博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『戦乱中国の英雄たち』

2021年05月01日 | 中国学書籍
GW開け、5/10頃より中公新書ラクレで『戦乱中国の英雄たち――三国志、『キングダム』、宮廷美女の中国時代劇』という本を出します。今回は中国時代劇ドラマ本です。Amazonでも目次は上がっているのですが、字数の関係からか一部省略されているので、こちらに目次完全版を上げておきます。



はじめに

第1章 虚実の狭間の三国志
演義から正史へ/名分と野心の両立/政治的な英雄たち/「毒親」曹操/歴史は繰り返す/影武者献帝/陰謀を拒絶する/オリジナル武将との共演

第2章 『キングダム』の時代と実力主義
下剋上と実力主義の時代/始皇帝ドラマあれこれ/時代の子/どうして秦が統一に成功したのか?/架空の春秋・戦国時代/「小鮮肉」たちの実力主義/キングダムかエンパイアか/君子とブレーン――「偽君子」孟嘗君/実力主義の陥穽

第3章 項羽と劉邦のタイム・パラドックス
始皇帝に会いに行く/スマホの充電器を自作する/中国版『イニョン王妃の男』/歴史は変えられない/清朝の皇位継承争い――雍正帝と私/タイムスリップ物は放映できないのか?/歴史を動かす「天意」/世界は変えられる

第4章 異民族? 自民族?
「中華民族」の祖先たち/草原を駆ける王昭君/中国式ポリティカル・コレクトネス/敬遠される岳飛/中華版『モンテ・クリスト伯』のスリーパー・セル/中国時代劇版『24』/国際都市長安の闇/遼と宋の間で苦悩する「大侠」/中国式ウェストファリア体制の可能性/「異民族」とともに生きる

第5章 ジェンダーの壁に挑む女帝武則天
後宮=中国版大奥の世界/皇帝の寵愛は我が目的にあらず/皇后を縛るもの/完璧すぎる皇后/女の学問/浮かばれない武則天/女暗殺者の城/男女が逆転した世界/主君か愛かという人生の選択/宦官も民衆のひとり/新天地に飛び立つ宦官

第6章 剣客たちの政治学
江湖、武林=剣客たちの世界/『笑傲江湖』の中の文革/武もなければ侠もない/狙われた少林寺/成就されない友情/十六年後の再会/雲深不知処に響く笑傲江湖/新たなる戦いへ

終章 中国時代劇のこれまでとこれから
中国時代劇のジャンル/時代劇になりやすい時代/中国時代劇のあゆみ/なぜ時代劇なのか?

あとがき
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『戦争の中国古代史』

2021年03月14日 | 中国学書籍


今月講談社現代新書より『戦争の中国古代史』という本を出します。発売日は3月17日ですが、早い所だと明日あさってあたりから店頭に並び始めると思います。Kindle版も同時発売予定です。

Amazonでは目次が章単位しか上がってないので、見出しのレベルまでの詳細な目次を上げておきます。

まえがき
白登山の劉邦/本書の構成

序章 戦争の起源
戦争の出現を示すもの/軍権の象徴/中国最初の王朝交替

第一章 殷王朝 旬に憂い亡きか

第一節 干戈を動かす
大都無城/殷王朝と方国/干と戈/西方からもたらされた戦車/殷代に騎兵は存在したか/軍隊と徴兵/戦う王妃たち
第二節 殷王朝の落日
処刑された方伯/克殷前夜/牧野の戦い

第二章 西周王朝 溥天の下、王土に非ざる莫し

第一節 殷鑑遠からず
第二次克殷/敗者への視線/「中国」の原点/二つの中心/兵農合一の軍隊
第二節 国の大事は祀と戎とに在り
前線の指揮官として/周が対峙した人々/使役され統制される諸侯/軍事王から祭祀王へ/勝利に導く祖霊
第三節 「溥天の下」の内実
再び軍事王へ/戦車を駆使する玁狁/馬車の復原/崩れゆく周軍/西周を滅ぼしたのは何か
  
第三章 春秋時代 「国際秩序」の形成

第一節 東遷と新たな秩序の模索
二王並立と東遷/吾れ王を葛に逐う/覇者の魁/「国際政治」の誕生
第二節 覇者たちの尊王攘夷
五覇の登場/桓公の攘夷/楚の「創られた伝統」/宋襄の仁/城濮の戦い/機構としての覇者体制/三軍と六卿/滅びゆく小国
第三節 天下の甲兵を弭めん
戈を止めるを武と為す/呉と晋の通交/柏挙の戦い/黄池の会/三晋の成立
  
