博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『水滸伝』その2

2011年02月23日 | 中国古典小説ドラマ
『水滸伝』第8~13話まで見ました。

五台山で修行生活を送る魯智深ですが、坊主になっても酒だけはやめられません。街で大酒をかっ食らって寺に戻ったところ、門番の不興を買って中に入れてもらえず、それが原因で山門や金剛像を破壊し、止めに入った僧侶達を負傷させるなど、大立ち回りを繰り広げることに。これまで散々魯智深を庇ってきた智真長老ですが、今回ばかりは庇い立てできず、智深を開封の大相国寺に預けることにします。

智真長老は餞別替わりに重さ六十二斤の禅杖を智深に与えますが、これを軽々と振り回して見せ、禅杖を使った技まで伝授します。実は智真長老、その世界では名の知られたカンフー・マスターなのでありました!ここで(仏法ではなく武術の)弟子に林冲・盧俊義・史文恭がいることも判明。盧俊義と史文恭は曽頭市の場面で絡みがあるので、後の展開が楽しみですね。

一方、林冲は裁判を担当した開封府尹の尽力により、死刑を免れて滄州へと流罪となります。その出発当日に大相国寺の菜園で魯智深と出会い、義兄弟の契りをかわすことに。これまでそれぞれのエピソードが同時に進行し、出会う間も無かった2人ですが、これで話の帳尻が合いましたね。当然野豬林でも魯智深が董超・薛覇に殺されそうになった林冲を救います。

魯智深のおかげで無事に滄州に着いた林冲ですが、監獄の管理人に渡す賄賂の相場銀十両が工面できずに困っていたところ、富豪の柴進が近くにやって来たのを見て、監守の制止を振り切って柴進と対面し、銀十両を貸してくれるよう請願。林冲、変な所でアグレッシブだな(^^;) ちなみに柴進を演じているのは『隋唐英雄伝』・『大敦煌』などでお馴染みの黄海氷です。

林冲に銀十両を快く与えようとする柴進ですが、そこで付き人の洪教頭が銀を奪い取り、棒で勝負して勝ったら銀を返してやるということに。両手両足に枷がはめられている林冲ですが、洪教頭にあっさり勝利。改めて林冲に多額の賞金を与えようとする柴進ですが、林冲はそれを断ってあくまでも洪教頭に銀十両を返すよう要求。面子を潰された洪教頭は今度は刀を振り回し、仲間とともに襲いかかりますが、林冲はこれにも勝利。勝ち取った銀十両の使い道さえ知らないふりをすれば、最高にカッコいい場面です。

無事に賄賂も渡せて、その後しばらくは流刑ライフを満喫していた林冲。しかしそこへ高俅の意を承けてやって来た陸謙が、林冲の持ち場である秣置き場に放火。陸謙に怒りの鉄拳を食らわせる林冲ですが、秣置き場焼失の罪と殺人罪によってお尋ね者となり、柴進の紹介で梁山泊へと落ち延びることに。ということで、ようやく我らが梁山泊が出て来ましたよ!
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『甲骨文字小字典』

2011年02月20日 | 中国学書籍
落合淳思『甲骨文字小字典』(筑摩選書、2011年2月)

『甲骨文字の読み方』等でお馴染みの落合氏による甲骨文字の字典ということでチェックしてみましたが、小学校段階での教育漢字約300字に絞ったということで、白川静『常用字解』とコンセプトが似通っちゃったのが何とも残念です。思い切って現在ではそれほど使われていないが、甲骨文では頻用されている文字とか、現在では存在しない文字をドシドシ取り入れた方が、『常用字解』と差別化する意味でも、甲骨文の世界観を示すという意味でも良かったのではないかと思います。

本書では各文字ごとにその文字の成り立ち(すなわち字源)と、甲骨文中での意味・使われ方とがそれぞれ説明されており、必ず甲骨文の例文が付されているのが評価できます。字源の部分では随分と白川静の説が批判されていますが、例えば「曲」字の項(本書307頁)で「加藤・白川は竹などを曲げて作った器とし、藤堂は曲がったものさしとするが、甲骨文字には、原義や成り立ちを明らかにできる記述がない。」としているように、甲骨文での用例から字源説にツッコミを入れるという批判の仕方が多いのですが、このあたりは字源と甲骨文での用いられ方をごっちゃにしているんじゃないかという気が……

