博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『後宮甄嬛伝』その5

2012年07月26日 | 中国歴史ドラマ
『後宮甄嬛伝』第23~28話まで見ました。

宮中で疫病が蔓延し、宮女や宦官が次々と病に倒れていく中、すかさず華妃が病人の使っていた茶器を沈眉荘に贈りつけ、知らずにそれを使った彼女も疫病に罹ってしまい、甄嬛が推挙した太医の温実初が治療にあたることに。そして甄嬛が執念で沈眉荘を陥れた劉太医の身柄を確保させ、雍正帝に彼女の身分回復と黒幕の華妃の断罪を求めます。しかし事態を察した華妃が疫病の治療法発見に尽力したことをアピールして罪を逃れたばかりか、後宮統轄の権利も取り戻します。

時を同じくして懐妊が明らかとなった富察貴人ですが、高慢な彼女を嫌う安陵容は密かに皇后の飼い猫をけしかけて転倒させ、流産に追い込みます。この時その場に居合わせた甄嬛も何者かに背中を押され、富察貴人を押し倒すような形にさせられますが、間一髪で富察貴人をかばったかのような態勢を取って傷を負います。この時の怪我の治療で今度は甄嬛の懐妊が明らかとなり、雍正帝は彼女を莞貴人から莞嬪へと昇格させます。雍正帝と甄嬛のバカップルぶりを見てると、画面をぶん殴りたくなってきますが(^^;)

しかし甄嬛と仲の良い妹分の淳常在がうっかり華妃の密談を立ち聞きしてしまい、華妃の手の者にかかって蓮池で溺死させられるという事件が発生。この一件は事故死ということで片付けられてしまいますが、真実を察した甄嬛は彼女の仇討ちを密かに決意します。淳常在は天真爛漫でとにかく食べることが好きという性格で、このドラマで唯一の癒し系ヒロインだったのですが、ここでこんな死に方をしてしまうとは(´・ω・`)  甄嬛が妊娠した時に彼女が「お姉様、私をお腹の子の義理の叔母にしてね!」と言っていたのは、今思えば死亡フラグというやつだったのでしょうか……


『百度百科』の項目より淳常在。

そして雍正帝は華妃の昇格を決定しますが、皇后に次ぐ皇貴妃の位を与えようとしたところ、彼女の兄の年羮堯に何かと不遜な振る舞いが目に着くのと、華妃が皇貴妃の衣服を贈られて遠慮なく受け取ったのを目にして、急遽ワンランク下げて貴妃の位を与えることに。華妃あらため華貴妃が粛清される日が刻一刻と近づいているようです(^^;)

そして甄嬛の懐妊で危機感を覚えた三阿哥の生母斉妃が、安陵容に「夾竹桃って難産や流産を促す効果があるんですって」とさりげなく唆され、夾竹桃の粉を混ぜた甘栗を甄嬛に贈ったところ、その場に居合わせた安陵容が素知らぬふりをして斉妃の意図をすっぱ抜いて見せ、事の次第を知った皇后が斉妃を呼びつけて叱責するという、きたないなさすがな展開に。地獄展開はまだまだこれからが本番の模様です……
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『喧嘩両成敗の誕生』

2012年07月18日 | 日本史書籍
清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006年)

切腹や囲者のルーツについて言及していたりと、氏家幹人『かたき討ち』の前段にあたる内容ですが、室町人のヒャッハー!ぶりを見てると、彼らは日本人の祖先と言うより『北斗の拳』の世界の人々の祖先と言った方がしっくりくるなあとしみじみ……

本書では室町人が『北斗の拳』の世界の住人から「我々」の祖先となっていく過程を論じているのですが、こういうのを見てると、内藤湖南の今日の日本を知るには応仁の乱以後の歴史を研究すれば充分で、それ以前の歴史は外国の歴史のようなものだという言葉が思い出されます。現在とのつながりを意識させられるのが歴史の効用だとすれば、現在との断絶を意識させられるのも、これまた歴史の効用であるわけです。(ついでに言うと、私自身はつながりより断絶の方に惹かれがちなんですが……)

