博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『三国』その6

2010年06月30日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第33~39話まで見ました。

三顧の礼から孫策の死、長坂坡、そして江南へと乗り込んできた曹操を一致団結して迎え討つべく、孔明が呉に赴くあたりまでが描かれます。取り敢えずこのパートの見所を列挙してみます。

○三顧の礼の3回目で孔明が昼寝しているのにブチ切れ、草堂に火を付ける張飛。これって『反三国志』のネタでは(^^;)

○曹操の関羽萌えもアレでしたが、会ったこともない孔明に対する劉備の萌えっぷりは更にその上を行くような気がする。

○孫策の暗殺シーンはなぜか壮絶なアクションシーンに…… この手のドラマでは珍しく孫策の出番が多いなと思いきや、この場面のためでしたか(^^;) 更にこの後は孫権が後継となり、未亡人となった大喬が跡目争いを避けるために赤子の孫紹とともに呉を去る様子が時間をかけて描かれます。

○博望坡は、なぜか戦闘シーンがカット。結果だけが関羽らの口から語られます。

○そして長坂坡は趙雲がこれで死ななければウソという大スペクタクルに。博望坡でカットされた分の予算やら手間暇がこっちに回ったということでしょうか(^^;)

○孔明と呉の君臣との論戦を見てると、孔明は天性の煽リストに見えてきます。孫権に対して「うちの主公はあなたとは違うんです」と言っているのにクソワロス(^^;) 孫権で思い出したが、孫権を演じているのは『蒼穹の昴』の光緒帝役の張博。同じ若き皇帝でもえらく雰囲気が違いますね。

○小喬が夫とともに戦陣へ。蒋幹を迎えた群英会で剣の舞を披露したりしてます。こんな所でわざわざ女性キャラの出番を作らなくてもいいのに…… このあたりは『レッドクリフ』の悪しき影響ですなあ。

○魯粛ファンのたぬきママさんへ……魯粛は今のところ人の良いだけのキャラにはなっておりません。周瑜や孔明に振り回されて右往左往という感じではないですね。ただ、というか当然というか、正史準拠のキャラ設定ではありませんが。

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『文書行政の漢帝国』

2010年06月27日 | 中国学書籍
冨谷至『文書行政の漢帝国 木簡・竹簡の時代』(名古屋大学出版会、2010年3月)

本書は『木簡・竹簡の語る中国古代』の続編的な書であり、「視覚木簡」を主要なキーワードとして、漢代の行政文書としての簡牘の利用法や、簡牘の利用に裏づけられた当時の行政について論じています。以下、本書で個人的に面白かった部分をメモ替わりに羅列しておきます。

○檄とは細長い多面体の木簡で、掲示によって書かれてある文章が人目に触れるようにした「視覚木簡」の一種であり、また文書の一形式でもある。

○檄には最初の発信の日時など敢えて秘匿されている部分があるが、これは配下の者に情報を曖昧に伝えることで緊張感を持たせるテクニックであり、『韓非子』に見える人心掌握述に通じる。

○『急就篇』と『千字文』はそれぞれ性質の異なる識字学習書であり、『急就篇』は役人が文書作成を学ぶためのもので、『千字文』は初学者のためのもの。

○史書は隷書で書く際に懸針や波磔を巧みに用いる書法で、行政文書特有の書法であった。

○亭は経書には見えず、自然発生的にではなく、極めて人為的に定められた機関である。

○睡虎池秦簡などこれまで出土した秦簡はあくまでも秦律の一部で、史料としての利用はできるだけ禁欲的であるべきである。

○漢代には簡牘の立体としての特色をフルに生かした文書行政が施行されていたが、それは紙が決して取って代わることの出来ない機能であった。そして簡牘から紙へという書写材料の変化は、漢的な文書行政の終焉、更には漢帝国自体の終焉をも意味した。
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『三国』その5

2010年06月25日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第27~32話まで見ました。

いよいよ袁紹と曹操との間の覇権を賭けた官渡の戦いが開戦。しかし両軍が揃っていざ開戦という時に、曹操が袁紹を呼び出して和議に応じると見せかけて自軍に有利になるよう時間稼ぎをしたり、そのためにわざわざ献帝まで動員したり、色々と小細工してますなあ(^^;) 戦争シーンでは戦車が何台も顛倒したり破壊されたりで大迫力です。この辺りはちゃんとお金と手間暇をかけるべき所にかけているという感じで大満足。