第四章 戦国時代 帝国への道

第一節 長い春秋時代
春秋と戦国の区切り/長城を修むる毋かれ/列国の称王
第二節 兵は詭道なり
軍事王からの脱却/呪術の排除/反戦平和のために/正しい戦争
第三節 短い戦国時代
商君変法の虚実/合縦連横/隗より始めよ/胡服騎射/帝国への胎動/長平の戦い/来るべき世界/この帝国の片隅に

第五章 秦漢王朝 「中国」の形を求めて

第一節 秦を亡ぼす者は胡なり
十二体の金人/長城と直道/物言わぬ兵馬俑/刻石が語ること
第二節 王侯将相寧くんぞ種有らんや
陳勝・呉広の乱/先んずれば即ち人を制す/懐王の約/約の如くせよ/楚漢戦争
第三節 漢と匈奴、二つの帝国
冒頓単于/そして白登山へ/反逆と亡命/草原帝国と中国
  
終章 「中国」の行く末
呉楚七国の乱/北へ南へ/「中国」の古代の終末

あとがき
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『地下からの贈り物』

2014年07月12日 | 中国学書籍
中国出土資料学会編『地下からの贈り物 新出土資料が語るいにしえの中国』(東方選書、2014年6月)

近年陸続で発見・公表されている中国の出土資料について、「出土資料でわかること」「どこから何が出てきたか」の二部構成で紹介。

触れなきゃいけない資料については大体カバーできていると思いますが、本書1-2で金文とセットで扱われている甲骨文については、丸々一節を割いて貰いたかったなと。甲骨文については入門書も各種あるからということかもしれませんが、甲骨文へのアプローチは出土地点と内容との関連を探る、甲骨の材質にも注目するといった具合に昔とはだいぶ違ってきていますし、花園荘東地甲骨のように近年発見された資料もありますし、やはり一節を割く価値はあるでしょう。

金文については、宝鶏太公廟村出土の秦公器や梁帯村芮国墓地を取り上げるなら、天馬・曲村晋侯墓地の方が良かったんじゃないかと…… これなら8号墓の副葬品の晋侯蘇鐘を題材にして出土品と盗掘品との関係についても論じられますし。(晋侯蘇鐘は全16鐘から成り、このうち14鐘が盗掘されて後に上海博物館に買い取られ、残る2鐘が墓中に残されて発掘された。)

最後の冨谷至氏のコラムに言う「骨董簡」についてはまあ同意。出土地不明の資料についてはこういうことを踏まえたうえで使わないと仕方ないかなと。(冨谷氏の主張はこういうことを踏まえたうえで、これらの「骨董簡」の資料的価値は疑問であるし、自分は資料として利用しないということなのですが……)

しかし池田知久氏(本書1-13)は何がどうあっても郭店簡や上博簡の年代を戦国末期~前漢初期まで下らせたいのでしょうか。(通説では郭店簡は戦国中期の終わり頃、上博簡は戦国晩期のものとされる。)あそこまで執拗に戦国末期~前漢初期の筆写と断り書きをつけるのはちょっと…… 一応これについては本書2-16で谷中信一氏によるフォローも入ってますが……
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『水戸黄門「漫遊」考』

2013年12月30日 | 中国学書籍
今年の仕事は今年のうちに第二弾。え?明らかに今年どころか去年読んだ本だろうって?細かいことは気にしちゃいけません!

金文京『水戸黄門「漫遊」考』(講談社学術文庫、2012年)

実はハードカバー版は既読なのですが、「あれ、この本って文化人類学の本だっけ?」と思う程度には初読時の内容を忘れてます(^^;) しかし他の文化人類学っぽい本が広げた風呂敷を畳められずに終わるパターンが多い中、ちゃんと本題の水戸黄門に戻って締めているのはさすがだなと。また、水戸黄門漫遊記的な物語として中国の包公物はもちろん中華映画&ドラマネタ、アメンオサのような韓流ネタも盛り込まれているので、日本の時代劇のみならず多方面のファンに楽しめる内容になっています。

