婦人公論誌で「ヨーガと心理」の連載執筆をしていた時、担当の編集者の
紹介で雑誌の挿絵を描いている画家に会いました。
その時に聞きましたがNさんはだんだん目が悪くなり、いくら治療しても
良くならず、画家という職業柄大変困っていたそうでした。
すると「今とても霊能力があり、いろいろな人が良くなっている霊能者が
いるのでそこに行ってみたら」と知人に勧められたそうで、半信半疑
でしたが、藁にもすがる思いでその先生を訪ねたそうです。
すると「あなたには水死した霊がついているのでご供養するように」
と言われたので、母親に聞いてみたら思い当たる人がいて、その方の
供養をしたそうです。すると、だんだん目が見えるようになり、仕事
以前のようにできるようになったという話でした。
私は困っている訳ではなく、あまりにも幸運続きで「これはきっと守護霊様が
お導き下さるのかも知れないので、その守護霊様がいて下さるのなら、感謝の
気持ちをお伝えしたい」そのため、その霊能者の先生に調べて頂きたいと
思ったからでし。紹介された電話はテープが回っていましたが、その頃は
霊能詩人としてあまりにも有名になり過ぎたため、個人的には会うのを
避けていたようでした。そのテープは「ご相談の内容、生年月日、写真を
付けて送付して下さい。お返事は1年以上かかります」でした。
私はそのご指示通りにして、ご供養料を同封して送りました。
それから一年後にお返事が来たのですが、「小池能里子さん、あなたにて
供養いたしますは、19歳結核で死亡の男の人にて中背にて、頭よく声の
低い人也。供養いたして健康安全を祈願をいたして仕事順調みなさん
と仲良く生活していくよう祈願す、あなたは幸せな人です(57308)」と
書いてありました。私は守護霊様はいて下さったのだと、嬉しくなり
ました。その霊能詩人とは、美智子殿下がまだ皇后様だった時代に「頬よ」
という詩を朗読なさったのが、有名な「竹内てるよ先生」の詩でした。
すでに竹内先生が没後何年か経っていましたが、そのため著書が「復刻版」
として書店に並んだのを今でも覚えています。