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乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

乱鳥徒然       最近のマイブーム

2019-06-21 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 乱鳥徒然       最近のマイブーム


 六月も三分の二が終わり、残り十日ばかりとなった。

 来月の講座に必要な課題はとうに仕上げたので、あとは今月の復習を進めたい。


 スポーツジムへは六、七回は行ったものの、ここにきて随分とお休みして読書に勤しんでいる。

 この生活スタイルは、本来の私らしい過ごし方に近いとほくそ笑む。


 スポーツジムを休んでいる分、隙間時間を利用してストレッチに励んでいる。

 ジムスタジオで何度となく教えて頂いたことを自己流で実行すると、体も心も快適である。


 最近購入した自転車で買い物に行くと、原付バイクの時のように買いすぎることもなく、食材も吟味して購入。

 体にも家計にも優しい自転車が最近のマイブームである。

 
 Queen - Bicycle Race (Official Video)


 
 

 
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コクーン歌舞伎「切られの与三」  瀬川如皐「与話情浮名横櫛」(補綴:木ノ下裕一)演出・美術・潤色:串田和美 中村七之助 中村萬太郎 8!★/5★

2019-06-21 | TVで 歌舞伎・能楽



    コクーン歌舞伎「切られの与三」  瀬川如皐「与話情浮名横櫛」(補綴:木ノ下裕一)
    演出・美術・潤色:串田和美 中村七之助 中村萬太郎 8!★/5★






 コクーン歌舞伎「切られの与三」を楽しむ。

 満点が5★としているのに、8/5★

 歌舞伎本来の変化のあり方を目の当たりにみた、上質で素晴らしい出来の舞台に満点を超える評価とした。


 脚本も舞台構成も役者も音楽も素晴らしいとしか言いようがない。

 
 昨今、おちゃらけのような真???歌舞伎と申す輩が多い中、真の進化した歌舞伎を拝見させていただいた、これぞ歌舞伎といった感じがする。


 見終えて、私は無性に東京に行きたくなった。いた、東京に住みたくなった。

 夫に相談をすると、年に何度か東京に行っても良いというお許しが出た。

 関西では展開されてない作品が、東京では見ることができる。

 博物館や美術館と合わせて、本質的にすば足し胃舞台を日本にいながらに敷いてみてみたい。

 そう行った衝動にかられる作品であった。


 大舞台も撮ことながら、音楽も素晴らしかった。

 和と洋の融合。

 芝居が終わった後、串田和美監督はJAZZにも触れられていたが、途中でデビッド・ボウイの曲のフレーズが少し奏でられた。

 舞台の場にふさわしい挿入であった。


 全ての役者の方々が素晴らしい。

 故芝翫丈の香りがする七之助さんをこれまでから好きであったが、一層好きになった。

 この役者さんは、形といい演技力といい、声といい、素晴らしい!!!

 この役柄には、七之助さんがぴったりであった。

 この役者さんでこのお舞台が見たい!!!

 関西にもこういった舞台が興行されるといいのだが!!!と、苦笑する。


 コクーン歌舞伎「切られの与三」が素晴らしかったので、本日から、『名作歌舞伎全集 第十六巻』「与話情浮名横櫛」を読み始めた。

 なじみの場面から後も『名作歌舞伎全集 第十六巻』には載せられているように思う。

 舞台を見終えて原作を読みたくなると行ったお舞台は、出来の良い上質な舞台の証拠である。

 演出かも役者も見事に観客の心を掴んで離さない。

 



 
  串田 和美とは   ウィキペディアより ▼


 串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、日本の俳優、演出家。日本大学藝術学部特任教授。

 東京都小金井市出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業[1][2]、日本大学芸術学部演劇学科中退。
 父は哲学者・詩人の串田孫一。弟はグラフィックデザイナーの串田光弘。祖父は三菱銀行初代会長の串田万蔵。母方の祖父は侯爵佐佐木行忠。

