『大明風華』第23~32話まで見ました。
これまで永楽帝のブレーンとして登場した姚広孝、人生最大のチャレンジを披露して退場。
永楽帝は都を南京から順天府、現在の北京へと遷し、落成したばかりの紫禁城にて朱瞻基が正式に太孫に冊封されます。そして孫若微が太孫嬪に、漢王の推薦を得た胡善祥が太孫妃に封じられます。
この前後に永楽帝によるオイラート親征の準備を着々と進めます。太子は親征をやめるよう諫言しますが、聞き入れられることはなく、後方からの支援を任されることに。
で、漢王、趙王と太孫を伴って遠征開始。オイラート側はタタール部など他のモンゴル諸部族と同盟して迎え撃ちます。
于謙は前線勤務に回されてましたが、親身になって世話を焼いてくれた投降モンゴル人の上司が実はオイラートのマフムード・ハンで、自らスパイとして長年明軍に潜り込んでいたという衝撃の事実が判明したりします。
これと前後してその孫にあたる若き日のエセンも登場。明朝にとっては後に因縁の相手となる人物です。
前線では明側が苦戦を強いられ、永楽帝が病となります。後方は後方で元々病弱だった太子が重篤に陥ります。前線と後方でそれぞれ皇位継承を巡る思惑が交錯し、永楽帝は自分の死後靖難の変の二の舞となることを恐れ、太子を廃して漢王を後継に据えようと考えるようになります。
当然太孫はそれに不満で、永楽帝が陣中で病没するとその死を漢王、趙王に秘匿し、秘密を知る文官の楊士奇を味方につけます。そして密かに前線から抜け出して北京へと舞い戻り、父母にも決意を迫ります。
自分自身も明日をも知れぬ状態ということで、当初は永楽帝の思し召し通り漢王に皇位を譲ろうとした太子も翻意して即位。これが洪熙帝となります。
そして父帝即位という既成事実を作り上げた太孫は前線に戻り、漢王、趙王らに永楽帝の死を公表。不満の2人を屈服させ……というあたりで次回へ。
これまで永楽帝のブレーンとして登場した姚広孝、人生最大のチャレンジを披露して退場。
永楽帝は都を南京から順天府、現在の北京へと遷し、落成したばかりの紫禁城にて朱瞻基が正式に太孫に冊封されます。そして孫若微が太孫嬪に、漢王の推薦を得た胡善祥が太孫妃に封じられます。
この前後に永楽帝によるオイラート親征の準備を着々と進めます。太子は親征をやめるよう諫言しますが、聞き入れられることはなく、後方からの支援を任されることに。
で、漢王、趙王と太孫を伴って遠征開始。オイラート側はタタール部など他のモンゴル諸部族と同盟して迎え撃ちます。
于謙は前線勤務に回されてましたが、親身になって世話を焼いてくれた投降モンゴル人の上司が実はオイラートのマフムード・ハンで、自らスパイとして長年明軍に潜り込んでいたという衝撃の事実が判明したりします。
これと前後してその孫にあたる若き日のエセンも登場。明朝にとっては後に因縁の相手となる人物です。
前線では明側が苦戦を強いられ、永楽帝が病となります。後方は後方で元々病弱だった太子が重篤に陥ります。前線と後方でそれぞれ皇位継承を巡る思惑が交錯し、永楽帝は自分の死後靖難の変の二の舞となることを恐れ、太子を廃して漢王を後継に据えようと考えるようになります。
当然太孫はそれに不満で、永楽帝が陣中で病没するとその死を漢王、趙王に秘匿し、秘密を知る文官の楊士奇を味方につけます。そして密かに前線から抜け出して北京へと舞い戻り、父母にも決意を迫ります。
自分自身も明日をも知れぬ状態ということで、当初は永楽帝の思し召し通り漢王に皇位を譲ろうとした太子も翻意して即位。これが洪熙帝となります。
そして父帝即位という既成事実を作り上げた太孫は前線に戻り、漢王、趙王らに永楽帝の死を公表。不満の2人を屈服させ……というあたりで次回へ。