これも雑多なネタを扱った本なので、本書で面白かった話を拾い出していきます。

フビライの寵臣敢普は主君より死罪七つまでは赦免してもらえるお墨付きをもらっていましたが、姚天福は敢普の罪状を十七個数え上げ、死罪に追い込んだ。……取り敢えず七つ以上罪状を確保すりゃあいいんだろうという発想がもうですねw

そして前近代の中国の裁判は民衆が野次馬になって傍聴ができたとありますが、確かにドラマでもそういう描写になっていることが多いです。 このへんは当時の実情を取り入れて作られているのだなあと。

で、本題の水戸黄門に絡んだ話では、体制内から民衆に温情を施す水戸黄門的キャラクターと、体制の外から黄門的キャラを助ける弥七的キャラとの関係を重視し、この黄門側と弥七側のバランスが崩れ始めたのが中国の『三侠五義』で、そこから弥七的キャラが完全に主役になる武侠小説が生まれたと位置づけています。 確かにドラマの『包青天』を見ていても、在野の侠客から包拯の配下となった展昭が、自分の信念が容れられず、官を捨てて野に戻ろうかと悩むのがお馴染みの展開となってるわけですが。

なお、本書によると風車の弥七とうっかり八兵衛にはモデルがいないわけでもないようです。昔流行った謎本の一種で『水戸黄門の謎』的な本には、弥七や八兵衛のモデルは「さっぱりわからん」と投げてた記憶がありますが、そのへんはさすがに学者の仕事だなあと感心した次第ですw
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『中国抗日映画・ドラマの世界』

2013年12月28日 | 中国学書籍
今年の仕事は今年のうちにということで、今年読んだ本で面白かったものをいくつかアップしておきます。(と言っても、いずれもツイッターで上げた感想をまとめ直したものですが……)

劉文兵『中国抗日映画・ドラマの世界』(祥伝社新書、2013年10月)

個人的には近年色々と物議を醸している抗日ドラマの解説に期待してこの本を購入したのですが、メインはどちらかというと映画の方です。抗日ドラマより抗日映画の方が歴史は長い(同時代の日中戦争の時代から制作されている)ので、これは仕方ないのかなと。

この本の著者は以前に『中国10億人の日本映画熱愛史』なんて本も書いてまして、そちらでは日本の映画やドラマが中国で受け入れられたのかという話をしてました。今回はその逆バージョンみたいな話ですね。

で、お目当ての抗日ドラマですが、本書によると、ドラマの検閲に関しては、政府は企画の審査に関わるのみで、完成した作品に対する「このシーンがアカン」といった個別の検閲は、制作会社の所在地の検閲機関が行っているとのこと。そして映画と比べたらドラマの個別のシーンの検閲は緩い方で、よほどのことがない限り検閲に引っかかることはないなんて書いてます。

それにしては歴史ドラマで数年単位でお蔵入りしていた作品だとか、結局本国で放映の認可が下りないので韓国・台湾や日本で先行放映(あるいはDVD販売)された作品だとか、放映には至ったものの個別のシーンが総計数話分削除を迫られたなんて話をしょっちゅう耳にするような気がするのですが、あれで緩い方なんですか……

あと、留学中に抗日ドラマの『亮剣』という作品を見てまして、展開のテンポも早いし面白いドラマだなあと思っていたのですが 本書の解説を読んでこの『亮剣』はやはり名作であったということを再確認しました(^^;)
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『歴史家の同時代史的考察について』

2013年02月19日 | 中国学書籍
増淵龍夫『歴史家の同時代史的考察について』(岩波書店、1983年)

今まで読みそびれていた本ですが、このほどオンデマンドで復刊されたのを機に、元の本を図書館から借り出して読んでみました。著者の専攻は本来中国古代社会経済史ですが、本書では史学史に関する論考が収録されています。

で、本書のタイトルにもなっている「歴史家の同時代史的考察について」では、内藤湖南は辛亥革命がおこる5ヶ月前に、清国の立憲政治が成功するかどうかという、今となってみれば何ともピントが外れた内容の講演を行っており、その中では孫文らの革命運動については一言も触れられていなかったと指摘。……やめろ!私の尊敬する内藤湖南先生の黒歴史をほじくり返すのはっ(´;ω;`)