 プロフィール
1965年俳優座養成所を卒業し劇団文学座入団
1966年佐藤信、斎藤憐、吉田日出子らと共に自由劇場を結成。六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」を本拠地とする。
1968年自由劇場と六月劇場、発見の会が合体して演劇センター68(のちの黒テント)が組織され全国移動公演に移行。1969年9月、観世栄夫と共に東ドイツに渡り、1か月東ベルリンに滞在。その後1970年3月まで1人でフランスに滞在。
1971年黒テントを脱退。1972年、自由劇場の実質解散後、吉田日出子に声を掛け、六本木自由劇場を本拠地に演劇活動を再開。この頃から演出、美術を手がける。
1975年、正式にオンシアター自由劇場に劇団名を改める。『上海バンスキング』(1979年)、『もっと泣いてよフラッパー』(1977年)、『クスコ』などのヒット作を産み出す。この時期、俳優としては藤川延也という芸名を用いた。
1985年、Bunkamura中劇場「シアターコクーン」芸術監督に就任。劇場設計に初期段階から携わる。
1987年、自主制作映画『上海バンスキング』で初監督[7]。
1989年の劇場オープンと同時に、オンシアター自由劇場もフランチャイズ契約を結ぶ。9月の杮落とし『A列車』を皮切りに、劇場レパートリー制の導入、毎回異なる演出家による『夏の夜の夢』の連続上演、「コクーン歌舞伎」など、精力的な劇場運営を行う。
1996年2月、シアターコクーン芸術監督任期満了と同時にオンシアター自由劇場も解散。
2000年日本大学藝術学部演劇学科教授 兼 芸術研究所教授に就任。
2003年4月にまつもと市民芸術館館長 兼 芸術監督に就任。
コクーン歌舞伎、平成中村座公演を始めとする歌舞伎公演の演出もし、テレビCMなど多方面にて活躍中である。
2006年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2007年、まつもと市民芸術館を拠点として活動する劇団、まつもと市民芸術館レジデントカンパニーを結成。同2007年、第14回読売演劇大賞最優秀演出家賞(「東海道四谷怪談 北番 2008年、紫綬褒章、2013年、旭日小綬章受章
2011年、日本大学藝術学部放送学科特任教授に就任。
2012年、まつもと市民芸術館レジデントカンパニーをTCアルプに改名する。
2015年、第22回シビウ国際演劇祭で「ウォーク・オブ・フェイム」を受賞[10]。
コクーン歌舞伎、平成中村座、歌舞伎公演演出やテレビCMなどで活動中。

著書
もっと泣いてよ、フラッパー (而立書房 1982年)
幕があがる (筑摩書房 1996年)
串田戯場:歌舞伎を演出する (ブロンズ新社 2007年)





  wowow公式HPより ▼

 コクーン歌舞伎に新たな歴史が刻まれた。江戸世話物の名作「与話情浮名横櫛」が、中村七之助の主演、串田和美の新演出で生まれ変わった話題作。

 上演台本を担当した木ノ下裕一はコクーン歌舞伎に初参加。木ノ下が主宰している木ノ下歌舞伎は、現代的な要素を持ち込んだ歌舞伎にアプローチしている団体。演出の串田和美とのコラボレーションは必見だ。主人公の与三郎を演じるのは中村七之助。お富を演じるのは若手注目株の中村梅枝。その弟の中村萬太郎も登場し、ともにコクーン歌舞伎初参加となる。また、中村扇雀、片岡亀蔵、笹野高史らコクーン歌舞伎を支え続けてきた面々が、熱気あふれる舞台をお届けする。


コクーン歌舞伎に新たな歴史が刻まれた。江戸世話物の名作「与話情浮名横櫛」が、中村七之助の主演、串田和美の新演出で生まれ変わった話題作。
古典歌舞伎の名作に現代的な演出を施し、新たな文化を発信してきたコクーン歌舞伎の第16弾。主演の中村七之助が34カ所の傷を負い、自らの運命に苦しみもがく男を迫力の演技で披露する。
「切られの与三」の原作「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」は歌舞伎の人気演目の一つで、互いに一目惚れしてしまった与三郎とお富が別れと再会を繰り返し、さらにお家騒動も絡む大長編。通し上演が難しいこの作品に真っ向から取り組んだ。
【あらすじ】
江戸の大店の息子与三郎(中村七之助)は、家を勘当され江戸に帰ることを夢見ながら木更津で暮らしていた。そんな与三郎は浜で美しい女性・お富(中村梅枝)と出会う。お富は元深川芸者で、木更津の土地の親分・赤間源左衛門(真那胡敬二)に請け出された身だった。お互い一目で恋に落ち、密会する与三郎とお富。しかし逢瀬の現場を源左衛門に踏み込まれてしまい、捕らわれた与三郎は顔や体に34カ所の刀傷を負わされる。そして逃げ出したお富は海へと飛び込んでしまう。
3年後、生々しい傷を残したまま江戸へと戻った与三郎は、自らの傷を見せては相手を驚かす「切られの与三」となり、ごろつきの安五郎(笹野高史)とともにゆすりやたかりを働いていた。一方、身投げしたお富は、溺れているところを助けてくれた男の元で世話になっていた。そこに安五郎とともに現われた与三郎は、お富と運命の再会をする。
収録日・収録場所
2018年5月23日/東京 Bunkamuraシアターコクーン