また、「室」字の項(本書259頁)で、「白川は、死者を殯葬する板屋を作る際に矢を放って場所を占ったため、『室』に矢が到達する形の『至』を含むとするが、殷代にそのような習慣があったことは確認されていない。」としているように、字源と民俗とを結びつける白川の方法を批判していますが、むしろ白川静からすると、字形からそのような民俗が確かに存在したのだと証明できるという考え方だと思うので、批判の仕方としてはあんまり有効ではないと思います。私自身も白川静的な字源解説には不満を持つことが多いので、ツッコミの入れ方にもうちょっと工夫があれば良かったと思う次第。

あるいは、字源については余程確かな文字以外は言及しない、もしくは字源の項目ごと思い切って削除してしまった方が良かったのかもしれません。甲骨文中での意味や使われ方の解説だけでも『甲骨文字小字典』としては充分に成立したはずですし、むしろテキストとしての甲骨文の読解に本当に必要なのはその部分なのですから。(まあ、でも一般的には字源解説の方が需要があるのでしょうけど……)

あと、「豊」字と「豐」字とは区別すべきではないかとか、「福」字の項で挙げられている文字は「福」字ではない(現在では「祼」字とされることが多い)とか、細かな問題点はたくさんありますが、煩瑣になるので省略します。
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『水滸伝』その1

2011年02月19日 | 中国古典小説ドラマ
ということで、新版の『水滸伝』を見始めました!今回のドラマ版は全86話という長丁場で、昨年見た全95話の『三国』と同様どこまで話が引き延ばされているのかと不安になりつつ、第1話から第7話まで鑑賞。

原典では洪太尉が龍虎山で百八の魔星を解放した縁起話の後は「九紋龍」史進の話へと移っていきますが、今回のドラマではいきなり宋江や晁蓋らが登場して生辰綱を強奪する話の序盤が展開し、洪太尉の話も宋江と公孫勝との会話の中で語られます。その後も魯智深と林冲の話が交互に展開されるなど、原典とは話の順序をだいぶ入れ替えてますね。

で、トップに来るはずの史進が王進と出会ってその弟子になる話は、林冲篇の中で回想という形でザザッと語られることに。まあ、見てる方も史進篇を長々とやられるよりは、魯智深や林冲をさっさと見たいでしょうしね。ちなみに史進の話が林冲篇で語られるのは、ドラマでは林冲と王進とが元同僚で、林冲が王進との縁で史進の面倒を見ているという設定になっているためです。

魯智深篇は、まだ出家する前の魯達が「鎮関西」こと肉屋の鄭の妾にされかけた金翠蓮を救うため、うっかり「鎮関西」を殺してしまい、流れ流れて五台山で出家して魯智深となったものの、天性のフリーダムな性格が災いして先輩僧侶に無実の罪を押っつけられたりして、寺で浮いちゃっているあたりまでです。出家後の展開は「あれ?そんな話だったっけ?」と思わないでもないですが…… しかし昔翻訳を読んだ時は「魯智深、ちっとは自重しろw」と思ったもんですが、今こうしてドラマ版を見ると「こういうおっさんを寺で修行させるということ自体がムリやったんや!」と思ってしまいます(´・ω・`)

林冲篇は林冲の妻が高衙内に目をつけられ、それが原因で親友の陸謙に陥れられるあたりまで。魯智深の話と林冲の話が同時に展開しているので、林冲が魯智深と知り合う間もないまま流罪になりそうなんですが、野豬林では誰が林冲を助けることになるんでしょうか……
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『本当は危ない『論語』』/『ナポレオン』15巻ほか

2011年02月18日 | 中国学書籍
加藤徹『本当は危ない『論語』』(NHK出版新書、2011年2月)

