博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『中原の虹』第一巻

2006年09月29日 | 小説
浅田次郎『中原の虹』第一巻(講談社、2006年9月)

『蒼穹の昴』から十年、いよいよその続編が刊行!しかも今度の主役は張作霖!というわけで早速購入し、3分の1あたり、前作の主人公春児の兄、春雷が張作霖に見込まれてその客分となり、初陣に出る所まで読み進めました。

しかし張作霖が天命の印である龍玉を得ると言ったって、一時は確かに北京を支配するものの、最後は蒋介石の北伐軍に北京を追われ、東北に戻る際に関東軍に爆殺されるんじゃ……と思いきや、龍玉は息子の張学良に譲られ、しかも張作霖やナンバー2の張景惠の末路については、前作でも登場した白太太の占いという形で初っぱなからネタばらしされてますね(^^;) 逆にラストまでの展開が楽しみになってきました。
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『ゲド戦記3 さいはての島へ』

2006年09月28日 | 小説
ル・グウィン著、清水真砂子訳『ゲド戦記3 さいはての島へ』

ローク学院の大賢人となった壮年のハイタカ(ゲド)のもとに、エンラッドの王子アレンが助けを求めに来た。彼の国では魔法使いが魔法を忘れてしまい、人々が魔法の存在を信じなくなるという現象がおこっていると言う。ハイタカとアレンはその原因を探るべく旅に出るが、この現象はエンラッドのみならず、アースシー世界全体におこっていることがわかり……

というわけでいよいよ映画版のベースとなった三作目です。基本的にハイタカとアレンの二人連れが旅をしているうちにアレンがハイタカの言動や能力に疑問を抱くものの、そのたんびに何らかの事件がおこってアレンがハイタカを疑ったことを恥じ入るという展開が繰り返されます。二人の会話も何だか哲学的で、文章としてじっくり読むならともかく、映像化して面白い作品になるとは到底思えません(^^;)

ラスボスは映画版と同じく「クモ」という魔法使いです。原作ではこの「クモ」が死者を蘇らせたりして宇宙の均衡を崩したことがアースシー世界の異変につながっており、従って「クモ」を倒せば世界の均衡が回復され、異変も収まるということになっています。しかし映画版では世界の異変と「クモ」との関係について何ら説明がなく、元々わかりにくい話が更にわかりにくくなっております……

映画版冒頭で龍が共食いをしていたシーンの意味もようやくわかりました。原作の設定によると、人間の魔法使いだけでなく龍も魔力や知恵を失ってしまい、ほとんど野獣と変わらない存在になってしまったということです。あと、いろんな所で散々語られていることですが、アレンが父親を殺すというのも映画版のオリジナルです。

次の四作目ではいよいよテルーが登場します。映画公開もぼちぼち終わるかというのにいつまでやってんのやと自分でも思いますが、この際ですから最後の6作目まで読み進めていきたいと思います。
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『龍虎門』

2006年09月27日 | 映画
『龍虎門』(葉偉信監督、2006年)

王小虎(謝霆鋒:ニコラス・ツェー)は武術道場「龍虎門」の師範・王降龍(元華)の甥で、門下生からは「大師兄」と慕われている。ある日彼は「羅刹令」をめぐる騒動がきっかけで、幼い頃に生き別れとなった兄・王小龍(甄子丹:ドニー・イェン)と再会し、また双截棍の達人である石黒龍(余文楽)と友人となる。

王小龍は子供の頃にマフィアのボス・馬坤に命を救われ、以後彼の腹心として武術の腕を磨いていた。馬坤は暗黒街を統べる羅刹教教主・火雲邪神に「羅刹令」を授けられていたが、彼は「羅刹令」を返却してマフィア稼業から引退をはかっていた。火雲邪神はこれを馬坤の裏切りと見て、配下に彼の抹殺を命ずる。また火雲邪神の魔の手は「龍虎門」にも伸び……

