博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『古代中国王朝史の誕生』

2023年12月26日 | 雑記
1月11日にちくま新書より『古代中国王朝史の誕生―歴史はどう記述されてきたか』を上梓します。
そこで一足早く本書の目次を公開します。



序章 記録のはじまり ― 殷代 

第一部 歴史認識 

第一章 同時代史料から見る ― 西周〜春秋時代Ⅰ  
1 記録文書としての金文 
2 王の歴史、臣下の歴史 
3 回顧される西周王朝 
4 天命を受ける諸侯 

第二章 後代の文献から見る ― 西周〜春秋時代Ⅱ  
1 「神話なき国」の叙事詩 
2 祖先神話とその承認 

第二部 歴史書と歴史観 

第三章 歴史書と歴史観の登場 ― 戦国時代 
1 説話で語られる歴史 
2 歴史から道理を知る 
3 諸子百家の歴史学と歴史観 

第四章 そして『史記』へ ― 秦〜前漢時代 
1 古代の書籍の形態とあり方 
2 焚書坑儒の再検討 
3 『史記』の編纂 
4 始皇帝、そして武帝 

終章 大事紀年から年号へ 
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『古典注釈入門』を読んで Let It Go のことを考えた

2014年12月07日 | 雑記
鈴木健一『古典注釈入門』(岩波現代全書)をぼちぼちと読んでます。この本の第一章で古典を読むことで得られる違和感について述べています。違和感というのは古典を読んでいて内容についてどこか理解しがたいものがあったとして、ある時に突然意味がわかるというものですが、このような感覚こそ古典を読む上で必要なものであり、違和感を内に秘める古典を共感を持てるものに導くのが注釈の役割なのだとしています。

これと似通った経験を最近しましたよね?とよくよく思い返してみたら、ディズニーの『アナと雪の女王』でエルサがLet It Goを歌う場面で感じた違和感でした…… YouTubeでこの歌の動画を見た時はいい歌だと思いましたが、ところが劇場で日本語吹き替え版を見た時に、どうしてあの場面でこういう内容の歌をうたうのか理解できず、また歌の内容がその後の展開ともすんなり結びついてこないのに酷く違和感を感じたものでした。

『アナと雪の女王 MovieNEX』レット・イット・ゴー ~ありのままで~/エルサ(松たか子)<日本語歌詞付 Ver.>


その後、以下の記事などを見て、日本語版の歌詞は確信犯的に誤訳されたものであり、劇中歌としての文脈を無視して、本編から独立した歌として日本人の感覚に合うように翻案というかローカライズされたものであることを知り、自分の違和感の原因がわかり、非常に得心がいきました。

"Let it go"と「ありのまま」の違い
(こちらはその「誤訳」に対する批判)

『ありのままで』の歌詞はトンデモ訳?→日本語版に合わせたプロの仕事!
(こちらが「誤訳」に対するポジティブな評価)

思うに本書で言われている違和感や注釈の役割というのはこういう感じのものなのかなと。

なお、この「誤訳」に対して個人的には、ある程度の「ローカライズ」はやむを得ないとしても、劇中歌として映画の前後の展開と辻褄が合わないのはイカンでしょと思います。Let It Goのフレーズの日本語訳としては、「ありのままで」よりも、有志による文語訳版の「ままよ」の方が原義と合っているのかなと。

で、なぜアナ雪の感想を今までブログに書かなかったのかと言うと、これまでの経験上公開当時にあの手の作品のネガティブな感想を書くと100%荒れるという確信があったからです…… 年の瀬が近き、この本を読んでアナ雪のことを思い出したついでに今年感じたことを年内に書き残しておこうと思った次第。
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お知らせ

2012年04月05日 | 雑記
中国ドラマ『歩歩驚心』の感想につきまして、中国人のファンの方からあまりにも紹介のしかたが酷いのではないかとお叱りを受けました。私自身も改めて記事を読み返してみて悪ノリが過ぎたと感じましたので、公開を停止することにしました。

まあ、『宮』のように最初からネタで作ってるドラマならともかく、『歩歩驚心』とか『太王四神記』などは見る人が見たら怒るだろうなとは思っていたのですが(´・ω・`)
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ドラマの中の阿哥たち

2011年11月23日 | 雑記
ここんところ『宮』『歩歩驚心』と、立て続けに清朝康熙年間の宮廷ドラマを見ているので、ついでにドラマに出て来る康熙帝の皇子たちを紹介してみることにしました。(注:史実ではなく、あくまでもドラマでの設定に基づいた紹介です。)

