『清平楽』第66~最終70話まで見ました。
徽柔の生母苗心禾と太監の任守忠は窮余の策として、降格人事で李瑋を都から出してしばらく徽柔と顔を合わさせないようにするという方策を採らせようとしますが、諫官の司馬光による弾劾の矛先が徽柔、そして彼女を宮廷に戻した梁懐吉にも及びます。徽柔は懐吉を守るため、泣く泣く李家に戻ると仁宗に告げます。
梁懐吉は李家での上司だった梁全一が責任を問われて左遷されることになったと知り、跪いて詫びますが、梁全一の方は我らの役目は公主を守ることだった、自分たちのやったことは間違っていなかった、それより今は自分の身を守ることを考えよとやさしい言葉をかけます。このドラマ、宦官の描写も丁寧で、宦官ドラマとしても出色の出来となっています。今までの作品にありがちだった、忠実な従僕でも大悪人でもない等身大の宦官を描けていると思います。『蒼穹の昴』のドラマ版?何ですかねそれは?
こうして李家に戻った徽柔ですが、彼女による失火から公主宅が全焼、やけくそになった姑の楊氏は火災の中で焼身自殺を図りますが、間一髪で懐吉によって救出されます。これにより李瑋は懐吉に対する印象を改めます。そして徽柔との夫婦生活を諦め、彼女の侍女として宮廷から李家に着いてきた嘉慶子を妾として納めます。
この間、懐吉は西京(洛陽)に左遷されたり、徽柔の要望に根負けして重陽節に合わせて都に呼び戻したりと色々あったのですが、火災の一件以後なし崩し的に再び宮廷で仕えるようになります。そして其れを嗅ぎつけた司馬光はまたもや懐吉を弾劾、彼を「妖物」「奸佞」と罵り、公主のわがままを許す仁宗自身にも批判が及びます。
上元節の夜の司馬光のお茶目カット。新版『水滸伝』でも問題になった宋代男子の頭に花挿しですが、司馬光に関しては若年の頃、進士に及第した際の祝賀の式典でしきたりとして花を挿すことを求められ、嫌がったという話が残っているとのよし。
ここでいきさつを知る韓琦と張茂則から、仁宗は懐吉がかつての梁家果子店の次男坊であることを知らされ、衝撃を受けます。朝堂で懐吉の誅殺を求める司馬光らに対し、仁宗は彼が宦官になった経緯を話して聞かせ、「宦官も汝らの言う百姓(万民)のひとりなのだ」と諭します。そして仁宗の思し召しにより懐吉は「梁元亨」の名を取り戻すことに。
事態を知った徽柔は操り人形を手に朝堂に入り、「自分たち皇室はお前たちの操り人形なのだ、そしてこの人形のように白骨化しても顧みられない」と訴えます。
結局李瑋の要望もあって徽柔との離縁が認められますが、懐吉改め元亨は張茂則によって宮廷を連れ出され、兄元生の庇護のもと、郊外の学校で子供たちに勉学を教えつつ生きることになります。嘉祐8年(1063年)、最後まで心労続きだった仁宗が没しますが、徽柔は……
【総括】
「狸猫換太子」が起こらなかった世界線(つまり史実ベース)の仁宗朝を追ってきたドラマですが、実母との対面がかなわなかったことが仁宗の実母への思慕につながり、これが更に母の思い出の味と関わる梁家の兄弟、ことに次男の元亨(懐吉)の運命を変えてしまうことになり、そして仁宗の愛娘の徽柔も李家との関わりの中で人生を左右されることに……と、因果によって展開される宮廷絵巻に仕上がっていました。当時の北宋の文化や学術もうまく話に織り込んであり、日本で平安時代を舞台にしたドラマ、たとえば菅原道真や『源氏物語』を題材にした大河が制作されるなら、本作がよい手本になると思います。日本でも多くの人に見られるべき作品です。
徽柔の生母苗心禾と太監の任守忠は窮余の策として、降格人事で李瑋を都から出してしばらく徽柔と顔を合わさせないようにするという方策を採らせようとしますが、諫官の司馬光による弾劾の矛先が徽柔、そして彼女を宮廷に戻した梁懐吉にも及びます。徽柔は懐吉を守るため、泣く泣く李家に戻ると仁宗に告げます。
梁懐吉は李家での上司だった梁全一が責任を問われて左遷されることになったと知り、跪いて詫びますが、梁全一の方は我らの役目は公主を守ることだった、自分たちのやったことは間違っていなかった、それより今は自分の身を守ることを考えよとやさしい言葉をかけます。このドラマ、宦官の描写も丁寧で、宦官ドラマとしても出色の出来となっています。今までの作品にありがちだった、忠実な従僕でも大悪人でもない等身大の宦官を描けていると思います。『蒼穹の昴』のドラマ版?何ですかねそれは?
こうして李家に戻った徽柔ですが、彼女による失火から公主宅が全焼、やけくそになった姑の楊氏は火災の中で焼身自殺を図りますが、間一髪で懐吉によって救出されます。これにより李瑋は懐吉に対する印象を改めます。そして徽柔との夫婦生活を諦め、彼女の侍女として宮廷から李家に着いてきた嘉慶子を妾として納めます。
この間、懐吉は西京(洛陽)に左遷されたり、徽柔の要望に根負けして重陽節に合わせて都に呼び戻したりと色々あったのですが、火災の一件以後なし崩し的に再び宮廷で仕えるようになります。そして其れを嗅ぎつけた司馬光はまたもや懐吉を弾劾、彼を「妖物」「奸佞」と罵り、公主のわがままを許す仁宗自身にも批判が及びます。
上元節の夜の司馬光のお茶目カット。新版『水滸伝』でも問題になった宋代男子の頭に花挿しですが、司馬光に関しては若年の頃、進士に及第した際の祝賀の式典でしきたりとして花を挿すことを求められ、嫌がったという話が残っているとのよし。
ここでいきさつを知る韓琦と張茂則から、仁宗は懐吉がかつての梁家果子店の次男坊であることを知らされ、衝撃を受けます。朝堂で懐吉の誅殺を求める司馬光らに対し、仁宗は彼が宦官になった経緯を話して聞かせ、「宦官も汝らの言う百姓(万民)のひとりなのだ」と諭します。そして仁宗の思し召しにより懐吉は「梁元亨」の名を取り戻すことに。
事態を知った徽柔は操り人形を手に朝堂に入り、「自分たち皇室はお前たちの操り人形なのだ、そしてこの人形のように白骨化しても顧みられない」と訴えます。
結局李瑋の要望もあって徽柔との離縁が認められますが、懐吉改め元亨は張茂則によって宮廷を連れ出され、兄元生の庇護のもと、郊外の学校で子供たちに勉学を教えつつ生きることになります。嘉祐8年(1063年)、最後まで心労続きだった仁宗が没しますが、徽柔は……
【総括】
「狸猫換太子」が起こらなかった世界線(つまり史実ベース)の仁宗朝を追ってきたドラマですが、実母との対面がかなわなかったことが仁宗の実母への思慕につながり、これが更に母の思い出の味と関わる梁家の兄弟、ことに次男の元亨(懐吉)の運命を変えてしまうことになり、そして仁宗の愛娘の徽柔も李家との関わりの中で人生を左右されることに……と、因果によって展開される宮廷絵巻に仕上がっていました。当時の北宋の文化や学術もうまく話に織り込んであり、日本で平安時代を舞台にしたドラマ、たとえば菅原道真や『源氏物語』を題材にした大河が制作されるなら、本作がよい手本になると思います。日本でも多くの人に見られるべき作品です。