結果、袁紹側が大敗。開戦積極派だった許攸が窮地に立たされますが、開戦に反対して牢獄送りになっていた田豊に責任をなすりつけてしまいます。そのお陰で田豊は処刑されることに…… しかし早速そのバチが当たったのか、郭図によって許攸の汚職がリークされたり、許攸に警戒するように勧める田豊の遺言が届いたりで、結局許攸は袁紹のもとを追放され、幼馴染みの曹操に鞍替えすることに。そして曹操がその許攸の計略を用いたことにより、袁紹はトドメを刺されて死を迎えることになったのであります。

しかしそこで調子に乗った許攸は酔っぱらって「ワシが曹操を育てた」と放言するようになり、許褚にブッされるハメに。ちったあ自重しろよとか、君今までそんなキャラじゃなかったやんとかツッコミたくなります(^^;)

一方、劉備は大敗した袁紹のもとに義理で援軍に駆けつけた後、同族の劉表のもとで厄介になりますが、その外戚の蔡瑁に睨まれ、命を狙われることに。そして逃げ込んだ先の水鏡先生のお宅で軍師徐庶をゲット。居城の新野に攻め込んで北来た曹仁の八門金鎖陣を破って樊城を占領するなど、縦横無尽の働きを見せます。しかしその徐庶も母が曹操に人質に取られて劉備のもとから離脱してしまいます……

荀が「徐庶の軍略は私の数倍、いや数十倍」なんて言ってますが、そしたらその徐庶が「私など足下にも及ばない」と言っている孔明はどうなるんでしょうか。確実に能力値のインフレ化が進んでますなあ。

ということでここまででDVD-BOXの1つ目が完結です。しかしこれでまだ全体の3分の1というのが何とも…… 

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『三国志演義の世界 増補版』

2010年06月23日 | 中国学書籍
金文京『三国志演義の世界 増補版』(東方書店、2010年5月)

あの『三国志演義の世界』が17年の月日を経て復刊!しかも増補版!ということで、前の版を持っているにも関わらず買ってしまいました(^^;) しかし前の版と比べて随分分厚くなりましたね。

この本が出てから『三国志』ファンの間ではすっかり「正史>演義」という図式が定着し、演義ではなく正史の記述に則って『三国志』の人物や事件を語るのが当たり前という風潮になってしまいました。そんな中でこの本が復刊されたのは、「お前ら、ええからもう一度ちゃんと『演義』を読め!!」という神託なのかもかもしれません。

本書を読めば、正史から『演義』に至るまでは様々な紆余曲折があり、「『演義』は正史をもとに書かれた」と、一言で片付けられるほど単純なものではないということが了解されるはずです。(本書の解説に沿って言うと、『三国志』に関する史話は既に三国時代からフリーダムな展開を開始し、明清あたりで「これではいかん」と正史の記述に沿ってタガをはめ、『演義』が出来上がったが、それでもなおフリーダムな部分が多々残ったということになりましょうか。)

『演義』の創作ということで片付けられがちな桃園の誓いにしても、『演義』以前に既にそのエピソードは存在しており、歴史的事実ではないにしても三国志史話として一定の伝統を有するということで、尊重されてしかるべきものなのであります。正史偏重の流れが出て来てもう随分とたちますし、そろそろ違う流れが出て来てもいいんじゃないかと思うのですが……

で、今回の増補版では最終章として「東アジアの『三国志演義』」が新たに書き下ろされ、朝鮮や日本での『演義』の受容について論じられていますが、朝鮮王朝においては日本による朝鮮出兵の後に明朝から関帝信仰が押しつけられたが、関羽の地位が朝鮮国王より上の皇帝待遇ということで扱いに困ったとか、朝鮮ではそのせいもあって関羽にあてつけるように趙雲が大人気といった話が面白かったですね。
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『三国』その4