この作品、日本では来年公開されるらしいですが、香港版のDVDで一足先に鑑賞。で、感想ですが、取り敢えずドニー・イェンと元華、そして悪役となる火雲邪神はしっかりアクションを見せてくれます。元華はたぶん『カンフー・ハッスル』以来はじめてのシリアスな役だと思いますが、中盤のアクションシーンでしっかり頑張っております(^^;) ニコラス・ツェーは……まあ普通です。『ポリスストーリー』や『PROMISE』と比べてあんまり彼の個性が出てないような……

あとは全体的にCGをバリバリ使っていたのが印象的でしたね。この辺は同じく香港コミック原作である『風雲』や『中華英雄』と雰囲気が似通った所がありました。似ていると言えば、BGMが『セブンソード』と同じような感じだなあと思ったら、音楽担当が『セブンソード』と同じく川井憲次氏でした……

しかし気になるのはこの作品の邦題です。原題がそのまま使われるなら良いのですが、うっかりしてると『タイガー&ドラゴン』とかどっかで見たようなタイトルになりそうでイヤーンであります(^^;) 
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『大清風雲』その3

2006年09月26日 | 中国歴史ドラマ
(前回:その2

『大清風雲』第21~30話まで鑑賞。

このパートでは漢人ながら清朝の重臣となった范浩正が大活躍です。彼は漢人で唯一の議政大臣をつとめ、更に順治帝の学問の師をつとめるという設定になっていますが、実在の人物ではなく、明朝の臣でありながら清に降った洪承疇をモデルにした架空の人物とのことです。ドラマを見始めた当初はここまで重要キャラになるとは思っていなかったので今まで彼に関するエピソードを端折ってましたが、これを機会に范浩正が清に仕えるまでの経緯を「その1」に加筆しました。

さて、兄が摂政王となって以後、予親王ドドは朱元璋が愛用したという「九龍杯」などの宝物を我が物としたり、道端で見掛けた美女を屋敷に攫ってきたりとやりたい放題。ある日、いつもの調子でうっかり范浩正の侍女・秀秀を攫わせたところ、范浩正が予王府に怒鳴り込んできたり、大玉児やドルゴンが介入したりと大事に発展しますが、結局ドドが秀秀を范浩正のもとに返して事なきを得ます。これをきっかけに范浩正が秀秀を第二夫人として娶ることになります。

大玉児は二人の結婚披露宴を慈寧宮の庭園で開くことを許し、宴にはドルゴンと妻の小玉児も出席します。実はドルゴンは大玉児との結婚が破れた後、その妹の小玉児を娶っていたのです。しかし(と言うか当然と言うか、)姉の身代わりとしてしか扱われない小玉児とドルゴンとの仲はしっくりいってません。宴の場で小玉児は、ドルゴンと大玉児の再婚が間近で、この宴は実は二人の結婚式の予行であるという噂を聞き、さすがに衝撃を受けます。この頃には福臨もしぶしぶ母とドルゴンの再婚を認めるようになっていました。小玉児は単身屋敷に戻り、「自分の遺体は故郷のホルチン草原に葬って欲しい」という遺言を残し、自殺してしまいます。

自分がドルゴンの求婚を受けようとしたせいで妹が死んでしまったとショックを受ける大玉児。更には范浩正や太医から、福臨が今まで何度もドルゴンに殺される悪夢を見ていること、また母とドルゴンとの間に男児が生まれたら、自分は皇帝の位を奪われるのではないかと恐れていることを知り、彼女はドルゴンとの再婚を延期することを決意します。

のみならず、太医からドルゴンが自分に子供ができないのは自分の肉体に子種が少ないせいではないかと気づき、治療に励んでいると聞くや、ドルゴンがやはり自分との再婚後に男児を儲けて福臨を退位させようとしているのだと悟り、太医に命じて治療薬と偽ってドルゴンに完全に子種を断ってしまう薬を飲ませ、愛児福臨の後顧の憂いを取り除いてしまいます。そして事が終わった後、大玉児は「ドルゴン、私たちの間には子供はいらないのよ」とつぶやき、一人寝室でむせび泣きます。しかし肝心のドルゴンはと言えば子種が断たれてしまったとは気づきもせず、相変わらず大玉児との再婚を夢見ている始末……ド、ドルゴン、哀れすぎる……( ノД`)