大阿哥胤
長男だが、母親の身分とか本人の能力とか諸々の事情により太子になれず、二阿哥をライバル視。

二阿哥胤礽(理親王)
皇后赫舎里氏が産んだ唯一の男児ということで皇太子となるが、地位に奢り、私党を組んで利権を貪ったりして二度にわたって廃嫡される。

三阿哥胤祉
学者肌。

四阿哥胤(雍親王)
言うまでもなく後の雍正帝で、非リアの星。康熙帝の皇子たちの中できたないなさすがを体現する存在。当初は二阿哥の子分だったが、父帝にきたないなさすがな所と、息子の乾隆帝の資質を見込まれ、後継者の座をゲット。即位後にコスプレ趣味が開花し、乾隆帝にその資質が受け継がれる。

八阿哥胤禩(廉親王)
有力な皇位継承者候補で、人呼んで八賢王。ドラマによって多才多芸の知性派だったりオラオラ系DQNだったりするが、爆発すべきリア充である点はおおむね一致している。父帝の没後は政敵である非リアの星雍正帝に妬まれ、アキナというありがたくない名前を賜ったりするなど色々と酷いいじめを受け、死に追いやられる。

九阿哥胤禟
八阿哥の子分その1。史実では西洋人の宣教師と交際してたりするが、ドラマでは大人の事情によりそのあたりのことは軽くスルーされる。更に某ドラマでは滅満興漢の秘密結社紅花会の黒幕にされちゃったりしている。やはり非リアの星雍正帝に睨まれ、サスヘというありがたくない名を賜る。

十阿哥胤[示我]
八阿哥の子分その2。

十三阿哥胤祥(怡親王)
非リアの星四阿哥唯一の心の友。ドラマではなぜかモンゴルの王女と恋仲になることも多い。当初はやはり二阿哥の子分だった。

十四阿哥胤禵
康熙帝の皇子たちの中では軍事担当で、有力な後継者候補の一人。非リアの星四阿哥の同母弟だが、兄とは違って幼い頃から父母に期待され、女の子にはモテとリア充人生を謳歌し、かつ八阿哥一派と交際したりしたので、父帝の没後はやはり兄から彼女をNTRれたり、父帝の墓守を命じられたりと、色々嫌がらせされることに。

……といったところですかw 大事なことなのでもう一度繰り返しますが、あくまでもドラマでの設定に基づいた紹介です(^^;)
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横転

2011年06月19日 | 雑記
昨晩某研究会の帰りに自転車に乗っていて横転してしまい、したたか体を打って外出がままならない状況に。酔っぱらってもいないのにどうしてこうなったorz 幸い骨の方はポッキリいってないようなので、適当に静養していれば適当に良くなっていくはずですが、問題は今週の仕事ですよね。明日また病院に行くのですが、杖とか松葉杖とか貸してくれるんだろうか……
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『詩経』と震災とスピッツと

2011年04月14日 | 雑記
Twitterの方でちょっと話題になっていたこともあり、ここんところずっとスピッツの「春の歌」を聞いていたのですが、歌詞を読めば読むほど今の日本の状況とシンクロしすぎてて怖いです…… (「春の歌」歌詞についてはこちらを参照)折良く(折悪しく?)春がテーマになっていることはもちろん、「実はまだ始まったとこだった」とか「『どうでもいいとか』 そんな言葉で汚れた心 今放て」といったフレーズが見事に今の状況に当てはまってるように思えて仕方がありません。

ただ実のところ、この楽曲が発表されたのが2005年の春ということなんで、本来は今回の震災とは全く関係のない歌であったわけなんですが……

しかしよくよく考えてみれば、元来詩や歌というのはそういうものだったのかもしれません。元々の詩のテーマから離れ、その時々の状況に合わせて違う文脈で解釈されるものであったと。要するに何が言いたいのかというと、『詩経』や『楚辞』の詩もそういうものであったのかもしれないということですね。先日読んだ「Herbs and Love songs」(『立命館文学』第619号)という論文がまさにその問題について論じていました。

だから『詩経』の詩なんてのは、その詩がその時々でどういう文脈で詠まれたのかが重要なのであって、その詩の本来の意味とかテーマを詮索することはさして意味のない行為かもしれないなあと思った次第です。
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ともに待ち望もう、永遠の春を

2011年03月14日 | 雑記
『漢武大帝』のEDテーマ「等待」。



これを聞いていて、今の状況にぴったりの歌じゃないかと思いました(´・ω・`) 