タイトルからして浅野裕一『孔子神話』みたいな内容なのかと不安に思いつつ読み進めたのですが、思ったよりまともな内容だし(失礼!)、浅野氏の本には批判的だしで安心しました。取り敢えず『論語』が文章として素朴で舌足らずだという話と、『論語』の文章には擬音感があるという話が面白かったなあと。タイトルの付け方で随分と損をしている本ではないかという印象を受けました。

しかしやたらと不確実な漢字の字源説を持ち出してくるのはいただけないところ。あと、大塩平八郎や吉田松陰に関しては、『論語』そのものより陽明学の影響の方が強いのではないかと思います。小島毅『近代日本と陽明学』はそういう内容でしたよね。

長谷川哲也『ナポレオン 獅子の時代』15巻(少年画報社、2011年3月)

ストーリーとしてはエジプト遠征が強制終了し、執政政府が成立したあたりまで。本巻で「獅子の時代」篇が完結ということで、ロシアのスヴォーロフが人間じゃなかったり(奇行が多くて人間離れしているということと、人間じゃないということは違うと思うんだ……)、ブリュメール18日のクーデタ時の五百人議会の議員がモンスターだったり、ナポレオン以下主要人物が悪い顔になっていたりと、いつもよりHENTAI度が2~3割アップしております。

ところで、以前に本作の感想をアップした際に「サン・ジュストって何だか中途半端な死に方をしたけど、実は生きてたという展開になるのではないか」というようなことを書きましたが、本巻できっちりサン・ジュストが再登場してくれたのに感動しました。長谷川先生、ホントにそのあたりのツボを心得ていらっしゃる(^^;) ということで、本作に続く「覇道進撃」篇にも期待大です!

L.カッソン著・新海邦治訳『図書館の誕生 古代オリエントからローマへ』(刀水書房、2007年)

古代オリエントからギリシア・ローマを経て中世ヨーロッパに至るまでの図書館(ないしは図書室)、あるいはそれにまつわる教育史・学術史についてまとめた本です。アッシリアの時代から図書館では蔵書の窃盗に悩まされていたとか、図書館の蔵書は時に戦争での戦利品として扱われたり、略奪の対象になったりしたといった話が面白かったなあと。あと、岩明均『ヒストリエ』は当時の書籍とか蔵書についてちゃんと調べて書いているということがよく分かりました。
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『楊貴妃秘史』その8(完) 楊貴妃の日本誕生

2011年02月15日 | 中国歴史ドラマ
『楊貴妃秘史』第43~最終49話まで見ました。

蜀へと逃れる途中、馬嵬坡へと立ち寄った玄宗一行ですが、そこで李静忠が「こういう事態になったのも玄宗が楊貴妃に溺れ、楊氏一党がのさばっていたからだ」と羽林軍に不満を焚き付け、まずは楊国忠と虢国夫人が血祭りにあげられます。ついで楊貴妃の処刑を要求する羽林軍の将兵たち。事態を知った玉環は自ら馬嵬坡の寺で縊死する道を選びます。

そして玉環が墓に葬られると、阿倍仲麻呂・藤原清河・謝阿蛮はすぐさま遺体を掘り出し、寺の和尚が煎じた起死回生薬で蘇生させ、玉環と阿蛮を遣唐使船に潜り込ませて日本へと避難させることに。……まさかこのドラマで楊貴妃日本に渡来していた説がお目にかかれるとは思いもしませんでしたよ!中盤から遣唐使が出て来たのは、すべてこのための伏線だったと言うのかっ!!

現在の山口県に漂着した玉環一行は、隠居した大臣渡辺誠信のもとに身を寄せます。下の画像は奈良時代の日本家屋と、和装した玉環ら。





おかしいですか?色々とおかしいですね(^^;) ここで出て来る人物のネーミングも「山口県丞 大伴古麻呂」(せめて「長門守」とか表記して欲しいところ)とか「渡辺小百合」(どう見ても現代の日本女性の姓名です……)とか、ツッコミ所がいっぱいです。作中では当時の日本の都が「日本京都」などと呼ばれているのですが、制作スタッフが当時の都は今の京都にあったと思い込んでいるのではないかと不安になってきます。

