博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『ゲド戦記4 帰還』

2006年10月31日 | 小説
ル・グウィン著、清水真砂子『ゲド戦記4 帰還』(岩波書店、2006年5月)

アチュアンの墓所の大巫女であったテナーは、その後ゲドの故郷であるゴント島で農夫に嫁ぎ、平凡な主婦として暮らしていた。夫に先立たれ、子供達も独立して一人で暮らしていた彼女だが、ある日大人達に虐待されて全身に大やけどを負わされた少女・テルーを引き取ることになる。テルーは周りの大人達に見守られて少しずつ心を開いていく。そうこうしているうちに前巻での冒険を終えたゲドがゴント島に戻ってきたが、魔力を無くしてしまった彼はすっかり自信を喪失してしまっており……

アースシー世界での冒険を描いていた前3作と異なり、今作はゴント島というごく狭い範囲での日々の生活を主に描いていて、今までとはだいぶ趣が異なっています。テナーが近所付き合いに悩んだり、ゲドがニートと化してテナーを困らせたりと、良くも悪くも生活感がにじみ出ております(^^;)

ともに暮らすことになったテナー、テルー、ゲドの三人は島の領主に仕える魔法使い・アスペンの陰謀に巻き込まれます。テルーはアスペンの魔力に屈服してしまったテナーとゲドを何とか助けようとしますが、そこでテルーの正体が明らかとなります。今巻を読んでやっとこさ映画版のラストでテルーが×に××するわけがわかりました……

次の第5巻が完結編ということですが、今巻でゲドの後任の大賢人をめぐる伏線が敷かれており、これがどうなるのか楽しみであります。
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『大漢風』第4話

2006年10月29日 | ドラマ『大漢風』
今回は始皇帝の死、張良と黄石公との出会い、劉邦一味の労役からの逃亡といったあたりがメインでした。

始皇帝が巡幸中に崩御してしまい、趙高が李斯と謀って遺勅を改竄し、胡亥を後継ぎに据えるというお馴染みのエピソードが展開されるわけですが、胡亥を演じている役者さんが見事なアホ面をしており、始皇帝は何を考えてこんなどう仕様もないのをかわいがっていたのかとツッコミたくなりました(^^;) 出来の悪い子ほどかわいいにも程があるというか…… 

この胡亥が趙高と馬鹿のエピソードを展開するかと思うと、今からワクワクしてきます。
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上海蟹@関西幇会

2006年10月29日 | 旅行・オフ会・展覧会
昨日は関西幇会に出向いてました。

場所はいつもと同じく京橋の上海酒楼ですが、今回のメインは上海蟹です。ということでタンと積まれたカニ画像をアップしておきます。(携帯で撮ったのでちと画像が粗いです……)



蟹プラスおかわりし放題の四川鍋で腹十二分目まで食べ尽くしました(^^;)

昨日の話で気になったのは、上海新天地がまたもやリニューアルしていてDVD・書籍売り場が3階から7階に移動になり、売り場が狭くなったらしいということと、章子怡の『夜宴』が普通の宮廷劇だと思いきや、結構アクションシーンもあるらしいといったところです。
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『武侠映画の快楽』

2006年10月27日 | 中国学書籍
岡崎由美・浦川留『武侠映画の快楽』(三修社、2006年10月)

宣和堂さんのブログで紹介されているのを見て、早速購入しました。

岡崎・浦川両女侠による思い入れがたっぷり込められており、ページ数の割には読みごたえのある武侠小説・映画のガイドブックに仕上がっております。『神雕侠侶』の古墓派を王子様願望丸出しと言い切ったり、『笑傲江湖』の劉正風と曲洋の関係を『あらしのよるに』に例えたり、( 武侠ファンがあの映画を見たらそういう発想になりますよね(笑) )お二人とも言いたい放題です(^^;) 

個人的に面白かった指摘は、
○修業すればできるというストライクゾーンが中国人は日本人より遥かに広い。
○金庸の小説はドラマ向き、古龍の小説は映画向きの題材。
……といったところでしょうか。