現在では、少なくとも「支那通」としての知名度は、彼が「三国志・水滸伝流の人物」と軽んじていた中の1人である宮崎滔天の方がずっと上ではないでしょうか。そして内藤湖南自身は現在では「支那通」としてより、東洋史・日本史学者として評価されているのではないかと思います。(このあたりは人によって異論があるところかもしれませんが。)

まあ、今の「中国通」も似たり寄ったりのことをやらかしているのかもしれんませんけど……
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『荘子に学ぶ』

2012年02月23日 | 中国学書籍
J.F.ビルテール著・亀節子訳『荘子に学ぶ コレージュ・ド・フランス講義』(みすず書房、2011年8月)

本書はスイス人の中国思想研究者ビルテールがコレージュ・ド・フランスで行った講義をまとめたものということですが、最近読んだ菊池章太『道教の世界』(講談社選書メチエ)の中で紹介されており、気になったので読んでみることに。

で、しょっぱなから「翻訳という試練を経ていない解釈など、主観的かつ恣意的になるにきまっていると、およそ私は考えている」(本書7~8頁)とあって思わず笑ってしまいました。これでは中国人研究者の立つ瀬が無いw もっとも、実際は中国人研究者も現代漢語ないしはもっとわかりやすい古代漢語への翻訳を経て解釈してるはずですけど。

本書の眼目は『荘子』の思想を伝統的な中国学の文脈から切り離し、ヴィトゲンシュタインやモンテーニュらの思想と比較しつつ自由に論じるという点にありますが、正直そのあたりの哲学的な話は私にはよくわかりませんので、ここではスルーしておきます。

私が気になったのは『荘子』の位置づけについてです。『荘子』はこれまで『老子』とともに道家思想あるいは道教のルーツとして扱われてきましたが、ビルテール先生の見解によると、荘子は儒家的な教育を受けているように見受けられ、更に『老子』は前3世紀に『荘子』より後に書かれた書であり、『荘子』の中で老子が孔子の先達として登場していることにインスピレーションを受け、言わば権威付けのために老子を作者としたものであり、『荘子』を『老子』などと同じく道家に分類するのは不適切であるとのことです。

確かに荘子が生きた東周期に儒家や道家といった分類があったわけではないので、発想としてはかなり面白いと思うのですが、本書において荘子が儒家的な教育を受けていたという点について詳論されていないのは残念。(同じ著者の『荘子研究』では詳論されているらしい。)

『老子』が『荘子』より後に書かれたという説については、著者自らが近年の考古学的発見により放擲せざるを得なくなったと注記していますが、これはおそらく戦国中期のものと見られる郭店簡『老子』の発見を指して言っているのでしょう。しかし郭店簡『老子』にしても竹簡自体に『老子』と題名がつけられているわけではないので、戦国期にあってこの書が何と呼ばれていたのかはわかりませんし、この書が当初老子とは無関係であったのが、後になって老子が作者として仮託されるようになった可能性も充分にあるように思われます。

ということで、ビルテール先生の説はある程度修正を加えればまだまだ通用する余地があるのではないかと考えた次第です。
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『中国・電脳大国の嘘』

2011年12月26日 | 中国学書籍
安田峰俊『中国・電脳大国の嘘 「ネット世論」に騙されてはいけない』(文藝春秋、2011年12月)

先日読んだ『独裁者の教養』の作者による中国ネット論。(というか、もともとそちらの方がメインテリトリーのようですが。)「ネットの普及が中国を変える」「ミニブログの流行が中国の民主化を後押し」「日本のアニメにハマる中国の若者が日中友好を実現」……このような言説が最近ネットだけではなく新聞や週刊誌でも広く見られるようになってきたが、果たしてどこまで本当なのか?という疑問を本書では投げかけています。

本書の話題はそこから始まり、最終的に戦前の「暴支膺懲」論まで行きつくのですが、結局日本人は遣隋使の時代から現在に至るまで現実の中国ではなく、バーチャル中国に対して一喜一憂してきたのだなあと思った次第です。

バーチャル中国というのは、『史記』・『三国志』や唐詩などの古典から日本人が勝手にイメージした理想の中国ということですが、本書の主張によると、それに「ネットの力によって民主化へと向かう中国」とか「アニメによって日本との友好を深めようとする中国」とかも加えるべきなんでしょうね。