本書で印象に残った話。文安元年(1444年)5月のこと。京の都で山名氏の女中を乗せたお輿が行列を組んで進んで行くのを見て、子供たちが流行り歌をうたって囃し立てていたところ、行列のお伴の男が何を思ったか突然刀を振り回して8歳の子供を突き刺し、「文句があるヤツはかかってこい!」と怒鳴り散らします。

刺された子供は両親のいない孤児であったこともあり、誰も彼を助けようとしませんでしたが、その子は血まみれになりながらも通り過ぎていく行列を睨みつけ、「菖蒲で作ったおもちゃの刀でも身につけておれば、このような不覚は取らなかったものを……」と言い残して息絶えたとのこと。

この時代、子供ですら自分の身は自分で守るという「自力救済」の覚悟を持っていたという話なんですが、こういうのを見ると当時の日本がどんどん『北斗の拳』の世界に見えてくるわけですよ(´・ω・`)
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『かたき討ち』

2012年07月18日 | 日本史書籍
氏家幹人『かたき討ち』(中公新書、2007年)

江戸時代の敵討にまつわるあれやこれやをまとめた本ですが、敵討は泰平の世の到来によって戦士としてのアイデンティティを奪われつつあった江戸時代の武士にとっての、言わば「自分さがし」であるという記述に笑ってしまいました(^^;) 戦国時代の武士は却って親兄弟を殺された遺恨にこだわるだけの余裕が無かったそうな……

そして当時の合法的な敵討の手順とは。本書によると、まず討手が主君に敵討の許可を願い出る。敵が他領にいる場合は、主君が幕府に届け出をだす。→江戸町奉行がこれを帳簿に記録し、討手に許可証を発行。→で、討手が敵を発見!→現地の役人に届け出。→現地の役所が敵を捕縛し、幕府に届け出。→江戸町奉行が帳簿を確認し、敵討を許可。→現地の役所がしかるべき手配をして、敵討を実行させる。……手続きが超絶に面倒くせえEEEEEEEEE!!これはひどいw どう見てもお役所仕事www

まあ、幕府などの当局からしたら、敵討と言えども殺人は殺人なのだから、これを法的に認める限りはここまで厳密に手続きを踏ませないといけないという言い分になるんでしょうけど。昨今の大津のいじめ事件のようなことがおこると、敵討の制度の導入・復活を!という人が現れますが、例え導入されたところで制度として導入される限りは、たぶんこういう残念なことになるんだと思います(´・ω・`)

本書よりもうひとつネタ。江戸前期には屋敷に駆け込んできた敵持(敵討の対象として追われている人)を大名や旗本が囲者として匿うという風習があったとのことです。しかし江戸後期にはこの風習が廃れていきます。当時の武士の作法書『天野武大夫調進書』によると、敵持が屋敷に駆け込もうとした場合、様々な嫌がらせ……もとい手立てを尽くして、なるべく穏便に駆け込みを諦めさせるのがマナーであるとされています。

まずその家の家臣が敵持に応対し、「主人は来客中なのであなたには会えない。悪いがよそに行ってくれ」と説得。それでも諦めない場合は、相手に切腹を勧めます。相手が切腹しない場合は「そのような臆病者は匿えない。さっさとよそへ行け」とイチャモンをつけて追い出します。

では家臣自身の家に敵持が駆け込んできた場合はどうするのか。まず追手の名前を聞き出し、「追手は実は自分の知り合いだ」とか「家には病人がいるからあなたの面倒を見る余裕が無い」とか「今から主君の命で外出するところなので」と、適当な嘘をついて体よく追い出します。

……何か色々とワロタw もはや困っている人を適当にあしらって責任回避をはかるのが日本の伝統ではないかと疑われるレベルです(^^;) しかし本書は現在の日本とは異質の文化について語っているはずなのに、読めば読むほどデジャブを感じるのはなぜなのでしょうか……
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『後宮甄嬛伝』その4