2010年06月21日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第20~26話まで見ました。

献帝より曹操誅殺の密勅を受け取った劉備ですが、袁術討伐を口実に曹操から5万の兵を借り受け、袁術を死に追いやった後に5万の兵をそっくりそのまま頂いて徐州に立て籠もります。この時に袁術から奪還した玉璽を曹操へと送りますが、曹操は「ワシは玉璽などどうでもええんじゃーーーっ!!」と激怒。どうやら劉備も曹操も「玉璽?何それ、つおいの?5万の兵と徐州の方が大事じゃん!」というリアリストだったようです。

これと前後して朝廷では貴妃の父董承による曹操毒殺計画が露呈し、董父娘は処刑されることに。で、曹操の娘が皇后となりますが、伏完と伏皇后はいなかったことにされるんでしょうか……

さて、徐州に立て籠もった劉備は曹操軍の猛攻に対し、「想定の範囲内だ。謀臣許攸を通じて袁紹に援軍を頼んであるから心配には及ばない。」と余裕綽々ですが、当の袁紹は愛児が重病だというので出兵を取り止めに。おまけに思い切って打って出たものの、曹操の計略に引っ掛かって単身敵兵に追われるハメとなり、劉備、思いっ切り涙目www 結局許攸の仲介で袁紹のもとに身を寄せることになります。

しかしこの袁紹、田豊に会えば田豊の意見に、許攸に会えば許攸の意見に左右されるといった具合で定見がなく優柔不断。やはりこいつ、鳩山にしか見えんわ(^^;)

一方、下邳に立て籠もった関羽は兄嫁2人を守るためにやむを得ず曹操に降伏し、許昌へ。曹操はそんな関羽に食事中に小鹿の肉がうまいと思えばすぐさま分け与え、関羽の馬が貧弱と見れば赤兎馬を与えといった具合に、ドン引きするほどの関羽萌えっぷりを見せてくれます。で、関羽が顔良・文醜を斬り、劉備が袁紹のもとにいると知った後に五関越えといったお馴染みのシーンが展開されていくわけですが、戦闘シーンの関羽は超カッコいいです。

その頃、張飛は山寨に立て籠もり、地方役人をまねて裁判のまねごとに興じていたのでありました。(しかもその判決がメチャクチャ……)こいつの行動を見てると何だかホッとしますなあ。その後は三兄弟+趙雲が再会を果たすわけですが、江南では孫策が周瑜とともに大喬・小喬を娶ったり、許貢殺害を命じたりしていました。孫策にも死亡フラグが立ってきましたなあ。

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『橋と異人 境界の中国中世史』

2010年06月19日 | 中国学書籍
相田洋『橋と異人 境界の中国中世史』(研文選書、2009年9月)

この本、本来は「境界」や「異人」をキーワードとした中国民俗学に関する書なのですが、宿屋・茶館・侠女・鏢局など武侠物でお馴染みの要素がかなり盛り込まれているという点で要チェックなのであります。

特に面白かったのは鏢局の話。実は鏢局の歴史は意外と浅く、個人で依頼人を護衛する鏢客・鏢師が登場するのが清朝の康熙年間あたりからで、団体としての鏢局が登場するのが同治年間の前後とのこと。山西の票号の発達に伴って発展し、最盛期は清末。小説のように宮中の警備を請け負ったり、あるいは八カ国連合軍進駐の際、西安へと逃亡する西太后・光緒帝を護衛したとのこと。しかし1920年代には衰退してしまったと言いますから、随分と息の短い商売であります。

後は、哥老会や三合会といった秘密結社が茶館を経営していることが多く、メンバーは「茶碗陣」と呼ばれる独特の茶碗や茶壺の並べ方をマスターして意思疎通をしたり、茶館が喧嘩の仲裁の場ともなったという話が面白かったですね。そう言えば金庸の『鹿鼎記』でも酒店が似たような役割を担っていたりしてましたっけ。
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『三国』その3

2010年06月17日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第14~19話まで見ました。

都から落ち延びてきた呂布一行を気前よく受け入れた劉備ですが、袁術討伐に出た隙にたちまち母屋を乗っ取られてしまいます。その頃、寿春の袁術のもとでウダッていた孫策を訪ねて、早くも黄維徳(ヴィクター・ウォン)演じる周瑜が登場。呉の人物は赤壁あたりまで本格的な出番が無いので、ここぞという所で顔見せしてきますなあ。