最近、中国の「八〇後」の人気作家韓寒のブログで「革命を語る」「民主について」という2つのエントリが投稿され、物議を醸しているということですが、その内容は本書ともリンクしています。

「革命するには民度と公共心が足りない=人気作家・韓寒が『革命を語る』―中国」(KINBRICKS NOW)
「コネがあれば俺も汚職できたのに…作家・韓寒が語る『普通の中国人にとっての民主』」(KINBRICKS NOW)

このうち「革命を語る」の方に「こういうさ、白か黒か、正しいか正しくないかという決めつけ、共産党を非難しなきゃ五毛党扱いされる社会で革命なんか起こしたら本当にやばいことになるよ。」という一文がありますが、「共産党を非難しなきゃ五毛党扱いされる社会」というのは、要するに金庸『笑傲江湖』で描く所の魔教を非難しなきゃ正派の人士から邪派扱いされる江湖ということですね。

やはり著者の言うように、中国社会はネットの力によって大きく変容するようなヤワなものではないようです……
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『中国化する日本』

2011年12月21日 | 中国学書籍
與那覇潤『中国化する日本』(文芸春秋、2011年11月)

源平合戦からポスト3.11までの日本の歴史を「中国化」「江戸時代化」をキーワードに読み解いた本です。「中国化」というのは、宋代以降の中国に見られるように、経済や社会を徹底的に自由化するかわりに政治の秩序は専制支配によって維持するような体制のことで、「江戸時代化」はその逆で、経済や社会を徹底的に統制するかわりに各人が分を守る限りは生活がそれなりに保障されるが、権威や権力のあり方があやふやな体制のことです。

個々の部分についてはそれぞれ最新の研究の成果をわかりやすく紹介しているだけとのことですが、バラバラの文脈で語られている研究を「中国化」と「江戸時代化」のせめぎ合いを軸にひとつの物語につなぎ合わせたのは本書の最大の発明と言えるでしょう。所々「えっ、この本の内容ってそんな理解でいいの?」と思う部分も無いではないですが……

まあ、そのあたりは著者自身が「つまり本書は、思想史の専門研究ではもう常識になっている視点を、政治史や経済史も含めて拡大解釈しているだけのことで、その意味では他の章と同様、さして『オリジナル』ではないですし、まして『突飛な歴史観』では全然ない。」(本書132頁)と言い訳しているので、自覚している部分があるのかもしれませんが(^^;)

著者自身の指摘や意見も、「清王朝なんてアヘン戦争以来、太平天国の乱→アロー戦争→義和団事件と来て辛亥革命で王朝が潰れるのに半世紀以上かかっているのに、江戸幕府はペリーが来航したくらいでたかだか十数年間で倒幕まで追い詰められるのっておかしくね?」とか、「戦争中だからこそ逃げない方がアホ」とか、「日本国憲法がアメリカの押し付けだとか何とかグタグダ議論してる暇があったら、九条をいかに中国に押し付けるかを考えるのが本当の憲法改正」とか、なかなか読ませるものが多いです。

そして現代日本。これからは中国化の動きが不可避ということですが、要する日本でも『包青天』とか『雍正王朝』とか『大宋提刑官』なんかでお馴染みの光景が見られるようになっていくというわけですね。そう考えると何だか胸が熱くなってきます(´・ω・`)
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『はじめての漢籍』

2011年11月18日 | 中国学書籍
東京大学東洋文化研究所図書室編『はじめての漢籍』(汲古書院、2011年5月)

東大所属の研究者や漢籍に関わるスタッフの講演をまとめたものですが、やはり現場のスタッフの苦労話が読んでて一番面白いなと。『上海博物館蔵戦国楚竹書』や発掘報告の類を四部分類でどう分類したかとか(結論だけを言ってしまうと、それ専用の新しい項目を作ったとのことw)、OPACへのデータ入力にどのように対応したかという話とか。

あと当然のことかもしれませんが、東大所蔵の漢籍って、関東大震災でほとんど失われてしまって、今所蔵してる分はその後になって再び収拾したり、国内外から寄贈してもらったやつなんですね。現在の東大総合図書館の建物自体、震災直後にアメリカのロックフェラー財団の寄付によって建てられたものであるとのとこと。

しかしまあ本書の中で言われているように、書庫の中から目的の漢籍を捜し出すという行為自体がいい勉強というのは、ホントにその通りですよね。

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