昨日の『朝日新聞』夕刊にて「長安~奈良 1300年の時を超えて [上]」という記事が掲載され、昭陵(太宗陵)・靖陵(僖宗陵)など唐の皇帝陵の現状を紹介していました。以下、その記事を一部引用します。(この記事、残念ながら朝日のサイトではアップされていないのです……)
この昭陵が2006年、大きく改修された。北門には仁王立ちする太宗の巨大な石像。山陵に続く松林が伐採され、狭い泥道は拡張されて石道に変わった。02年から4年間、昭陵の北司馬門遺跡を発掘調査した陝西省考古研究副院長の張建林さん(54)は「改修で遺跡の価値が損なわれた」と憤る。
発掘調査の結果、太宗が中国全土統一の際に降伏や帰順をさせた諸国王や君長14人の石像や太宗の愛馬6頭の石像、唐代の建物の配置が明らかになった。しかし、調査終了後に地元政府が改修を進め、他の遺跡の石像の複製などが並べられた。「経済発展もわかるが、元々ここにない明代の石像や太宗の巨像を並べては観光客に誤解を与える」と話す。
要するに「改修」と称して昭陵が物の見事に横店化されてしまったという話なんですが、以前から本ブログをお読みの皆さんならご承知の通り、こういう現象は唐の皇帝陵に限った話ではないのであります(^^;) 以下、その例。
この記事では昭陵の遠景を写した写真しか載っていないのが何とも残念。是非とも明代の石像(明の十三陵の動物像なんかを模したものでしょうか?)やら太宗の巨像やらの写真が見たかったのですが(^^;) 以下は記事の続きの文。
張さんには重い過去がある。西安市の高校教師だった父は60年代の文化大革命で、重労働を強いられた。張さんも中学を出ると化学肥料工場で働いた。文革が終わった70年代、地元の西北大学で考古学を学び、考古研究院に入った。そこで文革がいかに多くの寺院や文化財を破壊したかを知る。唐代の貴重な石碑が橋に変わり、皇帝陵の陪葬墓の多くも削られ、農地になるなど傷跡は生々しく今も残る。
要するに現在は文革期に次ぐ文化財受難の時代ということでいいんでしょうか。そしてこの記事の締めの一文。
観光客の姿もなく、小麦畑の中に静かに眠る靖陵を前に張さんは言う。「昔の姿を守る。それが文化財保護の原則なんです」
聞くところによると、雲崗の石窟なんかも目にも当てられないほどペカペカの大伽藍が「復原」されてしまったそうですし、もう世界遺産とかガイドブックに載ってるような所はのきなみこんな感じになっていると考えた方が良さそうですね。