で、孫策から伝国の玉璽を譲られた袁術が皇帝を称し、曹操に討伐されることに。この時に劉備の処遇を荀・郭嘉・程に相談してますが、それぞれ「即刻殺せ」「登用せよ」「登用した後に殺せ」と意見が分かれているのが面白いです。

袁術の勢力が蹴散らされた後、今度は呂布の番となるわけですが、小沛の劉備と共同歩調を取るはずが、劉備らを計略の道具として見殺しにしても構わないという態度を取るなど相変わらずの曹操。しかし呂布とともに捕らえられた陳宮に対しては降伏を勧め、それがダメとなると残された彼の家族の面倒を見る約束をするなど、一貫してデレの態度を取ります。だが陳宮の方はと言えば、曹操に対して一貫してツンの態度を取るのでありました(^^;)

一方、夫と一緒に死ぬはずのところを美人人妻好きの曹操に引き離されてしまった貂蝉は、曹操の目の前で因縁の七星刀で自害。もっといつもの陳好らしく場の空気を読まずに状況を引っかき回すだけ引っかき回して欲しかった気がしますが……

徐州陥落の後、劉備は曹操とともに許昌へと赴いて献帝に謁見。ここで劉備が皇叔として認知されます。その後は曹操が献帝を交えた狩猟を催して朝臣のうち誰が曹操派で誰が漢王朝に対する忠義の臣かを判別するわけですが、曹操の腹心のはずの荀がここで漢王朝派だということが明らかとなり、曹操から警戒されるようになります。ということで何だかイヤなフラグが立った所で次回に続きます(^^;)

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平城宮は雨だった

2010年06月14日 | 旅行・オフ会・展覧会
昨日は関西幇会にて平城遷都1300年祭に行ってました。せんとくんのぬいぐるみに会うのを楽しみにしていたのですが、あいにくの雨のせいかせんとくんには遭遇できず(^^;) 取り敢えず巡ったところを写真で挙げていきますと……



入り口の朱雀門。これは平成10年に復原されたものということですが、近鉄奈良線の電車の中からもバッチリ見えます。会場の方は入場無料。というか、平城宮跡自体がだだっ広い原っぱのような状態で囲いも何も無い状態なので、確実に入場料を取り立てるのが不可能なんですね(^^;) 

しかしJR奈良や近鉄奈良駅などからのシャトルバスや、会場内を走るトラムの運賃も無料というのエラい。1年前に行った西安の法門寺はこれと同じぐらい広い空間ながら、バカ高い入場料を設定し、カートバスの運賃まで容赦なく取り立てていたというのに(^^;)



復原された遣唐使船。船の中にも入れますが、隣接する歴史館の中から入って行かなければなりません。(歴史館の入場料は大人500円。)しかしこの歴史館、年表などのバネル展示や解説映像だけで、当時の文物の展示が全く無いというのが何とも…… しかし解説映像の中で我々はウザいぐらいにせんとくんのご尊顔を拝することができたのであった(^^;) あと、映像に合わせて喋る天平女官型ロボットと、最後に控える平城京VRシアターは色々と凄かった。



そして再び朱雀門の方に回って、今度はその奥に控える第一次太極殿へ。この2点間は7~800メートルぐらい離れているということで、結構歩きます。しかも途中で近鉄奈良線の踏切を渡らなくちゃいけません。ここでまた門から仏舎利塔まで延々と歩かされた法門寺を思い出すことに…… 



そして太極殿に到着。これは今回のイベントに合わせて復原されたもの。中には四神の絵が飾られていたり、



儀式の時に聖武天皇が座った高御鞍が展示されてたりします。



この後は敷地内の西にある平城宮跡資料館へ。こちらでは当時の木簡など出土文字資料を中心に展示されていましたが、写真撮影もオッケーの模様。(「フラッシュ撮影禁止」という看板があったので、フラッシュ焚かない撮影はオッケーということだと思う。)これ以外に遺構展示館もあるということですが、今回は時間と天候の関係でパス。

感想としては、やっぱり実物の展示がもっと欲しかったなと…… 県内各地では大遣唐使展や大唐皇帝陵展など関係する特別展が開催中でしたが、このうちの1つでも会場の方に持って来れなかったものかなと思うのですが。あと、フードコートはどう考えても狭すぎると思います(-_-;) 弁当を各自持ち込んでベンチや草原で食えということでしょうか。
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『三国』その2

