『楚漢伝奇』第27~33話まで見ました。
定陶へと出陣することにした項梁。それを章邯の罠だと見破った韓信は項梁に出陣の取りやめを進言するものの、項梁は「あーはいはい、わかったわかった」と適当にスルーして出陣し、あえなく戦死してしまいます。項梁の救援へと赴いていた劉邦は後々の項羽への言い訳のため、項梁が既に戦死していると察知しつつも定陶へと突撃しようとしますが、樊噲らが力尽くで阻止。案の定項羽が劉邦に「なぜ叔父を見殺しにした!」と詰め寄ってきますが、前後の事情を知って態度を変え、劉邦と義兄弟の契りを結びます。
ここらへんで劉邦が戚夫人と出会ってますが、ちょっと出番が早すぎるんじゃないかと…… 一方、劉邦の実家に残った呂雉は貧困の中兄嫁にいびられる日々を送っておりますが、強気の対応を崩さなかった結果、義父の劉太公から家長の地位を譲られることに(^^;) 健気な中にも後の呂后の片鱗が感じられますね。
また、行方不明になっていた虞子期(虞姫の兄)が突然項羽のもとへと帰還。項羽の一族の項狄が兄妹の父親の仇であると判明しますが、その項狄が趙国へと逃亡。項羽が虞兄妹とともに項狄を捜索し、自害させます。しかし虞子期がなぜ行方不明になったのか、これまでどこで何をしていたのかはよく分からないままです……
さて、范増と生前の項梁に見出されて羊飼いの身から楚王となった懐王ですが、項羽を掣肘するために劉邦を武安侯に封じます。そして秦の章邯に追い詰められた趙国への援軍派遣にも、宋義を上将軍として項羽を副将とする一方、秦の隙を突くためと称して劉邦に函谷関を経て咸陽を攻めさせることにし、更に先に関中に入った者をその地の王にすると宣言。朝議の場で劉邦に命令を受けないよう目配せする范増ですが、劉邦がそれを勘違いふりをして命令を受けるシーンはなかなかに愉快ですw
しかしいざ出陣してみると、劉邦は范増の意を受けた魏王豹の家臣に配下の兵士を密かに殺害されたりと妨害を受け、項羽の方も進軍速度を緩める宋義の牛歩戦術に悩まされ、結局その宋義を殺害することに……
その頃秦の宮廷では、いつの間にか気が触れたということで、胡亥が趙高によって宮中の奥深くに押し込められておりました。何かこのあたりワンシーン飛んでるような気がするのですが、中国ドラマではよくあることなので気にしないことにします。胡亥はそのまま気が触れたふりをする一方で、甥の子嬰を呼び戻そうとしますが……
定陶へと出陣することにした項梁。それを章邯の罠だと見破った韓信は項梁に出陣の取りやめを進言するものの、項梁は「あーはいはい、わかったわかった」と適当にスルーして出陣し、あえなく戦死してしまいます。項梁の救援へと赴いていた劉邦は後々の項羽への言い訳のため、項梁が既に戦死していると察知しつつも定陶へと突撃しようとしますが、樊噲らが力尽くで阻止。案の定項羽が劉邦に「なぜ叔父を見殺しにした!」と詰め寄ってきますが、前後の事情を知って態度を変え、劉邦と義兄弟の契りを結びます。
ここらへんで劉邦が戚夫人と出会ってますが、ちょっと出番が早すぎるんじゃないかと…… 一方、劉邦の実家に残った呂雉は貧困の中兄嫁にいびられる日々を送っておりますが、強気の対応を崩さなかった結果、義父の劉太公から家長の地位を譲られることに(^^;) 健気な中にも後の呂后の片鱗が感じられますね。
また、行方不明になっていた虞子期(虞姫の兄)が突然項羽のもとへと帰還。項羽の一族の項狄が兄妹の父親の仇であると判明しますが、その項狄が趙国へと逃亡。項羽が虞兄妹とともに項狄を捜索し、自害させます。しかし虞子期がなぜ行方不明になったのか、これまでどこで何をしていたのかはよく分からないままです……
さて、范増と生前の項梁に見出されて羊飼いの身から楚王となった懐王ですが、項羽を掣肘するために劉邦を武安侯に封じます。そして秦の章邯に追い詰められた趙国への援軍派遣にも、宋義を上将軍として項羽を副将とする一方、秦の隙を突くためと称して劉邦に函谷関を経て咸陽を攻めさせることにし、更に先に関中に入った者をその地の王にすると宣言。朝議の場で劉邦に命令を受けないよう目配せする范増ですが、劉邦がそれを勘違いふりをして命令を受けるシーンはなかなかに愉快ですw
しかしいざ出陣してみると、劉邦は范増の意を受けた魏王豹の家臣に配下の兵士を密かに殺害されたりと妨害を受け、項羽の方も進軍速度を緩める宋義の牛歩戦術に悩まされ、結局その宋義を殺害することに……
その頃秦の宮廷では、いつの間にか気が触れたということで、胡亥が趙高によって宮中の奥深くに押し込められておりました。何かこのあたりワンシーン飛んでるような気がするのですが、中国ドラマではよくあることなので気にしないことにします。胡亥はそのまま気が触れたふりをする一方で、甥の子嬰を呼び戻そうとしますが……