博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『ROME』その1

2011年12月29日 | その他映像作品
気分を変えてアメリカHBO・イギリスBBC共同制作のドラマ『ROME』を見てみることに。今回は第1~5話まで鑑賞。

舞台は共和政末期のローマ。カエサルがガリア遠征中に、三頭政治を組んでいた盟友ポンペイウスに嫁いでいた娘のユリアが亡くなり、二人の仲がきしみ始めた所から物語が始まります。小カトーやキケロに焚き付けられたポンペイウスはカエサルに対して軍団の解散とローマへの帰還を命じる「元老院最終勧告」を発しますが、カエサルは軍団の解散に応じず、ルビコン川を渡ってローマへと進軍。

しかしこのドラマの真の主人公はカエサルではなく、ほとんど架空の人物である百人隊長のヴォレヌスとその部下プッロです。歴戦の勇士としてカエサルやアントニウスの覚えがめでたいヴォレヌスですが、ガリア遠征の終了を機に軍を除隊して八年ぶりに我が家へ。しかし長年家を空けていたせいで妻や娘達はどこか彼によそよそしく、おまけに長女のヴォレナは勝手に恋人との間の赤子まで産んでます。

ともかくかたぎの商売に転じて家族と一からやり直そうとするヴォレヌスですが、何をやってもうまくいかず、結局ヴォレナの結納金を捻出するため、DQNなアントニウスに頭を下げて軍隊に戻ることに…… 一方、オクタヴィウス(後のオクタヴィアヌス、初代ローマ皇帝アウグストゥス)の知遇を得て彼の剣の師匠となったプッロですが、実はヴォレナの子とされる赤ん坊は、ヴォレヌスの妻とその妹の夫であるエウアンドロスとの間に産まれた子供であると知ってしまいます。

ヴォレヌスの妻は夫に事実が知れぬよう隠し通すのに必死ですが、長女のヴォレナはそんな母に「正直にお父さんに言いましょう。きっとわかってくれるわ」なんて言ってますが、そんなことを正直に告白してわかってくれる旦那なんていないと思います(´・ω・`)

一方、内戦を制したカエサルがローマに帰還後、カエサルの姪(オクタヴィウスの母)のアティアとカエサルの愛人のセルウィリア(後にカエサルを暗殺するブルータスの母)がカエサルの寵愛をめぐって暗闘。アティアがカエサルとセルウィリアとの関係を嘲笑する落書きをローマ中に描かせたことで、カエサルはセルウィリアと別れ、ローマを離れてポンペイウスを追撃することを決意。そしてこの件がきっかけで、上品で大人しかったセルウィリアが急速にヤンデレ化。……なんかノリが先日まで見てた中国の後宮物と一緒なんですけど(^^;)

ということでしょっぱなからドロドロです。個人的には、1話目から相思相愛の夫とムリヤリ引き離され、ポンペイウスにいいように弄ばれたうえにあっさり捨てられるオクタヴィア(オクタヴィウスの姉)が不憫でなりません(´;ω;`) 史実通りに進むなら、これからもっと過酷な目に遭うはずなんですが……
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『中国・電脳大国の嘘』

2011年12月26日 | 中国学書籍
安田峰俊『中国・電脳大国の嘘 「ネット世論」に騙されてはいけない』(文藝春秋、2011年12月)

先日読んだ『独裁者の教養』の作者による中国ネット論。(というか、もともとそちらの方がメインテリトリーのようですが。)「ネットの普及が中国を変える」「ミニブログの流行が中国の民主化を後押し」「日本のアニメにハマる中国の若者が日中友好を実現」……このような言説が最近ネットだけではなく新聞や週刊誌でも広く見られるようになってきたが、果たしてどこまで本当なのか?という疑問を本書では投げかけています。

本書の話題はそこから始まり、最終的に戦前の「暴支膺懲」論まで行きつくのですが、結局日本人は遣隋使の時代から現在に至るまで現実の中国ではなく、バーチャル中国に対して一喜一憂してきたのだなあと思った次第です。

バーチャル中国というのは、『史記』・『三国志』や唐詩などの古典から日本人が勝手にイメージした理想の中国ということですが、本書の主張によると、それに「ネットの力によって民主化へと向かう中国」とか「アニメによって日本との友好を深めようとする中国」とかも加えるべきなんでしょうね。

最近、中国の「八〇後」の人気作家韓寒のブログで「革命を語る」「民主について」という2つのエントリが投稿され、物議を醸しているということですが、その内容は本書ともリンクしています。

「革命するには民度と公共心が足りない=人気作家・韓寒が『革命を語る』―中国」(KINBRICKS NOW)
「コネがあれば俺も汚職できたのに…作家・韓寒が語る『普通の中国人にとっての民主』」(KINBRICKS NOW)

このうち「革命を語る」の方に「こういうさ、白か黒か、正しいか正しくないかという決めつけ、共産党を非難しなきゃ五毛党扱いされる社会で革命なんか起こしたら本当にやばいことになるよ。」という一文がありますが、「共産党を非難しなきゃ五毛党扱いされる社会」というのは、要するに金庸『笑傲江湖』で描く所の魔教を非難しなきゃ正派の人士から邪派扱いされる江湖ということですね。

やはり著者の言うように、中国社会はネットの力によって大きく変容するようなヤワなものではないようです……
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『中国化する日本』

2011年12月21日 | 中国学書籍
與那覇潤『中国化する日本』(文芸春秋、2011年11月)