一方、范浩正はドルゴンから二ヶ月以内に江南での辮髪令を完遂せよとの命を受け、ドドとともに江南に赴きます。范浩正は江南の民が辮髪令に反発していることから、できるだけ辮髪令の施行を遅らせようとします。一方、彼の配下で満州人の阿里達は、妻の弟で江南陳県の県令をつとめる胡光とともに密かにドドと結託し、范浩正の意に反してできるだけ短期間で辮髪令を完遂させようとします。

胡光は功を焦って十日間で陳県での辮髪令を完遂させようとしたので、彼をこころよく思わない民衆が反乱を起こし、三万人の死傷者を出す事態に発展します。范浩正は反乱の首謀者を説得して事態を収めますが、これこそがドドの狙いでありました。彼は范浩正が引き揚げた後、陳県の民を残らず虐殺してしまい、また范浩正が明王朝に心を寄せ、陳県の逆賊たちと通謀していたと濡れ衣を着せ、彼を捕らえてしまいます。

この事を知ったドルゴンは微服して自ら現地に赴き、また大玉児も范浩正を救うべく別途密使を派遣します。……皇帝だの摂政だのが一度は微服して江南に赴くというのは、清朝宮廷劇のお約束なんでしょうか(^^;) 弟ドドのもとに到着したドルゴンは范浩正の罪が冤罪であることを察知しますが、「この機会に皇太后の腹心である范浩正を殺してしまい、皇太后の勢力を削ぐべきだ」というドドの進言に心を動かされ、また大玉児との再婚が延期になった件で范浩正が関係していたことを根にもっていたこともあり、彼を処刑してしまおうとします。しかしまさに間一髪の所で大玉児の密使が到着。范浩正は都まで護送され、改めて彼の罪状について審議されることになります。一方、范浩正を慕う捕頭の朱全は事実を知る陳県県令の胡光が難を逃れて生きていることを知り、彼の身柄を確保して范浩正の無罪を示す証人にしようとしますが……
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『項羽と劉邦の時代』

2006年09月24日 | 中国学書籍
藤田勝久『項羽と劉邦の時代』(講談社選書メチエ、2006年9月)

里耶秦簡・張家山漢簡など近年発見された出土資料と『史記』の記述をもとに秦の成立から楚漢戦争、漢王朝の成立に至るまでの流れを見ていこうという主旨の本です。

ここ2、3年、鶴間和幸氏の『中国の歴史03 ファーストエンペラーの遺産』など一連の書、堀敏一『漢の劉邦 ものがたり漢帝国成立史』、佐竹靖彦『劉邦』など類似のコンセプトの本が陸続と刊行されていますが、鶴間氏の著書が秦や始皇帝に関する話題にメインを置き、堀氏の著書が『史記』の記述をベースとして劉邦の生涯や漢帝国成立の流れをたどり、注釈的に出土資料やこれまでの研究状況を引用するという形を取っているのに対し、(佐竹氏の著者は未読につきノーコメント。)本書は秦・漢・楚のいずれかの勢力に重点を置くことはせず、楚漢戦争の時代を楚の制度を継承した項羽の勢力と、当初楚の制度に則りながらも後に秦の制度を復活させていった劉邦の勢力との対立の時代と位置づけて描き出しています。

以下、本書で面白かったポイント。

○出土文物から判断すると、懐王の時代は楚の衰退期ではなく、むしろ広大な領地を誇り、行政機構の整った全盛期に近い状態であった。

……となると、項梁らによって立てられた懐王の孫が懐王と称したのも、悲運の王を継ぐという意味合いのほかに楚の盛期を再現するといった意味合いが含まれていたことになりますね。

○秦の滅亡以前の段階では、劉邦は項羽と天下を争う存在と見なされていなかったはずで、鴻門の会で劉邦が危うく誅殺されかけたのは、劉邦が項羽のライバルと見なされたからではなく、あくまで彼が戦功を焦って函谷関を閉鎖したことに対して項羽側が処罰しようとしたためであった。また、「関中を制した者が関中の王となる」という懐王の約定や、劉邦が秦王子嬰を降伏させた話、秦人に「法三章」を約束した話の史実性も疑問である。