で、当時の日本は橘奈良麻呂が政変をおこして実質的な天皇の座についており、その手先の大伴古麻呂によって玉環が軟禁されてしまいますが、渡辺誠信が反橘奈良麻呂の兵を挙げ、玉環を救出。孝謙天皇も復権を果たします。ちなみに橘奈良麻呂が反乱を企てたのは本当ですが、奈良麻呂の乱は密告により事が露見して未遂に終わったので、「政変をおこして実質的な天皇の座についた」というのはフィクションです。まあ、今更このドラマでどこがフィクションなのかと突っ込んでみても空しいだけですけどね……

孝謙天皇は玉環らと対面し、まずは阿蛮を遣唐特使として唐に派遣し、玉環が帰国できる状況かどうか探らせることにします。ここで孝謙天皇の名前がテロップで「藤原宮子 孝謙女皇 称徳女皇」と表示されているのがかなりカオスです。「藤原宮子」というのは聖武天皇の母の名前なんですが、どこでどう間違ってこういうことになったのやら……

唐に帰還を果たした阿蛮ですが、朝廷では太子忠王が新皇帝として即位し(すなわち肅宗)、玄宗は太上皇として隠居させられているという状況。そして李静忠改め李輔国が実権を掌握しているのでありました。李輔国の追及を逃れて何とか玄宗と再会を果たした阿蛮ですが、年老いた玄宗はほとんど玉環との思い出の中に生きているという有様。その玄宗も間もなく亡くなり、阿蛮は日本へと戻ることになったのでありました……

【総括】

ということで、中国版大奥みたいなのを期待してこの作品を見始め、実際途中までは大奥的なノリで展開していたのですが、中盤で遣唐使が登場したあたりからドラマのジャンルごと変わってしまったような感じですね。お陰様で久々に中国歴史ドラマの本気を感じさせてもらいました。ちなみに楊貴妃が山口県に漂着したことになっているのは、山口県でそういう伝承が残っている土地があるからみたいです。詳しくは下のリンク先を参照。

「楊貴妃は日本に渡っていた!?『楊貴妃の墓 二尊院』【山口】」(日本珍スポット100景)
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『楊貴妃秘史』その7 遣唐使再び

2011年02月12日 | 中国歴史ドラマ
『楊貴妃秘史』第37~42話まで見ました。

安禄山が密かに悪貨を鋳造して流通させていると睨んだ楊国忠は、安禄山のお膝元范陽で調査を開始しますが、証拠がつかめないまま病気で隠退した李林甫の後釜として丞相に推され、都に帰還することに。その後玄宗は安禄山を都へと呼び寄せ、様子を見ることにしますが、愚直な安禄山の態度を見てすっかり警戒を解いてしまいます。(もちろんこれは安禄山一流の芝居であるわけですが)

一方の玉環は、華清池の温泉で安禄山が入浴した後で浴槽を3回洗浄させるほど彼のことを毛嫌いしておりますが、玄宗の命でムリヤリ彼を義子に迎えるハメに。そして……



いよいよ玄宗・玉環の御前で赤子の姿で踊りまくる安禄山さんの姿が!このドラマでは楊貴妃が安禄山を嫌っているという設定なので、この場面は端折られるかもしれないと危惧していましたが…… そして安禄山は契丹が攻めてきたという口実で任地へと帰還。謀反の準備を着々と進めていきます。

そうこうしているうちに、日本からまたもや遣唐使が到着。七夕の日に合わせて歓迎の宴が催されることに。



ということで今回の遣唐使御一行様。画像左の方に女性が映っていますが、どう見ても江戸時代あたりの髪型&服装ですね(^^;) 玉環が一堂に霓裳羽衣曲を披露している間に、破竹の勢いで攻め上る安禄山。

後日、安禄山の決起と洛陽陥落の報を聞いて玄宗は激怒。謝阿蛮と結婚したばかりの高仙芝を潼関へと派遣します。高仙芝と潼関の守将の封常清は反乱軍に対して専守防衛の方針で臨もうとしますが、お目付役の宦官辺令誠は玄宗の意を承けて積極攻勢の方針へと転換させようとします。で、2人が言うことを聞かないと見るや、玄宗にこれを誣告。哀れ封常清と新婚さんの高仙芝は処刑されることに…… 後任の守将となった哥舒翰は積極策を採りますが、あっという間に反乱軍に敗れて潼関は陥落……