2012年07月16日 | 中国歴史ドラマ
『後宮甄嬛伝』第17~22話まで見ました。

華妃の謀略により、赤子の温宜公主を毒殺しようとしたという濡れ衣を着せられた甄嬛ですが、病弱な端妃が証人となって寸手の所で罪を免れます。この端妃も華妃とは因縁があるようですが……

ここまでの人間関係を『北斗の拳』で例えてみますと、甄嬛が世紀末救世主ことケンシロウだとしたら、皇后が拳王ことラオウ、華妃が聖帝サウザー、監禁状態にある沈眉荘がトキ、端妃がシュウといったところになるでしょうか。とすると、雍正帝は南斗最後の将ことユリアですね(^^;)


OP映像より華妃。こういう傲慢な身振りと顔つきが最高ですw

一方の甄嬛もやられっぱなしでは済まさぬと、禁令を破ってこっそり沈眉荘に会いに行くという偽情報を流して華妃に自分を密告させ、それが誣告であったということで、華妃は罰として後宮を統轄する権利を取り戻すのを差し止められることに。きたないなさすがの応酬が繰り広げられます。

ここで甄嬛の侍女の浣碧が華妃側のスパイであったことが明るみに出ます。浣碧は実は甄嬛の父の隠し子で、甄嬛の異母妹にあたるのですが、姉とは違ってなかなか日の当たる所に出られないのを不満に思っていたのでした。しかしこれを機に互いに姉妹の名乗りを挙げ、絆を確かめ合うことに。

そして西北方面で従軍していた華妃の兄年羮堯が都に凱旋。雍正帝・華妃とともに会食をしますが、傲岸不遜な態度を取り、何だか微妙な雰囲気に…… このあたりが後に彼が粛清される伏線になるのでしょうか。

一方、安陵容ちゃんは呪いの藁人形的なものを作って華妃にいじめられた鬱憤を晴らしていたところ、それをうっかり皇后に見つかり、「お願いですから見なかったことにして下さい」と泣きながら土下座したり、甄嬛の好意を悪い方に取ったり、侍女に八つ当たりしたりと、ますます残念な方向に。この娘は先の『北斗の拳』の例えで言うとアミバかジャギといったところでしょうか。あるいは後でもっと大物に化けるかもしれませんが……
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『後宮甄嬛伝』その3

2012年07月11日 | 中国歴史ドラマ
『後宮甄嬛伝』第11~16話まで見ました。

甄嬛は紫禁城内で余氏の幽霊が現れたという騒ぎを引き起こさせ、余氏の一件の黒幕をあぶり出そうとします。そして華妃の取り巻きの麗嬪が幽霊騒ぎを目の当たりにし、恐慌のあまり口を割りかけますが、華妃によって気が触れたことにされてしまって冷宮送りとなり、見事に口封じされてしまいます。ホント後宮生活は地獄(以下ry しかしこの件によって華妃は皇后を助けて後宮を統轄する権利を奪われ、甄嬛の姉貴分の沈眉荘が替わってその役目を任されることに。

その後、雍正帝が避暑のために円明園に赴くことになり、甄嬛ら后妃もお伴をしますが、華妃の知恵袋の曹貴人が当事者しか知らないはずの雍正帝と甄嬛との出会いの経緯を漏らし、雍正帝が甄嬛に不信感を抱くように仕向けたり、宴会の余興で亡くなった純元皇后(今の皇后の姉で、甄嬛はどうやらこの人に容貌が似ているらしい)が得意とした驚鵬舞を甄嬛に舞うよう仕向けたりと、地味な嫌がらせを繰り返します。