実は『水滸伝』もぼちぼちと見続けているのですが、さすがに感想のアップの踏ん切りがつきません……
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『中国『反日』の源流』を読んで武林のことを考えた

2011年01月24日 | 雑記
現在、岡本隆司『中国『反日』の源流』(講談社選書メチエ)をボチボチと読んでます。中国での反日の源流を、倭寇の時代あたりから日中両国の社会構造の違いに着目して見ていこうという内容なんですが、本筋とはあんまり関係ない所で気になる記述が…… 

本書によると、明清期の幇や会党などは単なる同業者組合・相互扶助組織ではなく、「小さな国家」とも言える存在であり、政府当局が接触するのはこれらの団体の上層部のみで、団体内部のことには一切関与しなかったというようなことが述べられています。

この見方を敷衍すると、武侠物に出て来る華山派とか丐幇とか少林寺等々も単なる武術道場や組合などではなく、小規模な国家と見てよいということになります。ということは、各門派が覇権を争う「争覇武林」なんてのは正しく小規模国家同士の戦争ということになるわけですね。更にはそれらの門派が相応の武力を持っているにも関わらず、朝廷があんまりそれを気にしていないのは、歴史的に見てある意味正しい描写なのではないでしょうか。

つまりは、武侠小説からも現実の「中国」を見出すことは充分に可能であるということです。そう考えると、現実の「中国」の政治闘争を「争覇武林」に置き換えて描いてみせた金庸の『笑傲江湖』は秀逸ですよね。
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妄想力が開いた中国古史学?

2010年12月21日 | 雑記
昨晩のツイートより。

satoshin257 さとうしん
大学院聴講生の方から「この本面白いですね」と平勢御大の本を見せられ、orzな気分になった今日の午後……

satoshin257 さとうしん
ああいう本を読むと、古代史に溢れているのは浪漫(ロマン)ではなく妄想(ファンタジー)ではないかという気がしてきてしようがない。

satoshin257 さとうしん
@mas096 ぶっちゃけ中国古代史って、言ったもん勝ちの世界ですよね……

satoshin257 さとうしん
@kizury 「網野史学って妄想(ファンタジー)だよね」とツッコミ入れた本郷先生はとても偉いと思いますw でも中国古代史にはこのレベルの妄想家(ファンタジスタ)が何人もおりましてね……

satoshin257 さとうしん
興が乗ったついでにもう一つぶっちゃけておくか。白川静は世界で勝負できる妄想家(ファンタジスタ)。

satoshin257 さとうしん
@tak_weijin でももう、そういう妄想力に溢れる研究にはウンザリなんです。もっと地に足が着いた研究がしたいです…… 

satoshin257 さとうしん
『妄想力が開いた中国古史学』というタイトルで本が書けそうな気がしてきたお……

……と、大体このようなやりとりをしていたわけですが、その後寝る前になって唐突に『妄想力が開いた中国古史学』の章立てが頭に浮かびました(^^;)

序章 「信古」の時代
第一章 康有為 妄想家(ファンタジスタ)たちの始祖
第二章 疑古派 自由な古史の妄想(クリエイション)
第三章 王国維 二重証拠法の功罪
第四章 鄭振鐸・楊寛等 文化人類学が切り開いた新たな妄想(ファンタジー)
第五章 郭沫若 唯物史観で古史を妄想(クリエイト)する
第六章 新中国建設から文革まで 妄想家(ファンタジスタ)冬の時代
第七章 白川静 世界に通用する妄想家(ファンタジスタ)
第八章 『走出疑古時代』と夏商周断代工程 妄想(ファンタジー)の極みへ
第九章 日本における妄想家(ファンタジスタ)たち
終章 妄想(ファンタジー)なき全き古史学の建設をめざして


(本当に書くとすれば)民国期あたりから現代までの古史学者の業績を追うことで研究史を概観し、ついでにその流れの中で白川静の学問も位置づけ、白川学に対してこれまでとは違った評価を下すという野心的な試みになるはずですが、並んでいる字面を眺めるととてもそんな風には見えませんね(^^;)
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もしも『七侠五義』がBLだったら

2010年12月19日 | 雑記
mixiやtwitterで紹介されていた展昭×白玉堂の動画です。



何かもう日本語字幕が色々とおかしい(^^;) そしてラストに何やら見覚えのあるお名前が…… ぐんままさん、この動画に何か関わってはるんでしょうか?あるいは制作者がぐんままさんのサイトを参考にしたということなのかもしれませんが。
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