ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

私の霊体験(5)

2021-12-12 05:31:30 | エッセー

 婦人公論誌で「ヨーガと心理」の連載執筆をしていた時、担当の編集者の

紹介で雑誌の挿絵を描いている画家に会いました。

その時に聞きましたがNさんはだんだん目が悪くなり、いくら治療しても

良くならず、画家という職業柄大変困っていたそうでした。

すると「今とても霊能力があり、いろいろな人が良くなっている霊能者が

いるのでそこに行ってみたら」と知人に勧められたそうで、半信半疑

でしたが、藁にもすがる思いでその先生を訪ねたそうです。

すると「あなたには水死した霊がついているのでご供養するように」

と言われたので、母親に聞いてみたら思い当たる人がいて、その方の

供養をしたそうです。すると、だんだん目が見えるようになり、仕事

以前のようにできるようになったという話でした。

私は困っている訳ではなく、あまりにも幸運続きで「これはきっと守護霊様が

お導き下さるのかも知れないので、その守護霊様がいて下さるのなら、感謝の

気持ちをお伝えしたい」そのため、その霊能者の先生に調べて頂きたいと

思ったからでし。紹介された電話はテープが回っていましたが、その頃は

霊能詩人としてあまりにも有名になり過ぎたため、個人的には会うのを

避けていたようでした。そのテープは「ご相談の内容、生年月日、写真を

付けて送付して下さい。お返事は1年以上かかります」でした。

私はそのご指示通りにして、ご供養料を同封して送りました。

それから一年後にお返事が来たのですが、「小池能里子さん、あなたにて

供養いたしますは、19歳結核で死亡の男の人にて中背にて、頭よく声の

低い人也。供養いたして健康安全を祈願をいたして仕事順調みなさん

と仲良く生活していくよう祈願す、あなたは幸せな人です(57308)」と

書いてありました。私は守護霊様はいて下さったのだと、嬉しくなり

ました。その霊能詩人とは、美智子殿下がまだ皇后様だった時代に「頬よ」

という詩を朗読なさったのが、有名な「竹内てるよ先生」の詩でした。

すでに竹内先生が没後何年か経っていましたが、そのため著書が「復刻版」

として書店に並んだのを今でも覚えています。

 

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