ここで甄嬛が李東学演じる果郡王や、四阿哥弘暦(後の乾隆帝)と出会ったりしてますが、このドラマでは弘暦は雍正帝が皇子時代に熱河の避暑山荘の宮女に手を付けて生ませた子で、当時政敵の八阿哥がそのことを康熙帝に告げ口して叱責されたという経緯から、雍正帝に疎まれているという設定なんですね。この弘暦が後に甄嬛とどう関わってくるのか気になるところですが……

そうこうしているうちに沈眉荘の妊娠が発覚し、喜びに沸き上がる円明園ですが、すぐさま実はそれが想像妊娠だったことが暴露され、沈眉荘は貴人から答応に降格。実はこれ、華妃派の謀略で、まず華妃の息の掛かった医者を沈眉荘の担当医になるよう仕向け、あとはその医者が妊娠したと誤解させるような薬を飲ませたりして沈眉荘を騙したという次第。おまけに間髪入れず沈眉荘の食事に毒を混入させて毒殺させようとする始末。さすがにこれには失敗しますが、えっなにそれこわいな展開が続きます。

調子に乗った華妃は、曹貴人の生んだ赤子の温宜公主を引き取って雍正帝に「あたくし、こう見えても子供が大好きですのよ」アピールを図りますが、公主の夜泣きがうるさいからと、安神薬(精神安定剤のようなもの?)を飲ませてムリヤリ眠らせているのにはドン引きです……

そして甄嬛が手引きして入宮以来鳴かず飛ばずの安陵容を雍正帝と引き合わせ、寵愛を得るよう仕向けますが、生憎と陵容ちゃんは外面はいいけれども内面がちょっと残念な娘なので、イヤな予感しかしないのですが……
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『後宮甄嬛伝』その2

2012年07月03日 | 中国歴史ドラマ
『後宮甄嬛伝』第5~10話まで見ました。

色々見てはいけないものを見てしまい、(具体的に何を見たかは……まあ、お察し下さいw)病の床に伏せる甄嬛。これを奇貨とし、幼馴染みの温太医と示し合わせて病が癒えないふりをし、皇上との床入りを延ばせるだけ引き延ばすことに。で、年越しの宴への出席をさぼって散歩していたところ、やはり宴を抜け出て来た雍正帝と鉢合わせしそうになったので、自分は倚梅園の宮女だと誤魔化してその場を逃れた甄嬛ですが、後日雍正帝が彼女を捜索させたところ、あの日たまたまその場に居合わせた倚梅園の宮女余鶯児が偽って名乗り出て「答応」(下級の后妃)に任じられます。

特技の崑曲で雍正帝の心をつかむ偽シンデレラこと余答応ですが、華妃の取り巻きとなり、調子に乗って甄嬛ら他の后妃に横暴にふるまうなどやりたい放題。后妃となったところで満足しておればいいものを、ここで調子に乗るのが後宮クオリティなんでしょうか(´・ω・`)

しかしその甄嬛も御花園でブランコで遊んでいたところを雍正帝に見出され、(この手のドラマはどうしてブランコが恋のアイテムになるんでしょうか……)「常在」から「貴人」に出世し、雍正帝との床入りも済ませて一躍寵愛を独占することに。仮病生活もここで終了です。

しかしそのことが他の后妃たちの嫉妬を招き、まずは甄嬛の姉貴分の沈貴人が華妃に呼び出され、夜通し文章の書き取りをやらされたり、華妃の手の者に背後から池に突き落とされて半死半生の目に遭わされたりします。

ついで甄嬛も滋養のためにと毎日支給されていた薬湯に微量の毒が混入していたことに気付きます。ホント後宮生活は地獄だぜ!フゥハハハーハァーと言いたくなる展開です(^^;) しかし最近何だか眠気が取れないという所から毒薬の混入を見抜くとは、甄嬛は神であるとしか…… そして余答応が毒薬混入の指令を下したことが明らかとなり(本当は更に華妃がその黒幕となっているのですが)、雍正帝が彼女に自害を申しつけることとなり……

ということで、余氏は甄嬛のお陰で思わぬ出世をし、甄嬛のお陰で破滅していくという展開になるわけですね。
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