2010年06月12日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第7~13話まで見ました。

宮廷では今にも帝位を奪わんとする董卓の野心にガクプル状態の司徒王允ですが、帰宅したらしたでいつの間にか呂布と仲良くなっている貂蝉にブチ切れてます(^^;) 実はこのドラマでは呂布と貂蝉は既に出会っており、お互い憎からず思っているのでありました。そんな貂蝉に美女連環の計を仕掛けるよう強要する王允。しかも貂蝉が嫌がるとハンガーストライキを発動する始末。この王允はなかなか最低ですな。

泣く泣く董卓のもとに赴く貂蝉ですが、董卓に抱きつかれてうっかり「放開我!」と叫んでしまい、本音が出たりしてます。いや、そこは本音を出しちゃいけないところですから!とツッコミたくなる…… 後は貂蝉を奪われたことを恨んだ呂布が董卓を殺害するわけですが、その後貂蝉は初心を貫いて呂布と結婚し、彼が徐州へと落ち延びる時もちゃんと着いて行って劉備に舞を披露したりしてます。この前後に王允の友人として陳宮が再登場し、その縁で呂布の知恵袋の座に納まります。で、折角朝廷に安寧を取り戻した王允はと言えば李傕・郭に攻められて死に追いやられるわけですが、この王允には同情できん(^^;)

その後、徐州では父親を殺されたことを口実に曹操が陶謙討伐を企て、公孫瓉のもとにいた劉備が援軍に駆けつけますが、この時既に聶遠演じる趙雲が付き従っています。しかし聶遠の甲冑姿を見ると、『隋唐英雄伝』の羅成を思い出しますなあ。↓



しかしこの戦いも本拠地兗州が呂布に攻め込まれた曹操が撤退したことで片が付き、曹操に追い散らされた呂布は徐州の主となった劉備のもとに転がり込みます。一方、曹操は許昌に李傕・郭のもとから逃亡してきた献帝を迎え、更に劉備に袁術討伐を命じますが……

ということで今回のツッコミ所。

○今回貂蝉を演じているのは『天龍八部』の阿紫や『大敦煌』の梅朶役でお馴染みの陳好ですが、お転婆を通り越して凶悪な美少女というこれまでの役柄の印象が強すぎて、どうにもに違和感が…… 正直、孫権の妹役の林心如(ルビー・リン)と入れ替わった方が良かったかなと。

○兗州が呂布に攻め込まれたと聞いてブチ切れ、思わずご飯の入ったお碗を机の上にぶちまけるが、その後またお碗にご飯を掻き集めて食べ始める曹操。↓



とってもお茶目です。


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『アトランティス・ミステリー』

2010年06月10日 | 世界史書籍
庄子大亮『アトランティス・ミステリー プラトンは何を伝えたかったのか』(PHP新書、2009年11月)

『史林』の書評欄で紹介されてなければ、確実にトンデモ本と勘違いしてスルーしてましたね。古代ギリシア史専攻の著者がアトランティス伝説にツッコムらしいと期待して読んでみたのですが……これまでのアトランティス実在説の紹介にかなりの頁数を割いていて古代ギリシアの部分が意外と少なく、ちと内容に期待しすぎたなと。まあ、アトランティス実在説の方に期待した読者は「古代ギリシアの部分、イラネ!」と思ってるんでしょうが。

で、本書の主張をまとめると以下の通り。

○アトランティスのネタ元になっているのはプラトンの対話篇『ティマイオス』と『クリティアス』。
○これまでの議論では、アトランティス伝説はなぜ語られたのかという問題がスルーされていた。
○『クリティアス』が未完のままであるので分かりにくくなっているが、アトランティス伝説の真の主役はアトランティスを打倒した古アテナイ。
○アトランティスはダメな国家として理想的な国家古アテナイと対比される存在であり、古アテナイのかませ犬にすぎなかった。
○つまるところアトランティスも古アテナイも、プラトンが理想的な国家のあり方を語るために創作されたものであった。

取り敢えず、プラトンの時代には既に教訓や思想を伝えるために神話・伝説を創造するという発想があったと分かったのが収穫でした。
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