巫鴻 著、李清泉・鄭岩等訳『中国古代芸術与建築中的「紀念碑性」』(上海人民出版社、2009年4月)
元々著者のアメリカの大学での講義内容をまとめたもので、新石器時代の玉器から南北朝期に紙による書画が登場するあたりまでの芸術品や建築を「紀念碑性」という視点から論じています。
殷代から西周期の変わり目のあたりで青銅礼器の紋様の簡素化、銘文の出現とその長文化が進んだことを承け、青銅礼器は「見る」ものから「読む」ものになったとし、また長銘化によって当初祖先に捧げるために造られていた青銅礼器が、捧げる当人の功績を称えるという役割も担うようになったといったあたりが注目されます。
で、本書の339頁に以下のようなくだりが……
この種の随意に両手を使用する技能はある種の超自然的な能力を表現しているが、中国現代文学作品の中でもなお類似の神話を見出すことができる。例えば金庸は彼の著名な武侠小説の中で、両手で同時に異なった剣法を使用できる小龍女を描いている。彼女は二つの功夫を合わせて一つのものにすることにより、繰り出す技は変幻万変で入神の域に達し、これによって天下無敵の武林強手となる。
小龍女より周伯通を例えに出した方がより適切ではないかというツッコミは置いておくとして、この本、元々英語圏の読者のために書かれたんですよね?にも関わらず読者の多くが知らないと思われる金庸ネタを例えに出す辺りが何とも(^^;)
で、ここまで書いたところで皆さんお気づきかも知れませんが、今回はこの本のレビューをしたかったのではなく、このくだりを紹介したかっただけなんです。すんません……
元々著者のアメリカの大学での講義内容をまとめたもので、新石器時代の玉器から南北朝期に紙による書画が登場するあたりまでの芸術品や建築を「紀念碑性」という視点から論じています。
殷代から西周期の変わり目のあたりで青銅礼器の紋様の簡素化、銘文の出現とその長文化が進んだことを承け、青銅礼器は「見る」ものから「読む」ものになったとし、また長銘化によって当初祖先に捧げるために造られていた青銅礼器が、捧げる当人の功績を称えるという役割も担うようになったといったあたりが注目されます。
で、本書の339頁に以下のようなくだりが……
この種の随意に両手を使用する技能はある種の超自然的な能力を表現しているが、中国現代文学作品の中でもなお類似の神話を見出すことができる。例えば金庸は彼の著名な武侠小説の中で、両手で同時に異なった剣法を使用できる小龍女を描いている。彼女は二つの功夫を合わせて一つのものにすることにより、繰り出す技は変幻万変で入神の域に達し、これによって天下無敵の武林強手となる。
小龍女より周伯通を例えに出した方がより適切ではないかというツッコミは置いておくとして、この本、元々英語圏の読者のために書かれたんですよね?にも関わらず読者の多くが知らないと思われる金庸ネタを例えに出す辺りが何とも(^^;)
で、ここまで書いたところで皆さんお気づきかも知れませんが、今回はこの本のレビューをしたかったのではなく、このくだりを紹介したかっただけなんです。すんません……