志賀直哉旧居 (しがなおやきゅうきょ) 奈良市高畑町1237-2
志賀直哉旧居に行く。
この周辺は歩いてもよし、自転車をノッテの散策もよし。
心が落ち着く地域である。
志賀直哉旧居の庭の桜のつぼみはまだ固い。
あと十日といったところかと感じる。
志賀直哉旧居のサロンでお話を聞いた。
この空間で、わたくしが小学五年生の頃にはまった武者小路実篤が討論を交わしたのかと思うと、心に込め上げてくるのもがあった。
武者小路実篤。
まだ十歳そこそこの小娘が、武者小路の面白さにはまったのはなぜかと思い、近年、武者小路実篤の小説を読んでみたが、、、
私の子どもの頃の感性は間違っていなかったと確信がめてるほどに面白かったことを付け加えておきたい。
この辺りは今回で三度目。
話は飛ぶが、
そのうち二回は新薬師寺さんにお参りする。
ここのお堂の仏像たちも、仏像と対話するといった言葉が似合う。
東大寺の法華堂と新薬師寺のお堂の独特な空間の空気は、わたくしは好きだ。
志賀直哉旧居(しがなおやきゅうきょ) (以下はウィキペディアよりン引用)
奈良県奈良市高畑町にある文学館。白樺派の小説家志賀直哉の旧居。高畑サロンとも呼ばれる。一般公開されており、また学校法人奈良学園のセミナーハウスとしても使用されている。
概要
1925年(大正14年)に京都山科から奈良市幸町に引っ越してきた志賀は、奈良公園に隣接し若草山の眺望も良い高畑に居宅を1929年(昭和4年)に4月に竣工、建設した。
この際自ら設計に携わり、1938年(昭和13年)から東京に移り住むまでの10年間を家族と共にこの家で過ごした。
数寄屋造りに加え洋風や中国風の様式も取り入れており、洋風サンルームや娯楽室、書斎、茶室、食堂を備えたモダンかつ合理的な建物であった。
書斎は、天井が葦張りの数奇屋作りで窓から和風庭園と借景である若草山の眺望をうることができる。
三蓋山、高円山の眺めが美しく、庭園も執筆に疲れた時に散策できるように作られていた。
志賀はここで『暗夜行路』『痴情』『プラトニック・ラブ』『邦子』『鳥取」『雪の遠足』『リズム』『万暦赤絵』『日曜日』『颱風』『豊年虫』などの作品を執筆した。
志賀を慕って武者小路実篤や小林秀雄、尾崎一雄、若山為三、小川晴暘、入江泰吉、亀井勝一郎、小林多喜二、桑原武夫ら白樺派の文人や画家、また陶芸家今西洋など様々な文化人がしばしば訪れ、文学論や芸術論などを語り合う一大文化サロンとなり、いつしか高畑サロンと呼ばれるようになった。
2000年に、主屋、表門、塀が国の登録有形文化財として登録された。
2008年2008年、奈良学園により11月1日から当時(昭和初期)の姿に復元する改修工事が行われた。設計・施工は奥村組。 2016年に、奈良県指定有形文化財(建造物)に新規指定された。
建築概要
- 設計 - 志賀直哉、下島松之助
- 施工 - 下島松之助
- 竣工 - 1929年
- 構造 - 木造、数寄屋造
- 敷地面積 - 1,440m2
- 延床面積 - 442m2
- 所在地 - 〒630-8301 奈良県奈良市高畑大道町1237-2