ここに来て玄宗は楊国忠らの意見を容れ、蜀へと難を逃れることにしますが、この逃避行になぜか阿倍仲麻呂と藤原清河も同行することに。「都には浪人たちが多く残留しております。彼ら日本武士が陛下をお守りします。」なんて言ってますが、この時代には浪人も武士もまだ存在していませんよ!

一方、李静忠はこの機会に楊氏一党の排除と主人である太子忠王の即位を画策。父を裏切ることになると思い悩みつつも、忠王は結局彼の献策を取り入れ、玄宗から離れて逃避行の後詰めの役割を担うことにしますが……
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『義和団事件風雲録』

2011年02月10日 | 中国学書籍
菊池章太『義和団事件風雲録 ペリオの見た北京』(大修館書店あじあブックス、2011年2月)

ポール・ペリオと言えば敦煌学の分野で有名なフランスの東洋学者ですが、そのペリオが義和団事件に巻き込まれた時の日誌が発見された!ということで、若きペリオの視点から「北京の五十五日」を追った本です。

本書で紹介されているネタの中で面白かったのは、以下のエピソード。義和団の襲撃に難儀した西洋人たちは(おそらく敵の襲撃をかわすため)マネキンを二体立てておいたところ、義和団側が勝手に陰門陣と勘違いして驚愕したという話。この陰門陣というのは、素っ裸の女性を陣頭に立てることで大砲の効力を封じてしまうという秘術。更にこれと対抗するための陽門陣も存在し、こちらは素っ裸の坊さんを陣頭に立てる。

この陰門陣は明末の李自成の乱の頃から盛んに用いられるようになり、魯迅によれば太平天国の乱でも大活躍したとのよし。このことを知っていた義和団員はマネキンを陰門陣と勘違いし、弾よけの法術が破られたと思い込んだのであろう……といったことが書かれているのですが、本当にそんな風習が存在したんですか?民明書房の本から引っ張ってきたネタじゃないんですか?とツッコミたくなります(^^;)

もうひとつ面白かったネタ。修業を積むことで銃弾をも避けることができると豪語する義和団員。その話を聞いた毓賢は義和団員から有志を募って試しに銃撃させてみることにしたが、射撃手はわざと弾を外した。後に袁世凱も同じように銃撃させてみたが、こちらは容赦なく一斉射撃させたので団員たちは即死。やったッ!!さすが袁世凱!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!

他にも西太后の実像とか、八カ国連合軍の中では日本軍人が一番しっかりしてたという話とか、燃え盛る翰林院に飛び込んで漢籍を救出しようとした古城貞吉とか、それなりに面白い小ネタが散りばめられていますが、肝心のペリオの日誌の内容よりも義和団の宗教性について述べたあたりが一番惹かれたなあと。著者の専攻も元々そのあたりのようですしね。
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林語堂『中国=文化と思想』

2011年02月08日 | 中国学書籍
林語堂著・鋤柄治郎訳『中国=文化と思想』(講談社学術文庫、1999年)

小説『北京好日』の著者として知られる林語堂が戦前にアメリカで出版した中国文化論です。複数の方面でお薦めの評を聞いたので読んでみたのですが、結構頁数があって内容が多岐に亘っている割には、正直ピンと来る部分が少ないと言うか、自分の体験と照らし合わせてみてもあんまり「あるある」感が感じられないなあと…… つーか林語堂先生、ナマの中国人を語るより『紅楼夢』の登場人物について語っている方が、明らかに文章が生き生きしてますよね。

ということで、以下に本書で面白かったポイントを挙げておきます。

○「豪侠」は中国版の騎士道精神。中国では強い者のみが公共の精神を持つことができる。公共心を持つ人間は常に官吏や警官と衝突し、身内に災いをもたらすことになるので、そう言う人間は一族や世間から爪弾きにされて緑林に身を投じるほかはなくなるのである。