武侠物初心者にも、既に武侠の世界にどっぷり漬かっている濃いいファンにも読んで欲しい一冊です。
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子供の名付け(命名)DQNランキング

2006年10月26日 | 雑記
子供の名付け(命名)DQNランキング

某所でこのサイトが紹介されており、取り敢えずのぞいてみたところ、吹奏楽(すいそうがく)ちゃん(両親が吹奏楽部に入っていたらしいです)だの、南斗(じゅうざ)ちゃん(親が『北斗の拳』のファンだったらしい)だの、丹矢音(にゃおん)ちゃんだの、空(うるえ)ちゃん(空の字を分解するとウ・ル・エになります……)だの、しいたけちゃんだの、想像を絶する命名ばかりでしばらく爆笑が止まりませんでした(^^;) 

こんなのを見慣れると、愁斗(しゅうと)ちゃん、菜々姫(ななひめ)ちゃんなんかは普通の名前に見えてくるのが怖いです……

この他、曾祖父に運子(うんこ)と名づけられて曾祖父が亡くなるまで改名が許されなかったといった、DQN名を付けられた子供たちによる体験談も語られています。

こんなのを読むと、成人した時点で本人が新しい名前に変えられる幼名制度や、あるいは香港みたいにアンディとかトニーとか欧米風の別称を付ける風習の導入を本気で検討した方が良いのではないかと思いますね(^^;) 取り敢えず私自身は普通の名前をつけてくれた両親に感謝です……
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『大清風雲』その5(完)

2006年10月26日 | 中国歴史ドラマ
『大清風雲』第41~50話までです。

大玉児はドルゴンに密書を送り、ドルゴンが謀反を諦めればアジゲ・ドドを無罪放免とし、また当初の約束通りドルゴンとの再婚も果たそうと申し出たが、ドルゴンは既に挙兵を決意しており、その申し出を拒否。彼はあくまで福臨から帝位を奪取し、大玉児を皇后として娶るつもりであった。

ドルゴンの謀反が現実となると、朝廷側は江南に派遣されていた范浩正に援軍を要請する。その間に大玉児は自ら永平鎮に出向いて城門前に陣取り、城中から一兵卒でも出撃したら服毒して自殺するとドルゴンを脅しつけ、時間稼ぎを謀る。そうこうしているうちに范浩正の援軍が到着。福臨は范浩正らとともに永平鎮へと向かい、母と合流する。大玉児・福臨・范浩正らは大軍をバックにドルゴンとの直談判を申し出、城内へ入ることを許される。

談判の場で大玉児は、謀反を諦めればアジゲ・ドドの無罪放免と自分との再婚を認めようと再び訴え、ドルゴンの心は揺れるが、その様子を見て取ったドドは配下に合図をして福臨の暗殺をはかる。しかし咄嗟に福臨の幼馴染みで側近であった英格爾が彼をかばい、暗殺は失敗に終わるが、英格爾は命を落としてしまう。親友を失い、逆上する福臨。ドルゴンはドドとアジゲを叱りつけて退出させる。

その後、ドルゴン・大玉児・范浩正・鄭親王ジルガランの四人のみが城内の密室に移動して話し合いを続けることになったが、密室に入るやいなやドルゴンは配下の兵士に范浩正とジルガランを拘束させ、「今まで散々煮え湯を飲まされてきたが、もうお前の甘言には騙されない。俺の野望のために死んでくれ。」と大玉児に毒酒を手渡し、自害を迫る。大玉児は説得が無駄だと悟ると、要求通りに毒酒を仰いだ。彼女が倒れたのを見て、ドルゴンも范浩正・ジルガランに福臨を助けて清王朝を支えるよう遺言を残し、同じく毒酒を飲んで自害した。