源平合戦からポスト3.11までの日本の歴史を「中国化」「江戸時代化」をキーワードに読み解いた本です。「中国化」というのは、宋代以降の中国に見られるように、経済や社会を徹底的に自由化するかわりに政治の秩序は専制支配によって維持するような体制のことで、「江戸時代化」はその逆で、経済や社会を徹底的に統制するかわりに各人が分を守る限りは生活がそれなりに保障されるが、権威や権力のあり方があやふやな体制のことです。

個々の部分についてはそれぞれ最新の研究の成果をわかりやすく紹介しているだけとのことですが、バラバラの文脈で語られている研究を「中国化」と「江戸時代化」のせめぎ合いを軸にひとつの物語につなぎ合わせたのは本書の最大の発明と言えるでしょう。所々「えっ、この本の内容ってそんな理解でいいの?」と思う部分も無いではないですが……

まあ、そのあたりは著者自身が「つまり本書は、思想史の専門研究ではもう常識になっている視点を、政治史や経済史も含めて拡大解釈しているだけのことで、その意味では他の章と同様、さして『オリジナル』ではないですし、まして『突飛な歴史観』では全然ない。」(本書132頁)と言い訳しているので、自覚している部分があるのかもしれませんが(^^;)

著者自身の指摘や意見も、「清王朝なんてアヘン戦争以来、太平天国の乱→アロー戦争→義和団事件と来て辛亥革命で王朝が潰れるのに半世紀以上かかっているのに、江戸幕府はペリーが来航したくらいでたかだか十数年間で倒幕まで追い詰められるのっておかしくね?」とか、「戦争中だからこそ逃げない方がアホ」とか、「日本国憲法がアメリカの押し付けだとか何とかグタグダ議論してる暇があったら、九条をいかに中国に押し付けるかを考えるのが本当の憲法改正」とか、なかなか読ませるものが多いです。

そして現代日本。これからは中国化の動きが不可避ということですが、要する日本でも『包青天』とか『雍正王朝』とか『大宋提刑官』なんかでお馴染みの光景が見られるようになっていくというわけですね。そう考えると何だか胸が熱くなってきます(´・ω・`)
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『贈与の歴史学』

2011年12月12日 | 日本史書籍
桜井英治『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』(中公新書、2011年11月)

中世の日本の贈与にまつわるあれやこれやをまとめた本ですが、人からもらった贈答品を他への贈答に流用したり、そうやって何度も流用された贈答品が回り回って自分への贈答品として戻って来たりというエピソードを読むと、自分家に届いたお歳暮をよその宅へのお歳暮に流用するような行為は昔から行われていたんだなあと得心がいくわけです(^^;)

そして本書では、現金が平気で贈答されるのは今日の日本の特殊性であると指摘しています。これはおそらく入学祝いとか結婚祝い、あるいはお年玉なんかを指して言っているのでしょうけど。で、現金の贈与に関わるものとして紹介されている中世の折紙システムが本書の最大の読み所です。これは贈答品の目録に相当するものですが、現金を人に贈る場合は、まず金額を記したこの折紙を相手に贈り、現金は後から届けるのが当時の礼儀であったとのことです。

問題は、実際に現金が相手に届けられるのが折紙が出されてから数ヵ月後、1年後、数年後になることがしばしばあり、ひどい場合には結局現金が届けられないことすらあったということです。

この折紙が今日でいう約束手形とかクレジットカードのような役割を果たしており、この折紙システムの普及によって資金の準備が無い場合でも贈与が行えるようになったということで、相応の経済力の無い人々によって折紙が濫発されたとか、毎年納入される年貢から折紙分の金額が引き落とされたとか、あるいは自分のもとに年貢を納入してくる相手に対して折紙を出した場合には、納入される年貢から折紙分の代金を控除したりとか、そういう話を延々と読んでいると、人間のやること考えることはいつの時代も変わらんなと、とても胸が熱くなってきます(^^;)

これ以外にも歴史の中の贈与というものに対して色々考えさせられる要素に満ちているので、題名にピンと来たら是非手に取ってもらいたい本です。
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『ナポレオンのエジプト』

2011年12月04日 | 世界史書籍
ニナ・バーリー著、竹内和世訳『ナポレオンのエジプト 東方遠征に同行した科学者たちが遺したもの』(白揚社、2011年7月)

ナポレオンのエジプト遠征に随行したサヴァン(学者)たちの動向をまとめた本です。しかし当時の学者や学生たちは行き先も知らないまま(そう、エジプト遠征の行き先は兵士も含めて従軍した人々にすら知らされていなかったのです)よくナポレオンに着いて行く気になったなあと思いました。まあ、私も当時のフランスに生まれて学者になってたら、「何だかよく分からないけど乗るしかない、このビッグウェーブに!」とばかりに、ホイホイ着いて行ったんでしょうけど(^^;)

そして船に詰め込まれた実験・調査用具などの器具類は早々にイギリス海軍の攻撃によって海の藻屑となり、現地では病気や将兵たちの無理解・嘲弄に苦しめられ、本国フランスとの連絡の術が断たれてヨーロッパでの学問の進歩から取り残され、帰国する直前には自分達の収拾した標本やノートがイギリスの手に渡りそうになりと、様々な苦難に遭遇していきます。そして帰国してからも、エジプトでの調査や体験の精算を迫られ、エジプトでの日々を懐かしみつつもがき苦しむサヴァンたち。

彼らサヴァンたちにとってエジプト遠征とはどういうものであったのかを絵で表現すると、こういう具合になるんだろうなあと思うわけですが……



長谷川哲也『ナポレオン 覇道進撃』第1巻(少年画報社、2011年7月)、33頁より。ただしこれはサヴァンではなく、エジプト遠征に従軍した元兵士の心象風景を描いたものですが。
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