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博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『木簡の社会史』

2007年10月31日 | 日本史書籍
鬼頭清明『木簡の社会史 天平人の日常生活』(講談社学術文庫、2004年8月)

先日のリレー講義の参考文献のひとつですが、今まで紹介しそびれていたので、取り上げてみることにします。

平城京や藤原宮などから発見された奈良時代の木簡によって当時の人々の生活の一端をのぞいてみようという主旨の本ですが、それよりも奈良時代の政治史に関わる発見の方に目が向いてしまいました(^^;) 藤原仲麻呂の乱の後の処置を記したものとか、孝謙上皇と淳仁天皇が対立していた時期のものとか、当時の政治制度だけではなく政治の裏面を伝える木簡というのも思ったより存在しているもんなんですね。

本書は1984年に刊行されたものの文庫版で、末尾には渡辺晃宏氏による解説と補注が付いていますが、この20年の間の研究の進展や新発見に基づいて容赦なくツッコミが入ってます(^^;) それだけ日々学説の書き換えが進んでいるホットな分野だということなんでしょうけど。
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リレー講義

2007年10月29日 | 雑記
本日母校の「関西文化と異文化交流」という科目で、「漢字の伝来と受容」というテーマで講義してきました。この科目は毎回講師が変わるリレー講義というやつで、今回は私の出番だったわけです。ここしばらくこれのための調べ物に追われてましたが、これでしばらく一息つけそうです。
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『楊家将』その4

2007年10月29日 | 中国古典小説ドラマ
『楊家将』第19~24話まで見ました。

楊家軍の奮戦により遼軍は撤退。しかし楊八姐は軍から抜け出して幽州に潜入し、父の形見の金刀を探し求めることに。運悪く遼の部将に捕らえられたり、男装していたせいで彼女を男性と思い込んだ瑤娥公主に惚れられたりと色々あったものの、無事に金刀を取り戻し、木易、すなわち兄の四郎の手引きで瑤娥公主とともに幽州を脱出。

一方、八姐を捜索に出た六郎一行は山賊の孟良・焦賛を配下に収め、また行方不明になっていた兄の五郎と再会。五郎は金沙灘の戦いで負傷した後、五台山の僧侶に助けられ、そのまま出家して修行に励んでいたのでありました。

このように着々と功績を挙げ、陣容を固める楊家軍ですが、好事魔多し。真宗の寵臣の謝金吾は楊家を妬み、真宗にあることないこと告げ口をして、楊家の邸宅・天波府の門前に建てられた太宗御製の玉碑を撤去させてしまいます。潘仁美がいなくなったと思ったら今度はこんな奴が現れ、まさにエンディングテーマの歌詞にあるように「古往今来 毎毎是昏君寵佞臣」なんであります(;´д⊂)

これにショックを受けた佘賽花は病に倒れ、王欽からその事を知らされた六郎は焦賛を連れて密かに都へと戻りますが、逆上した焦賛は「楊家に仇なす奴はこの俺が成敗してくれるッ!」とばかりに謝金吾を斬殺してしまいます。ああ、杜金娥といい、どうして楊家の身内は考え無しに行動する奴らばかりなんでしょうか……

実行犯の焦賛とともに、謝金吾殺害の黒幕として、また勝手に戦場を離脱したことが罪に問われて六郎は捕らえられてしまいます。しかし六郎はこの期に及んでも王欽を頼りにしております…… そもそも謝金吾に楊家を挑発するようけしかけたのがこの王欽ですし、また六郎に佘賽花が倒れたことを知らせて都に戻るよう促したのも彼の策謀だったわけですが、それでもまだ六郎に遼のスパイだという疑いすら持たせないあたり、同じ悪役でも潘仁美や謝金吾とは格の違いを感じさせます(^^;) 蕭銀宗は楊六郎の不在を狙って再び総攻撃を開始しますが……
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『関羽』ほか

2007年10月28日 | 中国歴史ドラマ
BSジャパンで放映中の中国歴史ドラマ『関羽』ですが、何だかんだ言いつつ飛ばし飛ばし見てます。内容的には良くも悪くも一昔前の中国の歴史物といった感じで、まあこんなもんかなあといったところです。話の展開は割とテンポがいいですね。

ただ、デジタル放送とは思えないぐらい画質が粗いのは何とかならないもんでしょうか(-_-;) サンテレビですら韓流ドラマをデジタルハイビジョンで流しているご時世だというのにこれは無いです……

で、晩は晩でNHKの『新シルクロード 激動の大地をゆく』第6集を見てました。今回はトルコに居住するクルド人がテーマです。内容的には興味深かったものの、やっぱりシルクロードの枠でやる必要は無いよなと思わせる出来になってました(^^;) 現在のトルコ共和国建国とクルド人との関係についても触れてましたが、クルド人の歴史についてもう少し掘り下げてほしかったところです。
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『史記・貨殖列伝を読み解く』

