羽田正『興亡の世界史15 東インド会社とアジアの海』(講談社、2007年12月)
イギリス東インド会社がテーマなのかと思って読み始めたら、オランダ・フランスの東インド会社もテーマの中に含まれているうえに、それぞれの東インド会社が結成されるまでの背景や、進出先となったインドやペルシア、日本などの状況についても言及するといった、相当にスケールの大きな話になっています。
以前に刊行された『シルクロードと唐帝国』といい、このシリーズ、東西交渉を扱った巻が面白いですね。
個人的に興味深かったのは、ペルシアやインドなどインド洋方面の諸国と、明王朝や徳川政権など東アジア方面の諸国とでは海上交通や交易に関する考え方に相当違いがあり、それが東インド会社などのヨーロッパ勢力との対応や各地域のその後の政治状況に大きな影響を与えたという点です。
インド洋方面のムガル帝国やサファヴィー帝国の為政者は陸地に住む人々の支配には熱心でも海上で活動する人々については無関心で、本国人と外国人との区別にもそれほどこだわりませんでした。結果、東インド会社やそれ以前のポルトガルとの交易を積極的に受け入れ、各地の太守や宮廷の重臣として外国人を積極的に登用する反面、それが後々どういう影響を及ぼすのか熟慮しないままにヨーロッパ側に重要な特権を与えてしまうことがありました。
しかしインドに進出したイギリス東インド会社も当初からインドの植民地化を志向していたわけではなく、(各国の東インド会社はあくまでも民間の商事会社であるという点は本書の中でくどいぐらいに念押しされています。)地方の行政権などを獲得したのも成り行きに近いものであったようで、スタッフに元々行政に関するスキルが無いうえに現地事情の理解にも乏しく、現地民に対する裁判執行に四苦八苦したり(こういうことが積み重なって、会社を貿易業務に専念させるために現地の統治・司法を担う総督職が本国によって設けられることになるわけですが……)、充分な額の徴税ができず、会社の赤字を広げる要因になるといったトホホな状態に陥ります(^^;)
これに対して、東アジアの明王朝や徳川政権、朝鮮王朝などでは陸地の支配者が海上のことにも責任を持つべきだと考え、陸地の政治権力が海禁政策やいわゆる鎖国に代表されるような海上交通・交易の統制を行います。またヨーロッパ側に長崎やマカオなどの居留地の所有権は現地政府が保持したままで、ヨーロッパ人をあくまで「店子」のように扱い、兵士の駐屯も認めないなど、特権の付与について慎重であったとのことです。また、江戸時代の日本の政治体制はヨーロッパの主権国家のそれと似通っており、このことが日本が後にアジア諸国の中では最も早く国民国家へと脱皮できた要因となったのではないかと評価しています。
その他面白かったポイントは以下の通り。
○ヨーロッパで香辛料は生肉の保存のために用いられたのではなく、実際は香辛料自体が医薬品として珍重されたという説が提起されている。
……それこそ東洋における漢方薬みたいな位置づけだったんでしょうか。
○ヒンドゥー教はいわばイギリス人によって「発見」された宗教であり、イスラーム、ジャイナ教、スィク教など以外の宗教的要素をこのように位置づけた。
……ここから考えると、日本人の主要宗教が「日本教」だなどという意見もあながち外れていないのかもしれません。
本題の東インド会社に関してだけではなく、その他の部分についても読みどころが多い本に仕上がっています。
イギリス東インド会社がテーマなのかと思って読み始めたら、オランダ・フランスの東インド会社もテーマの中に含まれているうえに、それぞれの東インド会社が結成されるまでの背景や、進出先となったインドやペルシア、日本などの状況についても言及するといった、相当にスケールの大きな話になっています。
以前に刊行された『シルクロードと唐帝国』といい、このシリーズ、東西交渉を扱った巻が面白いですね。
個人的に興味深かったのは、ペルシアやインドなどインド洋方面の諸国と、明王朝や徳川政権など東アジア方面の諸国とでは海上交通や交易に関する考え方に相当違いがあり、それが東インド会社などのヨーロッパ勢力との対応や各地域のその後の政治状況に大きな影響を与えたという点です。
インド洋方面のムガル帝国やサファヴィー帝国の為政者は陸地に住む人々の支配には熱心でも海上で活動する人々については無関心で、本国人と外国人との区別にもそれほどこだわりませんでした。結果、東インド会社やそれ以前のポルトガルとの交易を積極的に受け入れ、各地の太守や宮廷の重臣として外国人を積極的に登用する反面、それが後々どういう影響を及ぼすのか熟慮しないままにヨーロッパ側に重要な特権を与えてしまうことがありました。
しかしインドに進出したイギリス東インド会社も当初からインドの植民地化を志向していたわけではなく、(各国の東インド会社はあくまでも民間の商事会社であるという点は本書の中でくどいぐらいに念押しされています。)地方の行政権などを獲得したのも成り行きに近いものであったようで、スタッフに元々行政に関するスキルが無いうえに現地事情の理解にも乏しく、現地民に対する裁判執行に四苦八苦したり(こういうことが積み重なって、会社を貿易業務に専念させるために現地の統治・司法を担う総督職が本国によって設けられることになるわけですが……)、充分な額の徴税ができず、会社の赤字を広げる要因になるといったトホホな状態に陥ります(^^;)
これに対して、東アジアの明王朝や徳川政権、朝鮮王朝などでは陸地の支配者が海上のことにも責任を持つべきだと考え、陸地の政治権力が海禁政策やいわゆる鎖国に代表されるような海上交通・交易の統制を行います。またヨーロッパ側に長崎やマカオなどの居留地の所有権は現地政府が保持したままで、ヨーロッパ人をあくまで「店子」のように扱い、兵士の駐屯も認めないなど、特権の付与について慎重であったとのことです。また、江戸時代の日本の政治体制はヨーロッパの主権国家のそれと似通っており、このことが日本が後にアジア諸国の中では最も早く国民国家へと脱皮できた要因となったのではないかと評価しています。
その他面白かったポイントは以下の通り。
○ヨーロッパで香辛料は生肉の保存のために用いられたのではなく、実際は香辛料自体が医薬品として珍重されたという説が提起されている。
……それこそ東洋における漢方薬みたいな位置づけだったんでしょうか。
○ヒンドゥー教はいわばイギリス人によって「発見」された宗教であり、イスラーム、ジャイナ教、スィク教など以外の宗教的要素をこのように位置づけた。
……ここから考えると、日本人の主要宗教が「日本教」だなどという意見もあながち外れていないのかもしれません。
本題の東インド会社に関してだけではなく、その他の部分についても読みどころが多い本に仕上がっています。