……これは武侠物を見てると何となく納得できるなあと。侠客というのは限りなくお節介な人種なんですよね。で、助けたはずの人々がそれによって却って破滅に追いやられることもままあると。

○中国の学術は論理性よりも常識を重視する。

……これについてはもういくらでも思い当たるフシが。で、その「常識」というのがまま我々の常識と違ってたりするわけですが(泣)

○中国人は遊んでいる時の方が、真面目なことをしている時より遙かに愛すべきである。中国人は政治上はでたらめで、社会的には幼稚である。しかし余暇の時間には非常に聡明で、理知的である。

……NHKの紀行系のドキュメンタリーなんかに登場する中国人というのは、大体こういう「遊んでいる時の」中国人なんですかね。

○『水滸伝』の著者(とされる)施耐庵の故郷江陰では、施耐庵が朝廷から『水滸伝』の提出を命じられた際に、筆禍から逃れるために替わりに『封神演義』を書き、皇帝に提出して事なきを得たという伝説がある。

……その『金瓶梅』バージョン(『金瓶梅』の作者が筆禍から逃れるために『封神演義』を書き、これを替わりに朝廷に提出したという話)を別の本で見たことがあるのですが、どちらが元になった話なんでしょうか。

○『左伝』の生き生きとした戦争の描写には当時の口語が混ざっている。司馬遷の文章も当時の口語に近い。

……『左伝』に関しては野間先生も似たようなことを言ってたなあと。まあ、今後はこのことを念頭に置きつつ『左伝』を読むことにします。
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『楊貴妃秘史』その6 死闘!楊貴妃VS虢国夫人

2011年02月07日 | 中国歴史ドラマ
『楊貴妃秘史』第31~36話まで見ました。

色々あって玄宗の不興を買った太子忠王ですが、玉環が弁護したり、いつの間にか太子付きの宦官に収まっていた李静忠が小細工したりして事無きを得ます。王仙芝も罪を赦され、謝阿蛮との交際もほとんど黙認状態になったようですが?

その後、玉環の3人の従姉に興味を持った玄宗は彼女らを後宮へと呼び寄せ、それぞれ秦国夫人・韓国夫人・虢国夫人の号を与えます。ことに玄宗が三姉妹の中で最も美人で才気煥発な虢国夫人にご執心なのに嫉妬と不安を隠せない玉環。シンデレラの意地悪な姉がその後もシンデレラを苦しめるとは、シンデレラ・ストーリーとしてはなかなか新しい展開と言えるかもしれません(^^;)

同じ頃、契丹征伐に出ていた安禄山が凱旋して玄宗に謁見し、あからさまにおもねる態度を示したことでご満悦の玄宗ですが、玉環はそんな安禄山に対して嫌悪感が隠せず、「あの者には気をつけて下さい」と忠告しますが、「余はあの者が気に入ってるのだ!」と、玄宗は却って玉環を不快に思うようになります。

更に玉環は玄宗と虢国夫人との密会を阻むため、驪山の離宮へと向かおうとした虢国夫人を砦の一室に監禁しますが、彼女は自力で砦から脱出し、高所から墜落して体がボロボロの状態にも関わらず根性で離宮まで辿り着きます。事の次第を知った玄宗はいよいよたまりかねて玉環を後宮から追放することに。

で、玉環は1年間宮廷を離れて暮らすことになりますが、ここで京劇の演目として有名な「貴妃酔酒」の場面が登場。でもこれって元々梅妃が絡んだ話だったはずでは…… 一方、虢国夫人は玄宗に密かに媚薬を飲ませたところ、それが原因で玄宗が人事不省に。何とか意識を取り戻した玄宗ですが、その後も虢国夫人が玉環に取って代わろうと後宮での地位を要求したりして、段々ウザくなってきたのか、彼女を実家に帰してしまいます。