出演
中村七之助
中村梅枝
中村萬太郎
中村歌女之丞
中村鶴松
真那胡敬二
笹野高史
片岡亀蔵
中村扇雀
スタッフ

瀬川如皐「与話情浮名横櫛」
補綴
木ノ下裕一
演出・美術・潤色
串田和美
音楽
Dr.kyOn


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『弾左衛門の謎 歌舞伎・吉原・囲内』芝居「助六」の意休における意味合いが詳しく描かれている。 塩見鮮一郎 三一書房 1997年

2019-06-21 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

    『弾左衛門の謎 歌舞伎・吉原・囲内』芝居「助六」の意休における意味合いが詳しく描かれている。 塩見鮮一郎 三一書房 1997年 P268



 本日、『弾左衛門の謎 歌舞伎・吉原・囲内』を読了。

 前半の2/5は ○タ頭である弾左衛門やその人物が存在した頃の時代的背景が書かれており、私にとってはあまりきょみが湧かなかった。

 しかし90ページを越す頃から歌舞伎や芝居こやの話に変わる。

 また、読み進めると、初代v、2代目團十郎の話や芝居のあり方、歌舞伎『助六』における髭の意休の意味合いなどが、台詞を通して事細かに説明されている。

 芝居の『助六』は役者を変えて複数回観ている非常になじみの演目であるが、このように深い意味合いがあったことは知らなかった。

 また現代では脇の相撲取り風に出てくる二人の役柄も、違う意味合いがあったことは知らなかった。

 おそらく、今は役者の方もそこまで事細かに知っている人は一部の素晴らしい役者を除いてはないのではないかと思う。

 又は演出や演じ方を恋に湾曲し、あるいは、今風にいえば差別的配慮を考慮しての舞台に変化させているのだとも感じられる。


 私は助六といえば松嶋屋さんの仁左衛門丈を思い浮かべるが、この役者さんや本家の成田屋さんなら、勉強されているのではないかと感じる。


『弾左衛門の謎 歌舞伎・吉原・囲内』を 芝居の『助六』の台詞や市議さを思い浮かべながら、丁寧に読んで観た。

 なるほどと納得する部分も多くあった。

『助六』は歌舞伎の中でも心がときめく名作の一つなので揚巻の美しさや重厚さと助六の心意気さ、心憎々しい意休、又それを盛り立てる周りの役柄の話の展開を王だけでも楽しむことができる。

 又、助六が『雨の五郎』でもある蘇我五郎と知る観客も多い。

 人それぞれの楽しみ方で、大変たのしめる心がときめく芝居だと感じる。


 しかし、今回『弾左衛門の謎 歌舞伎・吉原・囲内』で知った『助六』の意味合いは、いい意味でも悪い意味でも衝撃的であった。

 上にも書いたが、助六と意休の言葉のやりとりなどが事細かに思い出される。

 今一度、原作で読んで楽しみたい。


 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。







 1997年初版 四六判 P268

 “謎と秘密につつまれた弾左衛門の出自。江戸中期の歌舞伎界、芸能興行権をめぐる対立、抗争に焦点をあて、弾左衛門の姿を浮き彫りにする”(帯文)

 目次:
 はじめに

第一章 出身地の火打村
 {第一節 現在よりも過去/第二節 由緒書第一項/第三節 摂津国池田/第四節 火打村/第五節 火打村起源/第六節 多田源氏/第七節 東光寺とエミシ/第八節 肉食禁止と皮革/第九節 検非違使と/第十節 別所とエタ/第十一節 鎌倉と京都/第十二節 様式と装飾/第十三節 弾左衛門と頼朝/第十四節 弾左衛門と家康/第十五節 鎌倉弾左衛門と江戸弾左衛門/付節 「鎌倉弾左衛門」}

第二章 勝扇子事件
 {第一節 からくり師・小林新助/第二節 京から江戸へ/第三節 宝氷山誕生/第四節 江戸の芝居小屋/第五節 小林新助顔見世/第六節 革買治兵衛の登場/第七節 悶着/第八節 町奉行での新助口上/第九節 弾左衛門/第十節 新町囲内/第十一節 四代目弾左衛門/第十二節 対決、その一/第十三節 対決、その二/第十四節 対決、その三/第十五節 対決、その四/付節 弾左衛門提出の「証文」について}

第三章 勝利宣言『助六』
 {第一節 『日記』のてんまつ/第二節 市川団十郎/第三節 市川団十郎の『助六』/第四節 髭の意休/第五節 意休とはだれか/第六節 意休考証史/第七節 子分の描写/第八節 エタと吉原/付節 その後

〈参考資料〉
資料1 勝扇子/資料2 差上申証文事

 おわりに
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