけ 



 2010年 122冊目



  『観世流謡曲百番集』 から

       「石橋」「羽衣」

   



 観世左近 著

 檜書店

 昭和52年4月20日 第1版発行

 昭和52年4月30日 第55版発行



 

『観世流謡曲百番集』 から つい最近楽しむことができた「石橋」「羽衣」を何度か読む。

「羽衣」は能楽の中でも一番聴く機会が多く、ところどころだが覚えている部分もある。これは能楽初心者のわたしにとっては、嬉しいことだ。

 先日拝見した「石橋」は半能で、カッコいい部分が凝縮されていた。「石橋」はもとは中国の話だと説明頂いたが、そう考えると能は難しいなと、改めて感じる。

「石橋」は歌舞伎歌舞伎の演目(舞踊劇)にも転じられている。

 今年に入ってからは三月歌舞伎座で楽しんだ。

 樵人実は獅子の精 富十郎、童子実は文珠菩薩 鷹之資、寂昭法師 幸四郎らが演じられた。富十郎丈は若々しく、また、ご子息の鷹之資さんは堂々としたもので驚いてしまったことを思い出す。



 能楽会館で「石橋」を経験したことがある。

 しかし詳しくは思い出すことができない。

 ブログで調べると2008年の大阪能楽養成会研究発表会で観世流居囃子『石橋』を聴かせていただいていた。

 まだまだ若いのに、どうにも物忘れがはげしくっていけないな。



「石橋」を読んでいると次のような言葉が出てきた。



        然るにこの石橋と申すは人間の渡せる橋にあらず

        自れと出現して

        つづける石の橋なれば石橋と名付けたり 
 (現代仮名遣い、「行」かえる)

 何やら、カッコいいではないか。

 
 続いてあとに素晴らしい名文がいっぱい出てくるが、写しが大変なのでこの辺で終わりたいと思う いつもながらへたれのわたし。





 

 


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