楊氏の台頭を快く思っていなかった宰相李林甫は、ここぞとばかりに虢国夫人が不正に媚薬を入手した証拠をつかみ、彼女が玄宗の玉体を害そうとしたのだと告発。虢国夫人のみならず、彼女の姉たちや楊、玉環も関係者として取り調べの対象となります。楊一族に最大のピンチが訪れたわけですが、密かに宮中に忍び込んだ阿蛮が玄宗を説得。玉環は虢国夫人を玄宗から遠ざけようとしたのは嫉妬からではなく、彼女の性格を熟知していて早晩このような事件を起こすと見通していたからであるということになり、無罪放免。めでたく後宮への復帰が許されます。楊も新たに楊国忠の名が与えられ、重臣として抜擢されることに。

宮中での騒ぎをよそに、安禄山はいよいよ謀反をおこして皇帝となるという野心をむき出しにしていきます。まずは玄宗から与えられた貨幣の鋳造権を濫用し、わざと質の悪い貨幣を鋳造してこれを質のいい貨幣に替えるという商売に手を染めることに。この悪貨が都で流通し始めて問題となりますが……

ということで、ここまでおっとりした性格のまま数々の困難を乗り越えてきた玉環ですが、身内の虢国夫人がライバルになった途端に目付きが変わりました。マジで怖いです……
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『楊貴妃秘史』その5 遣唐使地獄変

2011年02月02日 | 中国歴史ドラマ
『楊貴妃秘史』第25~30話まで見ました。

梅妃の陰謀により堕胎薬を飲まされた玉環はあえなく流産…… しかしその陰謀は高力士の察知する所となり、梅妃は幽閉されることに。その後、玄宗の三男である忠王が太子となり、太子の有力候補であった寿王は蜀への赴任を命じられます。

そうこうしているうちに長安に遣唐使が到来。正使の藤原清河は玄宗に阿倍仲麻呂の帰国と鑑真の招聘を求め、あっさりそれを許可する玄宗。……ええっと、確か鑑真は日本に行くことが許可されず、密出国という形で日本へと出航したという話だったはずでは…… ともあれ、宮廷にて遣唐使の見送りの宴が開かれることになりますが、下はその遣唐使御一行様。



紋付き羽織と(画像には写ってませんが)袴を身につけ、公家っぽい冠をかぶるという異様な格好です(^^;) このドラマのスタッフに去年NHKで放映された『大仏開眼』でも見せて、当時の日本の貴族とか役人がどういう服装をしていたのか教えてあげたい気分になってきます。あるいは髪型をちょんまげにしていないことを褒めた方がいいのでしょうか?

で、玉環はこの宴で歌舞を披露することになっていましたが、それをすっぽかして遣唐使たちに差し入れる胡餅作りに精を出しておりました。それが玄宗の不興を買い、後宮を追い出されることに…… 少女時代に暮らしていた草廬で、旅から戻っていた李白とともに侘びしく暮らす玉環ですが、そうこうしているうちに中国を出航した遣唐使船が嵐に遭って難破してしまい、藤原清河や阿倍仲麻呂らは命からがら長安へと引き返します。その時に、玉環が彼らに差し入れた胡餅のお陰で漂流生活を乗り切れたことが判明。

何だか知らんが玉環エラい!ということになり、前後して後宮への復帰を許された玉環は貴妃の称号を与えられ、ここに楊貴妃が誕生するわけであります。ちなみにこの時に鑑真も日本に渡れなかったことになってますが、実際は副使大伴古麻呂の船に乗り込み、ちゃんと日本に渡来しております。先の出国許可の件といい、鑑真の扱いが適当すぎて泣けてきます(;´д⊂)

そして玉環の引き立てで楊が宮廷官吏として引き立てられることに。この時、朝廷では元々仲が良くなかった太子忠王一派と宰相李林甫一派との対立が激化。可毒国征伐から凱旋してきた王仙芝はかねてから親交のあった忠王に頼まれて李林甫排斥を玄宗に奏上しますが、これが玄宗の怒りを買ってしまいます。おまけに宮女である謝阿蛮との交際も明るみに出てしまい……

ということで、ここでついでに安禄山も初登場。まだまだ顔見せ程度ですが…… ちなみに安禄山を演じているのは香港映画や古装ドラマでお馴染みの徐錦江です。

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