○劉邦が漢中王に分封されたのは范増らの策略による不当な処置ではなく、十八王の分封全体から検討すると妥当な処置であったと思われる。漢中・巴蜀の地は、戦国時代に楚文化の影響を受けながら、最も早く秦に領有されたという微妙な土地柄であった。

○楚漢戦争後、東方を掌握していた韓信が楚王から淮陰侯に降格されるまで天下の動向が定まらず、功臣たちへの論功行賞が行えなかった。

……こうしてポイントを挙げてみると、出土資料云々より『史記』の解釈に関わるものの方が多いですね(^^;) 
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日本語版『神雕侠侶』DVD

2006年09月22日 | 武侠ドラマ
MAXAMさんリリースの日本語版『神雕侠侶』ですが、財政状況を勘案した結果、DVD-BOX購入は断念することにしました。トホホホ……

というわけでTSUTAYAでDVDを借りてきてボチボチと鑑賞してます。
以前に鑑賞した中文VCD版は全48話構成でしたが、こちらは中国でのテレビ放映と同じく全41話構成です。各話の区切りはやはりこちらの方が自然なような気がしますね。VCD版は毎回毎回ホントに突拍子もない所でエンディテングに突入したもんですが…… あと、日本語版はエンディングでの広告がすべて取っ払われてます。中文版ではエンディングの映像の上にスポンサー企業のロゴがかぶさり、映像が隠れてしまって見えない箇所が結構あったのですが、ホントはこういうエンディングだったのかと感動した次第です(^^;)
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『グエムル -漢江の怪物-』

2006年09月21日 | 映画
今日は諸々の事情で仕事が休み。じゃあ大学の共同研究室で勉強するかと思っていたら、その研究室も入試の面接で使用されるために入室できないとのこと…… まあ、大人しく自宅か図書館で勉強してれば良かったのでしょうが、たまたま勤め人の友人も仕事が休みと言うことで、二人して『グエムル』を見に行くことに……

内容は、在韓米軍の研究所が不法投棄した薬品によって誕生した怪物が漢江周辺で暴れ回り、中学生の女の子を攫ってしまう。その女の子を助け出すために、父親・祖父・叔父・叔母の四人が立ち上がるといったものです。

このうち祖父とアーチェリー選手の叔母は良いとして、漢江の岸辺で売店を営む父親のダメダメぶりに涙…… 売店では毎日居眠りばかりで、たまに客の注文品を盗み食いしたりするしか能がなく、弟妹からもバカにされています。唯一彼をかばう父親も彼のうっかりミスによってムザムザと怪物に殺されてしまいます。彼をバカにするその叔父の方も、大卒ながら市民運動にハマりすぎて現在はフリーターということで、やっぱりダメダメです。同じく市民運動にハマってたはずの彼の先輩がちゃっかり携帯電話会社に就職してエリート社員になっているというのが泣けます……

で、この一家が立ち向かう怪物は割とよく出来てるなあと思ったら、海外のチームにまるごと外注してたんですなあ(^^;) 内容の方は怪物が川岸で暴れ回るシーンとか序盤は割といい調子で話が進んでいきましたが、中盤で展開が間延びしたのが残念。見ていて何だか疲れました…… 90分か100分ぐらいでまとめたらちょうどいい作品だったんじゃないかと。
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『孫子兵法発掘物語』

2006年09月20日 | 中国学書籍
岳南著・加藤優子訳『孫子兵法発掘物語』(岩波書店、2006年8月)

1972年に山東省の銀雀山漢墓で『孫子兵法』『孫臏兵法』などの竹簡が発見された経緯を赤裸々に描いたドキュメンタリーという触れ込みですが、本書は銀雀山漢簡の発見、孫武・孫臏の事績と竹簡の内容紹介、二人の孫子と二つの『孫子兵法』にまつわるこれまでの論争、二人の孫子の墓と故地の発見、1996年に西安で発見された八十二編『孫子兵法』が偽物とわかるまでの経緯と、5つの話題を扱っています。著者の岳南氏は少し前に出版された『夏王朝は幻ではなかった』の著者でもあります。