二人が倒れたのを確認して、ドルゴンの執事の何洛会はすぐさま二人に解毒剤を飲ませた。実は大玉児に服毒を迫ったのはドルゴンが彼女の本当の気持ちを知るための芝居なのであった。解毒剤によって蘇生した後、大玉児が自分のために一度は死んでくれたことに感激し、ドルゴンは政権と両黄旗の管轄権を福臨に返還することを決意。こうして順治帝福臨による親政が成立したのであった。

ドルゴンと大玉児の再婚も福臨によって認められ、福臨17歳の誕生祭と再婚式が同時に挙行されることとなった。しかしその頃ドドは天然痘に冒され、危篤状態となっていた。ドルゴンと大玉児は彼の見舞いに駆けつけるが、ドドは二人の再婚を祝福し、そのまま息を引き取った。

この頃には福臨のドルゴンへのわだかまりはすっかり解け、彼を「父皇」と呼ぶまでになっていた。ドルゴンは嬉しさのあまり、何洛会とともに馬に乗って狩猟に出掛ける。大玉児は何やら胸騒ぎがして彼の後を追うが、時既に遅く、彼は鹿を追っているうちに崖から転落して瀕死の重傷を負う。そして大玉児や范浩正らが見守る中、波乱に満ちた生涯を終えるのであった……

……こうしてみると、終盤の展開は無理矢理ですなあ(^^;) ちなみにドドがドルゴンより先に病死したことと、ドルゴンが狩猟中の事故がもとで死んだことは史実です。同母兄弟のうち一人残されたアジゲは後に官爵を剥奪されて幽閉され、順治帝より死を賜ることになります。

明末清初の激動期を舞台とし、風雲急を告げる展開が続きながら、派手な戦争シーンがほとんどないのが何とも…… 清の軍隊が北京に入城するシーンでもドルゴンが馬に跨って突進しているだけだったし。キャストが豪華なだけに、何だか不満が残る作品でした。
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『大漢風』第2~3話

2006年10月23日 | ドラマ『大漢風』
取り敢えず第3話まで『大漢風』を見てきましたが、普通に楽しめる歴史ドラマになってますね。この調子で話が展開してくれるなら、最終50話まで見ることになりそうです。

韓信が若い娘さんに追い剥ぎをはたらこうとして失敗した挙げ句に娘さんから同情されたり、呂雉(後の呂后)が姑に畑仕事にこき使われて結婚を後悔したりと、こちらが予想もしていなかった展開が続き、目が離せません(^^;)

その呂雉、従兄弟の沛県県令とグルになって夫を出発したが最後、まずは無事に戻って来れないという労役に追いやり、「これで生きて帰ってきたら夫は本当に大物になるはずよ」などとつぶやきます。果たして劉邦は無事に妻のもとに戻ってこれるのでありましょうか?また、劉邦に呂雉と結婚されてしまった酒場の女主人の曹姫(後の斉王劉肥の母)の運命や如何に?次回も見逃せません(^^;)
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【新出金文】[人朋]伯[竹艮皿]

2006年10月22日 | 学術
[2007年2月2日 改訂]

倗伯爯簋は山西省運城市絳県横水鎮西周墓地1号墓より出土したもので、『文物』2006年第8期の「山西絳県横水西周墓発掘簡報」に銘文の写真と隷定が、またこの号の表紙に器影が掲載されています。

この器が出土した1号墓とその南に位置する2号墓からはほかに「倗伯作畢姫寶旅鼎」など短文の銘のあるものが出土しており、2号墓が倗伯という貴族の墓、1号墓がその夫人の墓と見られている。墓葬の時期はそれぞれ西周中期の穆王期かそれよりやや下る時期とされている。今回は1号墓・2号墓出土器の中で比較的長銘な倗伯爯簋を紹介したいと思います。発掘簡報ではこの器の年代については直接コメントしていませんが、当然墓葬時期と同時期かそれより以前のものということになります。