2007年10月27日 | 中国学書籍
林田愼之助『史記・貨殖列伝を読み解く』(講談社、2007年7月)

タイトルに惹かれて図書館で借りてしまいました。著者は以前に紹介した『北京物語』を書いた人です。

『史記』列伝の中で太史公自序を除いて一番最後に配置され、冒頭に置かれた伯夷列伝とは内容的にも対極をなす貨殖列伝。これと、更には同じく『史記』の酷吏列伝・平準書も参照しながら、前漢の武帝期の経済政策と、それに対する司馬遷の見方を確認していこうという内容です。

司馬遷が商才によって成り上がった素封家を好意的に見ていたこと、また経済政策については自由放任の立場を採っており、武帝による経済統制には批判的であったことなどを述べていますが、内容的にそれほど新味があるわけでもなく、ハードカバーよりも文庫・新書の方が合ってるなあというのが正直なところです(^^;) 
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『楊家将』その3

2007年10月25日 | 中国古典小説ドラマ
『楊家将』第14~18話まで見ました。

潘仁美の権勢を恐れ、誰も引き受け手のいなかった楊六郎の審問官に抜擢されたのは、地方官の寇準であった。彼は楊継業の死が潘仁美の策謀によるものであることを暴き出した。潘仁美には温州への流罪が言い渡されたが、刑地に向かう途中で杜金娥が彼を襲撃。この杜金娥、実は楊七郎と将来を誓った女性であり、潘仁美を許嫁の七郎の仇として付け狙っていたのであった。彼女は「貴様には流刑など生温いッ!」とばかりに潘仁美を斬殺し、何処かへと去って行きます。

しかしそのとばっちりは楊家に向けられることに…… 太宗は楊六郎が潘仁美の暗殺を仕組んだと信じ込んで激怒し、今度はあべこべに六郎が流刑に処せられてしまいます。おまけに出世して本性を表した王欽は手の者に遼の邪魔者となる六郎の暗殺を命じますが、当の六郎は間一髪で危機を逃れ、ほとぼりが冷めるまで楊家の邸宅内で身を潜めることにします。一方、六郎が死んだと信じる蕭銀宗は宋への出征を決意。遼軍の侵攻の報を聞いた太宗は泡を食い、男どもの替わりに楊家の女性たちを出征させるべく、群臣を率いて楊家宅へと出向き……

というわけで楊家の受難の連鎖が止まりません(ノД`) ここで出て来る寇準は北宋の朝臣として著名な人物です。太宗に随行してやって来た楊家宅では、六郎の妻の柴郡主の行動が不審なのに目を付けて六郎が潜伏していることを突き止めます。この時に彼がこっそり郡主の後を付け、バレそうになると蛙の鳴きマネをしてごまかすのがなかなかの見物であります(^^;) 

また杜金娥は以前に鑑賞した『少年楊家将』で同名の人物が登場した時にはてっきりオリジナルキャラクターかと思いましたが、元ネタがあるキャラだったんですね。ただ、『少年楊家将』と本作とでは四郎と五郎の妻の名が本作と食い違っているのですが……

で、太宗は六郎の罪を許した後に急死し、見るからにボンクラの真宗が新帝として即位。六郎は三関元帥として張元・岳勝ら新たな部下や、妹と兄嫁からなる楊門女将を率いて遼軍と対峙します。この時の遼軍の将には木易と名を変え、蕭銀宗の長女・瓊娥公主の婿になっていた楊四郎も加わり、弟や妻の董月娥が敵陣に控えているのに動揺します。董月娥は夫が遼の部将になっているのに激怒し、一騎打ちを仕掛けて猛攻撃をかけますが……
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『海神』

2007年10月23日 | 韓国歴史ドラマ
BSフジで放映中の『朱蒙』ですが、面白いかと言われると返答に困るが、積極的につまらないというほどでもないという微妙な状態が続いているのがイヤになって20話あたりで視聴を断念。で、先週あたりから地方局のサンテレビで放映中の『海神(ヘシン)』を見てます。(BS朝日でも放映してますが、こちらは1日1話というハイペースで放映されているのでパス。さすがに毎日は見てられません……)

このドラマは新羅や唐が舞台になっており、から海上の覇者に成り上がった張保皐と、後に彼を討つことになる閻丈の二人(ともに実在の人物ということですが)が主人公になっており、日本も話に絡んでくるようです。閻丈を演じているのは『朱蒙』の主役俳優のソン・イルグクですが、朱蒙より渋い役柄で似合ってますね。ストーリー展開も『朱蒙』よりは面白そうです。
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『ベースボールの夢』

2007年10月21日 | 世界史書籍
内田隆三『ベースボールの夢』(岩波新書、2007年8月)