で、肝心の中身ですが、民放の特番かディスカバリーチャンネルのドキュメンタリーをそのまま活字にしたような内容です(^^;) 銀雀山漢簡の発見の経緯と偽物の八十二編『孫子兵法』に関する話は面白い内容でしたが、孫武・孫臏の事績は孫臏の同時代人として墨子を登場させたり、民間伝承での設定を織り交ぜたりして悪い意味で歴史小説的です。孫子の墓と故地については、孫子ゆかりとされる土地の地域振興や観光地化と密接に結びついている点は興味深く読みましたが、これが孫子の墓に違いない、この村こそが孫子の故地だと一々力説されても、こちらとしては「はあ、そうですか」としか反応のしようがありません……

解説は以前に竹簡本を中心に『孫子』の翻訳に取り組まれた浅野裕一氏です。氏は「重なりあった竹簡の束を無造作に両手でつかみ上げたとたん、バサッと二つに折れたなどという叙述に出会うと、何ということをしてくれたんだとの悔しい思いが、胸の底から突き上げてくる。」と述べておられますが、しかし破損を被ったとはいえ、銀雀山漢簡は関係者の尽力で世に出ただけでマシだったのかもしれません。文革の時期にはあるいは一旦発見されながらも諸々の事情で失われ、世に知られることのないままになった文物もあったのかもしれないなと感じました。

1972年の銀雀山漢墓の発見を皮切りに、1980年頃までに馬王堆漢墓、兵馬俑、中山王墓、あるいは睡虎地秦簡、利簋、史牆盤といった重要な遺跡や文物の存在が陸続と知られるようになりますが、こういった遺跡や文物の発見にも銀雀山漢墓発見と同様のドラマが秘められているのかもしれません。
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『康熙王朝』その3

2006年09月19日 | 中国歴史ドラマ
(前回:その2

BSジャパン放映の『康熙王朝』ですが、最終50話まで鑑賞。

順治帝の出家から始まって権臣鰲拝の捕縛、三藩の乱、台湾攻略、ジュンガル部のガルタン・ハン討伐と、最初から最後まで見せ場でつないだ作品でしたね。戦争の場面と宮廷劇が程よいバランスで混じり合い、だいぶ前に見た『雍正王朝』よりも楽しめました。

このドラマに関してあれこれ検索してたら、康熙帝の幼少時の学友で、後に侍衛、重臣となる魏東亭が、実は康熙帝の乳母の子の曹寅をモデルにした架空の人物であるという考証があるとのこと。(ついでに言うとこの曹寅、『紅楼夢』の作者の曹雪芹の祖父にあたります。)

2ちゃんスレ「【康煕】清王朝について【乾隆】 」の290番あたり
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1126475110/

ついでにそのネタ元と思しきサイト
http://www.netandtv.com/newspage/htm2002-1/200217180938492345.htm

ちなみに魏東亭は『雍正王朝』にも康熙帝の幼馴染みとして登場し、こちらの方は国庫からの借金を返せずに困り果て、しまいに自殺してしまうという設定になっております(^^;)

その他、現在鑑賞中の『大清風雲』に大玉児(孝荘皇太后)の侍女として登場する蘇蘭が、『康熙王朝』で孝荘皇太后に見出され、康熙帝の侍女となる蘇麻喇姑(スマラグ)を意識したキャラクターだとか、色々いらん情報も引っ掛かりました(笑) そういや『康熙王朝』の監督の陳家林は『大清風雲』の方にも監督として名前を連ねていますね。

大清王朝三部作では『乾隆王朝』だけが日本語版になっていませんが、こちらは前二作に比べると出来がアレなんでしょうか?それとも日本で前二作のDVDが売れなかったので、日本語版リリースの企画がポシャったということなんでしょうか…… 
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【新出金文】ケン[竹艮皿]

2006年09月18日 | 学術
[彔見]簋は、王冠英「[彔見]簋考釈」(『中国歴史文物』2006年第3期)によれば、中国国家博物館が新たに民間人から購入したもので、清末か民国初めに陝西宝鶏で出土したと伝えられているという。『中国歴史文物』2006年第3期に王冠英論文のほか、李学勤「論[彔見]簋的年代」、夏含夷(米国)「従[彔見]簋看周穆王在位年数及年代問題」、張永山「[彔見]簋作器者的年代」の4つの論考が掲載された。以下の釈読はこのうち王冠英・李学勤両氏の論考を主に参照した。

