
仏教の発祥から多数の部派への分岐と仏教の多様化、日本での展開を概観。仏教に関する基本事項をわかりやすい筆致でかいつまんで説明してくれている。部派の分岐の実相は中国の百家争鳴、あるいは儒家の学派の分岐を考えるうえでの参考になるかもしれない。日本仏教については、従来のほぼすべての仏教思想ほ包含する広大な宗教世界を構成していると多様性を評価しつつも、当初から律蔵を欠いたことから、伝統敵に僧兵や一向一揆、近代に戦争協力をするなど、間接直接に暴力を肯定することになったと批判する。
読了日:03月01日 著者:佐々木 閑

古代エジプト通史を期待したが、文字通り古代エジプト文明史だった。通史的な面もあるものの、アマルナ時代、ラメセス2世の時代といった具合に特定の時期をピックアップするという方式で、文明のあり方や文明の伝播に多く紙幅を割いている。文明の伝播に絡めてアレクサンドロス大王を大きく取り上げるというのは古代エジプト史としてはちょっと変わってるかもしれない。アレクサンドロス以後の時代だけで本編9章分のうち3章分を占めている。それでもポンペイの遺物からエジプトの要素を見出す話なんかは面白い。
読了日:03月03日 著者:大城 道則

言語学から神話の成立を探る試みということになるだろうか。本書を読んで、昔日本神話の概説書(確か上田正昭『日本神話』だったと思う)で、神話そのものの分析・考察ではなく神々の名前に込められた意味をひたすら探っているのにうんざりした記憶があるが、ああいう研究の発想の源はここにあったのかと納得した。松村一男氏による解説はその後の神話学や宗教学などの展開をまとめていて有用。
読了日:03月05日 著者:フリードリヒ・マックス・ミュラー

朱子学が江戸幕府の官学となったのは寛政異学の禁以後であり、「兵営国家」日本を支えた思想は兵学であったという。その兵学の中心となる『孫子』の注釈は多く儒者によって書かれた。朱子学においても、古賀侗庵の思想からは婦人の再婚を認め、殉死に反対し、特に武家の蓄妾を批判するなど、女性解放の思想が見られという指摘や、蘭学者の国家意識や「国益」をめぐる議論を面白く読んだ。しかし自由闊達な源内からも中国に対する蔑視が見て取れるのにはうんざりしてしまうが。
読了日:03月08日 著者:前田 勉

1月刊行の大城道則『古代エジプト文明』と内容が重複する部分もあるが、あちらが通史を核とした概説的な内容だったのに対して本書は王権論を核とした各論となっている。著者の個人的な体験が盛り込まれていたり、ミイラやピラミッドの専論的な章節もある。ピラミッドを王墓とした大城書に対し、本書では一部のピラミッドは王墓と言えるかもしれなが、現在の状況ではすべてのピラミッドが王墓と断言するのは難しいという立場を取る。
読了日:03月13日 著者:馬場 匡浩

『史記』游侠列伝で取り上げられている侠客・郭解の半生をたどりつつ当時の文化や社会、歴史を紹介するという趣向。前著『古代中国の24時間』とは打って変わって刺客による暗殺だとかニセ金造りだとか何やらきな臭い話題が中心。ニセ金造りで捕まった人が国家による銭の鋳造に従事させられていたという話が面白い。著者の『史記』の読み込みぶりも読み所となっている。終盤では郭解の生涯と関連付ける形で刺客と游侠の違い、そして現代のネットによる私的制裁へと話が広がっていく。
読了日:03月16日 著者:柿沼 陽平

フィリピンの廟でサント・ニーニョ(聖嬰=少年イエス)が玉皇三太子として祀られていたり、シンガポールの廟でガネーシャが祀られていたりといった習合ぶりを見てると、日本の神仏習合もアジアとしては当たり前と思えてくる。シンガポール最古の仏教寺院で祀られている華光像が宇治の萬福寺の華光像と酷似しているというのには何だか胸が熱くなる。
読了日:03月18日 著者:二階堂 善弘

アレクサンドロス大王以前の状況と、大王の死後の状況をまとめる。マケドニア史にはマケドニア人自身の手による史料が不足しているということだが、それでもこれだけのものが書けるのだなという印象。マケドニア王国の成立から扱っているが、分量としてはフィリッポス2世に関する内容がかなりを占める。フィリッポスが学者たち、特に歴史家を動員して自己宣伝に努めたり、征服地に自分の名を冠した都市名を着けるといったことが息子に受け継がれたなど、息子の先蹤としての事跡が目立つ。
読了日:03月19日 著者:澤田 典子

蘇秦列伝、孟嘗君列伝、張儀列伝の分析を通して、蘇秦・張儀と合従連衡策が結びつけられたのが武帝期まで下ること、司馬遷の編纂意図に沿わない材料であってもなるべく保存しようとしたことなどを議論する。本書に言うように、戦国の「縦横家」の活躍が前漢時代のそれの投影であり、司馬遷自身が彼らと交流があったとすれば、『史記』の編纂を越えて彼らの活躍を前提とした戦国史、あるいは彼らの存在が意識されていなかった前漢史認識も問題になってくるのではないか。そういった文脈で今後の研究の可能性を提示した書と言えるだろう。
読了日:03月21日 著者:斎藤 賢

貨幣が必ずしも額面通りの価値で流通しなかった時代の話。中国銭が中国本土や日本以外にもベトナムで流通していたということや、ピカピカの貨幣より青錆の見える古色がかった銅銭が日本で珍重されたこと、南宋時代の紙幣の流通が日本への宋銭の渡来に関係したこと、日本で銅銭が大仏などの材料として用いられたことなどが印象に残った。中国王朝が基層社会での少額の通貨の十分な流通を重視したことは、あるいは現代中国で100元札以上の紙幣が存在しないことと関係しているかもしれない。
読了日:03月23日 著者:黒田 明伸

第2章で議論されている胡適と顧頡剛が崔述を「再発見」したことと顧のいわゆる加上説が日本の影響によるものとは必ずしも言えないのではないかという点が一番の注目ポイントか。従来一緒くたに扱われがちだった顧頡剛と傅斯年の関係を再検証しているのも読み所。一方で顧・胡・傅の三者に注目すると言いつつも、当時の古史や考古学の学術史をこの3人だけで語りきれるはずもなく、第6章で郭沫若が唯物史観に依拠したことについて、従来のように否定的に扱っていない点も評価できる。
読了日:03月27日 著者:竹元 規人