(前回:
その1)
中盤の第五~八集のあらましです。
第五集「家国之間」
後宮での皇帝や后妃の生活を、光緒帝と珍妃のエピソードを中心として紹介。20世紀初頭の映像も所々で挿入される。その他、明の宣宗がゴルフに似た捶丸という遊戯を嗜んだことや、清朝の皇帝が軍事演習を兼ねて大規模な狩猟やアイススケートを臣下とともに行ったことなど。
第六集「故宮蔵瓷」
明の成化帝が寵姫の万貴妃のために闘彩を作らせた話や、康熙帝・雍正帝が琺瑯彩を愛用した話、乾隆帝が督陶官の唐英に次々と新奇な器を作らせた話など、歴代皇帝と陶磁器にまつわるエピソードを紹介。紫禁城で使われる陶磁器は景徳鎮の官窯で作られ、また海外にも輸出された。故宮内での破損した陶磁器の発掘の様子などもあり。
第七集「故宮書画」
故宮所蔵の書画は、罪を犯した臣下からの没収や、民間の収集家からの買い上げという形で収集された。しかし康熙帝の命で書画の収集に努めた高士奇などは価値のある真跡の書画を手元に留め、偽物ばかりを皇帝に献上した。故宮の書画の多くは乾隆帝が収集したものであるが、その乾隆帝にしても黄公望の画の偽物を本物と思い込み、逆に本物を偽物と見誤った。後半では宣統年間から民国期にかけての、宮廷関係者による書画の盗難・流出とその買い戻しについて取り扱う。その他、『清明上河図』が嘉慶帝の手に帰した顛末について。
第八集「故宮蔵玉」
故宮所蔵の玉製品について。清代には特に新疆のホータンやヤルカンド産出の玉が重んじられ、新疆から北京へと定期的に玉が貢納され、宮中や、あるいは蘇州・揚州の作業場にて装飾品や器として加工された。新疆の玉による器物の製作は、「玉痴」と呼ばれた乾隆帝の時代に盛んに行われたが、次第に玉製品の生産量は減少していき、道光帝の時代には新疆からの玉の貢納が停止された。その他、白菜や豚の角煮を象った台北故宮蔵の玉製品の紹介や、西太后がミャンマー産の翡翠を愛好したことなど。
このあたりになると故宮所蔵の文物やそれにまつわる故事の紹介がメインになってきますが、個人的には青銅器を全く扱っていないのは遺憾です…… 青銅器の逸品がほとんど台北故宮の所蔵なのがネックだったんでしょうか。
第五集で出て来た「捶丸」ですが、最近になって中国の研究者がむしろこの捶丸こそが西洋のゴルフの起源だったという学説を発表したとのこと。(詳しくはよそ様のコンテンツで恐縮ですが、『史劇的な物見櫓』の
「週刊ニュースな史点」をご参照下さい。)
あとは、第七集で溥儀・溥傑兄弟をも宝物の流出を図ったとして非難しているのには少々違和感を感じました。そりゃあまあ、人民共和国の側からしてみれば故宮の宝物は国家の財産(あるいは国民の共有財産)であり、清朝の元皇帝・皇族といえどもその宝物を持ち出すとはけしからんと、嫌事のひとつも言いたくなるのかもしれませんが、彼らからしてみれば故宮の宝物は元々自分たちの家の財産だったわけで…… このあたりの事情をもうちっと詳しく説明した書籍やサイトが無いかと部屋の本棚をあさったりググったりしましたが、結局
宣和堂さんのブログの、それもこの番組のレビューが一番内容が充実してました。何というか世間は狭いもんです…… 氏の解説によると、溥儀兄弟による宝物の持ち出しは何ら非難されるいわれはないようですが……