【凡例】

・銘文中では「中(=仲)」、「白(=伯)」、「且(=祖)」、「又(=有)」など字釈上特に問題が無いと思われるものについては、通仮字で表記してあります。
・Shift JISやUnicodeで表示できない文字については、[林去]のように表記するか(この場合は「林」と「去」のパーツを組み合わせた字ということです。)、あるいは字形が複雑でそれも困難場合はやむを得ず〓の記号を付けました。
・文中の「集成」は『殷周金文集成』の、「近出」は『近出殷周金文集録』の略。数字はそれぞれの書の著録番号です。

【銘文】

隹廿又四年九月既望庚
寅王在周各大室即位司
空〓入右[彔見]立中廷北向
王呼作册尹册〓(=申)令(=命)[彔見]曰
更乃祖服作冢司馬汝其諫
訊有鄰取徴十鋝賜汝赤
巿幽黄金車金勒旂汝廼
敬夙夕勿廢朕令(=命)汝肇享
[彔見]拜稽首敢對揚天子休
用作朕文祖幽伯寶簋[彔見]
其萬年孫子其永寶用

【訓読】

隹れ廿又四年九月既望庚寅、王、周に在り、大室に各りて、位に即く。司空〓、入りて[彔見]を右け、中廷に立ちて、北向す。王、作册尹を呼びて、申命を[彔見]に册せしめて曰はく、「乃の祖の服を更がしめ、冢司馬と作す。汝其れ訊・有鄰を諫せよ。徴十鋝を取らしむ。汝に赤 巿・幽黄・金車・金勒・旂を賜ふ。汝廼ち夙夕に敬み、朕が命を廢るなかれ。汝、肇享せよ」と。[彔見]、拜稽首し、敢へて天子の休に對揚し、用て朕が文祖幽伯の寶簋を作る。[彔見]其れ萬年ならむことを、孫子其れ永く寶用せよ。

【解説】

典型的な冊命形式金文であるが、「册〓(=申)令(=命)」という表現を取るのは類例を見ない。「〓(=申)」は「辭」の左側に「東」と「田」を組み合わせた字形で、「申」あるいは「」と通用するとされる。(ここでは申字説を採る。)

この字は通常、師[疒員]簋(集成4283~4)の「册令(=命)師[疒員]曰、『先王既令(=命)汝、今余唯〓(=申)先王令(=命)、汝官司邑人師氏。賜汝金勒』。」【師[疒員]に册命せしめて曰はく、『先王既に汝に命ぜり。今余唯れ先王の命を申ね、汝に邑人師氏を官司せしむ。汝に金勒を賜ふ』。」のように、冊命の文中で用いられる。字意は「継続・増益」を指し、以前からの命令や官職を継続させる、あるいはそれに加えて新たな任官や命令を加えると解するのが一般的である。この銘文では祖先と同じく冢司馬に任じたことを「申命」としている。

この器の年代については、4つの論考とも穆王の二十四年とする。師[疒員]簋には冊命儀礼の右者として「司馬邢伯[彔見]」の名が見え、走簋(集成4244)・師[大玉]鼎(集成2813)にそれぞれやはり冊命儀礼の右者として「司馬邢伯」の名が見え、それぞれこの銘文の[彔見]と同一人物を指していると思われる。この他「邢伯」の名が見える銘文は多く存在するが、[彔見]と同一人物とすべきかどうか確証が持てない。

しかし林巳奈夫『殷周時代青銅器の研究』(吉川弘文館、1984年)は、師[疒員]簋と師[大玉]鼎を西周IIIA(西周後期前半)に断代しており、本器の年代もそれと同じか少し前(西周IIB?)になると思われる。林氏は穆王期の青銅器をおおむね西周IIAに断代しているので、林氏の年代観に従うと[彔見]は穆王よりは少し後、共王以降に活躍した人物ということになろう。
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