【凡例】

・銘文中では「中(=仲)」、「白(=伯)」、「且(=祖)」、「又(=有)」など字釈上特に問題が無いと思われるものについては、通仮字で表記してあります。
・Shift JISやUnicodeで表示できない文字については、[林去]のように表記するか(この場合は「林」と「去」のパーツを組み合わせた字ということです。)、あるいは字形が複雑でそれも困難場合はやむを得ず〓の記号を付けました。
・文中の「集成」は『殷周金文集成』の、「近出」は『近出殷周金文集録』の略。数字はそれぞれの書の著録番号です。

【銘文】

隹廿又三年初吉戊戌
益公蔑倗伯爯歴右告
令金車旂爯拜稽首敢
對揚公休用作朕考寶
尊爯其萬年永寶用享

【訓読】

隹れ廿又三年初吉戊戌、益公、倗伯爯の歴を蔑し、右けて告げ、金車・旂を令はらしむ。爯拜稽首し、敢へて公の休に對揚し、用て朕が考の寶尊を作る。爯其れ萬年永く寶用して享せむ。

【解説】

冒頭の「廿又三年」の「三」は、あるいは「四」のようにも見える。「益公、倗伯爯の歴を蔑す」とは、益公が倗伯爯本人やその祖先の経歴・功績を褒め称えたの意。「蔑某歴」や「某蔑歴」という表現は西周中期の金文に特に多く見られる。「右告」は、おそらく益公が介添えとなって倗伯爯を王に紹介し、冊命を受けさせたことを指していると思われる。

益公は西周中期後半から後期前半頃の金文に冊命金文の右者などとして登場するほか、西周中期後半の盠方尊/彝(集成6013/9899~9900)では盠という人物の祖先として「文祖益公」が見え、西周期を通じて「益公」と呼ばれた人物は複数存在したようである。

本銘の「益公」は、1号墓の墓葬時期から判断すると盠の祖先の「文祖益公」にあたる人物ではないかと思われる。仮に盠が西周中期後半の共王・懿王・孝王と同世代であり、「文祖益公」がその祖父であるとすれば、「文祖益公」は昭王か穆王と同世代ということになり、1号墓の墓葬時期と合いそうである。

「令」は、ここでは「賜」と同様の意で使われており、段簋(集成4208)に同じく「令」字を「賜」の意味で用いた例が見られる。あるいは倗伯爯が王より冊命を受け、職権の象徴として金車・旂を授けられたことを「令(=命)」字で示しているのかもしれない。
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世界ふしぎ発見「西夏王国」

2006年10月21日 | TVドキュメンタリー
「寧夏回族自治区に西夏時代の謎のピラミッドを発見!」という新聞のテレビ欄の紹介記事に惹かれて、ついつい見てしまいました。

キャッチーな紹介記事に少し不安も感じましたが、番組自体は西夏時代や現在の回族の文化を扱ったごくごく真っ当な内容でした。謎のピラミッドというのは版築で突き固めた階段状の建築物で、西夏の歴代皇帝の墓とのこと。もともとはその上から瑠璃色の瓦で覆っていたのが、モンゴル軍の襲撃を受けた際に墓地も荒らされてしまい、瓦がはがされてしまったとのことです。

その他、西夏文字や、寧夏回族自治区の砂漠地帯で発見された新石器時代の岩絵などが紹介されてました。この岩絵は動物を描いた物が多く、狩猟の際に獲物が得られるように祈願したもののようです。岩絵に混じって文字らしきものも刻まれており、これが中国最古の文字ではないかとのこと。番組では「牛」の文字に似た絵が映っていました。ただこれ、見た限りでは他の文字と組み合わせて文章を成しているというわけでもなさそうですが……
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金庸ML 関東大幇会告知

2006年10月19日 | 旅行・オフ会・展覧会
金庸MLの関東大幇会ですが、12月2日(土)18時から開催となりました。開催場所はまだ未定とのことですが、既に参加受付が開始されております。参加表明は大幇会掲示板か、八雲慶次郎さんの八華雲閣掲示板にてお願いします。受付締切は11/2までです。
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