アメリカではかつて、ベースボールを考案したのは南北戦争で活躍したアブナー・ダブルデー将軍で、彼がまだ若かった1839年にニューヨーク州クーパーズタウンで初めてベースボールをプレーしたとされてきた。しかし実際はベースボールはイギリス起源であると考えられ、おそらくはイギリス製の子供向けにボールゲームを紹介した絵本を通じてアメリカでも遊ばれるようになり、ルールの改良・統合が勧められ、現在のベースボールが成立していった。

またベースボールが田園的でのんびりしたスポーツであるのというのも幻想で、実際は都会的で、(クリケットなど類似のボールゲームと比較すると)スピーディーなスポーツである。

このように本書ではベースボールにまつわる神話を否定していったうえで、その神話に託された19世紀後半から20世紀初め頃までのアメリカ白人の夢と、当時の社会的背景を読み解いていきます。

本書で扱っているのはベーブ・ルースが登場する頃までのアメリカのベースボールだけですが、日本で野球に託された夢の形はそれとはまた違っているんだろうなと感じました。むしろ日本人独自の夢を託せてきたからこそ、野球が日本に根付いたと言うべきでしょうか。著者には是非とも本書の日本編を書いてほしいところです。
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『楊家将』その2

2007年10月19日 | 中国古典小説ドラマ
『楊家将』第8~13話まで見ました。

金沙灘の悲劇の後、楊家の功績を称えるため、楊継業は保国令公に封じられ、六郎・七郎には官職が与えられ、六郎には更に太宗の姪分にあたる柴郡主を娶らせ、死んだ大郎・二郎・三郎もそれぞれ侯に封じられます。しかし当の太宗は一躍功臣となった楊継業を早速ウザがりはじめ、「楊家の者は生きている者には官職を与え、死んだ者にも爵位を与えた。だからもう楊家への義理は果たしたのだ」とのたまう始末……

金沙灘の戦いでの傷を癒す間もなく、今度は潘仁美を主将、楊継業を副将として征遼が行われることになります。潘仁美は息子が楊七郎に殺されても、これまで楊家に対して恨み言ひとつ述べませんでしたが、遠征先ではここぞとばかりに言いがかりをつけて楊継業を杖刑に処します。こいつ、やっぱり恨んでやがったよ…… 潘仁美は更に楊家軍を遼軍との激戦地である陳家谷に出征させたうえで約束していた援軍を送らず、楊継業らを見殺しにしようとします。

そこに駆けつけたのが、金沙灘の戦いの後に蕭銀宗の次女・瑶娥公主の婿にさせられていた楊八郎。彼は遼軍の甲冑を七郎に与えて本陣に援軍の催促に行かせますが、彼自身は父親から命惜しさに遼に降ったと思われたのがショックで、父親と六郎の目の前で自害してしまいます。更に本陣に辿り着いた七郎も結局潘仁美に捕らえられて処刑され、援軍のないまま遼軍に包囲された楊継業は絶望して李陵碑に頭を打ち付けて自害することに…… 嗚呼、嗚呼っ……! 

楊継業の遺体は遼軍に引き取られ、蕭銀宗自ら盛大な葬儀を執り行いますが、このあたり味方のはずの宋より敵の方が明らかに礼儀をわきまえているのがまた泣けます(;´д⊂)

一方、六郎は命からがら陳家谷から脱出を果たしたものの、潘仁美の策謀により敵前逃亡の罪を着せられてお尋ね者に。そんな彼に助けの手を差し伸べたのは、王欽、すなわち蕭銀宗の腹心であった……

金沙灘の悲劇は単なる序章にすぎなかった!というわけで楊家の受難、本番です。この辺から遼のスパイの王欽が宋側と絡んできますが、太宗の甥八賢王にその能力を見込まれて太子の側近に取り立てられ、宋での地位を着々と固めつつあります。これから彼がどのように暗躍していくかが見物ですね。

で、結局この王欽や八賢王、更には母親の佘賽花らの尽力により、六郎の罪状をめぐって潘仁美との裁判が行われることになりますが……
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『戦争の日本史1 東アジアの動乱と倭国』

2007年10月17日 | 日本史書籍
森公章『戦争の日本史1 東アジアの動乱と倭国』(吉川弘文館、2006年12月)

倭の五王あたりから白村江の戦いまでの倭国と朝鮮諸国との興亡を描いています。

4世紀から7世紀までの東アジア地域での熾烈な駆け引きの中から見えてくるのは、高句麗・百済・新羅が一定の国策や戦略に基づいて外交を展開するのに対し、そのような基本方針を持たず、国際情勢をしっかり把握しないまま外交を展開、あるいは情勢に巻き込まれる倭国の姿です。それが最終的に白村江の敗戦に繋がっていくわけですが、このあたりの状況は今の日本も変わらんのでしょうなあ……
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