『否定と肯定』
アメリカのホロコースト研究者リップシュタットは、ホロコースト否定論を展開するアーヴィングから、自らを侮辱したとしてイギリスで名誉毀損訴訟を起こされ、裁判を受けて立つことにするが……
昨日までの上映ということで見てきました。以下、映画を見ての雑感。
図らずも裁判が否定論者アーヴィングの研究の査読というか口頭試問という形になったわけですが、これ、裁判結果の社会的・学術的影響を考えると、司法の側の責任や見識も当然問われることになりますよね……
名目としてはアーヴィングへの名誉毀損に対する訴訟という形になっているのですが、実質的にはホロコースト否定論の是非をめぐる裁判となっているわけで、そういうのを司法の側が担いきれるのかという懸念があるなと思った次第。本作は実際にあった裁判に基づいているということで、本件やこれ以外にもそういう実例があるんでしょうし、歴史学が絡む裁判だけに限った話ではないのでしょうけど。
作中でリップシュタットがホロコーストの生存者を証言台に立たせたいと言うのを、弁護士たちが「結果的に彼らが公開の場でアーヴィングに侮辱されることになる」と必死に引き留めるわけですが、仮に裁判の場で生存者に証言させて「公開晒し上げ」のような状況になったとして、「彼らの戦略がまずかったですね」ということで済ませてしまっていいのかなと思いました。
終盤で裁判官が「アーヴィングが反ユダヤ主義に基づいて自説を信じているのなら、その説が間違っていたとしても必ずしもすべて承知のうえで事実を歪曲していたということにはならないのでは?」という疑問を投げかけます。何やら昨今話題の「エビデンス」と「信念」との関係に絡むような話なのですが、説明としてわかりにくい所で、そこのところをもうちょっと掘り下げて欲しかったと思います。
アメリカのホロコースト研究者リップシュタットは、ホロコースト否定論を展開するアーヴィングから、自らを侮辱したとしてイギリスで名誉毀損訴訟を起こされ、裁判を受けて立つことにするが……
昨日までの上映ということで見てきました。以下、映画を見ての雑感。
図らずも裁判が否定論者アーヴィングの研究の査読というか口頭試問という形になったわけですが、これ、裁判結果の社会的・学術的影響を考えると、司法の側の責任や見識も当然問われることになりますよね……
名目としてはアーヴィングへの名誉毀損に対する訴訟という形になっているのですが、実質的にはホロコースト否定論の是非をめぐる裁判となっているわけで、そういうのを司法の側が担いきれるのかという懸念があるなと思った次第。本作は実際にあった裁判に基づいているということで、本件やこれ以外にもそういう実例があるんでしょうし、歴史学が絡む裁判だけに限った話ではないのでしょうけど。
作中でリップシュタットがホロコーストの生存者を証言台に立たせたいと言うのを、弁護士たちが「結果的に彼らが公開の場でアーヴィングに侮辱されることになる」と必死に引き留めるわけですが、仮に裁判の場で生存者に証言させて「公開晒し上げ」のような状況になったとして、「彼らの戦略がまずかったですね」ということで済ませてしまっていいのかなと思いました。
終盤で裁判官が「アーヴィングが反ユダヤ主義に基づいて自説を信じているのなら、その説が間違っていたとしても必ずしもすべて承知のうえで事実を歪曲していたということにはならないのでは?」という疑問を投げかけます。何やら昨今話題の「エビデンス」と「信念」との関係に絡むような話なのですが、説明としてわかりにくい所で、そこのところをもうちょっと掘り下げて欲しかったと思います。